<悪魔少女ども2>

 ●1

 俺は、生肉を食わされている。
 骨付きの生肉なんか、普通は食えるハズもない。食い千切れるハズもない。だが、俺はむさぼるように食っている。
 ――夢だから、食えているのか?

 食っても食っても、肉はまだまだ残っている。でも腹は一向にふくれない。
 空腹を満たすために食っているワケではない。俺は食いたくもないのに、ムリヤリ食わされているんだ……!
 ――あぁ。こんなもの、夢でしかありえない。

 俺の背後に悪魔が突っ立っている。
 そして、俺に食えと命令する。食わなければ、お前を殺すと言う。
 抵抗してみたら、派手にぶっ飛ばされた。俺は抵抗できないのだと悟り、その悪魔に従っている。
 ……従わずに殺されてもいいのに。俺は怖くてできないのか。

 俺が必死になって食っているのは、俺が殺したばかりの男の肉だった。

 ●2

「うぅっ、寒い……」
 と、目が覚めた途端にぎょっとする。
 目の前にあったのは、コンクリートの薄汚れた天井だった。

「何だよ、これ……? どこだ?」
 俺の部屋じゃない事は確かだし、どこかの旅館……というワケでもなさそうだ。こんなに汚いんじゃあな。

 おかしいのは天井ばかりではなかった。
 俺は仰向けに寝ていて、手足を思いっ切り4方に伸ばしていたのだ。

 ……身体が動かせない。
 見れば両手両足とも、がんじょうそうなロープで縛られていた。ベッドの4つの支柱に、それぞれ結びつけられている。
 しかも俺は、はだかだった。なまっ白く、やせた身体がそこにある。
 幸い、トランクスだけは身につけていた。

「いててて……」
 首が痛い。ひねった、とかそういう感じじゃなく、ヒリヒリズキズキとする。
 首の左側だ。もしかすると、誰かに切られたんだろうか……? 縛られて身動きがとれない今は、傷の具合を確認する事はできない。
 でも、痛くてしょうがない、というほどでもない。古傷が痛む、といった程度だ。

(それよりも……、今の状況だ)
 今の自分のアリサマを見て、まず思い浮かぶのは……、「拉致監禁(らちかんきん)」。
(でも、何で俺が?)
 こんな目にあう覚えはない。……まぁこんな目にあう覚えがあるヤツなんて、そうそうはいないだろうけど。

 今がマジで、拉致監禁だと仮定してみる。……じゃあ犯人は、俺をどうするつもりなんだ? こんな小汚い所に縛り付けて。
 はだかにされているところを見ると、犯人は物盗りかもしれない。俺のしがない財産を全部奪ったあげく、ここに監禁して殺すつもりなのか……?

 でもまだ生かされている。その理由は何だ?
 ……理由、か。
 俺を監禁してどうするとか、生かされている理由とか、そんなもの、被害者である俺が考えたって、わかるワケがない。
 俺をこんな目にあわせた犯人に聞くしかない……。

 ●3

(でも……何かおかしいな?)
 不思議と気持ちが落ち着いている。妙に怖くならないのは……何故だろう?

(こんなヘンピな場所に監禁されたんなら、普通ならビビッて泣きわめいたりするよな……)
 あまりにも突然の出来事だから、現実味が湧かないのか? それもあるかもしれないが、俺は心のどこかで、「これがさほど危険な状態ではない」という事を知っているような気がする……。

 どうしてだ? どうして俺は怖くならないんだ? 拉致監禁されているっていうのに。
 あぁ、そうか。わかった。
 ……それは、今がただの「夢」だから。なんだろうかな。


「ははは。まぁそうだよな。こんなの……夢でしかねぇよな」
 そう一人ごちる。これは夢だ。俺はそう気づいてしまった。何せ、あまりにも現実離れしすぎているからな。
 ごく平凡な一般市民の俺が拉致監禁されてしまうとか、あまりにも突拍子(とっぴょうし)がなさすぎる。逆に笑えてくるほどだ。
 じゃあきっと、今すぐにでも目が覚めるんだろう……。俺は余裕の笑顔で目を閉じる。

 ……しかし、なかなか夢は終わってくれない。
 そればかりが、「実は夢じゃないんです。ここはれっきとした、現実なんですよ」とばかりに、リアリティさが身体に満ちていく。

 呼吸。腹筋の動き。手足の感覚、指先の細かな動き……。それらに現実味が帯びてくる。
 寒さも身にしみてくる……。首の傷か何かも、しっかりとした痛さを訴えてくる。

 ●4

「やっぱり夢じゃないのかよ……? こんな状況が?」
 俺は首を動かせる範囲で、辺りを今一度見回してみる。
 足の先。5メートルほど向こうには、薄汚れたコンクリートブロックを積んだ壁がある。一昔前の、庭先の塀(へい)のような壁だ。

 俺から見て右側の壁には、大きな風穴が空いている。……窓か。ガラスの外れた窓穴だ。
 すぐそこは外だ。外は、ひからびたツタが網の目のように、ふしくれだった木々に巻きついている。見える先がすぐ外につながっているんでは、寒さもひとしおだ。季節も夏ではないらしい。

 目を足元に戻し、左側の奥を見る。縦長の穴がある。部屋のドアの名残りだろう。
 なお、部屋の床は土くれで、ゴミが散乱している。

 ……周囲で見えるものはその程度。
 安っぽくて汚らしい天井や壁。そして穴となった、窓や出入り口。土くれの床。……どうやらここは、「廃墟の一室」であるらしい。
 その部屋の真ん中に置かれたベッドに、俺はロープでくくりつけられている、というワケだ。

 幸い、ベッドだけはさほど汚くはない。わざわざ俺を監禁するために、用意したものなのか。床に投げ捨てられていないだけでも、マシなんだろう。
 身体もまだ、大した傷などを負ってはいないようだ。もっとも、これから切り刻まれる、という可能性は充分にあるんだろうけど……。

 首の痛みが気にかかる。左側。刃物で切ったような鋭い痛み。
(血が出たような気がする……)
 誰に切られたかまでは覚えていないが、首が切れた時の感触を、生々しく覚えている。

 待てよ。記憶が中途半端すぎる。
 ここにいる以前の記憶が……、ほとんどない。


 じゃあ記憶喪失か? ……いや、どうだろう。
 まぁ記憶が喪失している事には変わりないが、現実で起きた記憶喪失とは、多少違うような気がする。

 ……やっぱりここは、現実じゃないような気がする。
 これは……「夢」だ。身体の感覚にいくらリアリティを感じていても、ここはやっぱり、夢なんだ……。
 俺の感覚が、そう告げている。

 ●5

「とにかく、ありえねぇ……。寒ィしよ……」
 はだかはカンベンだ。手足を伸ばした状態で縛られているんじゃあ、縮こまって震える事すらできない。
 ただの夢なら、もうとっくに覚めてしまってもいいんじゃないかと思うんだけどな……。

 そう。夢ならば、俺がこんな場所に監禁された「理由」なんてものも、きっとないんだろう。
 夢なんか、メチャクチャだからな。ルールもクソもない。

 あぁ。とにかく、ひたすらに寒い。
「何でパンツ一枚しかはいてねぇんだよ! 誰か助けてくれって……!」
 そう泣き言を言うが、聞いているヤツがいるのかいないのか、わからない……。


 そのまましばらく一人で考えて、この場が何なのか、だんだんと思い出せてきた。
 ――俺は今、「夢を見ても、そこから抜け出せない状態」にあるんだ。

 そう。
 ――脳梗塞(のうこうそく)だ。
 現実世界での俺は、脳梗塞になって、生死の境をさまよったんだ……。

 「以前見た夢」の断片が、少しづつ浮かんでくる。
 ……ヨリコがいた。
 髪をツインテールにゆった妹のヨリコが、毎朝のようにベッドまで来て、「おにーたん。朝だよー」なんてな感じで、俺を笑顔で起こしてくれる……。そんなアニメみたいな夢だったハズだ。

 そのヨリコは……、いないのか? 今は、それとは別の夢を見ているんだろうか?
 あの萌え萌えで元気な妹のヨリコが、この世界にいないのなら……、それはそれで寂しい気がする。

 確か、ホズミとかいう悪魔みたいな女もいたハズだ。
 この監禁は、アイツのしわざだろうか? 「エッチさせるからお前を喰わせろ」とかいう、とんでもない女だったハズだ。

 スルスルと、色んな記憶が表に出てくる。
 でも、あれも現実ではなかったハズだ。
 今俺は、夢の中で、「前に見た夢」を思い出しているのか? それもまた、変な話だ……。

 ●6

 それにしても不便だ。
 夢なのに、全然思い通りにいかない。すげえパワーを出して、ロープを引きちぎって逃げ出す……なんて事もできそうにない。

 いきなり、はだかの女がわんさかと出て来て、好き放題にエッチする……とか、やれたらいいんだけど、どうにも方法がわからない。
 念じてみればいいのか? じゃあ、やってみよう。

 念じてみる。念じてみる……。たくさんのはだかの美女と、広々とした宮殿(きゅうでん)のようなハーレム……。
 でも、何も変わろうとはしない。……ダメだ。

 ここが妙な夢の世界だとわかっていても……、俺は自由に世界を変える事ができないのか。
 しかも寒すぎるから、腹まで痛くなってくるというリアルさだ。こんなリアルさはいらないのに。

 ……あぁ、何て面倒な世界にいるんだろう?
 現実で死んでしまったのならば、死んだで良かったのに。

 こんな世界なんかいらない。むしろ、何もない方がいい。意識もなくして、真っ暗な闇の中で、安らかに眠りたい……。
 死んでなお世界が続くだなんて……、まっぴらだ!

 ――首の痛み。
(もしかして俺……自殺でもしたんじゃないのか?)

