第2話 人の死を願い続ける女



 1 


「お姉ちゃん。アタシさ、何日か東京に行ってくるから」
 朝食時、亜紀がそんな事を言う。
「東京? 何しに行くの? 遊びに?」
 あまりにも唐突な話だったので、亜矢は素直に驚く。
「わざわざ言わなくても、お姉ちゃんならわかるでしょ〜? 以心伝心でしょー、アタシ達は」
 亜紀はすました顔をする。
 その笑顔の中。薄い目に宿る狂気を、亜矢は静かに見つめる。
 妹の亜紀ですら、時に油断ならないと思う時がある。わかりあっているようで、実は亜紀の事を何も知らないも同然なのだ。
「……アンタの考えてる事なんて、いつだってわからないわよ。つながっているのは奥底、ほんの一部分だけだからね」
 亜矢は真顔で答える。
「ニュースを見ればわかるよ。じゃあね。行ってくるよ〜?」
 亜紀は朝食を終え、食器をお盆に乗せる。
「はあっ? 今から行くっていうの? 東京に?」
 亜矢はあきれ顔になる。
「そうですよ〜」
 亜紀は廊下に出る。
「東京ねぇ……。何か事件でも起きてるの……?」
 亜矢は目を閉じて、亜紀の考えている事を探ってみる。……だが、もやもやしたものしか見えない。亜紀自身も、これから何をするのか、よくわかっていないらしい。

 洗面所で歯を磨いていると、私服に着替えた亜紀が、後ろから肩を叩いてきた。ジーンズにシャツに帽子。帽子だけ妙にオシャレなものをかぶっている。
「じゃあね。好奇心には勝てませんから」
 そう言い、早々と玄関を出ていく。
「何なのよ一体……」
 朝からせかせかするのは嫌いだ。亜矢はじっと歯を磨き続ける。
 そうして亜紀から遅れる事30分。亜矢は学校へ向かうため、1人で家を出た。


 2


 亜矢達が住んでいるのは、田舎の一軒家だ。
 家というより「屋敷」。古風なたたずまいをしている。その周囲は森や田畑、そして小山に囲まれている。
 家の庭は定期的に亜矢が掃除をしているが、庭木は伸び放題になっている。垣根は不恰好に伸びてきたところだけ、亜矢が手入れをしている。
 なお近隣に親類はいない。近所づきあいも皆無だ。

 亜矢は砂利道を自転車で行く。田畑に囲まれた道を行き、短い林を抜けると市道に出る。そこから駅まで2kmほどだ。
 駅に着き、電車に乗る。電車に乗る時間は15分ほど。亜矢は6時半頃の電車に乗る。時間的には早すぎるが、空いているのがいい。
 そして駅から出たら、学校までたっぷり30分ほど歩く。最短距離で急いで歩けば15分もかからないが、亜矢達はわざと遠回りしながら、ゆっくりと登校する。
 いつもは妹の亜紀との会話を楽しむのだが、今朝は亜紀はいない。亜矢は静かな気持ちで、亜紀の事を考える。

 ――亜紀は普通の人間ではない。
 不死身であり、様々な超常めいた事をしでかす。簡単に言えば、「デタラメな存在」なのだ。
 そんな亜紀と自分は、心の奥底でつながっている。言葉を交わさなくても会話が成立するし、亜紀が見た光景を、亜矢も共有する事ができたりする。「以心伝心」というより、もはや脳の一部がつながっているという感覚だ。
 だが。長く一緒に暮らしているハズなのに、亜紀については未だ、謎の部分が多い。

 亜紀を、自分の妄想の存在だと思った時期もあった。自分の分身のようなものだと思ったりもした。
 でも、亜紀は亜紀そのものなのかもしれない、という思いも強い。自分と違って不死身なのは、この世界により深く愛されているせいなのかもしれない。

