20話〜39話

 

― 20 ―


 夜。白い悪魔は助手席で眠っている。
 佐々木の影は、指示通り、車を南へ走らせている。だが、高速道路を走っているものだから、料金が気になる。とんだ遠出だ。
 夕方、パーキングで食事をし、仮眠をとったが、また疲れが出てきていた。まして、隣にいるのは親しい友人でもない。緊張感が疲れに輪をかける。
 気になったのが、メリーが唾を飲む音だった。思い立ったように、たまにゴクリ、ゴクリとその喉が鳴る。

 「そろそろね。次で高速を降りて」
 メリーがふいにそう言う。佐々木は「はい」と素直に従う。
 
 十数分後。高速道路の料金所を抜け、影の車は国道に出る。
 「町立の病院ね。このまままっすぐ行って」
 ヘッドライトが乱舞する。町中は込み合っている。

 「……影一匹を殺せばいい。それだけの話なんですよね?」
 佐々木の影はそう確認をとる。
 「そうよ。それだけの話……」
 「どうして、私が必要だったんです? 貴女一人で、充分に殺せる相手じゃないんですか?」
 何度かその問いは口にしていたが、割り切れずにまた問う。
 「戦う、のは性にあわなかったみたいね。人間とならともかく。とにかく、また怪我を負ったりしたくないの。ホント、死ぬかと思ったもの……」
 冗談なのか、メリーは肩を震わせてみせる。

 「ナイフで殺せる相手ですよね? で……、私の手に負えない相手だった場合は、あきらめてもらいますよ?」
 影はそう言う。メリーはやや首をひねる。
 「……わからないわね。別に普通のドッペルゲンガーですから、貴女の手に負えない、とは思わないわ。私の手には負えなかったけど」
 「やるだけはやってみます。で、ソイツを殺したら……、使い切れないだけの大金が、欲しいのですが……?」
 そう言う佐々木の影に、メリーは苦笑を見せる。
 「あ〜……貴女は借金まみれですもんね。いいですとも。じゃあ……、貴女のギャンブル運でも上げておきましょう? 貴女の運はみんな、オリジナルに渡しちゃったのよ。可哀想だから……」
 「そ、そうだったんですか……」
 影は顔を曇らせる。今までギャンブルで勝てないできたのは、そのせいだったというのか……。
 「そう。私に出来るのは、そういうバランスを崩すような話ね。やたらめったら、何でもかんでもできるワケじゃないのよ。神サマじゃないんだから」
 「……はい」
 とにかく、金さえ手に入ればいい。金ではもう、苦労したくない。
 「でも、ギャンブル運をオリジナルから抜いたら、オリジナルはすぐ死んじゃうからね。そこは様子見かしらね」

 メリーはその交差点を左に曲がるよう、指示する。
 「ほら、見えてきた……」
 メリーが指差した先に、佐々木も病院を確認する。
 「ここまで来れば、影の存在を貴女にも感じられるんじゃない? じゃ、私は一足お先に、顔見せに行ってくるわね。憎々しいお方に」
 その言葉の後、メリーは姿を消した。

 佐々木の影は病院を見据えた。





 「テレビ、つまんない……」
 病室内。児玉の影はベッド脇のテレビを消した。イヤホンを取り、枕に頭を沈める。同じ病室内の人達も皆、静かにしている。消灯時間も近い。

 「寝首かかれたら終わりじゃん……」
 メリーは神出鬼没だ。いつ現れるかわからない。とにかく感覚を研ぎ澄ませ、敵の到来をいち早く察知しなくてはならない。でないと、すぐにでも殺されて終わりだ。
 「ひでえ話……眼を付けられたヤツは、おちおち寝る事もできないっての?」
 そう考えると、落ち着かなくなる。

 耳をすます。聞こえてくる足音。看護婦のものだと思いたい。

 ――カツーン。

 やたらと響いたその音。
 影は息をひそめる。

 カツ、カツ、カツ、カツ……
 廊下を歩くその音は、やけに甲高い。
 (……ハイヒール……)
 影はそう確信し、身を起こした。
 右腕のギプス。外し方がわからない。焦る。

 (……本当に来やがったの……?)
 戸棚を探り、携帯電話を取る。何かあったら、児玉に連絡をとるつもりでいる。
 「畜生っ!」
 ギプスを左手で抱え、影はベッドから降りた。窓へ行き、ロックを外して軽く開けておく。そしてドアへ……。

 ――コンコン。
 ドアが外側からノックされた。影は小さく呻(うめ)き、足を止める。

 「児玉さん、面会人が来ています。……貴女の腕を、潰した方だそうです。謝罪に参ったそうですよ?」
 その後、キーキーとした妙な笑いが聞こえてくる。メリーに相違ない。
 影は肩を落とした。

 ギィ、とドアが開かれる。
 「こんばんは〜……」
 真っ白な顔が現れる。影は顔をしかめた。 

 「あのさ……。いいから、大人しく帰ってくれない? もう構わないでほしいんだけどね……?」
 影は身を引き、メリーはずい、と室内に入ってくる。何人かがベッドのカーテンを開けて、真っ白な来訪者を凝視する。
 「あのぅ……腕、潰しちゃってごめんなさいね、痛かったでしょう……? 今も痛い?」
 影はメリーのセリフに険悪な目を返す。
 「ねぇ、右腕が使えないと、不便でしょう? で、もしかして、あんな傷を治せちゃうのかしら、今の医療技術っていうのは?」
 メリーが迫る。影は早くも窓へしがみつき、外へ身を乗り出そうとする。

 メリーは足を止める。
 「私の方も、ちょっとね。血が足りなくてフラフラしているの」
 メリーはふざけて、体を揺らしてみせる。そしてまた、キーキーと笑う。
 「私ね、実は歯向かわれた事が、本当に……無かったのね。だから、貴女の態度には驚かされるばかりでね。そしてまた今回は、自分の弱さっていうのも、イヤというほど身に染みたの。だから貴女を殺すにあたって、私は一人では無理、と判断したの」
 「なに……?」
 感じる悪寒。窓の外。
 下を覗く。駐車場。誰か、立っている。
 「貴女と同じ、ドッペルゲンガーをね、連れて来たの」
 メリーの言葉に、下にいる者が手を振ってみせた。

 影は息苦しくなりながらも、メリーを睨む。
 「あのさ……アタシなんかを殺して……何があるって言うのよ……? メリーともあろう人がさ。アタシなんか、無視してくれりゃいいのに……」
 「私をひどく殴っておいて、よくもそんな事が言えるわね」
 思い出したように。メリーの口から白い血が流れた。
 「あれから……血が止まらないのよ、貴女のせいで」

 ゴクリとその喉を鳴らし、メリーの顔は途端、険悪に歪んだ。
 児玉の影は恐怖に、唇を噛んだ。


― 21 ―


 メリーが迫ってくる。
 児玉の影は右腕のギプスで、メリーを殴ってやろうと構える。多少の痛みは仕方ない。
 「アラ、窓から逃げないんだ? 私の方が勝てそう?」

 穏やかな表情だが、感じる殺意は体を締め付けてくる。
 影は苦しむ胸を叩く。ひどい恐怖に、押し潰されそうだ。
 「誰かっ!」
 影は叫ぶ。室内の人達に、助けを求めるしかない。
 場の緊迫した空気をやっと察したのか、見ていた一人がナースコールのボタンを押す。
 しかし、メリーは笑うだけだ。
 「人を呼んだから何だっていうの? 皆殺しにするだけよ?」
 キーーと、メリーは甲高く叫ぶ。その叫び声に、周囲の人達が怖気づく。ドア近くの者は、室内から逃げ出した。

 ほどなく、看護婦が2人、やってくる。
 「こんばんは」
 メリーがそれを迎える。
 「え……、なに?」
 メリーの真っ白な姿を見て、看護婦らは目をしばたく。
 「やめろっ!」
 影はメリーに殴りかかる。
 しかし、メリーは予想していたのか、くるりと振り向き、余裕の表情で影を迎えた。

 影のギプスを、メリーは左手で跳ね除ける。鈍い音。石膏のギプスにヒビが入る。
 「あぁっ……なんだってのよ!」
 よろけた後、早くも折れたギプスを、影は恨めしそうに見る。邪魔な破片を振り落とす。打撃を受けたせいで、また腕が痛み出す。

 「ちょっと、何ボサッとしてんの?! 殺されたいの?!」
 影は看護婦らと、室内にいる患者らに、逃げろと手振りを示す。それを見てメリーは、さも可笑しそうに笑う。
 「……あらぁ……たった数日間で、ずいぶん性格が変わっちゃったんじゃない? オリジナルの影響でも受けた?」
 「かもね」
 慌てて逃げ出す患者達。看護婦らもわからないながら、廊下に出る。皆、出払い、室内には児玉の影とメリーだけになる。

 「警察とか呼ばれて、騒がしくなる前に帰るわ」
 改めて、メリーの威圧感を前にする。
 ――どうする事もできない。

 戦って勝てる相手などではない。影はここにきて、ひどい弱音に飲まれる。
 「……くそ。なんで殺されるのよ、アタシは……」
 影は顔をしかめて、メリーを睨む。感じているのは、絶望だ。
 そして思わず叫ぶ。
 「誰か助けてよぉおおっ!!」


 その時だった。
 影の背後。開けた窓から姿を見せたもの。
 ……それは、水色の蝶だった。

 メリーは表情をなでおろし、無心に蝶を見る。影もそれに気づき、振り返って、それを確認する。
 「なによこれ……?」

 「どいて!」
 メリーは影に指示する。影は言われるままに、身を引く。ベッドの方へ。
 メリーは子供のように、蝶に意識を傾ける。宝物でも見つけたように、うっとりと見入り、両手を静かに差し伸べる。
 影はベッドを乗り越え、メリーの背後にそろそろと回り、小さく呟く。
 「たわむれてな……ガキ」
 そして素早くドアを掴み、廊下に駆け出た。





 出た先に、患者らと看護婦がいて、影は体当たりを食らわせてしまった。数人、倒れる。
 「何やってんのよっ!! こんなトコにいたら、ブッ殺されんでしょうっ!!」
 そして影は倒れた患者らを尻目に、一目散に廊下を逃げる。そして階段付近まで行き、振り返ってみる。だが、メリーが追って来る気配はない。
 「……何なのよ、ホントに……」
 見た水色の蝶。それが何なのか、影にわかるハズもなかったが、メリーが嬉しそうに見ているさまは不思議でならなかった。 


 そこで――階下から、違和感。
 影は足をすくませる。

 コツコツ、とゆっくり上って来る足音には、人間外の邪気が感じられた。
 (……同類?)
 それが姿を見せる。眼を細め、薄く笑っていた。冷たそうな美人だ。

 「初めまして。同類に会うのは初めてだわ。私は佐々木って言うの。貴女が児玉さんね? ……まだ学生さん?」
 階段を上りきり、それは正面に来る。児玉の半壊したキプスを見て、佐々木の影は問う。
 「もうメリーさんとは戦ったみたいね? 逃げて来たの?」
 「……そうよ。で、貴女は何者? アタシの助っ人だったら嬉しいんだけど?」
 そう言うと、佐々木の影は笑った。
 「残念だけど、そうじゃないわ。アタシはメリーの連れよ。メリーの下僕。……貴女を殺したら、お金の面倒を見てもらえるのよね。アタシ今、結構困ってんのよ」