 でも脳梗塞になった記憶も確かにある。
 夢の中で色んな夢を見て、記憶がごちゃまぜになってしまっているのかもしれない。

「くそっ! まじで外れねーのかよ!」
 ロープを引っ張ろうにも、チカラを入れるスキすらない。自力で逃げ出すのはムリだ。
 とにかく今は、誰かに助けに来てもらうか、俺を監禁した犯人の出方を待つしかない……。

 夢だとわかっているのに。面倒な事だ……。

 ●7

 それからどれくらい待っただろう。
 泣けど騒げど、誰も来ない。寝て待とうにも、ハラの具合がどんどんおかしくなり、しまいにはクソをもらしそうなレベルまで近づいてくる……。

「おぉい! そろそろ何とかしてくれってばよぉ! 頼むから! おおおおい!」
 最悪だ。
 これから殺されるうんぬんの夢ではなく、永遠に覚めない腹痛地獄の夢なのか……? などと考え始めていた時だった。

「お目覚めかしらね。王さま?」
 女の声。
 闇の奥からぬっと、それは現れた。


 闇を拡散させながら、すうっと近づいてくる影。異様に白い顔が2つ、浮かび上がった。
 人間の女の顔。吊り上った大きな目が、4つ並ぶ。微笑んでいる2つの口。
 ……コイツは、悪魔だ。
 でも悪魔だろうが何だろうが、いてくれてホッとした。

「初めまして、王さま。私はキリサと申します。となりはキリク」
 意外にも、愛らしい澄(す)んだ声。途端、怖いと思った顔がキレイにすら見えてしまうから不思議だ。
「王さま……? 俺が?」
 そう聞き返す。
「えぇ、そうですとも。アナタはこの世界の王。……それはもちろん、ご自覚でしょう?」

 ご自覚……かも知れない。
 わかっている。この世界は、俺の夢。つまりは、「俺の妄想の世界」なんだから。
 ……夢の中じゃあ、見ている人間が「王さま」か。確かにそうかもしれない。

 でもこの扱いは、王らしからぬ扱いだ。廃墟で監禁だなんて、ムゴイにもほどがある! しかも長時間の放置とは……。
「俺を……どうする気だ? こんな目にあわせてよ!」
 返ってくる答えがどうあれ、俺は怒りを込めてそう言った。
 すると、2人はそろって身を乗り出してきて、4本の黒い腕を俺の身体に手をはわせた。

「アンタを喰いたいのさ! 王の肉は、この味気ない世界で唯一、本当の味がする「食い物」で……、しかも「夢のような美味」らしいからねぇ!」

 バケモノじみた大口を2つ開かれる。
(「食い物」じゃねぇよ、バーロー……)
 恐れをなして見つめていると、2人の表情はすぐにやわらいだ。

 ●8

「……と、言いたいところだけど、アナタを喰らえば、この世界は確実に終わるもの。そうやすやすとはできないわねぇ」
 左の顔キリサがそう言い、右の顔キリクが続ける。
「王さまのアナタ以外、この世界にいる者は、ほとんどが悪魔なのね。……でも、悪魔の肉は土の味。喰ってもまるで味がしないのよ。……だから喰うなら、アナタにしたいけどねぇ」
 2人はホホホと笑うが、俺は笑えるハズもなかった。
 ……「王さま」と呼ばれてみたり、「食い物」呼ばわりされてみたり……。やっぱり、まともな世界じゃあなさそうだ。

 で。結局、俺を喰う気があるのか?
 喰いたいけど、俺を喰えばこの世界は終わるって……? だから、止めておく、と。

 コイツらは、この世界が終わるのは、避けたいのか。化け物のくせして、「生きたい」のか。
 人間の俺の方が、キレイさっぱり「死んでもいい」って思っているのにな……。

「ねぇ聞いて、王さま。率直に言って、「この世界は終わりかけている」の。だからわざわざ、アナタをこんな場所まで連れ出したのよ」
「この世界が終わりかけている……?」
 パンツ姿は情けないが、俺は真面目に聞き返す。

「アナタ、現実世界で重傷を負って意識をなくしたけど……、どうやら自力で意識が回復しそうなのよ。だから、この世界は閉じられてしまいそうなのね」
「俺の意識が回復するって?! 脳梗塞が治ったのか?」

「脳梗塞?? なぁにそれ? キャハハハハ。……違うわよぉ。アナタ、自分で首を切ったでしょう? 自殺しようとしたのよ」
「何だって……やっぱり、自殺か?!」
「……先に言っておくけど、アナタが自殺しようとした原因まではわからないわ。神経、ズ太そうなのにね」
 そして2人はホホホと笑う。

「ところでさ……、俺は脳梗塞になった記憶もあるんだ。それって……、何なんだ?」
 そう聞いてみる。
「知らないしらない」
 キリクの方が笑いながら首を振る。そしてキリサが静かに言う。
「……王さま。現実に帰ればわかる事よ。何もかもが、ハッキリとね」
 そう言われてしまえば、それまでだ。

 そして2人は口をつぐみ、俺を見つめてくる。
 だが、その目が怖い。
 俺を呪い殺すかのようなその邪眼は……やはり、悪魔だから、なのか。
 でも妙に、恨みのこもった目に見える……。

 ●9

「……で、アンタらは何なんだ? 俺の夢の中の住人、ってヤツか?」
 目をそらしつつ、改めて聞く。
「そうね。でも、ただのエキストラじゃない、とだけ言っておこうかしら? この世界が夢と言っても、この夢はアナタの深層心理(しんそうしんり)の奥深く……最深部に限りなく近い場所にあると、ご説明しておこうかしらね?」

「俺の深層心理の奥深く……?」
「そうね。数々の無意味で不定形な夢を突き抜けた……奥の奥にある、夢。だから私達の存在も、さほど無意味じゃあないって事よ」

 わからずに顔をしかめていると、キリサが質問してくる。
「……私達の名前で、連想するものは何?」

「名前? キリサにキリク……か」
 ――切り裂く。単純に考えて、そんな感じだろうか。
 2人の女はニヤニヤと薄気味悪く笑っている。

「……で、答えは何なんだ?」
 いらだちながら聞く。
「いずれ、わかるわよ。いずれ、ね」
 ホホホ、キャハハハ、と2人はいやらしく笑う。気に入らない笑いだ。


「邪魔者が来る前に、王さまの目が覚めてしまえばいいんですけど……、どうやら目覚めはまだ、もう少し先のようね」
「邪魔者?」
 と聞き返す。
「わかってるでしょう……? ヨリコよ」
「ヨリコ……」
 そうか。この世界にも、ヨリコはいるのか。ツインテールの萌えもえのバカみたいに明るい、俺の妹……。

 そう聞いて、ホッとした。きっとヨリコは俺を助けに来てくれるだろう。

 ●10

「で? 結局、アンタらの目的は何なんだ?」

「この世界が終わろうとしているからね。王であるアナタを確保して、いざアナタの目が覚めようとしている時に……、アナタにしがみついて、現実世界へ行きたいのよ」

「……現実の世界に行く? アンタらが? ……そんな事ができるのかよ?!」
 思わず叫んでしまう。
「可能だわね。アナタはこの世界において、確かに現実とつながっている。アナタが夢から目覚めようとしている瞬間……、アナタにしがみついていればいい。それだけで、私達は現実世界へと逃げる事ができるのよ……」

 そう言われて寒気が増した。
(こんな化け物が、現実世界へ行ったらどうなるんだ……?)

「殺戮(さつりく)の嵐にしますわ。ホホホ。人間が、我ら悪魔に敵うワケがないですものねえ。ただひたすらに、殺し尽くして……そして夢の美味であるお肉を、喰いまくってやるわ」
 俺の不安に、キリサが先に答えを出してくる。


「……この世界が終わってしまうから、現実世界へ逃げたい……か」
 2人の願いを、俺は言葉として再確認する。
「悪魔も、生きるのに必死なんだな。お笑いだ」

 ドゴオッ!

 ふいに、俺の頭のすぐワキに、黒くてでかいものが突き刺さった。
 キリサ達の体から伸びた、黒い腕だった。

「……あんまり、私達をバカにしない事だね。王だからと言って、あがめるつもりなんてないんだから。……頭に来たら、殺して喰ってやる。そして後になってから、悔やむさ」
「わ、わかった……」
 俺はもう、降参するしかなかった。

 ●11

 遠くから、クツの音。
 俺とキリサ達は黙って、その音が近づいてくるのを聞く。
 誰だ……? 何なんだ?

「……かずきッ! 生きてる?!」
 周囲の闇を断ち切る、力強さに満ちあふれた声。
 ……ヨリコだ。ヨリコが来たんだ……! 俺を助けに。

「うふふ。来ったねぇ、ヨリコ……オッ!」
 闇に浮かぶ白い顔の悪魔――キリサとキリクの表情が、醜くゆがむ。
「愛する王子さまを助けたいんなら……命がけだよッ!」
 キリサ達の影が、ぶわりと揺れて伸びる。
 その身体が部屋じゅうに広がっていく。縦横無尽(じゅうおうむじん)に闇のトゲが描かれていく。
 それらは各々がなまめかしく動き、ジャキジャキと鋼(はがね)の音を打ち鳴らす。

「何よ? アタシと戦おうっての……? 面倒なコ達だねー!」
 ヨリコは部屋の中に入ってくる。

(あれ? ……誰だ、あれ?)
 ピンクのTシャツにジ−ンズ。そしてピンクのハイヒール。
 その姿は、大人の女だった。チビで萌えもえの、あのヨリコじゃない。
 でも何となく、あれがヨリコなんだとわかった。

「かずき。今、助けてあげるからね」
 ヨリコはTシャツのソデをまくる。そして両腕を上下に振ると、たちまちその腕がおかしな形に変形した。
 ……戦う気なんだ。ヨリコも。
 そしてやっぱり、ヨリコも悪魔なんだ……。

 俺はベッドにつながれたまま、見ている事しかできそうにない。
 この状況は、悪魔達が俺を取り合っているかのように見える。

 まさかヨリコも……、俺を食いたい、とか言うんじゃないだろうなぁ? それだけはカンベンだ。

 ●12

「ホラあ、殺すよ! ザコ悪魔ども!」
 グワーッというヨリコのうなり声。それがさらに重なっていく。
 まるで猛獣同士の殺しあいだ……。悪魔って怖えぇ……。

 早速、激しい殴打(おうだ)の音。振動がベッドをガタガタと揺らす。
「ギェエエエーーーッ!」
 ドゴオオッ!
 壁に激突する音。寝たままだから視界が悪くて、どっちがやられているのかわからない。

「ギュゥアアアアッ!」
 しぼり出すような苦しげな叫び。激しく時に重い、金属音に似た殴打。闇の中でうねる無数の長い影。
 ヨリコは……大丈夫なのか? 勝てるのか?