 でも現実での亜紀は、死んでいる可能性が高い。その死を、自分は目にしてしまった記憶もある。あの高速道路での事故だ。
 両親と亜紀をいっぺんに失ってしまったあの事故。その場面は昨日の事のように思い起こす事ができるが……思い出せるのは、車がひしゃげて天井が潰れ、母親がタイヤに押し潰され、亜紀がガラスの破片に顔などを切り刻まれて、前後のシートに押し潰されていく……そんな凄惨な場面でしかない。
 思い出す度に、実は自分もあの事故で死んでいるのかもしれないと思ったりする。つまり、今いる世界は「死後の世界」なのかもしれないのだ。
 今いる世界。それについて安斉さゆりは、『地獄』という新たな解釈を与えてくれた。でもそれについても、まだ自分は未消化のままだ。

(……亜紀。東京なんかに何しに行ったのかしらね)
 一人で登校するのはさびしい。隣に亜紀がいないと、自分はすぐに砕け散ってしまいそうになる。何せ、気を抜けば世界は歪み、クラスメイトがいつ狂気の顔を向けてくるのか、わからないのだから。
 そんな中、亜紀だけは絶対に狂ったりしない。自分を裏切ったりしない。亜紀はこの世界に於ける、唯一の理解者なのだ。

 長い登校時間。霧がかった静かな町並み。
 毎日、終わらない悪夢が続いていく。この先もきっとそうだろう。そんな『地獄』の中で、自分は一体、何をすればいいのだろうか? どうすれば、正常な世界へ行けるのだろうか?
 ……でも、『地獄』が終わる日が来るのを、恐れている自分もいる。
 この世界が終わった時、自分はどんな現実を突きつけられるのだろう? それについて、容易に想像ができてしまうから、怖いのだ。
 きっと、あの凄惨な事故の直後に、放り出されるのだ。家族を失ったあの事故。あれがキッカケになって、自分はこんな夢か何かわからない世界にいるのだと思うから……。
 あの事故で自分も死んでいるのなら、それはそれでいい。たった一人で生き延びていた時の方が怖い。
 現実には、戻りたくない。
 多少の歪みがあっても、この世界で生きていられるのならば、いつまででも生きたい。亜紀と二人で。


 3


 駅の女子トイレ内。買い物を済ませて自宅に戻るハズだった主婦が突然、個室内で死んだ。
 個室内には、狂ったようにトイレットペーパーが引き出され、散乱していた。主婦はトイレットペーパーをムリヤリ口の中に突っ込んで、窒息死したのだ。
 ……そんな事をする理由などはなかった。主婦はただ、急激に死にたくなってしまい、その思いにあらがう事ができなかったのだ。

 その隣の個室から、若い女が出てくる。軽い笑みを浮かべて、トイレを後にする。
 その女の名は、綴野(つづりの)といった。

 綴野は涼しい顔で電車に乗る。
(今日はあと4〜5人はいけそうね)
 ずきずきと頭痛がしていたが、慣れたものだ。
 視界を埋め尽くす人間どもの群れ。理由もなく、彼らが憎い。そこにいるというだけで、吐き気がする。……だから、殺すのだ。
 綴野は、直接手を下さずに、彼らを殺す事ができた。強く念じるだけで、彼らに「死」を与える事ができたのだ。
 ……そんな優れた能力を、使わずにはいられない。頭痛などの反動があろうとも、毎日必ず、何人かは殺したい。それが世界に対して小さな傷すら与えられないのだとしても、綴野はそうせずにはいられなかった。

 綴野は電車にゆられ、これからこの場で起こる地獄絵図を思い浮かべる。突然狂い出して、奇怪な行動に出る人間達。悲鳴、わめき。……考えるだけで笑いが込み上げてくる。
 あぁ。視界の隅に幼い女の子がいる。あぁいう子は自殺しようとはしない。直接、死ぬのだ。
 自分の超常的な力がどういうものなのか、綴野にはあらかたわかっている。それは他人の脳に「あらがえない死」を刻み込み、時には脳そのものを直接、砕くのだ。
 だから耐久力の弱い小さな子供は、狂いも見せずに突然、死ぬ。

 人混みの中。目を閉じ、意識を闇の中に落とす。
(さぁて。何人、殺せるかしらね?)
 奥歯を噛み、死の波動をそこらじゅうにブチ込もうと気力を高めたところで――
 ふいに腕をつかまれた。

「うぐッ!」
 溜めた波動を解き放てなくて、反動がガツン、と脳にくる。
 思いっきり、頭を何かにぶつけたような衝撃を食らい、綴野の視界に火花が散った。

 ……死ぬかと思ったが、大丈夫そうだ。
 何度か重い呼吸をした後、綴野は顔を上げる。そこには、黒い帽子を被ったジーンズ姿の若い女がいた。
「お姉さぁん。可愛い顔して、人殺しですかぁ?」
 ――人殺し。
 自分をそう見抜いた、この女は何なのか?