 「金……? わかんないねぇ……。アタシを殺したら金になるの?」
 児玉の影は目を周囲に這わせる。どこかの病室に乱入してでも、逃げられるなら、逃げたい。それを察して、佐々木の影は眼を据え、苦笑する。
 「なるのよ」
 
 尻ポケットからナイフを取り出し、鞘(さや)から抜き出す……。
 ――その背後には、下り階段。
 佐々木の影が、ナイフを抜き出そうとしている一瞬をつき、児玉の影は体当たりを食らわせた。 


― 22 ―


 「……あぁっ?!」
 一瞬のスキをつかれ、佐々木の影は、児玉の影の体当たりをまともに受ける。
 
 バランスを崩し、頭から落ちる――。
 佐々木の影は身をひねる。児玉の影の眼前に、階段が迫る。腕を突き出す。
 そして2人とも、階段下の踊り場まで転げ落ちた。

 そのまま壁に激突する。
 しばらく、2人は動けずにうめきあった。

 先によろよろと起き上がったのは、児玉の影だった。佐々木の影を見て、素早くナイフを奪う。
 「ざまぁ……ないね」
 そのまま切りつけてやろうかと思ったが、やめておく。同類、という事で仲間になる見込みが無いとも言えない。と算段したのだ。
 児玉の影は痛む体をひきずりながら、階段をゆっくりと降りた。





 佐々木の影は特に左肩を痛めた。骨が折れているかもしれない。
 「くっそ……!」
 起き上がる事もできない。あまりの痛みに、涙が溢れ出る。 

 気づくと階段の上にメリーがいた。
 「蝶……逃げちゃったわ」
 ゆっくりと階段を降りてくる。「あの子は? 逃がしちゃったの?」

 「す、すみません……」
 なんとか起き上がろうとするが、できなかった。
 「骨でも折っちゃったの? 困ったわね」
 メリーはため息をつき、影を見下ろす。だが、邪気はない。
 「ここは丁度病院だし。面倒みてもらって。……ホラ、看護婦も来たようだし」
 騒ぎを聞きつけて来た風で、看護婦らが駆け寄ってくる。

 「それじゃ。私はあの子を追うわ。……ぬけぬけとは逃がさないわ。この場で殺してやる」
 メリーは階段をゆっくりと降りる。その姿は、下の階に下りる前に消えていた。





 児玉の影は非常口から外へ出た。
 夜の冷たい風を身に受ける。
 メリーがいつ来るかわからない。気を抜かず、とにかく逃げる。

 狭い路地の住宅街を行く。
 その途中。メリーが立っていた。真っ白に輝いている。

 「逃げても無駄だって事に、気づかなかったの? 私はどこへでも行けるのに」
 「わかってるよ。あの怖いお姉さんから逃げたかっただけよ」
 影はナイフをかざす。
 「貴女の腕で、私を殺せると思う?」とはメリーの問い。
 「さぁね。わからない」
 「貴女は間違いなく、私に殺されるわ。それでおしまい。逃げるすべは、一切無いの」
 メリーが近寄って来る。それでも児玉の影はあきらめない。ナイフで切り殺す事ができる、と確信している。
 もしかすると、メリーは傷を治癒する事ができないのかもしれない。だから、以前殴った傷で、まだ口から血を流したりする。
 そう。本当に倒せるかも、知れないのだ……。

 だが。体は自然と逃げてしまう。
 メリーが近づいて来る度に、自分は後ろにさがっていく。

 ――メリー。白いメリーさん。
 そんなものとどうして関わってしまったのか。児玉の影は運命を呪った。





 佐々木は飛び起きた。
 ひどい激痛を左肩に受けている。

 「メリー……?」
 急激に起きた今。夢を完全に覚えていた。

 蝶となり、自分は、自分の影を追っていた。
 行った場所。M市M病院……。病院の看板を目にしていたのだ。

 ここはまた、とある旅館の一室。今はふとんで、うたた寝をしていたのだ。起き上がって、枕元のギヤ・バッグを探る。メモを取り出し、回らない頭で必死にメモをとった。
 病院名。――これできっと、近づける。


 事を終え、荒い呼吸を整える。痛む肩をさする。階段から落ちたのを微かに覚えている。自分ではない。自分の影が、だ。
 記憶を整理する。事態は完全には飲み込めないが、メリーと対する者がいた事は理解した。病院の一室にて、殺される寸前だったようだが……、助かったかどうかまではわからない。

 「今から行って、間に合うかな……?」
 突然湧いた決意。場所さえわかれば、タクシーで行ける。金などいくらかかったところで痛くも無い。

 サイフとメモを手に、部屋を出る。
 真っ赤な暗い絨毯の敷き詰められた廊下を行く。やや古びた旅館だ。
 フロント傍。カラオケスナックの入り口付近に、公衆電話がある。
 そして、104をプッシュ。電話番号の案内だ。

 「すみません、M市M病院という所の電話番号を知りたいのですが……。何県かっていうのは、ちょっとわからないんですけど」
 メモをにぎる手が、震えていた。その震えはやや、喜びに似ていた。


― 23 ―


 ギプスの剥がれた右腕が、またズキズキと痛み出す。意識が奪われ、戦意が萎(な)える。
 児玉の影は静かに、「死」を受け入れ始めていた。
 ……戦ったところで、勝てるワケがない。
 苦悶から絶望へ。表情を変化させていく。

 それに気づき、メリーは逆に活気づいていく。
 「アラ、残念ね。……ガラにもなく、心変わりなんかして、私を裏切るからそういう目にあうのよ。おバカさんね」
 「……違うよ。心変わりじゃない。アンタが嫌いだっただけ。……世の中に悪意をふりまけとか何とか、くだらない事でアタシをこき使おうとしたでしょう? それが気にくわなかったのよ」
 「ふ〜ん……我が強いのね。人間の影のくせして。貴女なんか、その存在すら、誰にも認めてもらっていなかったくせに……」
 メリーが近寄る。影は逃げる足を止めた。

 「影なりに、生きてたよ。自由に生きてたわ。くだらない物売ったり、アクセサリー自作したりさ。身体も売ったよ。人も殺したし、恐喝もした。クスリも売ったし、自分でも吸ったし……マヌケな事ばっかりやって生きてきたよ。自分が何なのかもよくわからないままね……。でも……間違いなく、アタシは存在していたんだよ。ちゃんとね……」
 「そう、誰かに認めてもらいたかっただけでしょ?」
 メリーは挑発する。影は自分を抑える事ができず、わめいた。
 「勝手な事ばかり言わないでっ! ……アンタこそ、何よ!! 変な化け物のクセしてっ! ……アンタなんかにこの先こき使われるんなら、死んだ方がマシよっ!!」

 左手でぎこちなくナイフを突き出す。利き腕でもなく、力の入れようがない。戦いにもならない。
 メリーの目に、影に対しての哀れみが浮かぶ。
 「死んだ方がマシ、という言い方は気に入らないわね。どうして苦境を打破しようと思わないの? 精一杯、アタシを殺そうとすればいいじゃない?」
 「……なによ。アンタなんかに説教されたくないわ……バカ」
 「あ、そう……。じゃいいわ。望み通り、ここで殺してあげるわよ」
 メリーの手が伸び、影の左腕を掴む。影はナイフを奪われた。遠くに放り投げられる。
 そしてメリーは影の首を掴んだ。影は目を閉じ、抵抗しない。

 「……本当にあきらめたの? 私の事を蹴り倒したらどう? もしかすると、殺せるかもしれないわよ?」
 影はしばらく黙っていたが、やがてメリーに問う。
 「……アンタは一体、何なの? 何が目的なの?」

 メリーは目を細める。
 「私は都市伝承。私に触れた人間を、恐怖に突き落とすのよ。……昔はね、ただ殺していたわ。でも最近は、それじゃあつまらなくなって」
 「で、アタシらドッペルゲンガーと、オリジナルを摩り替える事を始めたってワケ?」
 「そう。それからもね、色々と模索してたわ。オリジナルがあまりにもすぐ死んじゃうものだから、ちょっと運を良くしてあげたり、ね」
 「結局、アンタは何をしたいのよ? 影を使って?」

 「……ん? そういう人間を増やしていきたいだけ。爆発的に増やそうとは思わないわ。私にたまに触れた人間だけでいい。……でも、私に触れたらその人間はおしまいなの……クスクスクス」
 結局。メリーは人間を弄(もてあそ)びたいだけなのかもしれない。
 「そして影のみなさんには、悪意を振りまいてもらっているの。他人を騙し、陥(おとしい)れ、険悪にあたり……、とにかくね、影のみなさんに好き放題やってもらっているだけ、なんですけどね。元々が悪意の塊ですから、特に指示するまでもないんですけど。……まぁ、貴女のような出来損ないだと、手を焼く場合もあるんですけどね?」
 「あぁ、そうですか……」
 影は、話を続けるか、今すぐにでも殺してもらおうか、悩む。あきらめるのは簡単だ。どの道、メリーを殺せる気はしないし、逃げてもまたすぐ追って来る。逃げようがないのだ。右腕すら怪我を負っていなければ、戦う事を選んだだろうが。
 メリーは楽しそうに続ける。
 「まぁいずれ、影の大半は自滅するんですけどね。人間でいる事に、いずれ疲れるのよ。そして大きな犯罪を犯しておしまい。その程度ね」
 「アナタは影まで破滅させるのね……」
 児玉の影の顔が歪む。
 メリーは、話は終わりとばかりに、影の首を締める力をやや強める。

 「ところで、アタシが死んだら……児玉はどうなるの? オリジナルのアタシは……?」
 「オリジナル?? ……今のままよ。戸籍上の貴女が死んだ、という事になって、オリジナルは永久に行き場を失うでしょうよ。……それだけの事」
 「そう……。それは残念ね……。この先、生きていけるかしらね、あの子?」
 影は苦痛に顔をしかめる。

 「待ってくださいっ!」
 病院の方から、ぎこちない足取りで人影が現れた。佐々木の影だった。
 「……殺すのは、私にやらせてください。せっかくここまで来たんですし……金をもらわないと……」
 メリーは目をしばたいた後、快諾する。せっかく連れて来たので、まかせてみよう、と思ったのだ。
 「いいわよ? でも逆にやられたりしないでね」
 「……まさか」
 そうは言うが、佐々木の影は手ぶらで、しかも体をひどく痛めたままだ。児玉の影は(コイツなら倒せるかもしれない)と口の端を吊り上げる。だが、戦って勝ったところで、もう逃げ道はない。

 「ちょっとやめなさいっ! 何をしてるのっ?!」
 今度は看護婦が3人ほど姿を見せる。その後に警備員が1人、場に現れる。佐々木の影を追って来たのだ。
 メリーが前に出る。 

 「こんばんは。わざわざ死ににいらしたの? こんな所で、巻き添えを食らわなくてもよろしいのに……。ご家族が悲しむでしょうね。ご友人、恋人。子供さんとか? ……可哀想に」
 全身真っ白なメリーの姿を見て、看護婦らが足を止める。警備員が看護婦らの前に出る。
 「ふん。1人くらい殺して見せなきゃわからないんでしょうね……?」
 メリーは真っ直ぐ、警備員に向かう。警備員はこの少女が何なのかわからない。幽霊なのか、と思っている程度だ。
 カツカツ、とハイヒールを鳴らしながら大胆に近づき、ぬっと腕を上げた。
 「うあっ?!」
 警備員は顔を掴まれる。看護婦らは、何が起こるのか予測できずにいる。
 メリーは甲高い叫びを上げた。