「ギアーーッ!」
 叫びと共に、ふいにふっ飛んでくる大ダコのような影。ヨリコじゃなく、キリサ達だ。
「うわああッ!」
 いくつかの刃がベッド脇にぶつかり、俺を乗せたまま、ベッドが大きくスライドした。
 一つ間違えば、俺まで巻き込まれて、ぶっ潰されそうだ。

 ふいに、悪魔が俺におおい被さってきた。
 その白い顔を間近で見る。キリサ達だ。
「ヨリコおおッ! おとなしくしないと……、コイツを今、食い殺すよッ!」
 でかい牙が食欲をたぎらせて、俺の眼前に迫る!

「下らない事やってんじゃないわよ!」
 何か強烈なものが飛んできて、俺の眼前の白い顔が吹き飛んだ。
「ギャーーーッ!」
 派手に壁までふっ飛ばされ、ベッドは揺らいで俺まで巻きぞえを食らう。ひでえ! ……もうメチャクチャだ!


「うぐう……ッ」
 壁でもつれ合う、黒い悪魔。
「まだやるの?! ……殺すよ!」
 一喝(いっかつ)する、ヨリコ。

「うぐぅぅ……っ! ちくしょうッ!」
 そうしてキリサ達は、壁の窓穴から外に逃げた。

 ●13

「アタシに敵うワケがないのにねー。で……大丈夫? かずき?」
 近寄ってくるヨリコ。
 そのシルエットが……やはり、まるで見覚えがない。
 チビで愛らしい、ツインテールのヨリコじゃない。ロングヘアーの大人の女性だ。

「かずきって……俺の名前?」
 そう聞く。
「でしょ? 違うの?」
 違う、と言われても……わからないから困ってしまう。

「アナタはかずきなのよ。顔と……姿形は違ってもね」
「姿形が違う??」
 そう聞き返すが、ヨリコは何故か無言だった。

「はだか。……何かされちゃった?」
 ヨリコがニヤけたので、ホッとする。
「されてないけどさ……。寒くてね……」
 美人のお姉さま。こういうヨリコもいい。いや、チビの妹より、俺は断然こっちの方がイイ……。
 しかもハナから親しかったかのように、へだたりを感じる事なく、普通に話せるようだ。

「何かさ、ヨリコこそ、全然ヨリコじゃないんだけど……? もしかして目が覚める度に、お互いのイメージが変わるとか……?」
「え〜? アタシはヨリコのまんまだよぉ? 何にも変わらないじゃん」
 俺を縛っていたロープを、軽々と引き千切るヨリコ。さすがは悪魔だ。……その気になったら、俺まで引き千切ってしまうに違いない。

 身体が自由になり、俺はやっとの事で、腹を押さえて縮こまった。
「ハラ痛ぇんだよ……。寒かったからさ、腹こわしたんだ……」

「じゃあ早いトコ帰って、おフロ入ろうか?」
 ヨリコはTシャツを脱いで、俺に手渡す。 
 ベッドに腰掛け、俺は素直に着る。……あったかい。ピンク色のTシャツだけどな。

 と、ヨリコの姿を見てぎょっとする。
 ピンクのブラジャー。むちっとした美味そうな胸元が、そこにある……。
 吸い寄せられるように、ヨリコの胸を見つめる。これはいい……。お姉さんのヨリコかぁ……。それもまた、イイよなぁ。

 ムラムラしてくる。
 触ってもいいのかなぁ……? そんなコトしたら、顔が急に悪魔に変わって殺される……とか? それはイヤだけど。

「ねーかずき、ズボンもはく?」
 そして脱ぐしぐさをする。俺はまたぎょっとしたが、冗談だったようで、すぐに笑いが返ってきた。

 ●14

「まぁとにかく、かずきが無事で良かったわぁ。アイツら、かずきを食いたいだけじゃなかったのが、幸いしたみたいねー」
 ヨリコに手を引かれ、俺はベッドから降りる。

「なぁ、今は……どういう状況なんだ? また、俺の妄想……つうか、夢の中なんだろ?」
 そう聞いてみる。
「そうよ」
 ヨリコは言葉少なに向こうに歩き出す。
 早くここから出よう、という事なんだろう。俺は素直に従った。

 スタスタと行ってしまうヨリコに、俺は少しびっくりする。でもま、クールなお姉さん、というところなんだろうかな?

「で……? 今度は、ヨリコは俺のお姉さん……になってるワケ?」
「は?」
 ヨリコは目を丸くする。
「いや……この前は妹だったからさ。今度はどう見ても妹には見えないし……お姉さんかなって」

「いえいえ。かずきと私は、れっきとした恋人だけどね」
「へえ? 恋人……か」
 思わずニヤけてしまう。
 しかし何だろう。ヨリコの目が……冷たい。

「どうかした?」
 思わず聞いてしまう。
「何でもないわ。アナタも一応は、かずきなんだから……ごめんね」
 ふいに腕を取られて、腕を組む。

 ……何だかわからないが、このヨリコはツンデレなんだろうかな?

 ●15

 暗い廃墟を出て、砂利の小道を歩く。
 空にはでかい月が出ている。異世界の、満月だ。青白くて、キレイだ。
「ウアーーッ!」
 ヨリコが急に大声を上げる。何が起きたかと思うと……、前方に、ズタボロになった車らしき物体があった。
 ドアに屋根にボンネット、車全体が巨大な刃に切り裂かれた感じだ。もう、乗れる状態じゃない。

 やったのは……あれか。逃げて行ったキリサとキリクか。腹立ちまぎれにやったんだろう。

「あンのクソ! あいつらぁあああッ!」
 ヨリコは両腕を振り上げて怒った後、ぺたんと地面に座り込んだ。
「まだ全然、乗りたかったのにぃ……。気に入ってたのにぃぃ……!」

 車の残骸(ざんがい)を前に、俺はかける言葉もない。
「あーあ。あーああ……」
 ヨリコはフラフラになって、車に向かう。
 ドアを外し、中からバッグやら何やら、取り出す。
「ケータイ無事だったから、タクシーを呼ぶわ。……どっか、わかりやすい所まで歩こう?」

「タクシー? 悪魔なんだから、空を飛んでくとか……できないの?」
「ムリでしょ。家まで遠いのよ? そんなの疲れるじゃん」
「あ、そう……」
 疲れるってか。軽すぎて、返す言葉もねーや。

 車の中に着替えまで置いていたらしく、ヨリコは服を着込む。
「ハイ」
 ズボンを手渡され、ありがたく履(は)く。
「クツはガマンしてね。お腹は? 痛いの大丈夫?」
「あぁ、大丈夫になってきた」
 まるで子供扱いだ。俺、ホントにこんなお姉さんと、恋人になってんのかな?

 恋人なら……もうおっぱいとか触ったりしたのかな?
 そういうところの記憶がないって、どうかしてるよな。

 でも今は……まぁいいか。助けられたばっかりだしな。おとなしくしとこう……。

 ●16

 はだしで砂利道を歩く。
 ヨリコもハイヒールなんか履いているから、歩きにくそうだ。

「かずきさぁ、どんな事を覚えてる?」
 静かにそう聞かれる。
「……覚えてる事?」
「そう。言ってみて……」
 微笑。でもその目はあまり笑っていない。

 ……何だろう。俺はヨリコを恐れている。
 どうしてだ? 悪魔だからか?

「前の世界の事を少し……かな。この世界の事は何も覚えてない……」
「前の世界?」
 ヨリコが意外にも、驚いた顔を見せる。
「あぁ。朝、ベッドまで俺を起こしに来る妹の夢、だな。ソイツもヨリコって言った。俺の妹でさ。何つーか……エロゲー?みたいな世界だった気がする」
「エロゲー??」
「あぁ。主人公がとにかくモテモテの、都合のいいアニメみたいな世界だよ。現実離れした、妄想の世界そのもの、という感じだな……」

「それ以外は?」とヨリコ。
「それ以外? ……いや、特には何も」

 そう言うとヨリコはやっと笑顔になり、俺の肩をぽんぽんと叩いてきた。
「大丈夫みたいだね」
「……何が?」
「さぁねー」
 またすぐ、俺に背中を向ける。

 今度のヨリコは、冷たいヨリコなのかな。
 愛嬌(あいきょう)のある、あの萌えもえ妹のヨリコの方が良かった……なんて思ってしまう自分もいる。

 恋人なんて言ってたけど、全然そんな感じじゃないな……。
 でも何となく、優しい部分もあるようなのはわかるけど……。

 ●17

 そこからちょっと記憶が飛んで、俺とヨリコはタクシーから降りようとしていた。
 降りる際、ふと運転手に目をやる。コイツも悪魔なんかな……? 悪魔だらけで、この世界は成り立ってるのかね……。