「何、アナタ……?」
 綴野は目を細めて聞く。
「名乗るほどの者じゃありませんけど……柚木伏 亜紀って言いますー」
「ゆきぶせ……あき?」
 もちろん知らない名前だ。
 目の前でニヤニヤしているこの女は何者なのか。どうして自分が人殺しだと見抜いたのか。聞きたい事は色々ある。でも静かな電車内、会話は周囲に筒抜けだ。
 綴野は目を閉じ、口も閉じる。

「……やめちゃいましたか?」
 亜紀はつり革にぶら下がって、綴野の顔をのぞき込む。
「何を?」
 綴野は知らん顔をする。波動を放てなかった今のショックでひどいめまいがし、倒れ込みたいほどのひどい頭痛がしていた。
「お姉さんってー、思っただけで人を殺せるんですよね〜? すごいですよね〜?」
 そんな言葉を受け、綴野は顔をしかめる。
「知らないわね、そんな事は」
 ――うっとうしい。
 この女は自分の力を試しているのか。……だったら、喰らわせてやってもいい。頭が痛いが、ここは意地でもやってやる。

 意識を闇に落とす。そこはすでに、まがまがしい「死」の気配に満ちている。綴野の脳裏にあるものは、「狂気」だけなのだ。
 両の奥歯をグッと噛み締め、赤黒い邪悪の念を見すえ、そこに呪いの言葉をしつこく押し込んでいく。――「死の呪い」。受けたものは気が狂い、必ず死ぬ。
 急に腕をつかまれても動じないように、身体を硬くする。
(――死ねッ!!)
 生きとし生けるもの全てを呪い殺す、怨念の塊。
 その凶悪な死の呪いは黒い波動となって、目の前の女の脳天にぶち込まれた。

 ガシャアアアア……ッ!

 聞いた事もない反応に、綴野は目を剥いた。
 目の前の女――亜紀の脳天に、黒い波動は直撃した。だが、ありえない事が起きていた。

「キャアアアーーッ!!」
 電車内に悲鳴が巻き起こる。
 亜紀の頭が破裂し、頭を失った胴体がどさりと倒れた。
 綴野は辺りに散らばったものを不思議な思いで見つめる。血や肉片ではない。キラキラと光っているそれは、まるでガラスの破片だった。


 4


「……そんな感じで、殺されちゃいましたけどね〜」
 夜。亜紀は駅前の電話ボックスから、姉の亜矢に電話をかける。
『殺されてないじゃない……』
 亜矢は、亜紀が東京に何をしに行ったのか、あらかたつかんでいた。
 ――「大都市で頻発する、謎の怪死! 謎の自殺! 被害者の怪行動の裏に隠された秘密は、脳の損傷だった!」などという特番がTVであったからだ。亜紀は、それを自分の目で確かめに行ったのだ。

 世の中、自殺が起こるのはめずらしい事ではないが、「あまりにも不自然な自殺」「怪行動をともなう自殺」が多数、東京で起こっているらしいのだ。
 ――買い物を済ませたばかり主婦が、トイレ内でトイレットペーパーをむりやり飲み込んでの自殺。
 ――会社帰りのサラリーマンが、駅の構内で多数の人間に殴りかかった後、特急電車に飛び込んで、自殺。
 ――老人が白昼の街中で突然、自分の持っている杖を振り回した後、自分の目やノドを突いて、自殺……。
 その他、死ぬ理由のないような者が、数日間の怪行動の後に自殺する……というケースが、多数報告されているとの事だった。