 ぐしゃっ……

 血が炸裂する。大量の血。辺りに飛び散り、赤に染め上げた。メリーも頭からそれを被る。
 やがて、メリーの手の平の中で、いびつにひしゃげた警備員の頭から、脳髄が骨のかけらとともにこぼれ落ちた。
 メリーは手を離す。警備員はがしゃりと力なく倒れた。
 
 看護婦らはけたたましい悲鳴とともに、病院の方へ逃げ帰る。
 メリーは児玉の影達の方を振り返る。2人はメリーを見て、アゼンとしていた。
 「何してるの……? さっさとやっておしまいなさいな? この先、借金の無い、貴女のバラ色の未来が待っているわよ?」
 メリーがたきつける。佐々木の影は、血塗れのメリーの姿に圧倒されながらも、素直に頷きを返す。

 その時、携帯電話が鳴った。

 3人とも固まる。やがて鳴っているのは、児玉の影の携帯電話だとわかった。
 「とりなさいよ?」メリーが苦笑する。佐々木の影も苦笑し、首を振る。

 児玉の影は携帯を開く。液晶には、「児玉」の文字があった。
 「……なんなのよ……?」不機嫌そうな声になる。死の間際を変に邪魔されたくはなかった。
 「あ、ごめんなさい……。病院だからマズイかな、って思ったけど……あの……」
 確かに声は児玉だ。影はため息をつく。
 「で、なんなのよ? コッチは今、取り込み中なんだけど?」
 「あのっ! 腕がまた急に痛くなったから……何か起こってないかな、と思って……心配だったからつい……。番号も入れててくれたし、かけてみようかなって思って……」
 児玉に渡した携帯の設定も、影が行っていた。だが、こんなに早い終わりが来るとは思わなかった。
 影は佐々木の影と、メリーを恨めしそうに見て、児玉への声をやわらげた。

 「……ごめんな。もうアタシ、死ぬんだよ。今後、メリーには……見つかるなよ? 元気でな。家に帰れるようなら……帰ってみろ。あの両親なら、うまく説得できるかもしれないぞ……? 人が良さそうだからな……」
 「そんなっ!! どうしてッ!!」
 児玉の叫び。影は震える手で、携帯を切る。電源も落とした。
 少し、涙ぐむ。そして笑いを見せた。

 「アイツには……アタシのオリジナルには、手を出さないだろうな? 殺したって、意味無いだろう?」
 確認のつもりで聞いておく。メリーは冷ややかに返す。
 「邪魔にならない限りはね」

 影はその辺で納得する。
 「じゃ……死ぬか……」
 影は静かにうつむいた。


― 24 ―


 この夜。佐々木を乗せたタクシーは、T県M市へ向け、高速道路を飛ばしている。
 電話で調べてもらったところ、幸いにも、M市M病院というのは全国に2つほどしかなかった。その両方に佐々木は電話をかけ、院内で今現在何か起こっていないかを聞き出した。結果、向かうべきはT県の方だとわかった。電話向こうの声がひどく口ごもったからだ。そこでは確かに、何か起こっている。
 この地よりT県までは、高速で飛ばしても3時間はかかるという。行ったところで、夢の続きは既に終わっている可能性の方が高い。だがせっかく掴めた糸を、佐々木はたどるしかなかった。

 (着くまで、どうにもならないね……)
 抱えていたギヤ・バッグを隣に下ろし、佐々木は眠る事にした。





 「何、突っ立てるのよ? 歯向かって来ないつもり?」
 佐々木の影に言われ、児玉の影は顔を上げる。
 上げた途端、拳で殴られた。児玉の影はよろめく。

 「ナイフどこやったのよ? 一突きで殺してあげるから渡しなさい?」
 児玉の影は首を振る。「どっかやっちゃったよ……」
 目を細め、佐々木の影はまた殴る。児玉の影は膝をついた。
 「……フン。何よその態度? さっき、アタシを階段から突き落とした元気はもう無いの?」
 皮靴で顔を蹴り上げる。たまらず児玉の影は後ろ手に倒れた。

 「はぁ〜あ。やる気の無いヤツ殺すのって、バカみたいにつまんない。歯向かうか怖がるか、どっちかにしてもらいたいもんだけど? そうもいかないようね。ホントに死ぬ気なんだね」
 佐々木の影はいい様に蹴る。児玉の影は抵抗をしない。蹴り具合は次第にヒステリックになっていく。
 メリーがクギを刺す。
 「警察がすぐ来るわ。遊んでないで、殺して」
 「遊んでませんけどね……」

 佐々木の影は足で、児玉の影を仰向きにする。そのノドに、足を乗せる。
 「フン。戦って死ねば良かったのに。……意気地なしね」
 そして、踏み潰した。





 児玉は生まれて初めて、その時、他人の物を勝手に拝借した。
 大型デパート店の自転車置き場から、自転車を盗んだのだ。そして児玉は、自分の影のいる病院まで、無心に走った。

 ――ごめんな。もうアタシ、死ぬんだよ。

 そんな弱々しいセリフが、頭から離れない。
 メリーだ。きっと、白いメリーさんに殺されかけているんだ……。

 あの病院まで、自転車で30分。着いた頃には、なにもかも手遅れになっているかもしれない。
 でも、行かずにはいられなかった。





 児玉は病院に着く。息を切らし、周囲を見回す。そして病院裏の駐車場を見て、思考が止まる。
 ――パトカー。
 赤いライトが、静かに回っている。
 ……静かに……。

 近寄る。
 その場で、動いている人がいない。児玉は自転車を停め、歩き出す。
 パトカーが2台。回り続けるライト。
 車輪の傍に、倒れている警官を見つけた。

 何が起こっているのか、わからない。動いているのは、自分だけ……。辺りを何度も見回すが、誰もいない……。
 いや。道路向こうに、遠巻きに人がいる。やじ馬か。事件は、起こったばかりなのか……。
 怖くて、足の感覚も無くなっていく。アスファルトの地面を、ただ歩いていく……。
 メリーはまだ、近くにいるのか……?

 そして、自分の姿を見つけた。
 倒れている、自分。……自分の影を。


 駆け寄る。 
 「……ちょっと、ねぇっ!」
 血を吐き、ぐったりとしている。顔を覗き見る。……動かない。
 「……そんなっ!!」

 触れられず、食い入るようにただ見つめる。血塗れだ……。
 もう、声も出ない。
 ただ、自分の影の姿を見つめ続ける。
 (……脈……)
 腕をとろうとした時、それが無くなっているのに気づいた。切り落とされていたのだ。
 (……そんな……)
 呆然とする。信じられない。


 (メリーに……)
 目をきつく閉じ、考える。
 (メリーに……殺されたんだ……)

 髪を掻き分け、その横顔を見る。
 喉が、潰されていた。

 「……お、姉ちゃん……!」
 たったひと時交わした約束。たったひと時の夢。姉と、妹……。
 胸が押し潰される。
 そして児玉は嗚咽を始めた。
 「あらぁ?! 自分の影が死んで、泣くオリジナルなんているんだぁ? 不思議ね〜……」
 後ろに立っていた者。それは長身の若い女だった。
 「その女を殺したのは私よ」
 そう言われ、児玉は凍りついた。

 「どうして……こんな事を?」
 悲痛に、睨む。佐々木の影はナイフを突き出した。
 「殺したかったからに決まってんでしょ〜? ……なんてね。メリーさんに頼まれたのよ、コイツを殺す手助けをして欲しいって。もっとも、アタシの手助けなんか必要なかったようだけど?」
 「どうして……殺されなきゃ……ならなかったの……」
 ぼろぼろと涙がこぼれてくる。胸が苦しくて、倒れ込んでしまいたい。
 「メリーさんに歯向かったからでしょ。……ねぇ?」
 ギクリとして振り向くと、そこに血塗れのメリーが立っていた。
 「……児玉さん? 身内が殺されてお気の毒にね。でも、貴女がわざわざこうして来て下さるんでしたら、もう少しこの子を生かしておいてあげるんでしたわ。最期の言葉くらい、交わさせてあげられたのに……」
 メリーの姿はまるで悪魔だ。児玉は顔を上げられない。
 「誤解しないように言っておきますけど、この子を殺したのは、そこの佐々木さんよ。佐々木さんのドッペルゲンガー、なんですけどね」
 児玉は黙って、うつむいたままだ。
 どうする事も、できない。このまま殺されて、自分も終わるのか……。

 「心配しなくても大丈夫。貴女は殺しませんから。貴女の影とのちょっとした約束ですからね。……いいでしょ、佐々木さん?」
 「別に」
 佐々木の影はナイフを鞘(さや)に戻す。

 メリーは足を引く。
 「貴女にね、戦うチカラがあれば、カタキ討ちもできたでしょうけど。残念ね……さよなら。この先すぐ、のたれ死なないようにね。クスクスクス……」
 佐々木の影も立ち去る。
 「今のウチしかないんじゃない? メリーさんに早いトコ、ギャンブル運でも上げてもらったら? 頭下げてさ、頼みなよ。アハハッ」
 児玉はへたり込んだまま、動けない。2人の背を見送り、そして影に向き直る。

 「お姉ちゃん……どうすればいいの……?」
 溢れ出る涙を何度も拭い、児玉は影に問う。
 返事はない。


 サイレンを鳴らし、また新たにパトカーが来た。
 児玉はそこから逃げた。


― 25 ―


 「逃げても追われるでしょうね。また殺しましょうか?」
 院内の駐車場から、佐々木の影が車を出そうとした折、その場にパトカーが続々と乗りつけて来た。

 メリーは、顔にかかった血をあらかた拭き終え、タオルを佐々木の影に返す。その白い体を染めた、血の色は変わらない。
 メリーは助手席から降りる。
 佐々木もナイフを手に、車から降りる。「……今夜は楽しいね。なかなか終わらない」
 二人は笑い、パトカーの群れへと、並んで真っ直ぐに歩いて行った。


 新たに来たパトカーは三台。遅れて、救急車も二台ほど駆けつけて来る。
 だが、事態を正確に知らされていなかったのか、顔を出した警官らは全て、無防備同然だった。
 「死んでますっ! あっちにも!」
 ここに来て、警官らが殺されているのを目のあたりにし、騒ぎ始める。やじ馬が少しずつ、周囲に集まり出してきていた。

 「ねぇ……助けて……!」
 メリーは悲壮な表情で、警官らに訴える。
 「な、なんだ……? 白い……??」
 メリーを見た警官らは幽霊か、と思う。血だらけ。そしてドレス姿だ。何があったのかは、全く推測できない。
 メリーはどさりと警官の胸に飛び込む。「助けてぇぇ……。私、怖かった……」
 警官はわからず、抱きとめる。
 「あぁ、わかった。……一体、ここで何があったんだ?」
 言いながら、メリーの光る白い髪に見惚れる。血を被って、痛々しい……。

 佐々木の影は、背に隠していたナイフを前にかざす。
 「メリーさんてば……ふざけるの、よしましょうよ……」
 苦笑しながら、別の警官の顔面を、ナイフで真横に切った。ほとんど殺意も見せずに。


 「ぎゃぁあああっ!!」
 顔を切られた警官がわめく。同時に他の警官達が、警棒や拳銃に手をかける。

 「……アァ、拳銃はダメよ? 危ないから」
 メリーは、抱きついていた警官の首に両腕を伸ばし、一息に折り曲げる。そしてその身体を抱え上げ、他の警官らに投げつけた。
 警官らがうろたえた一瞬を突き、それらの腕を次々に、素早く握り潰す。