 タクシーが去る。3階建てのアパートが眼前にあった。住むにはそこそこ悪くない、という並程度のアパートだった。

「ハイ、かずき。お風呂入ってね〜?」
 フローリングの床の部屋。あとはキッチンとバス、トイレ。
 部屋の中央には、大きめの黒いローテーブルが一つ。部屋の隅にはパイプベッド、そしてタンス。他には本棚にTV、化粧台。そんな物しかない。
 ベッドが小さいし、1つだけ。俺とヨリコは、ここで同棲(どうせい)しているワケじゃないのかな……? あんな小さいベッドに2人は、きゅうくつそうだ。

 狭い脱衣所。俺は服を脱いで、風呂場へ。
 シャワーの湯温を調節する。……夢の世界のくせに、なかなか細かい事を要求してくる。
 ……ホントに俺が「王さま」の夢なのかね? 何もかも、自由になんかいかないぞ? これじゃあただの現実世界と大差ない。
 身体を軽く洗い流してから、湯船に。そしてやっと、ホッと一息つけた。

「ふぃ〜……」

 どの辺が夢なのか。教えてもらいたいもんだ。
 もっと派手に、宇宙とか飛び回る夢でも見ればいいのに。ここまで庶民的(しょみんてき)な世界を夢に見るだなんて、俺もつまらないヤツだよな……。

 ところで……ヨリコは入ってこないのかな?
 ちょっとドキドキしながら期待してるんだけど……一向に音沙汰(おとさた)がない。

 でも妙だ。あれは本当にヨリコなんだろうか?
 たまに見せる冷たい表情……。あれはどういうワケなんだ?
 まぁ今回のヨリコはそういうキャラなんですよ、と言われてしまえばそこまでなんだけど……。
 でも、何か引っかかる……。

 かと言って、考えてみてもわかりはしない。
(いずれ、ハッキリするだろ。単なる思い過ごしかもしれないしな)

「ツンデレお姉さん、ってトコなんだろ……」
 そう一人ごちる。
 湯に浸かり、ウトウトする。夢の中で夢を見たら……どうなるんだろ? 何だかややこしいな。

 本気で寝てしまいそうになったので、俺はフロから上がった。寝るんなら、ちゃんとベッドで寝たいし……。つーか、使わせてくれるのかねぇ……?

 ●18

「いてててハラ痛ぇ……」
 身体が温まって、腹の調子も良くなったのか悪くなったのか。クソが猛烈に出そうになる。

 でも着替えてからトイレにこもろうと思い、脱衣場から出る。
「ヨリコ、俺の着替えって……あるの?」
 そうして部屋を見ると、ヨリコの姿はなかった。

「……ヨリコ?」
 キッチンにも、トイレにもいないようだ。
 玄関のクツも見るが、さっきヨリコが履いていたハイヒールは置かれたままだ。
 でも、部屋内にいない。……じゃあ、違うクツで出かけたんだろうか?
「まぁ、あるかもな……」
 夜食でも買いに行ったのかもしれない。
「じゃ、今のウチにクソしとこ」
 はだかのままトイレに入って、盛大に出す。ふきふき。……って、まさか夢が覚めたらウンチまみれとか、大変な事態になってないだろうな、おい……。

 タンスをあさって、パジャマを見つけて、着る。男モノのトランクスもあるし、ここで同棲しているのは確かなようだ。
「腹減ったな……」
 テーブルの上の袋菓子をつまむ。あっという間になくなる。
 TVを点け、つまらない番組を見る。カンガルーと100m競争だってよ……。そして次はイルカと泳ぎを競うって? ははは。番組を企画したヤツは幼稚園児か?

「寝るか……」
 シングルベッドだけど、ぶん取って寝てしまえ。
 しかしヨリコがいないのが気になる。こんな時に、あの2人の悪魔――キリサとキリクに襲われたら、ひとたまりもねーじゃん……。

 でもマジ眠い。部屋の明るさを落として、寝床につく。
 心配しなくても、ちゃんと戻ってきてくれるだろ……。


 あぁもしかして、このアパートの部屋が、俺の部屋? そしてヨリコは自分の家に帰っちゃった、という事かな?
 ……いやいや、それはないな。化粧台があるしな。どっちかっつーと、ここはやっぱりヨリコの部屋なんだ。
 じゃあ何で、ヨリコはいなくなったんだ?
 何か一言あってもいいよな……。「買い物行ってきます。チュ」なんてな書き置きを残しておくとかさ。ちょっと見た感じ、そんなのなかったしな。

 夢だから、急に消えたのかな。理由なんかないのかもしれないな……。

 ●19

「ニセモノおにーたん!!」

 ふいに耳元でそう叫ばれて、俺は電流でも食らったかのように飛び起きた。
「……何なんだよ、このクソおッ!」
 こんなひでえ起こし方をされたら、誰でも怒るだろう。

 だが、そこにいたヤツの顔を見て、俺は怒りが消え失せた。
 ……ヨリコだった。
 お姉さんヨリコじゃない、前に見た夢に出てきた、チビでツインテールの髪型の、萌えもえ妹キャラの方の、ヨリコだった。

「ヨリコ? どういう事だ……?」
 また別の夢を見ている、という事か?
 あぁ、確かに夢の中で俺は寝た。だからヨリコが変わってしまったのか……?

「アータがさぁ、すっごい変な事をしてくれちゃったからぁ、ヨリたん達の住む世界まで引きずられちゃってぇ、メッチャクチャになっちゃいそうなのよぉー! ね〜、わかるぅ?」
「……は?」
 俺はそんなマヌケな一言しか返せない。
「アータはねぇ、ニセモノおにーたんなのにぃ、目が覚めちゃう寸前にいるの! でもニセモノでもおにーたんはおにーたんだからぁ、アータの目が覚めてしまうとぉ、ヨリたん達の世界まで消えてなくなっちゃうのよぉ……! この一大事、わっかるぅ?」

(俺がニセモノ……?)
 その部分が気にかかる。
 目が覚める寸前にいる、というのは承知だ。以前、キリサ達から聞いていた。

「俺の目が覚めると……ダメなのか?」
 そう、妹ヨリコに聞く。
「そうだよぉ! アータ、超・ニセモノなのに、「おにーたんも含んでる」からぁ、コッチがめーわくしちゃってるのぉ! アータを殺さないと、コッチのおにーたんの世界まで全滅しちゃうのよぉ!」
 ヨリコは両腕を振り回し、ピョンピョコ跳ねる。

「俺を殺す……って?」
「そうよぉ! こんな風にさー!」
 ヨリコの手が真っ黒く染まり、いびつな鉄のかたまりになる。
 そして次の瞬間には、その腕が俺の顔面に突き刺さっていた。

 ……しかし、痛みはない。

 ヨリコは苦々しい顔になる。
「殺したいけどさー……、まだ世界がつながってないから、どーしよーもないもん。でもつながったらソッコー、殺しに行っちゃうからね! じゃね、ニセモノおにーたん! 顔を洗って、待っちょれや!」
 そんなセリフを残し、ヨリコは姿を消した。

「何だよそれ……」
 俺はワケがわからず茫然(ぼうぜん)、いやあぜんとするしかなかった。

 ●20

「……てな事があったんだよ、さっき」
 朝風呂から上がってきた、バスタオル姿のお姉さまヨリコに、そう告げる。
 ヨリコが2人じゃややこしいから、こっちのお姉さまヨリコは、「依子(よりこ)」と心の中で変換する事にする。
 ちなみに、依子お姉さまがいなくなっていた理由を聞いたら、「あぁそうだっけ?」と軽く返されてしまったという……。

「そうなんだ……。別の世界のアタシがねぇ……かずきを殺そうと」
 ベッドに腰かけ、依子は真顔で聞いてくれる。……のはいいが、バスタオルを一枚身体に巻いただけ、という依子のセクシーすぎる姿に、俺の方が真顔じゃなくなってしまう。
「何よ、その顔?」
 依子お姉さまは、顔をしかめる。
 俺は依子のはちきれんばかりの胸元と、美味そうな太ももをガン見する。まじ、美味そう……。たまんねぇ……。

 ガバアッとバスタオルをはいだら……どうなるのかね? まさか殺される、とか? それはひでえよなぁ。
 ちなみに、ここで死んだら、俺はどうなるんだろ? また別の夢で目が覚めるのかな。
 死んでもしんでも、ケロリとどこかで目が覚める……ってな感じだったら、不死身みたいなもんだな。

 それともこの俺の人格は無くなって、俺とは関係ない「別の俺」が、話の続きを追っていくんだろうか。
 あの妹ヨリコが言っていた「ニセモノおにーたん」というのも気にかかる。
 もしかすると俺は、たくさんいる「かずき」の中の、ほんの一人に過ぎないんだろうかなぁ……?

「あの……触ってイイすか?」
 そっと依子に手を伸ばす。
「やだあー……」
 依子は首を横に振る。
「そうスか……」
 ガックリくる。でもチンポのギンギン具合は、そう簡単には収まりそうにない。
 やべえなぁ……ガマンできねぇなぁ……。こんな美味そうなシチュエーションが目の前にあるのに、何にもできないなんて……バカみてえじゃん。
 しかも今は夢なんだろう……? こんなところでも、俺は他人に遠慮してしまうのかよ……。そういう遠慮してばかりの人間じゃあなかった気もするんだけどな。

「なー、どこが恋人なんだよ……ホントに恋人ならさー、触るくらい……」
「じゃあ、勝手に触れば?」
 依子はツン、とした顔になる。
 ……でも、お触りの許可は得た! おおおおおッ! じゃあ、触ってやる!