『あのさ。それが何だって言うワケなの? 別に何が起きても不思議じゃない世界にいるんでしょ、私達は。そんなものただ単に、「世界の狂い」で片付けられないの?』
 亜紀がどうして東京に行ってまで、その怪事件の事を調べてみる気になったのか、亜矢にはわからない。
「ちょっと違うのよ、お姉ちゃん。基本的に『地獄』というものは、自分の周囲でしか異常が起きないものなの。……つまり、「お姉ちゃんの視界に届かないものは、狂わない」。狂ったって、お姉ちゃんに見てもらえないからね」
『はぁ……』
 亜矢はわからず生返事になる。
「でも今回の事件は、視界の外から発生してる。お姉ちゃんには全く関係がないところで起きてるワケなのよ。……という事はつまり、『地獄』とは関係のない世界、要は「現実」で起きている事だと思うんだ、アタシは。……まぁとにかくさ、こんな異常な事が起きてるんだもの、見て来なきゃ損だと思ってさー」
 亜紀は嬉々としてまくし立てる。

 そこで亜紀は、はたと思い当たった。
「……あ。そうか。あのお姉さんも、さゆりさんみたいに、『地獄』から抜け出せてない人なのかもねー……。そうなるとまた、話が違ってくるのかなぁ……」
 亜紀は電話しながら、自分の考えに没頭する。
「えーと。そっか、わかった。これってやっぱり、お姉ちゃんに関わる話だったんだ。さゆりさんの一件を引き継ぐ、段階的な問題だったんだね。なるほどー!」
 亜紀はそう理解したが、亜矢にはあまり良く伝わってはいない。
「そうなると、こういった「非現実的な事件」は、この先も際限なく現れてきそうね……」
 『地獄』に落ちたまま現実に戻れない人間を、いちいち相手にしていたらキリがなさそうだ。

 亜紀は話を戻す。
「で。犯人はねー、綺麗なお姉さんだったよー。あの力が何なのかはわかんないけど……思うだけで人を殺せるみたい」
『思うだけで人を殺せる……? そんな映画があったわね』
「スキャナーズ?」
 映画好きの亜紀は即答する。
『そう。それ』
 頭が爆発するシーンが目に浮かぶ。

『……それにしてもさ。広い東京の中で、もう見つけちゃったんだ? 犯人』
 亜矢は呆れた声で言う。
「並々ならぬ悪の波動を感じましてね」
 亜紀はそう冗談めかす。
「また近い内に会って来ようかな〜って思ってるけどねー」
 頭を吹き飛ばされたというのに、亜紀は全く懲りた様子はない。
『ほどほどにね』
 亜矢は電話を切る。今回の件に関わるつもりはない。
 まぁ化け物の亜紀なら、殺されるという事もないだろう。逆に、亜紀に目をつけられた女の方が、気の毒に思えてくるのだった。


 5


 映画館。SFのアクションを上映中、ふいに女が席を立った。
 ……だが様子がおかしい。女は他の客の足に何度も引っかかり、時には他人のまたぐらに手を突っ込んで、逃げるように通路に出る。
 そこで女はひざまずいて頭を抱えた。何事かと周囲の目が向く。
「シニタイシニタイシニタイシニタイ……死にたいィイイイッ!!」
 静かなシーンを突き破る叫び。
 そして女はなおも奇声を上げながら、ばたばたと劇場を出ていった。そこでやっと、ただならぬ事態に気づいた彼氏が、あわてて彼女の後を追った。
 2つ空いた席の横で、目を閉じて笑っているのは、綴野だった。隣の席の女に「死の波動」をぶち込んだのだ。
 だがその能力を使えば、綴野も無事では済まない。今は額に汗を浮かべ、頭にねじ込んでくるキツイ頭痛に、耐えているのだった。

 やがて映画が終わり、綴野は他の客とともに劇場を出ていく。頭痛がひどくて、映画の内容はほとんど頭に入ってこなかった。無駄な時間を過ごしてしまった。
 ふらふらとした足どりでトイレに入ると、洗面所の前に待ち人がいた。
「……お姉さん。またやったでしょう?」
 帽子を被ったその女。綴野はどこかで見た事があった。
「この間は、電車でお世話になりましたー。ばーん」
 頭が破裂するジェスチャー。柚木伏 亜紀だった。