 一方的な殺戮。
 佐々木の影も手馴れた手つきで、警官らの顔を切りつけていく。顔を先に狙うのが効果的、との狙いがあるのだろう。

 「だぁれも逃がさないよ〜……」
 パトカーの奥で、車に再度乗り込み、逃げようとした救急隊員ら。佐々木の影は、タイヤの前輪を切りつけ、パンクさせる。逃げる隊員らを、メリーが押さえつける。
 佐々木の影は順々に、全ての車両のタイヤを数本ずつ、パンクさせた。メリーは嬉々として、隊員達も血祭りにあげる。千切れた腕や頭が飛ぶ。

 その場にいる全員を血の海に沈めた後、佐々木の影は改めて周囲に眼をやる。
 「やじ馬が見てますね……。また警官来ますよ、きっと……。キリが無いんじゃないですか……?」
 そうメリーに問う。
 「そうね……。もう帰りましょうか?」
 メリーは思い立ったように血を吐き捨てる。
 「……大丈夫ですか……?」
 佐々木の影は驚いて見る。
 メリーは苦笑する。
 「……違うわよ。今やられたんじゃないわ。さっき貴女が殺した子……児玉さんの影に、以前やられた怪我よ。それをまだ、引きずっているだけ」
 「怪我を引きずって……?」
 「そう。私ってどうやら、自然治癒能力が無いようなのよね……。まぁ特に困りゃしないけどね。やられなきゃいいだけだから……」
 そして佐々木の影の背を押す。メリーはすっかり、佐々木の影に気を許している。
 「……気を付けて下さいよ……」
 二人は車に戻っていく。

 その時、背後から銃声がした。





 よろめき、倒れたのは、メリーだった。

 バタリとうつぶせ、顔を驚きで凍らせている。
 「ウソでしょ……アタシを……?」
 その背を焼く痛み。こぽり、と音を立て、腹から血が流れてくる。真っ白な血が。

 再度、銃声。
 「あうっ!!」
 呆然としていた佐々木の影も、撃たれる。
 右足だった。ふとももを撃たれ、その場で転げた。ナイフを取り落とす。


 警官が、同僚の死体の中から、よろよろと立ち上がる。片目を失っている。両腕で拳銃を構え、足をガクガクと震わせながらも、メリーらに近づく。
 メリーは言う。
 「……警告も……、威嚇発砲もなしだなんて……ちょっとひどいんじゃないの……?」
 そして苦しげに笑う。日本の警察では、拳銃を使用する際、事前警告と空砲での威嚇発砲を義務づけられている。だが、緊急時と判断した場合はその限りではないのだが。

 残った右目に恨みを込め、警官はメリーらを見下ろす。
 このまま、撃ち殺したい。……だが、それはできない。周囲にも、目がある。
 「誰か! いないか! 応援を至急、呼んでくれっ!!」
 生き残っているかも知れない同僚と、やじ馬にそう叫ぶ。
 
 拳銃をしっかりと、交互に向ける。
 白いドレスの少女。そしてもう一人の女。血の色がそれぞれ違う……。
 しばらく見惚れていたが、意識を一瞬取り戻し、女の足元に転げていたナイフを、遠くへ蹴り飛ばす。そして改めて、顔の左半分を襲う、気が狂わんばかりの痛みに呻き声をあげる。
 黒い方の女を見る。足に一発では、弱いかもしれない。もう一発、撃つべきか?と考える。

 ――ハァ、ハァッ……
 自分の呼吸の荒さにより、思考がまとまらない。
 ナイフでえぐられた顔半分。ずきりずきりと、左目がうずく。眼球を断ち割れたかもしれない。――失明。そんな事態に、涙が出る。
 慌てて右目をきつく絞る。視界の確保が最重要だ。自分はまだ生きている。マシな方だ……。

 だが、ぐらりと。足が崩れて、慌てて起き直す。
 何が起こった? ……頭の中が、まとまらない……
 警官はぐるりと頭を回す。立っていられない。
 そうか……血のせいか? 寒いもんな……寒い……


 やがて、拳銃を構えていたその警官は、両足を折り、そこに倒れ込んでしまった。
 佐々木の影がニヤリと破顔して、起き上がる。
 「……ふん。よくもアタシを……拳銃なんかで撃ってくれたわねぇ……!」
 歯をくいしばり、四つんばいになって警官に這いよる。そしてその手から拳銃を奪った。
 右足を震わせながら、起き上がる。
 「お、お返ししとかないと……ね」
 
 拳銃を眺めるが、決して複雑な構造ではない。銃の尻にあたる部分のハンマーを引き起こす。映画などで見た通りだ。
 そして警官の頭に銃口を向ける。
 「……へっ……勇気のある坊やだった事……」
 佐々木の影は容赦なくトリガーを引いた。

 乾いた音。
 警官の頭に、穴が空く。追って、大量の血が流れ出た。

 「簡単なもんね……」
 今度はパトカーに向け、一発。
 ドアに当たり、鈍い音を残す。

 「アラ、面白い……」
 そして二度、三度と試し撃ちするも、すぐ弾が切れてしまった。警官の持っている銃は、空砲一発の他、全五発しかない。
 「せっかくだから拳銃、もらっちゃおうかな〜?」
 足を引きずりながら、他の警官達の銃を奪おうとする。
 だが、倒れたままのメリーに目がいき、先に様子を見る事にした。


 「あの……メリーさん……?」
 脇にひざまずく。
 ごぷり、と血を吐いている。目はうつろで、何も見ていないようだ。

 「こんなところで死なれても困るんだけどね……。せめて金、何とかしてくれません……?」
 肩を揺さぶる。メリーは視線だけ、佐々木の影に向ける。
 「……イタイ……」

 佐々木の影はため息をついた。
 「そりゃそうでしょうけど……貴女にこのまま死なれたら、アタシ馬鹿みたいじゃないですか……何とかしてもらえません?」
 ふと湧いた、メリーを蹴り上げたい衝動をこらえる。

 「……ア……」
 メリーの目が虚空を見て、しばたく。佐々木の影は背後を見る。
 そこにまた、水色の蝶が舞っていた。


― 26 ―


 「……ねぇアナタは、アタシのオリジナルなの? いつも、何のために出て来るワケ?」
 言いながら不思議と、佐々木の影は気持ちの高揚を感じている。この蝶を見ていると、何だか気持ちが湧き立ってくるのだ。
 うつ伏せているメリーも、同様に感じている。知らずと口元には笑みが張り付いている。

 やがて、メリーが言った。
 「アナタは……私ともつながりがあるようね」
 そして、苦しげに立ち上がる。
 「あ〜お腹痛い……」
 佐々木の影はぎょっとする。やはり、メリーは不死身なのか? と。
 メリーは佐々木の影に視線を返す。そして軽い苦笑。
 「驚かれても困るわ。化け物なのは、お互い様でしょうに……」
 そして腹を押さえながら、ややよろけつつ、蝶の元へ行く。痛いのは本当らしい。
 「ねぇ、アナタ……アナタは、私のオリジナルを知っているわね?」
 そう蝶に問うが、驚いたのは佐々木の影である。
 「……オリジナル? メリーさんの……??」

 メリーは答えない。代わりに、蝶への質問を続ける。
 「聞こえているかしら? アナタは本当に佐々木さん? もしそうなら、飛び方をちょっとだけ、変えてみてくださらない?」 
 じっと二人は蝶に魅入る。やがて蝶は空にすうっと舞い上がり、そして再び戻った。メリーが破顔する。
 「……ありがとう。素直ね。で、アナタは私のオリジナルの事は知らないのね?」
 蝶は宙を動かない。

 「ならいいわ。次。アナタは、私達を見ている」
 蝶はまたすいと、宙を泳ぐ。
 「アハハ。なかなか素直ね。……で、ここがどこなのか、わかる?」
 また泳ぐ。
 「……わかる。そういう事は、この場所を知っているか、わざわざ調べたかのどちらかね」
 メリーは蝶を見つめながら考え込む。
 ふいに、蝶は人間の言葉で短く呻きをあげる。その姿が消えかける。

 「あぁ! ちょっと待って! 佐々木さん、もしかして、ここに向かっている途中? そんな事はないかしら? でももしそうでしたら、アナタの事を待っていてあげたいんだけど?」
 蝶は呼応し、円を描いてみせる。
 「アハハ! あぁそうなの。そうなんだ……。わかったわ。せっかくですから、待っていてあげる。……それで、私達をどうにかする勝算はある?」
 蝶はその場で羽ばたくのみだ。
 佐々木の影は、蝶が自分のオリジナルが見せているものだと確信し、高揚しながらも、新たな敵意をつのらせていく。
 ほどなく、蝶は消え去った。


 メリーは佐々木の影を鋭く見る。
 「アナタ、オリジナルと会ったらどうしてやりたい?」
 「殺します」
 影の即答。メリーは可笑しくなる。
 「それじゃあ、アナタも死ぬんですけど……?」
 「構いませんよ。今後生きたい、という意思より、オリジナルを殺したいという気持ちの方が、我々ドッペルゲンガーには強く刻まれているんです。……二流ならいざ知らず」
 佐々木の影は警官らの死体に近づく。
 そして拳銃を二丁、手にした。弾の装填方法までは知らない。拳銃に入っているであろう、弾十発で良しとする。

 「イタタタタ……」
 思い出したように、メリーは腰を折り、また痛みに呻きだす。立っていられなくなったのか、また横になる。
 「……こんな時こそ、私の役に立ってくれるかしら……?」
 メリーは、胸元からペンダントを引き出す。佐々木から貰った、エンジェル・ダスト入りのペンダントだった。
 「わかってるわ。これは麻薬よ。痛み止めくらいには……なってくれると信じたいわね……」
 震える指で、ペンダントを開ける。中から、指先に乗る程度の小さな袋を取り出す。白い粉が詰まっている。
 少しだけ手の平に乗せ、なめた。そしてまた、袋をペンダントに戻す。

 佐々木の影はもう、メリーが眼中にない。拳銃を手にし、また撃ってみたい衝動にかられる。オリジナルが来たら、これでめった撃ちして殺してやりたい、と願う。
 やじ馬を見る。
 辺りは外灯に照らされてはいるが、やじ馬達まではまだ距離がある。顔をはっきりと見られた心配は少ない。だが、それらはだんだん近くに集まってきている。気づけば、写真を撮っている者もいた。
 それらへ向けて、一発撃った。

 悲鳴。何にも当たらなかったようだ。だが、やじ馬は大きく弾けた。


 「キャーッハッハ!!」
 突然の奇声に、佐々木の影はぎょっとする。
 メリーが、悪魔の形相でゲタゲタ笑っている。何が起こったのか、と身震いする。

 「クケケケケ……! 気持ちいいわぁ〜! ホント、なんていい気持ちなんでしょう?! んねぇ?! 私なら、空を飛べると思いません?」
 そしてメリーは両手を空にかざし、背伸びする。
 「すてき……」
 メリーはうっとりし、また顔を佐々木の影に向ける。その眼が血走っていた。
 「ねぇ、佐々木さん。アナタは、誰かに操られているわね? 誰か。そう、それは私のオリジナルに、よ。ウフフ?」
 佐々木の影は、黙って聞く。
 「その蝶は意味のある彫り物だわ。そうよ、それは彫り物だった。えぇ、そうですとも。アラ? 私が彫ってあげたんでしたっけ? いいえ、あのババアが彫ったのよね? クフフフフ……」
 そしてメリーは途端に表情を変え、泡を噴いた。佐々木の影は顔をしかめる。あまりにもメリーの態度が不可解で、話している事も理解不能だ。何かの拍子に狂い、自分をオリジナルと勘違いして、話しているようだが……。
 今度はアゴをガクガクと言わせながら、影に近づく。
 「んねぇ……もっとこの粉欲しい……これ、すごくイイ……ずっと欲しい……」
 影の肩に両手を乗せ、そのまま抱きつく。影は突き飛ばしたいのを必死でこらえる。だが、間違って噛みつかれでもしたら……と、気が気でない。