 ●21

 半身を起こし、邪魔なシーツを脇にどける。
 依子はベッド脇に腰掛け、胸を突き出している。俺は横からそっと近づき、バスタオルごしに依子の胸を触った。
 抵抗しない。
 俺は辛抱(しんぼう)たまらなくなって、依子のバスタオルを脱がした。

「おぉーっ……!」
 思わず変な声をもらしてしまう。
 はだか。お姉さまのはだか……。
 うぅっ。すげえキレイな肌。そして張りがあって、大きい胸……。桜色の乳首……。

 その胸に触れる。……やわらかい。もちもちとした弾力を、手の平いっぱいに味わう。
 ガマンできなくなり、ほおずりしながら、舌で依子の胸をナメ回す……。至福のひと時だ……。

「すけべ」
 小さくそう言われる。俺はなお興奮して、依子にしがみつく。
 キスをせまる。
「……ちょっと待って!」
 そう拒絶される。顔を背けるとはムゴイ。

「何だよ? 恋人じゃないのかよ……?」
 はだかまでさらしておいて、キスはダメとか。どうかしてるわ。

「あぁっ! もうダメだ!」
 俺はパジャマのズボンを素早く脱ぎ、トランクスも脱ぐ。
 自由になったガチガチのチン棒が、もうガマンできないと訴える。

「ダメッ! ア、アタシ今、お風呂入ってきたばっかりなんだから!」
「また入ればいいだろ!」
 依子をベッドに押し倒す。そして胸元に顔をうずめ、思う様になめまくる。
 腰をなぞり、尻をなで、履いていたパンツを脱がそうとする。ピンクのパンティとは、これまたスケベだな……。

「ちょっともうヤダッてば! 朝っぱらから何なのよ! このバカッ!」
 そこで強く押しのけられる。

「うおわああっ?!」
 俺の身体が宙に浮く。そればかりか、身体にきりもみ回転がかかる。
 回転しながらドガアッ! と落ちたのは……、部屋の中央にあるローテーブルの上。ぐわあっ! こりゃ痛えッ!
 俺はもんどり打って、そこから転げ落ちた。

「……あー、ゴメーン。ちょっとチカラ入っちゃったかな?」
 依子はあわてて俺を起こしにくる。
「痛ぇよ、マジで……! どんな馬鹿力だよ!」
 まるでギャグマンガだ。ありえねぇ……。

 ●22

 光がにぎわう繁華街(はんかがい)。
 この世界はあくまでも、現実の世界ではない。「かずき」という人間の、夢の中の世界なのだ。

 だが、世を知るためのアンテナの高い者は知っていた。
 この世界はついこの間、2つの世界が融合(ゆうごう)したのだと。

 王ですら、今は忘れてしまっているそんな事実。
 そしてやっかいな事に、この世界は終末を迎えようとしている。
 「かずき」の夢の世界が一つ終われば、他のかずきの夢も終わってしまう。
 そんな並行世界から、悲鳴が届く。――世界が終わるのはイヤだ! 巻き込むな! と。

 だが大半の者は、明日をも知れぬ世界の事などどうでも良くて、各々の快楽のために、この晩も好き勝手に徘徊(はいかい)しているのだった。
 殺しに、肉欲。ドラッグにギャンブル。何でもアリだ。ただ、己が気の向くままに、遊び呆けている。

 世に生きる者の大半は、悪魔。人間ではない。
 だが、悪魔は狡猾(こうかつ)な生き物であり、世のバランスを崩すほどの事は、決してしない。
 ……どの道、「かずき」という王が支配する世界だから、崩壊しかけてしまっても、王の気分一つで、世界は修復してしまうのだが。

 そんな繁華街の裏路地で、悪魔が悪魔を食っていた。

「何てくそまずいんだろうねぇ、キリク?」
 闇の中に浮かぶ白い顔。黄色の血に染まった口元が、肉をたいらげ、骨を噛み砕く。
「でも上物だったんじゃないかしら? 身体にチカラがみなぎってくるわ」
 キリクはキリサを見上げる。

「オ"レ"のガラダを、食ヴなぁああ……ッ!」
 苦しげな叫びを上げるのは、奇怪なクモの顔。
 裏路地いっぱいに、太くて白いクモの糸が縦横無尽に張られている。そしてその一角に、自らの糸に巨体をからめ捕られた、巨大なクモの悪魔がいた。
「くっそまずいクセに!」
 キリサの腕が垂直に伸び、折れ曲がってうなりを上げ、クモの足をまた、いくつか切断する。

「ギョワアアアアッ! ヤメ"ロ"ォオオオッ!」
 クモは巨体を揺らして抵抗する。だが、もうどうにもならない。頭は切断されて落ち、胴体の半分以上をキリサ達に食い荒らされている。
 ウミのような黄色い体液が、そこらじゅうに散乱している。その体液を、子鬼が何匹かすすりに来ているが、キリサ達は無視する。気が向いたら、「つまみ」として喰ってやる、という程度だ。

 ●23

「ゴ、ゴンナ事をジデモ……、ム、ムダだ! ゴノ世界はズデニ……、破綻(はたん)ジデいるんだぞ?!」
「破綻してる?」
 クモの言葉に、キリサが応じる。

「ゾ、ゾウ"ダ……! ゴノ世界はほんのゴノ前、一度、崩壊ジガゲダんダ! ズグにヨ"リゴが直ジダガ……、王がオガジナ事にナッデジマッデな! もうゴノ世界は、終わりナンダよ! グババババッ!」
 クモは口から黄色い液をまき散らしながら笑う。
「どういう事かしら、キリサ?」
 キリクが問う。
「あの王。確かに何かおかしかったわね……。顔も違ってたし」
 そしてクモの言葉を待つが、クモはもう絶命していた。

「役立たずめ!」
 キリサはその頭を踏みつぶした。

「……さぁ、もう終わりにしましょ? もうお腹いっぱいよね」
 キリサとキリクは、ギッギッと身体を鳴らしながら、広げた身体を折りたたんでいく。
 そして女2人分の姿になると、分裂し、黒いコートを着た2人の女になった。

「ねぇキリサ? ヨリコを殺すのはまだ?」
 そう問われ、キリサは首を振る。
「まだまだだわね。もっともっと、悪魔を食ってからよ。次で仕留めなきゃ、殺されるのは私達だからねぇ。……念には念を入れて、十二分に強くなってから、殺しにいきましょうよ?」
 そして2人は繁華街の喧騒(けんそう)の中に消える。

 ただの繁華街なのだが、この喧騒に終わりはない。
 この世界には、朝が来ないのだ。

 それは、以前この世界が崩壊しかけた後に起こった、大きな異変だった。

 ●24

「朝が来ない世界?」
 寝て起きても、外が一向に明るくならないのを不思議に思って聞いたら、そんな答えが依子から帰ってきた。
「そう。ついこの間から、そうなっちゃったのよ」
 依子は言葉少なに返してくる。
 ローテーブルに向きあって座り、パジャマ姿の俺と依子は朝食を食べている。
 ご飯にみそ汁に焼き魚に漬物。こっちの依子は和食派なのか。

「ついこの間って?」
 その俺の問いに、依子は答えない。仕方なく、別の事を聞いてみる。
「これから先、ずっと朝が来ないんじゃあ……、色々と不都合があるんじゃないの? 太陽の光がないとさぁ、地表の温度が上がらないとか。氷河期到来になるんじゃないの?」
 そう聞く俺を、依子はじっと見てくる。
「かずき? ここはアナタの夢の世界なのよ? 現実じゃあないの。朝が来ないからって、何の不都合もありゃしないわ」
「そうか……」
 夢ならナンでもあり、か。ひでえテキトーな世界だな。

 依子は朝食を終え、食器を流しに持っていく。
「じゃ、アタシは会社に行ってくるけど……かずきはここを出ないでよ? ヘタにうろつくと、この前の悪魔達にまた捕まるかもしれないしさ」
「え……会社? そんなのに行くの? ……夢なのに?」

 依子はパジャマを脱ぎ、着替え出す。
「あったりまえじゃん! かずきにとっては夢かもしれないけど、アタシらにとっては、ここが「現実」なんだから。ちゃんとお給料を稼がないと、衣食住がままならないのよ」
「いや! そりゃおかしいでしょ?! そんな面倒くせえトコだけしっかりしてる世界なんか……ありえねーって!」
 そう言うと、依子は噛み付いてきた。
「あのさぁ! ここはアンタの夢なのよ! ……じゃあ働かなくても、お給料が空から降ってくるようにしてよ!」
 そう言われても、困る。念じたところで何も変えられない、というのは重々に承知だ。

「じゃ、行ってくるから。かずきは、ウチの中でおとなしくしてるのよ?」
 スーツ姿に着替え終わった依子お姉さまは、バッグを手に部屋を出た。
「悪魔が何の仕事をするんだよ……?」
 自分の夢ながら、馬鹿げてるな、と思うしかなかった。

 ●25

 家にいろ、と言われても、何もする事がないんじゃあ、落ち着かない。
 TVを点けてもつまらない。雑誌を読んでもつまらない。本棚に並べてあったDVDをあさってみても、特に見たいものは一つもない。

 この部屋で依子と同棲していた、というのが信じられない。俺好みのモノがここまで何にもない、とは恐れ入る。
 俺の下着とパジャマがあった以外、俺の生活感が全く感じられない部屋だ。
 まぁ夢だから。何でもアリなんだろうけどさ……。

 俺は数時間もしない内に、外に出ていた。

「夜しかない世界……ね」
 階段を降り、アパートの前まで出てみる。
 アパートを眺める。3階建て。明かりがぽつぽつ点いている。そこそこ住人はいるらしい。
 駐車場にも車がズラリと並んでいる。お、外車だ。悪魔のクセに生意気な……。
 塀で仕切られたアパートの駐車場を出て、周囲を眺める。……ここはちょっとした住宅街の一角だった。

(俺の夢ね……)
 今見ているもの全てが、俺の夢。アパートも駐車場も、住宅街の明かりも、その家々に住む人達も全部……、俺の頭の中で描かれた、空想に過ぎない。
 この広い夜空も、青くてキレイな月も、あの薄い雲も……とにかく、今見ているもの全てが、現実には存在していないんだ。

(だからと言って……ぶっ壊したら、どうなるんだ?)
 いきなり、その辺の家のドアをぶち破って侵入して、何の罪もない家族達を皆殺しにする……。でもそれは、俺の夢の中の出来事でしかない。だから現実の俺には、何の罪も降りかかりはしない。

「でもやたらリアルな夢だからな……」
 夢の中で警察にタイホされて……、その先は延々と監獄の中にいる夢が続くのかもしれない。……それはそれでバカらしい。

 でも何故だろう。この世界で、「本当は自由にふるまえるハズなのだ」と思うと、胸がやけにドキドキとしてきた。
 ……この感覚。妙にしっくりくる。

 おかしい。
 どうして俺は、こんなにも笑っているんだろう……?