「あぁ、アナタね。……どうして生きてるの?」
 綴野は素直に驚く。頭を破裂させるなど、そんな死に方をした人間は今まで見た事がなかった。なお、周囲に散らばったのが血肉ではなくガラス片だったので、ワケがわからないままだった。
「ぶっちゃけて言えば、化け物だったんですよー、アタシ」
「化け物……」
 綴野は亜紀をまじまじと見る。この間の事が夢か幻でない限り、化け物だというのを信じなくてはならないだろう。
「それで、まだ何か用なの? この間の仕返し?」
 いらだった顔で、綴野は亜紀にそう聞く。
「いえいえ。お姉さんに、色々とお話をうかがいたくって……」
「お話……? あぁ、そう。それはいいけど……少し待ってもらえるかしらね」
 綴野は個室の列を指差す。
「どうぞどうぞ」
 亜紀はトイレの外に出た。

 ●

 トイレ前の長イスに座る亜紀の前に、やがて綴野が来る。
「ずいぶんとやっかいな子に目をつけられたものね」
 綴野は笑わずに、そう亜紀に言う。
「アタシは、前にも言いましたけど……柚木伏 亜紀っていいます。お姉さんは?」
「さぁね」
「当てます。……綴野、さん」
「何それ。手品?」
 綴野はあきれる。
「化け物ですから。そのくらいの芸当は可能ですねー」
 亜紀は得意顔になる。

「……で。その化け物さんが、私を殺しに来たワケなの? 殺人鬼の私を」
 歩きながら会話する。
「……どうでしょうね。別に正義感で動いているワケじゃあないんですよ。ニュースで東京が騒がしかったから、何が起きてるのかな〜って思って、来てみたんです。原因を知りたくって」
「ただの気まぐれよ。いつもはこんな派手にはやらないわ。立て続けに、これだけ人を殺したのは初めてよ」
 綴野はやや明るい笑顔を見せる。人を死に追いやると、胸がスッとする。
「どれくらい殺しちゃったんですか?」
 綴野の歩調に合わせ、亜紀はついていく。
「ここ何日かは、毎日4〜5人は殺したわね。……半月くらい前からかな。自分の能力を、限界まで引き出してみたいって思ってね」
「へぇえ〜……」
 亜紀は目をしばたく。
「人を一人殺すと、それなりの反動が返ってくるのが難点なんだけどね。ひどい頭痛がするのよ。それで一日に5人もやっちゃったら……もう限界。薬を飲んでもダメ。眠ろうとしても眠れない。もし眠れても、なかなか頭痛は抜けないわ」
 綴野が嬉しそうにしゃべるものだから、亜紀は意外に思った。さびしくて、誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。

 2人は映画館の入口を出て、駐車場に行く。
「人を殺すって言ったけどね、正確に言えば、「自殺に追い込む」チカラなのよ。……直接、人を殺すんじゃなく、「他人の脳を狂わせて死なせる」。そんな感じね」
「さっき、4人くらい、「死にたい〜ッ!」って叫びながら、出ていきましたけどね」
「あら、4人も?」
 綴野は聞き返す。
「えぇ、4人ですねー。追いかけてった連れの人も加えると、もっと大勢ですけど」
「連れはともかく……4人か。全然、気づかなかったわね……」
 綴野は、隣の女一人だけを狙ったつもりだったが、近くにいた他の客も巻き込んだらしい。だがそれはそれで、能力が拡大したともいえる。いい兆候だ。

「あの人達みんな、死んじゃったんですかねー?」
 どんな答えを期待するでもなく、亜紀はそう聞く。
「……何人かは、もう自殺したでしょうね。まぁ私の「死の波動」をまともに受けても、何日かは耐えられる人間もいるのよ。でもいずれは例外なく、全員自殺するでしょうね」
 綴野は冷たく言い放つ。
「ざまあみろ、と?」
 亜紀は軽く茶化す。
「まぁそういう事ね」
 綴野は薄く笑う。確かにざまあみろ、だった。今日はおとなしく映画を観るつもりで来たのだが、隣でペッティングしあうカップルに腹が立ったのだ。
 その巻きぞえで死なせてしまった者達についても、特に心が痛むワケではない。