 「あの……メリーさん? 少し休まれた方が……。とにかく、この場を離れましょう? すぐまた警察が来ますよ?」
 メリーは子供のように首を振る。
 「やぁだぁ〜……佐々木さんに会いたいよぉ〜……。このクスリの事も聞きたいし〜……」
 そしてずるりと影の肩から手を外し、へたり込む。影はため息を一つ、ぐったりしているメリーを見る。
 今度は座ったまま、寝入ったマネをしている。
 影はその頭に、拳銃を突きつけてやりたくなった。





 高速道路から、国道にタクシーは降りる。
 佐々木は目を覚まし、途端に襲い来る、右足に受けた痛みに顔を歪める。
 額の汗をぬぐい、心を落ち着ける。
 痛みにこらえつつ、何とか夢を思い起こす。右足のももの痛みは、自分の影が拳銃で撃たれたものだ。影とは、もう一人の自分。だからこそ、ひどい痛みは共有するのだろうか?
 ――蝶となって見た夢。次々と殺されていく、警官達。数台のパトカー。やじ馬の群れ。……そして、メリー。

 車窓からは、M市である事を告げる、看板の群れが見える。M市M病院はもうすぐだろう。
 佐々木は焦る気持ちを抑える。そしてまた、自分は何をしたいのか、ここに来て考える。
 ――メリーに会いに行く。メリーの居所がわかったからだ。そしてまた、さっきの話しあいで、メリーは確かにこの自分を「待つ」と言った。……だからきっと、会えるだろう。
 しかし、問題はその後だ。会ったからと言って、自分は素直に元の生活に戻してもらえるのか? 会えば、何かが解決するのか?
 それとも、ただ殺されに行く事になってしまうのか……、わからない。

 (危ないと思ったら、逃げりゃいいじゃん……)
 どんな窮地(きゅうち)に陥ろうが、きっと何らかの逃げ道はある。それは今まで生きてきた中で、感じた事だ。逃げ道が無いのなら、あきらめるしかないのだが。
 メリーに殺されそうになっても、きっと何か上手い手はある。こうして今まで野放しにされてきたのは、殺す理由がなかったからだ。だったら今度も、上手く言い逃れできる可能性はあるだろう。
 (まぁどの道、このくだらない放浪生活にも、おさらばしなくちゃって思ってるんだけど……)
 ギャンブルのツキだけで生きる毎日。それがこの先何年、何十年と続いたところで、同じ事を繰り返すだけではないのか……。戸籍も名前も無く、自分は今まったく、世に存在意義がない。この先生きたところで、幸せが待っているとはとても思えない。ひどい孤独に震え続けるだけなのだ……。

 「お客さん、そろそろですよ〜。お疲れでしたね〜」
 タクシーの運転手が間延びした声を上げる。
 「は〜い」

 ……だが、こんな何もない現実に、今確かに生きている。
 佐々木は微笑んだ。


― 27 ―


 とぼとぼと、児玉は暗い路を行く。
 夜も更け、スーパーやガソリンスタンドなど、周囲の店の明りは大分消えている。遠くにコンビニと、パチンコ店などの明りがぽつぽつと見えるのみだ。アテもなく、それらの明りへと吸い寄せられている。

 「痛い……痛いぃっ……!」
 児玉は泣きながら、右手の付け根を抑える。児玉の影が切断されたところだ。耐え切れない痛みが今になり、ぎりぎりと児玉を襲う。
 ため息を大きく吐き、ぼろぼろと泣く。立っていられなくなる。でも、こんな暗い所はイヤだ。児玉は無理に、歩く。

 「ごぼっ!!」
 数歩歩いた先。ふいに喉が締めつけられた。呼吸ができなくなり、児玉はあえぐ。
 足を震わせ、よろめく。何も見えなくなる。とうとう立っていられなくなり、その歩道に膝をついた。


 しばらくの後、やっと呼吸が胸に戻る。
 汗。疲れた顔でぬぐう。
 へたり込んだまま遠くの明りを涙目で見つめ、児玉は呆ける。

 ――これから、どうすればいいの?

 もう、お金もない。頼れる人もいない。自分には帰る家もない。何もない……。
 「お母さん……」
 ふいに口を突いて出る、弱音。
 「お母さん……!」
 制服のスカートに涙が流れ落ちるほど、児玉はひどく泣く。
 「……もうダメだ……どうにもならないよ……」
 この先、生きられない。金が無くなれば、どこにも泊まる事ができなくなる。何かを食べる事すら、できなくなる……。
 「……あきらめようよ、もう。……しょうがないよ……あきらめようよ……」
 遠くの明りを見つめ、わななく。
 ……助かる道。それはどこにあるんだろう。
 頭が回らない。今はもう全てを拒絶し、全てを悲観的に見てしまっている。
 ――自分にはもう、生きるチカラが無い……。

 そんな時、携帯電話が鳴った。


 胸が締め付けられるほど驚く。
 呼吸を整えるのに数秒。児玉は震える手で、ポケットからそれを取り出し、ぎこちなく開く。
 ――非通知。不安がよぎる。
 「……もしもし……」

 「見ちゃいられなくなってね。電話させてもらったよ、児玉ちゃん……」
 ゆっくりとした、かすれ声。記憶にない。児玉は電話にしがみつく。

 「誰?! ……誰ですか?!」
 「……誰だっていいさ。アタシなんかね。ただちょっとばかり、放っておけなくなっただけだよ」
 声の主は、老婆だった。だが、児玉には心当たりがない。
 老婆は、フーとため息をつき、ゆっくりと話を続ける。
 「あの悪タレも……随分と惨(むご)い事をし始めているようだし……いずれ警察にでもとっ捕まるかと思っていたけど、なかなかしぶといようでねぇ……」
 笑い声の後、何度かむせる。児玉は話の内容がさっぱりわからなかったが、無心に聞き入る。

 「……いいかい、児玉ちゃん。アンタと同じ境遇の女がいる。佐々木って女だ。ソイツがね今、あの病院へ向かっているんだよ。もう着く頃だ。……その子にね、アンタは必ず出会う必要があるよ」
 「……佐々木さん……ですか?」
 
 「……そう。その佐々木ちゃんに守ってもらいなさい。でないとアンタなんか、明日あさってにでものたれ死ぬだろうね……。金も無いだろうしさ。……まぁ女を売る覚悟があるんなら、まだ先、生きていけるだろうけどさ?」
 そう聞き、児玉は黙り込む。老婆はヒャハハと笑いを上げる。
 「だからさ、死にたくないだろう? じゃあとっとと病院へ行くんだよ。その辺ほっつき歩いてないでさ。……大体ね、アンタはムダな動きが多すぎる。悲劇のヒロインに浸るのも、その辺にしとくんだね」
 「……はい……」
 電話向こうの相手が誰なのかわからないまま、児玉は聞き続ける。

 「佐々木ってのはね、アンタの影を殺した女と、瓜二つの女だ。間違えるんじゃないよ、カタキじゃないからね。アンタはソイツに頼らなきゃならない。アンタと境遇は一緒だ。ワケを話せばきっと、助けてくれる」
 ――境遇が同じ。それがどういう事なのか、児玉は考える。メリーに会い、影に自分の生活を乗っ取られたという事か……。
 「まぁ、おせっかいはこの辺にしとくよ。後はアンタらでやりなよね。まぁ今回はたまたま、アンタの番号を調べる事ができたから、電話してみよう、だなんて思い立っただけでね。まぁ、このババアのおせっかいが、ちょっとでも役に立つ事を祈ってるよ……それじゃ」

 電話が切れる。
 しばらく児玉は呆然としていたが、やがて足を病院の方へと向け、駆け出した。腕や喉の痛みは、もう気にならなくなっていた。





 「あの、メリーさん……。そんな事をして、何になるんですか……?」
 佐々木の影は苛立ちをつのらせ、メリーをきつく見下ろす。
 さっきから挙動不審の、このふざけたバカなガキを殺してやりたい。でも、それは金の都合をつけてもらってからの話だ。
 金だ。金が欲しい。ギャンブル運じゃなく、現金がいい。できる限りの大金だ。札束。体がうずもれるほどの札束……。佐々木の影は夢想し、知らずと笑みを浮かべ始める。今までの苦しい借金生活とはこれでオサラバできる。……無論、このメリーにそんなチカラが無いとわかったら、その時点で殺すだけだが。

 「ウソでしょ……?」
 メリーは正気に戻り、目をむく。
 その手には、血塗れの携帯電話を握っていた。前にしているのは、放置したままの、児玉の影の死体である。
 勢いよく立ち上がって、携帯電話を足元に叩きつける。
 「あのババアアアッ!! また私に何かさせたわねーーッ!! キィイイイイーーーッ!!」
 頭を掻き毟り、メリーはヒステリックな叫びをあげる。佐々木の影は首をかしげる。

 「一体、何だっていうんです……私には理解できませんね……」
 「あ〜そうでしょうとも! アナタにはわからないでしょうよ!!」
 そう吠え、メリーは歯を剥き出して怒る。それからしばらく、影も声をかけられない。

 児玉の影の死体と、壊した携帯電話を見つめ、メリーはゆっくりと落ち着きを取り戻していく。
 「あのババアは……私に、何かを調べさせた。私の意識が飛んでいるスキにね……」
 大きなため息を一つ。メリーは敗北感に飲まれ、肩を落とす。
 「それは、誰の事です?」影が問う。
 「あのババアっていうのは……私のオリジナルの事よ。白いメリーさん、と呼ばれた老婆ね」

 「老婆……? 白いメリーさん……?」
 「えぇ……。いい年して真っ白な衣装で着飾って、真っ白なお化粧をした老婆。……横浜にいる、有名人よ」
 「横浜? ですか……」

 「この私のオリジナルなのよ、ソイツは。私はソイツの、ドッペルゲンガーにすぎないの……」
 そんなメリーの言葉に、佐々木の影は目を剥いた。


― 28 ―


 「あれ? 何でしょうね。やじ馬がいっぱい……? 何かあったようですねぇ……」
 運転手に言われて、佐々木は身を乗り出し、前方を見る。病院に面した道路両端。そこに車のヘッドライトやテールランプが溜まっている。人だかりも見える。
 「何だか嫌なカンジね……」
 シートにもたれ掛かる。多少の動悸の乱れ。すぐそこに、危険が待ち構えている。だけどそれを承知で、遠乗りしてわざわざここまで来たのだ。今更、怖気づいても遅い。
 ギヤ・バッグを掴み、金を取り出す。
 「おじさん、もうここでいいよ。いくらかかった?」
 「はいはい、え〜ちょっと待って下さいよ……」
 タクシーは速度を緩め、路肩に着く。電卓を取り出したりしている。
 「え〜とですね。高速代等全て含めて、58165円になりますが。……大丈夫ですか?」
 「うん、大丈夫だよ。ありがと」
 佐々木は札を余計に出して握らせ、降りた。
 「お釣り取っといて。わざわざ遠くまで、ありがとうございました」
 そしてペコリとお辞儀してみせる。
 「あ〜そうですか〜? 毎度〜」
 上機嫌の笑顔を見せ、タクシーはUターンして戻って行く。やじ馬の集まりに、ヘタな興味を持たないその判断は、賢明と言える。