「そうだよ。そうなんだ……! 自分の思うように、好きなように、ぶっ壊して良かったハズなんだ、本当は!」
 ……そう。
 警察に捕まらない限り、は。

 ●26

 殺してもいい。どうせこの世界にいるのは、悪魔だけなんだ。
「……悪魔退治といくかあッ?!」
 どうせここは夢なんだ。それに、キリサ達も言っていたじゃないか、「もうすぐ俺の夢が覚める」って。

「じゃあ……好き勝手やらなきゃソンだよな!」
 悪魔を殺しまくって、レベル上げだ! ゲーム感覚でやってみようじゃないか。
 どうせこの世は、現実も夢も、「自分が生きるための舞台」でしかないんだから。好きなように生きなきゃな。

 殺したい。俺は他人を殺したい……。
 あぁ、そうだ。俺はそういう人間だったんだ……。

 現実での俺は、他人が憎らしくてしょうがなかった。
 顔の悪さや運のなさ。女運のなさから何からなにまで、俺は劣等感(れっとうかん)のかたまりのようなヤツだった。
 他人という大勢の生き物が、うっとうしくてしょうがなかった。見ただけで不快になり、憎悪の対象でしかなかった。

 陰で人の悪口ばかり言いあっている、性悪なクソども。下らない事をくっちゃべっているだけの、価値のないゴミども。やたらでかい声や音を出して自分をアピールする、ウザい集団。
 とにかく、お前らみたいなのは……死ね!
 ……いやいや。そういうクソやゴミやウザは死ぬのが当然。俺はそういうヤツらばかりが嫌いなワケじゃない。

 妙に優秀で妙に明るくて、顔も良くて人付き合いもいい。……そういう「できた」人間も、俺はなおさら憎い。
 ……総じて俺は、「人間そのもの」が嫌いなんだ。……他人なんかみんな死ねばいい、としか思わない。
 どいつもこいつも目障りで、ウザ苦しく、憎たらしいだけだ! それ以上でも以下でもない。

 じゃあ俺が死ねばいいだけの話だよな? ははは。
 でもな。俺が死ぬっていうのは、「敗北」だ。俺は気弱で貧相で「負け組」の人間として、人生を終わらせたくはなかったんだ。
 そういう弱さを、何とか克服(こくふく)したいと思っていた。
 そう。強くなるために、俺は……

 ……あぁ。もしかすると俺は……
 現実で、「人を殺してしまった」んじゃないだろうか……?

 ●27

 湧き上がった気持ちが急速に冷える。
「この夢が覚めたら……俺はどうなるんだ?」
 現実に戻り、人をねたむだけの、暗い人間に戻る。夢と違って、そこには依子もいなければ、「王さま」と呼ばれる事もない。
 他人とは極力(きょくりょく)関わりたくないという、孤独で暗い俺がいる。……明るくて楽しい世界の中で。一人、汚物のようなドス黒い点として。

 ……俺は、耐え切れていたんだろうか?
 現実ではもうすでに何人か殺してしまっていて……、取り返しのつかないところにいるのかもしれない……。

 首スジをさする。
 この首の傷は……、警察に捕まる間際に、自殺しようとしてつけた傷ではなかったか……?

 そこで月明かりがいきなり消えた。
 足元が、真っ暗な影の中に落ちる。
(何だ……?)
 ふいに頭上を見ると、でかい化け物が宙に浮いていた。

 夜空を荒い墨の筆で塗りたくったようなでかい影。
(まずい……! 悪魔だ!)
 俺はアパートへ向けて走った。

「キャハハハハ!」
 夜空をおおう影が、ザアッと舞い降りてくる。
 俺は、あっという間に捕まってしまった。

「……わあああッ! やめろおおおッ!」
 わめいてもがくが、抜け出せない。黒い影にすっかりと呑みこまれてしまった。

「こーんばんは、王さまぁ。いい月夜だからぁ、夜のお散歩に出ちゃったの?」
 影の中、白い顔が2つ浮き出る。
「お前ら……!」
 キリサとキリク、か。

 ●28

「ヨリコを殺すためにねぇ、他のくっそまずい悪魔どもを、たぁーらふく食ってきたわぁ……! これでもう、この前のようにはいかないからねぇ……?」
 顔を黒い手でなでられる。抵抗するが逃げられない。キリサ達の4本の腕が、次々と俺の身体をつかんではなで回してくる。
「……さぁ、ヨリコはどこ? 殺してやるから、早く呼んでくれないかしら?」

「よ……依子はいない。会社だ」
「かいしゃあああっ? キャーッハッハッハ! 聞いた、キリク? ヨリコはぁ、会社だってぇ!」
 そうしてキリサ達は、馬鹿みたいに笑う。酒でも飲んでいるかのように、イヤにテンションが高い。

「コラぁああーーッ!」

 場を切り裂く怒声。
 キリサ達はぎょっとし、長い首をするりと伸ばして、向こうを見る。

「かずき、大丈夫?! 生きてる?」
 そんな依子の声を聞く。
 ……もしかすると、俺が心配で、会社から戻ってきたのか?

「あぁ。生きてる……」
 キリサ達の闇の身体に呑まれているから、何も見えない。
「今、助けるから!」
 依子の声が近づいてくる。耳元で何かがザワつく。キリサ達の恐れの声か。

「おら、死ねぇえッ! ヨリコォオオオッ!」
 周囲の闇がすっと遠のいたと思うと、キリサ達の身体が怒号(どごう)とともにイッキに弾けた。攻撃体勢だ。いくつもの鋭い槍(やり)と化して、依子を襲う。

「効かないねえッ!」
 依子はその黒い槍を、素手で弾いていく。
 依子の両腕も、黒々と変形してしまっている。

 依子は突っ込んでくる。
「この世の王女さまの……、強烈な一撃を食らいなぁ!」 
 その悪魔の爪が、キリサ達の顔を縦に引き裂いた。

 ●29

「つぁ……っ、ギャアあああーーッ!」
 でかい闇は、もんどりうってもだえる。
 ……逃げるなら今だ!
 と思うもつかの間、俺は依子の太い腕にかっさらわれて、キリサ達の身体を抜け出ていた。


 キリサ達と大きく距離を取る。
「家を出るな、って言ったのに」
「……悪かった」
「ん、もう……」
 アタマをぽんぽんとなでられる。依子お姉さまにかかっちゃあ、俺も子供みたいなもんだな。

「おい、ヨリコおおォッ! アンタを殺すためになぁ! くっそまずい悪魔どもを、たーらふく食って来たんだよおッ! ……アタシ達はまだまだ、ぶっ倒れないよぉ?!」
 路地の向こう。闇のかたまりが、まだ威勢(いせい)よくうごめいている。
「ご苦労な事ね」
 依子に、下がってろ、と指示される。

「……いくらザコを食っても、ザコはザコなのよ。……それを教えてあげるから、かかってきなぁ!」
 依子は両腕を振り上げて、キリサ達を挑発する。プロレスの試合みてえ……。
 何のチカラもない俺は、場を離れて見守っている事しかできそうにない。

 キリサ達の身体――でかい闇が、周囲をおおわんばかりにさらに広がっていく。
 それがうねって伸びて無数の手足となり、縦横無尽(じゅうおうむじん)に依子を襲う。
 でたらめなでかさだ! あんなものを倒せるのか、依子は……?

「それしかできないのおッ?! ヘボ悪魔あッ!」
 依子はそれらを豪腕(ごうわん)で跳ね返しつつ、キリサのふところへと、かかんに挑む。
 そこで突如、無数の黒い槍が一点に集中したのを見た。

 ●30

 竜巻みたいな黒いうねりが依子を襲う。
 依子は飛んで大きく避ける。竜巻がぶち当たったアスファルトの路面が大きくえぐられ、破片が飛び散った。
「うぐっ!」
 いくつかの破片が依子にぶつかる。依子は顔をおおい、宙でバランスを崩す。

「依子ッ!」
 俺がそう叫んでいる内に、依子はブロック塀(へい)に衝突した。
 寸分のスキもなくそこを狙う、キリサ達の黒い腕。それは依子めがけて、派手に突き刺さった。

 割れて飛び散るブロック塀。それとともに、空に舞い上がる依子。
 その軌跡には、血が混じっていた。

 依子はどこかの家の敷地に落ちる。
「依子ッ!」
 遅れて、数メートル先の路面に、何かが落ちた。
 それは切断された、依子の片腕だった。

「お……おいッ! 依子ッ!」
 依子が落ちた方へ走る。
 と、その前に、依子は塀の陰から飛び上がってきた。宙を何回転かして、華麗に路面に降り立つ。
「かずきッ! 危ないから下がっててッ! アンタが死んじゃったら、何にもならないんだから!」
 そう一喝(いっかつ)される。
 俺はおとなしく、指示に従う。しかし、切断された依子の腕が気にかかる……。

「ハッ。ざまぁないねぇ……。こりゃあアタシ達でも、王女さまを充分に殺せそうだねぇ?」
 キリサとキリクは各々、笑いを上げる。
「調子にノッてんじゃないよ。ザコ悪魔が……ッ!」
 依子は路上にうずくまりながらも、強がりを返す。