「……で。どこまでついて来るの? 私の車に乗りたいワケなの?」
 茶色の軽自動車の前で、綴野は亜紀に向き直る。
「できればお家までご一緒に……」
「冗談じゃないわね」
 綴野は顔をしかめる。
「アナタがどうやって私の事をかぎつけたのかは知らないけど……これ以上、つきまとわないで欲しいのよ」
「え〜……?」
 亜紀はおおげさに顔をしかめる。
「私は究極の人間嫌いなのよ。どいつもこいつも殺したい。ただそれだけ。そしてこの先も、この力が続く限り、何人でも殺してやるわ」
 綴野は車に乗り、エンジンをかける。そして亜紀にはもう目もくれず、走り去っていった。


 6


 それから数日。亜紀は綴野を追うのをやめ、東京各地をただ歩き続けた。
 多くの人間。あまりにも多くの人間がそこにはいる。
 綴野が頭を痛くしながら毎日4〜5人殺したところで……何も変わる事はないと思った。
 綴野はただ、自己満足のために人を殺し続けているだけの事なのだ。この先、何百何千人殺したところで……世の中は何も変わりはしない。

(『地獄』じゃない……?)
 東京各地を眺めても、歪みや狂いは一切感じられない。やはり『地獄』は、姉の亜矢が見ている範囲でしか機能しないようだ。
(じゃあ、ここは現実なの……?)
 一概にそうだとは言えない。いや、むしろここが現実であってはならないのだ。姉は『地獄』の中で成長している。現実に戻る時があれば、「成長前の姿で」戻るべきなのだ。つまり、現実の時間がそれ以降流れていてはいけない。
(ここはやっぱり、綴野さんが見ている『地獄』なのかな? そうじゃないと、アタシ達が困るからね……)
 本人が気づかないと、世界は現実そのままの姿を映し出し、狂いを全く見せないのかもしれない。つまり、綴野は『地獄』の事を知らない可能性がある。

 亜紀は広い東京を飽きもせずに歩き回る。時にバスに乗り、行くアテもなく景色を眺める。
(綴野さんを生かしておくのは……お姉ちゃんにとって害になるかな?)
 これだけ距離が離れているから、お互いに干渉しなければ、何も害はないのかもしれない。
 でももし。綴野の殺しの能力が今以上に成長して、何十何百人を一息に殺せるようになってしまったら?
 そして万が一、姉を殺そうとしたら?
(その可能性はほとんどないでしょうけど……)
 綴野と姉の接点は今のところ皆無だ。自分が余計な事をして、軽い接点を作ってしまった程度の事だ。
 でも強大になりすぎた力は、きっといつか衝突する。
 姉もいずれは強大になる。そして綴野もこのまま生かしておけば、きっと強大になるだろう。
(余計な芽は、早い内に摘み取っておかないとね)
 亜紀はそう決めた。


 7


 夕暮れ時。亜紀は駅前の電話ボックスから、姉の亜矢に電話を入れる。
「気が済んだんで、そろそろ帰りまーす」
『うん、そうしなさい』
 亜矢は短く返す。
「……ウソ。殺していい?」
『やめなさい。ムダな事は』
 亜矢は強く即答する。

「でもさー、あのお姉さん、そうとう悪質な殺人鬼だよ? 良心のカケラもない。生かしておくと、世の中のためにならないよ?」
『どうせ『地獄』の中の出来事なんだから、どうだっていいでしょ。好きにやらせておけばいいじゃない』
「そうもいかないよ。この世界は地続きだからさ。いずれお姉ちゃんの前に現れるわ、あの人」
『どうしてそんな事がわかるのよ』
 亜矢は顔をしかめる。
「この広い東京の中で、アタシが簡単にあのお姉さんを見つけたんじゃない。逆なのよ。アタシが簡単に見つける事ができたほど……あのお姉さんは凶悪強大な存在なんだよ。しかもまだ発展途中」
『だから何よ』
「あの人、いずれお姉ちゃんにとっての脅威になる、という事よ」
 亜紀は強く言う。