 「……ふぅ!」
 四斜線の道路を挟み、佐々木は歩道から、病院を見上げる。M市M病院。入り口の看板がそう告げている。
 そして植え込みに囲まれた駐車場。そこで何か起こっているらしい。植え込みのスキマから、やじ馬達は中の様子をうかがっている。
 その時ふいに、銃声が走った。ギクリとして身体を硬直させる。

 ――銃。
 そんな物が出てくるとは思わなかった。撃ったのは、警官だろうか?
 やじ馬が大きく弾ける。騒ぎたて、笑っている者もいる。お祭り気分の様だ。
 佐々木はバッグから、ナイフを取り出す。サバイバルナイフだ。一振りで、人間の腕を骨ごと切り落とすぐらいの威力があるらしい。宣伝の誇張かもしれないが。どの道、あまり褒められた所で買った物ではない。
 ナイフを片手に、ギヤ・バッグを背負い、事件の只中(ただなか)へ歩み寄る。
 病院の駐車場脇。歩道から、植え込みごしに中をのぞく。赤いパトライトの乱舞。パトカーが数台、乱雑に停まっている。
 広い駐車場内。数十メートル向こうに、人影が見えた。……女だ。

 動いている警官の姿は見えない。
 何が起こっているのか、把握できない。あの女は何なのか。メリーはどこにいるのか……。
 女を凝視する。やや外灯に照らされているが、遠くて顔形までは見えない。
 ――その時ふいに、後ろ手にナイフを奪われた。驚いて振り向く。


 「佐々木さぁん……私、こんな痛そうなので切られたくないなぁ……?」
 ニコリと笑みを見せる、白いドレス姿の少女。上半身に乾いた血がこびりついている。
 メリーだった。


 「うわあっ!!」
 よろけて倒れそうになる。
 近くにいたやじ馬が騒ぎ出す。「うわあっ!! コッチに来たぞおっ!!」
 この少女の殺戮具合を見ていた者達は、我先にとその場を逃げる。
 ……だが、佐々木は逃げられない。逃げても意味がないのを、直感で悟る。
 「お返しするわ」
 メリーはナイフの柄をくるりと向け、佐々木に差し出す。
 佐々木は素直に受け取る。

 駐車場内で、また銃声がした。金属音。パトカーを撃ったらしい。
 撃った女は楽しげに笑いをあげる。メリーは苦笑し、佐々木を見る。 
 「今、向こうで楽しそうに銃で遊んでいるのは……、アナタの片割れよ。わかるでしょ、ドッペルゲンガー。アナタを殺そうとやっきになってるわ」
 「ドッペルゲンガー……?」
 そんな単語に、佐々木は夢を感じる。現実感をそこで失った気がした。

 「そうよ。アナタがここに向かっていると知ってから、大はしゃぎよ。殺したくて、仕方ないんですって……」
 そう言うメリーには、自分への殺意が感じられない。佐々木は落ち着きを取り戻す。
 そこでメリーは思い立ったように、腹を抱えて足を折った。その足元はいつしか、メリーの血で真っ白に濡れていた。

 バッグを下ろし、佐々木はナイフの切っ先をメリーの頭上に向ける。メリーは動じない。
 「ねぇ……アンタ達をやれば、アタシは元の生活に戻れるの?」
 メリーは答えない。
 「……戻ってもしょうがない気がするけど……でも、あの女だけは放っておけない。アタシの顔してるんでしょ、アイツ……」
 そして駐車場を見やると、女の姿はそこに無かった。
 ……焦って探す。女はパトカーの近くにいた。警官の死体を探っているようだ。佐々木は首を振る。

 向き直ると、メリーはひざまずいて丸くなっていた。震える指で、胸元のペンダントを引き出す。ロケットを開け、小さな袋を取り出した。
 「……そんな物、まだ持ってたの? 麻薬よ、それ」
 「わかってるわ……」
 メリーは粉を手の平に少量だけ落とし、残りをまた大事そうにしまい込む。そして、粉を舐めた。
 「バッカ……」
 佐々木は呆れる。
 「ちょっと休ませてもらうわね、佐々木さん……疲れちゃって……」
 メリーは静かな微笑みを見せ、その場に横になる。やがて目を閉じた。


 「何だか全然、わかんないね……」
 寝ているメリーを、ナイフでどうこうするのも気が引ける。
 佐々木は植え込みごしにまた、女を探す。

 そこでまた派手な銃声。立て続けに何発も撃っている。その度に、佐々木は顔をしかめる。凄い音だ。
 「やりたい放題しちゃってさ……警官まで殺すだなんて最悪ね」
 右手には心細いナイフが一本。見つめて苦笑する。
 ――だけど、ここまで来たからには、やるしかない。

 佐々木は叫んだ。
 「コラああッ!! そこのアタシイイッ!! 今そこに行ってやるわっ!! 待ってなさいッ!!」
 バッグをかついだまま、佐々木は歩道を駆け、駐車場内に回り込んだ。


― 29 ―


 佐々木の影は笑みをもって、佐々木を迎えた。
 「……そう。アナタがアタシのオリジナルか……」
 値踏みするように、佐々木を見る。
 「もっと近くに来てよ。顔が見えないわ」

 佐々木はナイフを握ったまま、ギヤ・バッグを足元に落とす。
 「やだよ。アンタ、物騒な物持ってるみたいだし。死にたくないもんね、アタシ……」
 影は笑う。
 「今更、何言ってるの? わざわざ死にに来たんじゃないの? ……アタシのために」
 右手の拳銃のハンマーを起こす。左手の銃をゆっくり足元に置く。そして両手で銃を構えた。
 佐々木はゆっくりと後ずさる。
 「……冗談じゃないよ。アタシは生きようとして、ここに来たの! いつまでも、意味のない生き方を続けていたくなかったから。……ここで今死んだら、アタシの人生何だったのかわからないわ」

 「アンタの人生? ……何よ? 何か大きな事でもやり残してるの?」
 そんな問いに、佐々木は首を振る。
 「何もして来なかったから、何だったのかわからないのよ。ギャンブルしかして来なかったから……」
 「は? ……ギャンブルですって?!」
 影は目を輝かせる。「……あぁそうなんだ? やっぱり同じ人間だからなのかしらね。……アタシもギャンブルばっかりよ。負けてばかりいたけどね。……でも、アナタは違うんでしょ? メリーさんにギャンブル運を上げてもらっていたって話だし、負け知らずだったんじゃない?」
 佐々木は顔を上げる。
 「メリーさんに……?」

 「……知らなかったの? まさか生まれついての強運だとでも思ってた?」
 そして佐々木のバッグに眼をやる。「もしかして、そこに大金でも入ってたりして?」
 「入ってるよ? 数百万……」佐々木は思わず本当の事を言う。
 影の破顔は一層深まった。
 「ふぅ〜ん……じゃあさ、そのお金、アタシに頂戴?」
 有無もなく、影は拳銃を撃った。


 佐々木は硬直する。
 風を鋭く切る音が、背後で聞こえた気がした。
 血の流れが少し、滞(とどこお)った感覚に襲われる。
 ……幸い、弾は逸れたようだ。

 遅れて徐々に全身を這い上がってくる震え。足の裏に根が伸びたように、その場を一歩も動けなくなる。
 笑ったまま、影は数歩近づいて来た。拳銃のハンマーをまた起こす。
 「……アハハッ! ちゃんと狙ったんだけどね。もう一回行くよ?」
 また銃声。
 「イヤあぁっ!」
 思わず上がる悲鳴。佐々木は頭を抱え、へたり込んだ。

 背後で乾いた音。弾は、病院の窓ガラスを破ったようだ。
 影はまた大きく踏み出して来る。もう、お互いの顔が確認できる距離になっている。
 「ふふ……拳銃で撃たれて死ぬなんて、劇的じゃないの。そういう変わった死に方をしたいと思っていたんじゃない? アナタの事はわかってるつもりよ。アタシはアナタなんだから。……そのどうでもいい人生を閉めるには、勿体無いくらい劇的でしょうが?」
 その場でうずくまった佐々木の頭を狙い、影は拳銃を向ける。
 「影がオリジナルを殺したい心境がどういうものであるか、わかる? アタシはね、アナタの破滅の願望を色濃く受け継いでいるのよ。周りを破滅させ、自分をも破滅させたい。そういう血がね、全身に流れてる。……理屈なんかない。破滅願望の塊なのよ、アタシ達は」
 影は歯を剥き出し、怒りの表情に染まった。
 「死ね! ……醜いアタシめがっ!!」

 「その辺にしておかない?」
 影の背後にぬっと現れた白い影。それは影の右腕を掴み上げた。
 「な! 何するんですッ!」

 「忘れたの? 佐々木さんを殺したら、アナタも死ぬのよ。お金使えないじゃない?」
 そう言われ、影は苦笑する。「忘れてましたね……。でも、そんな事はどうでもいいんですよ……コイツを殺せさえすれば」
 メリーの腕を放そうともがく。だが、全く逃れられない。怒りに影はわめく。
 「まぁそう焦らなくても。どうせなら、佐々木さんからお金を奪って好きに豪遊した後に、殺せばいいじゃない? ……いい思い、たくさんしたいんでしょ?」
 「そりゃまぁ……」
 そう言いつつ、どんなに力を込めても、メリーの腕は外れない。
 やがてあきらめ、影はメリーの提案に乗る事にした。
 「……わかりましたから、手を放して下さいよ……」

 「あぁ、いいともさ。この悪タレめ」
 突如、メリーの声色が濁った。そして、影の腕を掴む力が一層加えられた。
 「ぎゃああああっ!! ウアァアアアッ!!」
 一瞬後、その骨が折られた。影の手から拳銃が落ちる。メリーはそれを拾い、遠くに投げる。そして影を引き倒した。
 「何を……するッ!!」

 足元にあったもう一丁の拳銃を拾い上げ、メリーは影の頭に向けた。
 「なっ?!」
 そしてメリーを見上げて、影はぎょっとした。
 その目をうつろにし、メリーはまた泡を吹いていた……。





 「佐々木ちゃん! その辺に児玉って子がいるから、呼んで見つけてあげなぁ! アンタと同じ境遇の子だ。助けになっておやりよ!」
 そして拳銃音。
 佐々木はぎょっとする。メリーが、あの女を撃ったのだ……。理由がわからない。
 女は頭を撃たれ、突っ伏した。即死だ。

 恐怖に、体が動かない。呆然と、その光景を眺め続ける。
 「……いいから早く行きなって! メリーが起きる前に! 警察もまた来るだろうしさ!」
 メリーは老婆の声で叫び続ける。事情はわからないが、今は逃げるしかないようだ。

 バッグを掴み、震える足で佐々木は駆け出した。駐車場を出る。
 「あのっ……児玉ちゃんって子は、いる?!」
 駐車場脇の、歩道に詰め寄っているやじ馬達に問いかけてみるが、際立った返事はない。

 「児玉ちゃーん……!」
 病院を後にし、佐々木は暗い街を駆けて行く。……あてはない。どうやって、その児玉という子を捜し出せばいいのかわからない。
 「……何……?」
 急激に襲ってくる、右腕を締め付けてくる痛み。
 一瞬、その腕を折られた光景が眼前に映し出される。
 「痛てて……一体、何なのよ……」
 腕を押さえながら、とにかく周囲を注意深く探る。……同じ境遇の子。近くにいると、老婆の声は言った。メリーは二重人格なのだろうか、と思ったりする。