「ザコ? でもねぇ、ただのザコじゃあないわねぇ。……一応は、王さまのおめがねに適(かな)うレベルの悪魔なんだよ、アタシ達も」
「あ、そう……」
 そう返す依子。俺には、何の話かはわからない。

 依子は、切られた右腕を左手で押さえながら、苦しそうにしている。
 あれじゃあもう……、戦えそうにない。

 ●31

 血まみれになりながら、依子は左腕をかかげた。
 そこに赤黒いチカラが宿り、その腕はなお、でかく強靭(きょうじん)な悪魔の腕となった。

 それに伴い、依子の身体も倍加した。衣服が散り散りに裂ける。
 悪魔だ。完全な悪魔だ。あれが、依子の本当の姿なのか……。
 これが夢じゃなきゃ……俺は依子を放って、逃げているところだろう。

「ザコにやられるアタシじゃあないんだよォオオッ!」
 悪魔が悪魔に突っ込んでいく。
 しかし、キリサ達は闇を散開させてかわす。……あんなに自在に姿を変えられるんなら、戦いようがない。
「そらあッ! 食らいなぁッ!」
 ふいに、白いものが依子に降りかかった。無数の……糸の網だ。
「うぐぐっ!」
 依子はまともに食らい、糸にからめ捕られてしまった。

「アハハハハ! 年貢(ねんぐ)の収め時かねぇ? ヨリコオオッ!」
 続けて黒い刃の雨が、依子の頭上に襲いかかる。
 ……ダメだ。すっかりとおおい尽くされてしまっている。あれじゃ、避(よ)けようがない。

 そして依子は、その雨に呑まれた。


 ズダダダダダダダ……

 アスファルトの路面が撃ち砕かれる中、ズタズタに切り刻まれていく依子を見た。
 信じられない光景。
 真っ赤な血しぶきと化していく依子。
 あれじゃあ……、終わりだ。どうしようもない。

 ●32

 黒い雨が止む。その下には、大きくえぐられた路面が残った。

「お、おい……!」
 俺は足をふらつかせながら駆け寄る。

 ざくろのようにグシャグシャにえぐられた路面。そこに飛び散る大量の血と、無数の肉片。
 依子の姿はどこにもなかった。

「何だよ、これ……?」
 夢なのはわかっている。
 でも依子を失ったというのが、何だか辛(つら)かった。

 ……終わった。もう俺を助けてくれる者はいない。
 このまま、夢が覚めるような気がする。ゲームで言えば、BADENDのようなものだ。
 俺はその場にしゃがみ込んでしまった。


「どうなるんだ……これから?」
 頭上に浮かぶキリサ達に聞いてみる。

「これで邪魔者は消えたから、私達はずっと王さまのお傍にいるわね。そしてアナタが現実に帰る瞬間、アナタを呑み込んでしまえば……、私達も現実へ行ける」
「そうか。でも……、そう上手く行くもんかよ?」
 キリサ達に対する怒りもなく、俺はただうなだれる。
 逆らうすべはない。俺には何のチカラもないんだから。

 コイツらを現実に連れ帰ってしまったら……、現実はパニック状態になるだろうな。
 でも、そんな事はどうでもいい。何もかも、知った事じゃない。

 ただ依子にだけ。傍にいてほしかった……。

 ●33

「ところで王さまは……、まだ私達の事を思い出してはくれないのかしら?」
 そう言うキリサの顔を見上げる。闇の壁の中に浮かんでいる、2つの顔。今は2つとも、縦に切り裂かれて血まみれになっている。
「思い出すも何もないな。見覚えなんかないよ、そんな化け物顔はな」
 そう返す。

「……じゃあ、教えてあげる。私達は現実で、王さまに「切り裂かれた」のよ」
「俺に切り裂かれた……?」
「半分にね、こんな風に」
 見ると、キリサとキリクの顔が傷口に沿って半分になり、顔の左半分、右半分になったかと思うと、よりそって1つの顔になった。

 白目をむいたその大きな目。だらしなく開けられた口から伸びる舌。縦に裂かれたその傷跡……。
 そのビジョン。確かに、見覚えがあった。

(顔を縦に切り裂いた……)
 若い女をストーキングし……
(そう。こんな夜に)
 刃物を持ち……後をつけ……
 女が振り向いた直後、
(後ろから押さえつけて、ねじ伏せて……)
 その顔を、縦に切り裂いたんだ。

「思い出したかしら? 私は、アナタが初めて殺した女なのよ。しかもアナタの同僚(どうりょう)。しかもアナタが片思いしていたお相手」

 心臓がどくどくと跳ねる。
 殺した。俺は確かに、あの子を殺した。
 しゃべる事もできなかったけど、何年も好きだったあの子……。

 でもある日。俺が参加しなかった飲み会の後で、あの子を「お持ち帰りした」という男が自慢げに話しているのを聞いた。
 ソイツは態度もでかく、チャラくて、時に俺をさげすんで笑いものにする、俺が心底……嫌いなヤツだった。

 そんなヤツにあの子が抱かれたかと思うと、苦しくてしょうがなかった。なめられまくって犯されまくって、キスしまくって……
 そして俺は自暴自棄(じぼうじき)になった。
 会社でも立て続けにミスが続き、ギャンブルではバカみたいにスリ続け……、もうメチャクチャになった。怒りのやり場をどこに持っていけばいいのか、完全にわからなくなってしまった。

 そして、あの子を殺さずにはいられなくなってしまったんだ……。
 苦しすぎたから。

 ●34

「あぁ、良かった。思い出したようね、王さま」
 キリサ達はあの子の笑顔で、俺に問う。
 あんなヤツに犯されたあの子。俺は泣きながら、その顔をじっと見ていた。

 ……人間として壊れてしまい、色んな人間を無差別に殺したんだ、俺は。
 もうどれだけ殺したのかわからない。本当に憎かったアイツを殺したのかどうかも、今はわからない……。

「この世界の夜明けも、もう間近よ。……さぁ、現実世界への封切りだわね。ホホホ……」
 いつしかキリサ達の身体が縮んで、普通の人間程度の背丈(せたけ)となる。
「その顔は……やめろッ!」
 キリサ達はあの子の姿になる。俺はもう、顔も上げられない。
「逃げちゃダメよ、王さま。……正当性はアナタにあるんだもの。アナタは悪くない。悪いのはワタシ。あんなクソに抱かれて、前から後ろからズコバコされちゃった、アタシが悪いんですものね?」

「やめろッ!!」
 拳を地面に叩きつける。こんなんじゃ……俺は現実ばかりじゃなく、この夢の世界でも狂ってしまう!

「アナタはね、自分を克服(こくふく)しようとしたのよね? 弱い人間であり続ける事をやめて、強くなろうとした」
 黒い手が伸びてきて、俺の頭を優しくなでる。
「……それは悪い事じゃないわ。嫌な人間を殺せない弱気な人間こそが、カスなのよ。……現代の、がんじがらめの法律に従っている事しかできないカスども。でもアナタはその殻(から)を破ったのよ。素晴らしい事だわ……! それはとっても、勇気がいる事だもの!」
 キリサの両腕が俺の頭を包み込む。俺は抱かれているにまかせた。

「俺は……犯罪者か」
 そうつぶやく。空が白くなってきた。
「夢の終わりよ、王さま。もう止められないわ……」
 そしてキリサは、闇のベールを脱ぎ落とした。白い肌をさらけ出した、はだかのキリサがそこに立っていた。
 あの子だ。俺が抱きたかった……あの子がそこにいる。

「……絶対に離さないわ。うふふ」
 その両腕が、俺に向けて伸びてくる。
「からみあいながら、現実へと堕ちましょうか……? 悪夢から覚めた現実がまた、悪夢になるのね……。王さまの好きな色に、塗り替えてあげるわね……」

 強烈な肉欲が込み上げてくる。あんなヤツよりも……、俺が先に犯したかったんだ! メチャクチャに、ヤリまくりたかったんだ!
 依子はもう死んだんだ。許してくれるだろう……。

 ●35

「でもホント、美味そうだわね……。アァア、人間の肉を喰いたくてくいたくて、たまらないわぁ……。私達悪魔の夢想する、至上の快楽よ……」
 俺の湧き上がる性欲とはうらはらに、キリサは俺に食欲をたぎらせているらしい。
「憎い神の、その落とし子を切り裂いていたぶって、生きたまま喰い殺す……。その喜びに加えて、何ともたまらない味がするそうじゃないの……ホホホ!」
 キリサが口を大きく開け、今にも俺を喰い殺さんとする。
 俺の肉欲はイッキに吹き飛んでしまった。

「……おおっとその前に、ヨリコの肉を喰うのをすっかり忘れていた。アイツを喰らえば、それなりのチカラを得られるハズだからねぇ……。何たって、この世の王女さまだもの」
 キリサは俺から手を離す。
 そして背後のえぐられた路面を見るなり、叫んだ。
「ウ……何だ?! ヨリコの肉が……ない!」

 よつんばいになり、えぐられた路面を覗き込む。
「ヨリコがいない! ……どこだッ!!」

「アーッハッハッハ!」
 依子の笑い。
 キリサは声の方に振り向く。しかしその背後から、真っ赤な腕が2本、ぬっと伸び上がっていた。
 完全なフェイントだった。

「うわ……あああッ!」
 それは大蛇のように、キリサの首に巻き付いた。
「ねぇ、キリサちゃ〜ん? アタシはさぁ……この世で最強の悪魔だって、誰かに聞いてなかったぁッ?!」
 腕の間から、真っ赤な頭が突き出る。依子は笑っていた。
「お前……! いくら最強だからって……不死身だなんて!」
 その言葉の後、キリサの断末魔が響いた。

 ゴギッ! ぶじゃあああッ!