『……アンタさ、それって東京での話でしょ? 何でそれが私に関わってくるのよ?』
「あのね。この広い日本の中でも、正真正銘の狂気をはらんだ人間の数は、意外と少ないの。本当に、数えられる程度。それらが、ぶつかりあわないワケがないのよ」
 亜紀は続ける。
「しかも『地獄』がからんでる。狂気も歪みもケタ外れ。殺戮の度合いも、いずれケタ外れなものになるわ」

 亜紀の言葉を受け、亜矢は一呼吸終えてから、ゆっくりと諭す。
『アンタが見ているものは現実じゃない。『地獄』の、夢物語よ。そのお姉さんとやらも、夢の中の登場人物にすぎないわ。きっと、現実にはいない』
「じゃあ殺したって……」
『ムダなのよ。アンタがこれからやろうとしている事は。いいからそんな人、放っておきなさい』
 姉の強い口調に、亜紀は呑み込まれそうになる。
 だが、綴野を放っておけないもう一つの理由があった。
「あの人は多分……今が『地獄』である事を知らない。まがまがしい狂気に頭の中を乗っ取られてしまって、本当に苦しそうなの。人を殺す度に、あの人自身も血の涙を流してる。苦しみながら生きてるのよ。……いえ、あの人は苦しみすぎてる。可哀想なくらいにね」
 亜紀は電話を切った。

 電話ボックスを出て、駅前を軽くうろつく。
「綴野さん、今日はまだ誰も殺してないみたいだし……夜中にでも派手にやるのかな?」
 亜紀はもう、綴野がどこにいるのか、感じ取れるようになっていた。この駅周辺。駅裏の通りを歩いている。
 亜紀は駅前のベンチに腰かけ、腕と脚を組んで、軽い眠りに入った。コトが起こるまで、待つつもりだった。


 8


 ガガァアアアアーーーン!!

 爆発音とともに、亜紀は飛び起きる。
 周囲を見るが、平穏そのものだ。ただ時刻は流れ、辺りは真っ暗になっていた。
「綴野さん……派手にやったみたいね」
 亜紀は薄く笑いながら、素早く駆け出した。駅裏。方角と場所はだいたいわかる。
 まともに走るのをごまかし、数歩走った先で消え、数十m先で現れる。それをくり返し、十数秒たらずで駅の地下道を抜け、駅裏に出た。

 繁華街が出迎える。
 歩道を角まで走り、右へ。そして数軒先のライブハウスに、亜紀は飛び込んだ。
 狭い通路が大勢の人で埋まっている。わめきとともに人の流れが交差している。
「ちょっとどいて!」
 人混みをかき分け、亜紀は奥へ進む。
 開かれたドアの先まで来ると、場がイッキに開けた。
 虹色の光が音もなく舞い飛ぶその場に、10人以上の人間が倒れていた。

 正面の奥には、ドラムなどの機材が置かれたステージがある。このやや広めの空間はライブハウスの観客席であるようだ。
 助け起こす人達にまぎれて、亜紀は綴野を捜す。
「えっ?」
 亜紀は床にいくつかの血だまりを見つける。倒れた人が吐いた血であるらしい。2人ほど、血だまりに顔をうずめたまま、動かない。死んでいるようだ。綴野は念じるだけで、これだけの事ができるようになったのか。
 亜紀は苦々しい顔でそれを見つめる。やはり綴野は生かしてはおけない。姉のためにも。

「お姉さん! 綴野さん!」
 死の波動を解き放った後だからなのか、狂気の塊――綴野の姿が感じられない。
 倒れている人を目で確認して、亜紀はやっと綴野を見つけた。
 綴野も周囲の人達同様、床に倒れていた。

「お姉さん……そうとう無理したでしょ?」
 亜紀は綴野を抱き起こしたが、綴野が拒否する。床にあお向けに寝かせると、綴野は安堵の表情を見せた。
「あぁ、アナタね。えーと、柚木伏……亜紀さん。ウフフ……どう? 地獄絵図に……なってる?」
 綴野の目は真っ赤で、涙があふれ出ていた。
「なってますねー……。10人……いえ20人くらい倒れてますよ」
「ウフフ……。それだけやれれば充分ね、今日は……」
 綴野は顔をしかめ、スカートのポケットからハンカチを取り出すと、涙をふいた。
「頭が痛すぎて……目が全然見えないのよ……。今日はさ、自分の最大限の力を試してみたくて……ちょっと無理してみたのよね……」
 殺人を犯したハズの綴野こそが、今にも死にそうになっていた。