 それから数分もしない内に、佐々木はまた激痛に呑まれた。今度は頭だ。
 だが、今度の痛みは尋常でなかった。耐えられるものではない。
 佐々木は弾かれたように足をもつれさせる。
 「ウアーーーッ!!」
 太い針でも突き刺されたような痛み。わめきながら、涙がぶわっと溢れ出る。
 歩道に倒れ込み、佐々木は苦痛にもだえた。

 やがて、佐々木は意識を失った。
 ほどなくその右肩から、光に包まれた蝶が、舞い上がった。


― 30 ―


 児玉は走り疲れて立ち止まり、呼吸を整える。
 この夜は肌寒いが、全身にもううっすらと汗をかき始めていた。

 「病院、どの辺だっけ……?」
 携帯電話で老婆に教えられた事。病院へ戻って、佐々木という人に助けてもらえ……。
 何もないこの自分を、助けてもらえるのか。佐々木とは、この自分を知っている人なのか? 不安だが、今は頼ってみるしかない。
 外灯の少ない、閉まった商店街を行く。道幅も狭く、車の通りもない。
 やがて見えてくる雑踏。病院前だ。車のライトが多く見える。

 その時、すい と、目の前を白い光が通った。目で追う。
 「あ……」
 頭上に舞うそれは、蝶だった。

 「え……? 何で光ってるの……?」
 児玉は目をしばたき、その流れを追いかける。あわせてゆっくりと歩き出す。

 そのはためく姿はまるで妖精だ。冷たく暗いこの現実を、それが一瞬にしておとぎ話に変えていた。
 ……何が起こっているんだろう。児玉の胸は跳ね上がる。先程の老婆からの突然の電話、そしてこの美しい蝶……。兆(きざ)しが光を帯びているように感じられた。
 やがて蝶は下降し、羽ばたきをやめる。
 ――そこに、女性がうつ伏せに倒れていた。その肩に、蝶は停まった。

 「あのっ……! 大丈夫ですか……?!」
 駆け寄り、膝をついて女性に問いかける。蝶は自分とその女性を見守るように、その場に留まり続ける。
 児玉はうろたえ、女性の手を握る。「あのっ……!」

 「……え〜……?」
 女性は生きていた。目を開ける。それと同時に、蝶は消え去った。その肩に、光を無くして吸い付いた。まばたきも忘れて見守る。
 「あぁ、ごめんね……アタシは大丈夫だから。ちょっと気を失ってたみたいだけど……」
 女性は苦笑いし、起き上がる。「全然平気……」

 そして顔を上げた途端、顔につうっと血が一筋流れ落ちて来た。
 「うわ、あっ!」
 女性は慌てて、手にしたバッグを下ろし、中を探る。「ティッシュ、テッシュ……!」
 「あのっ!」
 児玉はポケットを探り、ポケットテッシュを差し出す。
 気づいた女性は素直に受け取る。「あ、ありがと……」


 血を拭き終え、女性は残りを返してきたが、児玉はあげる事にする。
 「それより、どこをケガされたんですか……? アタシ、見てみましょうか?」
 そして背伸びする児玉。女性はその姿に笑い、腰を折って頭を差し出す。「じゃあお願い……」

 髪を掻き分け、血の出所を探すが、見当たらない。外灯の光も弱いので、よくわからない。
 「病院行きましょうか? 近いですし」
 そう言うと、女性は真顔で首を振る。
 「やめとく。アタシはあそこから逃げて来たんだから。行くんなら他の病院にするよ」
 「……逃げて来た、んですか……?」

 「まぁ、話せば長くなるけどね。そうそうアタシ、人捜ししてるのよ。……児玉ちゃんって人。それがアナタ……って事はないか、な?」
 児玉は息を呑む。「……ア、アタシ……です。児玉です……」

 「あ、そうなんだ〜……アハハ……! 見つかっちゃった〜良かったぁ……」
 女性は児玉の両手をとり、笑顔を見せる。児玉は、自分がこの女性に捜されていたという事実に驚く。
 「実はアタシも人捜しをしてまして……あの、もしかして、アナタが佐々木さん……ですか?」
 「はい、そう! アタシが佐々木なのよ〜……アハハハハ」
 笑顔の素敵な人だ。少し見惚れた後、児玉も笑顔になった。


 ややあって、佐々木が問う。
 「で、アタシと境遇が同じって聞いたけど……やっぱり、アナタもメリーに関わったの?」
 ――メリー。白いメリーさん。誰かの腕がもぎ取られた光景を思い出す。
 「そうです……。それが始まりです……」
 児玉は、それがどれくらい前の事であったか思い出せなかった。数日前だった気もするし、もっと前の事だった気もする……。
 そして改めて見る、佐々木の顔。人柄の良さそうな人だ。……でも、似ている。さっきの女に。ひと時の姉を殺した、あの女に……。
 震えが来る。
 しかし、老婆はどう言ったか。自分が頼るべきこの佐々木とは、どういう人だと言ったか? 自分と同じ境遇の人だと言わなかったか。そして、こう言ったハズだ。――アンタの影を殺した女と、瓜二つの女だ。間違えるんじゃないよ、カタキじゃないからね――と。
 ――ドッペルゲンガーに、すり替わられた。
 きっと自分と佐々木との共通点は、そこにあるのだ。

 「今、どういう状況かわかる……?」
 佐々木に問われ、児玉は頭をひねる。佐々木は続ける。
 「アタシもよく、わかんないんだよね……。メリーに記憶を消されたみたいで。それから変にギャンブル運が良くなって、一応生きていくに困らなかったけど……、何だかね。そんなのをいつまで続けていけばいいのかなって」
 佐々木はため息をつく。「それに……アタシ、名前もわかんないんだ。家もね。何もかも……」
 児玉も返す。
 「アタシもです……ギャンブル運はわかりませんけど……」
 そして少しだけ苦笑する。

 「そっか。まぁそれはいいとして……どう? 今お腹すいてない? その辺のコンビニで何か食わない? ね?」
 佐々木は病院付近に見えるコンビニを指差し、そして言い直す。
 「あ〜あっちはやめとこう。向こうの方、行こう。いくらでも病院から離れないと。……もう、あの辺大変な事になってるし。警察もまたすぐ集まって来るだろうしさ。……まぁとにかく、メリーから逃げないとね」
 そして佐々木は児玉を急かす。児玉もメリーや警察には会いたくない。
 警察を頼るのは間違いじゃないのかもしれないが、自分と入れ替わったドッペルゲンガーは死んだ。その後、自分が姿を現す事で事態がどうなってしまうのか、考えると恐ろしくなる。
 自分という人間は、死んだ事になるのではないか……? もう、戻るところはないのではないだろうか……?


 「アタシを助けてくれますか……?」
 暗い商店街を戻りながら、弱音に突き動かされて、児玉は佐々木にそう聞いてみる。
 「あぁ、そりゃあね。まかしといて」
 そして佐々木は肩を叩こうとする手を、止める。助けられるんなら、いい。だけど、余計ひどい事に巻き込む事になったりはしないだろうか……?
 「アタシ、お金無いんです……名前も無くて……何も無いんです……」
 そう言う児玉の肩を、今度は迷わずに、佐々木は軽く叩いた。そして笑みを見せる。

 「アタシもアナタみたいに、何も無いんだよね。でも不思議な事に、お金だけはあるんだよー……。これから先も、好きなだけ稼げるから。助けてあげられるよ」
 そう言われ、何と返事しようかと思ったが、「お願いします」と児玉は頭を下げた。
 「全然気にしなくていいって! アタシずっと一人ぼっちでね、寂しかったのよ。どこにも居場所探せなくてね。……じゃあ今日からよろしく、かな?」
 佐々木は立ち止まって手を差し出す。児玉も立ち止まり、そして手をゆっくり握り返す。
 「こちらこそ……お世話になります。アタシ……、もうどうすればいいか全然わからなくて……」
 「大丈夫だよ、アタシもだから。……一緒に、考えていこ」
 手を強く握り合う。
 そして児玉はまたちょっと泣いた。


― 31 ―


 コンビニ脇のベンチに座り、二人は並んでパスタを食べる。ペペロンチーノだ。ドリンクはオレンジカクテルにした。パスタには、コーヒーもお茶もあわない、とは佐々木の持論のようだ。
 「いただきます」
 児玉はまた改まって頭を下げる。佐々木は苦笑する。
 お互い少し食べてから、佐々木が口を出す。
 「ここんトコ、大変だった?」
 児玉は目をしばたいた後、「そうですね」と相槌をうつ。そして、思い出せる事を軽く整理して、話を続ける。

 「メリーさんに会って……何だか恐ろしい目にあいました。そして気が付くと、私は記憶を無くしていて……夜、駅のベンチに座っていました。サイフがあって、お金が入っていて……そして宿泊料の安い、温泉施設に数日、泊まりました」
 佐々木は黙って聞く。
 「そうしていると、私のドッペルゲンガーが現れて……そうです、この人は人殺しでした。でも、何だか優しくて……いつの間にか凄く仲良くなっちゃって……不思議ですよね」
 児玉はしばらく視線を泳がせる。そしてポケットから携帯電話を取り出す。
 「これ。そのドッペルゲンガーが、私にくれたんです……」
 「ふ〜ん……」
 佐々木は、自分のドッペルゲンガーと仲良くなったという話に、実感が湧かないでいる。
 「今思えば、人殺しでも、何だか肉親のような気がしたんでしょうか……拒絶する事を忘れていました……」
 佐々木にうながされ、児玉は申し訳ない程度にパスタを口に運ぶ。

 「そのドッペルゲンガーがメリーさんに襲われました。二回、ですね。……一回目でどこかの病院に入院して、そして病院を移動したのかな。ここは私の家の地元、みたいなんですよ。そして数日間は何事も無かったんですけど……今晩、こうして殺されてしまったんですよね……。メリーさんじゃなく……もう一人の女の人にですが……」
 言いながら記憶を正していき、そしてそこまで言ったところで、児玉は口をつぐむ。
 「さっきの女かな。アタシのドッペルゲンガー……だよね?」
 「た、たぶん……」
 そして二人はしばらく食べる手を止める。

 「……まぁ、聞いた話だとやけに複雑みたいだけど……お互いのドッペルゲンガーはこれで死んだみたいね。アタシは別に良かったんだけど、児玉ちゃんの方はそうでもない?」
 「……ですね。あの人、根はそんなに悪く無かったと思うんです。ただ育った環境とか、元々の性質とか……」
 ――きっと人間だったら、人を殺すような人じゃなかった。
 短い間の姉を、児玉は胸に刻む。腕を切られ、喉を潰されて殺された姉……自分。

 「アタシのドッペルゲンガーが、随分派手に悪さしたみたいだけど……悪かったね」
 「いえ、そんな! 全然、佐々木さんとは関係のない事じゃないですか……」
 「そう? ……だったらいいけどね」
 佐々木は残りのパスタをたいらげ、カクテルで流し込む。
 拳銃を楽しげに撃ってきた自分。パトカーの数から察するに、そうとう人を殺したんだろう。そして、あの女は大量殺人鬼として生命を終えたのだ。この自分、佐々木なにがしは、この世で「殺人鬼」として終わった訳だ……。
 ――もう、どこにも戻る所はない。
 甘いカクテルを飲み干した時、佐々木もそんな事をきつく胸に刻むのだった。