 キリサのゆがんだ顔がぐるりと回転する。そしてイッキに、その胴体から真上に引き千切られた。

「ざまあ……ないねぇ」
 そして残りのキリサの胴体も、依子の真っ赤な腕により、バラバラに引き裂かれたのだった……。

 ●36

 真っ赤な肉のかたまりが、ぼろぼろと路面に落ちる。
 そんな中、上半身だけの化け物――依子がのそのそとうごめき、チカラ尽きたように、路上にうつ伏せた。

「依子……そんなになっても、まだ生きてるのか?」
 あきれるやら驚くやらだ。
「アタシは並み外れた悪魔ですからねー……。つーかほとんど不死身ですから。かずきと命運をともにしている、王女さま、ですからねぇ……」
 ふぅ、とため息をつき、依子は目を閉じる。さすがにピンピンはしていないようだ。

「こんなにバラバラにされて生きてるだなんて……、いくら何でも、でたらめすぎんだろ……」
 完全にただの死体であるハズなのに、なお生きている依子。
 こんな地獄のような光景を目のあたりにしても、なお笑えるのは……、やはり今が夢だから、なんだろうかな。

 キリサ達のなれの果てを、俺と依子はしばらく眺める。
 どうやらコチラは、生き返る様子はないようだ。

 空はもうすっかり白く、朝を迎えている。
「俺の目が……覚めるのか?」

「そうみたいね。残念だけど、さよなら……かな?」
 まだ上半身しかない依子はそうつぶやく。
「さよなら? 何でだよ? 依子を現実に連れて帰る事は……できないのか?」

 少しの無言の後、やっと言葉が返ってくる。
「この状態じゃあ……無理っぽいからね。身体をかき集めてからじゃないと……向こうの世界でも上半身のままだわね、きっと……」
「でも生きてるんなら……行かないか? 現実にさ」

「いいよ。よしとく……」
 依子はにこり、と笑っている。
 何だよ、これでお別れか。さびしいもんだな……。

 ――現実に帰る。
 その事で、俺は重大な事を思い出した。

 ●37

「ところでさ。俺が……殺人鬼、ってのは……本当なのか?」
 そう聞く。
「え? ……あー、わかっちゃったんだ? まぁ……そればっかりは仕方ないよねー。やっちゃったんだし」
 そんな軽めの言葉。依子も俺の正体を、知っていたんだ……。

「じゃあ現実に戻った時は……、俺は犯罪者なワケか」
 どんな状態で、どこで目が覚めるのかはわからないが……、もし警察に追われている状態だったらどうするんだ……?
 そんな状況から、現実世界の再スタートだなんて……冗談じゃない。

 寒気がしてくる。手足が震え出す。
「なぁ依子。俺が首を切って自殺しようとしたのは……追い詰められていたからじゃないのか?」
 そう。警察が来た。俺のアパートの部屋の、チャイムを鳴らしている……。

 警察がドアを叩く。その音が聞こえてくるかのようだ。

 ……まさか。
 現実での俺は、今その場にいるっていうのか?
 警察が表に来て、逃げられなくてトチ狂って包丁を持ち出して、首を切って自殺しかけている……、まさにその瞬間……?
 馬鹿な。こっちで数日過ごしたハズだけど、向こうの現実じゃあ、数分と経っていなかったとでもいうのか?

 でもそれが事実であるかのように、首スジがいきなり痛み出した。
「そんな……やめてくれ!」


「かずき。見えてきたの? 現実が」
「あぁ……。戻るのが嫌になってきた……」
 向こうの世界が、本気で怖い。
 でももう、この世界の夜が明ける……。どうすればいいんだ、俺は……!

「行ぃかせないよ! ニセモノおにーたんッ!」

 いきなりそんな甲高い声がしたかと思うと、路地の向こうから走ってくる人影が見えた。
 ツインテールで萌えもえ妹の、ヨリコだった……。

 ●38

 俺をニセモノと呼ぶヨリコ。
 今さら、何をしに来たんだ……? 男も一緒にいるけど……。誰なんだ?

「ヨリたん達の小さな幸せのために、どーか死んで下さいよ! ニセモノおにーたんとぉ……、アタシのニセモノぉ!」
 数メートル先で立ち止まり、俺達を指さす。
 まるでアニメから抜け出てきたようなキャラだ。バカで元気があってやたら明るい。
 最後にこんなヤツの夢を見るなんてな……。俺のささやかな夢が、ぶち壊されそうだ。

「アイツは、もう一人の俺……か?」
 ヨリコの後ろにいる男。俺とは似ても似つかないヤツだった。顔だって全然違う。
「そう。本物の……かずき」
 依子はそう言い、男を見つめる。その熱い目に俺は、小さな嫉妬(しっと)を覚えた。

「もーねー! アータ達が変な事をしてくれちゃったおかげで、こっちは大迷惑してんだからねー! ニセモノおにーたんのくせに、全部の並行世界を引き連れて、何もかもぶっ壊されちゃたまんないワケよぉ!」
 ヨリコは怒りながら、また近づいてくる。

 依子は何だか、笑っている。
「アッハハ……ごめんごめん」
 そして依子がヨリコに謝ったりしている。俺はもう、ワケがわからない。
 だがそうしている内にも、俺の身体の感覚が消え去っていくのがわかった。
 ……もう目が覚める寸前なんだ!
 こんなメチャクチャな場面で……。

「なぁ依子。俺は現実に戻りたくないんだ。どうすればいい……?」
「そういう事、あんまり考えないで……」
 依子は未だ上半身しかない姿で答える。
「どうして考えちゃダメなんだ……?」

「アナタの迷いが……直接、私を弱くするからよ。今だってそう。アタシ、もっと再生能力があるのに……全然ダメなんだ」
 依子はぐったりしたまま、動かない。動けない……。

 ●39

「現実に戻っても、どうせスグに警察に捕まって、刑務所にブチこまれるだけなんだろ? だったら、戻りたくないんだよ……! もう俺は、警察に追い詰められてるんだ!」
 そう言う俺を、依子は静かに見つめてくる。
 前に見た、やたら冷たい目……。
「どうしてそんな目をするんだよ……?」
 思わず、そう言わずにはいられなかった。

「せっかく……かずきを食わせたりもしたのに。だったらアンタなんか……、この世界に来なきゃ良かったのに。そうすればアタシはいつまでも……、かずきと一緒にいられたのに」
 依子の恨めしい目。……俺に対する、憎しみの目だった。
 でもそこで、大きな疑問が一つ、氷解したのだった。
「何だよ……俺はかずきじゃなかったのかよ?」

 ――思い出す。この世界に迷い込んだ、殺人鬼の俺。でも殺そうとする度に、どいつもコイツも化け物になりやがるから、俺はパニックになった。
 この世界から逃げ出す方法はないかと、何匹かの悪魔を半殺しにしながら聞いた。……そして「王さま」の存在を聞き出した。
 王さま――かずきという男を殺せば、この世界は消滅すると教えられた。だから俺はかずきを捜して……、そして殺した。

 だがその直後。俺は依子に捕まったんだ。
 そして俺は、かずきを喰う事を強要された。……悪魔のツラをした、依子に。この世界の存続のために、俺はかずきを喰って、「王さま」に仕立て上げられたんだ……。

 今の俺は、「殺人鬼」と「かずき」の、2人の人間が中に入っていたんだ……。
 記憶がおかしいのも、何となく説明がつく。かずきが俺の一部になった時、きっとそこで記憶もメチャクチャになってしまったんだろう……。


「おいこら! いいかげんに観念しろお! ニセモノおにーたんッ!」
 すぐそこまでやって来るヨリコ。そしてもう一人のかずき。ひ弱そうなヤサ男だ。
 俺は笑いを返した。
「ヨリコ。……もう俺の目が覚めちまうぞ。のんびりしてないで、早くやったらどうだ?」

 ●40

「あれ? もう一人のヨリたんは……戦う気、ないの? 起き上がれない?」
 血まみれで上半身しかない依子を、ヨリコは見下ろす。
「ムリでしょ。アンタとアタシは互角だから、今のアタシじゃあ……とても勝負にならないわね」
 そして依子は、ぐでっと寝る。

「……何それぇ。ちょっとひょうし抜けしちゃった。……で、ニセモノおにーたんはニセモノらしく、正々堂々と観念したんだね?」
 くりくりした目でまっすぐ見つめられる。
「正々堂々と観念したよ」
 そんなバカみたいな言葉を返す。

「おい、早くしろって。もういいかげん、時間がねーぞ?」
 首の痛みがどくどくと波打つ。意識が消えかける。
「……早く殺せ! 間にあわねーぞ!!」

「……ごめんね。でも、痛くしないから」
 ヨリコの手がわさわさと、悪魔じみた手になっていくのを見る。

 俺は目を閉じた。

 ややあって、首に凄い衝撃がかかり、バランス感覚を失った。
 ここで俺の世界は終わり……。そして萌えもえヨリコとヤサ男の世界は無事に、生き続けるんだろうかな……。

 強がっていたけど、俺はただひたすらに孤独だった気がする……。
 もっとマシな人生を、送りたかったな。

 弱い自分が嫌で、それを克服して、強くなる事ばかり考えていた。
 でも、人を殺して強くなろうだなんて……それはやっぱり、ゆがんだ考えだったんだな。

(俺が悪かった……)
 でも、もう言葉も出ない。

 ●41

 ふいに頭が軽くなる。
 ヨリコに持ち上げられているんだとわかる。かずきが見ているから、俺にも伝わってくるんかな……?
「はい、あげる」
 目の前に、血まみれの依子がいた。

 怖くて目を閉じたが、ふいに頭をなでられた。
 目を開けると、俺を見て依子は笑っていた。思いもしない、優しい笑顔だった。

「最期に……キスくらいはしてあげる」
 顔を両手で抱えられて、俺の顔はぐっと依子の顔に近づく。

 優しいほおずり。そして、くちびるとくちびるが触れる。
 俺が欲しかったもの。
 それが最期の最期でやっと、手に入ったんだ……。



<了>



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