「ねぇ綴野さん。もうそろそろ……死にませんか?」
「……え?」
「お姉さんは生きてても、絶対に、幸せにはなれそうにありませんから……」
 亜紀は綴野の額をなでる。
「そうかしらね……」
「このままここで……死にませんか? どうせ明日もあさっても、同じ事を繰り返すだけでしょ? ずっと頭を痛くしながら……」
「そうね……頭痛は……困るのよね……。たまに、耐え切れない時もあって……今も……」
 綴野はくしゃりと顔を歪めると、またどっと涙をあふれ出させた。
「すぐ、死ねますよ。……いえ、綴野さんの答えは聞きません。もう、殺します」
 亜紀は尻ポケットから、スルリと細長いナイフを抜き出すと、綴野のノドを正面から真横に切った。

「うぐぐっ……ガッ、グううッ!」
 あふれ出る血。綴野はノドを押さえて苦しがる。
「ダメです。死にましょう?」
 亜紀は綴野の両腕を床に押さえつけ、暴れる綴野の上に馬乗りになった。
「お姉ちゃんのためでもあり、綴野さんのためでもある。ここでアタシがやらなければ、2人とも不幸になっちゃいますから」
 血はどんどん床を濡らしていき、周囲の喧騒がやむ頃には、綴野も動かなくなっていた。

「最期の言葉は、ありがとう……ですか? そういう事にしておいて、いいですよね」
 亜紀は綴野の額をまたなでると、そのまま場を後にした。

 エピローグ


 翌日の夕過ぎ。亜矢が学校から家に帰ると、亜紀が東京から戻っていた。
 縁側沿いの座敷。ちゃぶ台を前に、茶菓子などを食べている。
「ずいぶんと長く遊んできたわね。……で、殺人鬼のお姉さんは? 殺してないでしょうね?」
「言わなくてもわかると思うけどねー。アタシとお姉ちゃんは以心伝心なんだしさー」
「ちょっとアンタ! 殺したの?!」
 亜矢はカバンを放り投げ、亜紀につかみかかる勢いで迫る。
「殺したー」
 亜紀は涼しい顔で言う。

「アンタは……!」
 亜矢は歯を食いしばって怒る。
「殺しちゃダメって言ったでしょう!!」
 亜紀の胸倉をつかみ、激しくゆする。
「……お姉ちゃん、説教はよして。アタシは、お姉ちゃん自身でもあるんだから。アタシの行動は、お姉ちゃん自身の行動。アタシはお姉ちゃんの、ドッペルゲンガーみたいなものなんだよ?」
 ふいに亜紀の顔が、亜矢の顔にすり変わる。
「お姉ちゃんの顔をしてたらまぎらわしいから、死んだ妹さんの顔をしてあげてるんじゃないの。……アタシは本当の亜紀じゃない。もう一人の亜矢も確実に混ざってる」

 亜矢は目の前の自分を見て、両手を離し、後ずさる。
「やめてよ……。気持ち悪い事しないで」
「でしょう? だから妹さんの恰好をしてあげてるのよ。……とにかくね、下らない説教だけはよして」
 亜矢の姿をした亜紀は、茶菓子をまたほうばり始める。
 そこで突如、破裂音がして、辺りに血が飛び散った。

「ひいいいいッ!」
 たまらず亜矢は悲鳴を上げる。
 亜紀の頭がワケもなく、破裂したのだ。どさりと倒れたその身体には、頭がなかった。
「キャハハハハ……! ちょっとした冗談よ。あのお姉さんを生かしてたら、お姉ちゃん、いずれこうなっていたって事。キャハハハハ……!」
 亜紀は頭のない身体をよじらせて笑う。

 亜矢は傷心して、座敷を出る。
 ……やっぱり亜紀は油断ならない。優しくて頼りになるいい妹だと思っていたのに……裏切られた。馬鹿にされた。
 でもどうせ、自分はこの一件を丸ごと、数日後には忘れてしまうのだろう……。


(第2話 了)



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