 「おいしい?」
 表情をやわらげ、児玉を見る。急に聞かれた児玉は、思わず噴き出しそうになる。佐々木は笑った。
 ――今の自分にできる事。それは、この子を守ってやる事なんじゃないだろうか。
 この子だけでも、無事に元の生活に戻してあげられたら……。
 だが、その望みはもう、断たれているのかもしれない。
 ただ一つ、兆しがあるとすれば……、やはりメリーだ。メリーにどれだけの事ができるのかはわからないが、この児玉を救ってもらわなくてはならない。

 もし。どうやっても助かる道がないのなら……?
 佐々木は児玉をそっと盗み見る。
 でもまだ答えは出せない。買い物袋の底からミントガムを取り出し、無心に噛みだした。





 病院の屋上。足を組んでベンチに腰かけ、メリーはその身を縮めている。
 「最悪ね……」
 口に溜まった血を飲み、手にした包帯のケースをもてあそぶ。腹に包帯を、ドレスの上からテキトウに巻いてある。
 「ちっとも血が止まりゃしないわ……。私のオリジナルが衰えているせいかしらね?」
 苛立ちがつのり、立ち上がる。溜まった血を噴き出し、フェンスごしに眼下を見る。
 駐車場は車でごった返している。パンクさせたパトカーや救急車が十台ほど、新たに来たパトカーや救急車、そして早くもマスコミ関係者らの姿も見える。やじ馬もどんどん増え続けている。
 「あの二人の影が死んじゃったか。あんがい脆(もろ)いものね」
 包帯の残りをベンチに置き、メリーはとん、とつま先立ちしたかと思うと、そこから姿を消した。


 そして全く別の場所に現れる。 
 そこは河原だった。夜ゆえ、ひと気は無い。河向こうに街明りが広がっている。
 メリーは河の堤防に上がる。そして明りの消えた工場に足を向けた。

 そこは、廃倉庫らしかった。正面の大型のシャッターは閉じられており、鉄くずが辺りに積み重なっている。メリーはその建物の裏口に回り、空いている戸から中に入った。
 がらんどうの倉庫の奥に、微かな灯り。メリーは微笑みながら近づいていく。
 「あららら? 凄くめずらしいお嬢サンがいらっしゃいましたねぇ〜……? これはこれはようこそ?」
 そこに、男がいた。レジャー用の折りたたみ椅子に腰かけている。手前には小鍋。カセットコンロにかけられており、程よく煮えている。
 「お久しぶりね、須藤(すどう)さん。お元気そうじゃないの」
 ジーンズに安物のジャンパーを着た、パーマ頭の須藤と呼ばれた中年の男は、手前の鍋を指差す。
 「ホント、いい所に来ましたよ。……シチューです。食いますか?」
 「あら? いただこうかしら」
 メリーは破顔して、須藤の横に置かれたタイヤに腰かける。

 「で……また、どうかしましたか? メリーさんが僕に用があるなんて、もう当分は無いと思ってたんですがね」
 スチロールの器にシチューを盛り、スプーンを添えてメリーに差し出す。
 「ありがとう。もう少し冷めてからいただきますね。口の中、切っちゃって痛いんです」
 「へぇ? ケガでもしたんですか?」
 須藤はメリーの腹の包帯に気づき、目を丸くする。
 「……問題の子は殺したんですけどね。ちょっと優秀な方まで失っちゃって。人間もね、二人ほど逃がしちゃったんですけど、行方は掴めそうもないし……まぁ別に殺さなくてもいいんですけど」
 「それで僕に相談に来た、と?」
 「そうね。元お医者さまに、縫ってもらおうと思って」
 「縫う? ……あぁ、ソッチの方ね。最近さばいてないんで、腕が鈍った気もしますが……まぁ、縫うくらいなら何とか。麻酔、どこかから探して来ます?」
 「少し持ってるから。暴れたらごめんなさいね……」
 メリーは首元からペンダントを引き出し、振ってみせる。
 「じゃ、これ食べたらお願いしますね。もっと早くに来れば良かった……」
 メリーは須藤に優しい笑みをみせ、シチューを食べ始める。

 須藤はメリーの姿をじっと魅入り、ぽつりと言う。
 「やはり、貴女は妖精のように美しいですね。真っ白で。光り輝いていて……。また貴女に会えて、僕は幸せですよ……」
 そしてメリーの顔を覗き見て、目をしばたく。
 「あれ? 血でも被って来ましたか? 少し汚れてますね……」
 おくびれる事もなく、須藤はメリーの前髪を上げその顔に魅入る。メリーは首を振る。

 「……しかし、こうして僕がまだ生きているって事は、僕のオリジナルもまだしぶとく生きているって事なんですよね? いつか見かけませんでした?」
 「さぁ。貴方みたいに気楽な生き方してるんじゃないかしら? それより、私には貴方が理解できませんね。せっかく医者という立派な職業もありながら……こうしてその日暮らしをしているなんてね」
 そう言われ、須藤は大声を上げて笑う。
 「僕に医者は勤まりませんでしたからね。始めの内はそりゃあ大人しくしてましたが、こう……手術途中でね、何で僕がこんなまともな事をやらなきゃイカンの?って思いましてね。開いた患者の腹にメスを突き刺して、逃げちゃいましたからねぇ。ワハハハハ……!」
 「前にも聞きましたけどね。でも、大人しくしていれば、いつまでも人間に成りすませたのに……」
 「性にあいませんよ。メリーさんは、僕らの事を何もわかっちゃいない。そりゃ、大人しく人間のフリをして、貴女の思うように動いてほしいんでしょうけど……、そうはいきません。僕らもやはり、人間みたいに気まぐれな生き物ですから……」
 「ごちそうさま……」
 メリーは器を返す。須藤の話を聞く気はあまりない。「じゃ、須藤さんも食べ終えたら、お願いね」
 「えぇいいですとも、お姫さま」

 美味そうに食べ終えた後、須藤は立ち上がり、暗がりに置いたバッグを一つ引っ張り出した。
 「え〜、口とお腹を縫うんでしたね? で、何かクスリ飲むんですよね?」
 メリーはペンダントを開け、エンジェルダストをほんの少し舐める。残りはもうほとんど無い。
 「じゃ、お願いしますね……」
 メリーはコンクリートの地べたに仰向けになる。
 「あぁあ……そんなほこりっぽい所に寝ないで……」
 「いいから。人間よりは丈夫にできていますので。細かい事より、とにかく物理的な処置をお願い。血が出る所を、縫ってもらえさえすればいいの」
 「わかりました……」
 須藤は灯りの中に舞い上がるほこりをできるだけ手で払い、バッグから消毒液や針などを取り出した。


― 32 ―


 駅前のビジネスホテルに着いた時は、午前2時になりかけていた。この辺はさほど大都市というワケでもないのに、24時間対応のホテルがあったのは運が良かった。
 「さぁ、寝よう寝よう〜。もう今日は後、寝るだけ!」
 バッグを背負った佐々木が急かし、児玉も後を追う。
 こじんまりとした三階建てのホテル。入り口を前にして、児玉は制服に包まれた身を小さく震わせる。
 そんな児玉を振り返り、佐々木はスライドドアの向こうで手招きする。
 「ホラホラ〜! 早く行こうって。何してんの?」

 ――出会ったばかりの人に、何もかも、お金を全部払ってもらっている。コンビニの弁当代、タクシー代、そして今度はホテルの宿泊費までも……。
 あまりにも甘え過ぎだと思う。でも今はどうにもならない……。今は甘えるしかない……。
 「すみません、お世話になります!」
 児玉は意を決し、深々と頭を下げて、佐々木の元に行った。





 二階のツインルームに通される。室内は大きめのベッドが一つ。他にくつろげるスペースはほとんどない。
 ベッド脇に、二人のただ一つの荷物であるバッグを置き、佐々木はベッドに腰かける。
 「ホラ、ここ座って」
 突っ立っている児玉を、隣に座らせる。児玉は「失礼します」とおどおど座り込む。

 途端、佐々木は児玉の肩をグッと抱き寄せた。
 「きゃああっ?!」
 驚いた児玉は悲鳴をあげる。
 その背中を叩いた後、佐々木は大笑いした。
 「頼むからさぁ〜、そんなに縮こまんないでくれる〜? お金の事なら気にしなくていいって言ってんのに! どうせ苦労して働いてもらったお金じゃないんだからさ!」
 「は……はい……」
 ムリな体勢から、児玉は返事をひねり出す。
 そしてすぐ児玉を解放してやり、一息ついたところで背中を叩く。
 「あのさぁ〜? そんなに遠慮ばっかりしてちゃ、世の中生きていけないよ? 他のヤツの食い物にされちゃう。もっとね、どしーっとしてなきゃ!」
 「はい……」
 まだ顔を真っ赤にしたまま、児玉はうなずく。佐々木はそんな児玉が楽しくて仕方ない。
 「それじゃもう遅いし、早くお風呂入ろう? 先に入る? 一緒に入る?」
 「あ……その、後でいいです」
 「やだなぁ〜。先か一緒か。どっち?」
 佐々木はニヤニヤしている。
 「じゃ! 先に入ります……失礼します!」
 児玉は腰を上げ、お辞儀してからバスルームへ。
 「やれやれ……」
 佐々木は苦笑し、ベッドに寝そべった。

 ほどなく児玉が戻って来る。
 「すみません、お風呂の使い方がわからないんですけど……」
 見ると佐々木はもう寝入っているようだった。
 「あぁあ、ダメですよ……風邪ひきますってば……」
 少し悩んだが、揺り起こす事にする。「あの! じゃあ先に入って下さい。お願いします……」

 「やだよもう……ほっといてよぉ〜!」
 佐々木はうるさがり、シーツを引っ張って丸くなる。ズボンをベッド下に脱ぎ捨て、そのまま本当に眠る体勢に入る。
 「はい……わかりました……」
 児玉はあきらめ、バスルームに戻る。
 色々いじっている内に使い方がわかってくる。バスタブにお湯を張り、シャワーを浴びた。

 ローブをはおり、脱いだ制服を手に、ほかほかと気持ちよくなってバスルームを出る。
 「……佐々木さん、お風呂いいですよ? どうですか?」
 しかし、佐々木は完全に夢の中だ。ムリに起こすのも可哀想になり、早くも児玉はあきらめる。
 佐々木のズボンと、自分の制服をクローゼットのハンガーにかけ、ベッド脇に腰かける。
 そして改めて、室内を不思議な気持ちでゆっくりと見回した。こうして無事に、安全な場所で夜を迎えている……。今夜はもう、心配いらない。そしてこれからも……?

 (明日はどんな一日になるのかな……)
 佐々木がどんな人なのかも、まだわからない。この先、本当に無事生きていけるのかも、わからない。そして、根本的な救いが来るのかどうか、も。
 不安に胸の奥が少し痛む。そして寒くなる。
 児玉もベッドにもぐり込み、軽くシーツを引き寄せた。





 もうお湯を沸騰させる必要も無くなり、カセットコンロの三脚から、ミニヤカンを下ろす。
 「さぁ……終わりましたよ、お姫さま。よく頑張りましたね。まぁ後は変な感染症でも起こさなきゃいいんですけどね……。マズイかもしれませんよ、こんな不衛生な所じゃ……。並の人間なら命取りです」
 「ありがとう。だけど、並の人間じゃないのはおわかりでしょ?」
 「まぁそうですね……。内臓まで白いとは思いませんでしたよ……。まぁそもそも、内臓があった時点でも驚きましたけど」
 ドレスを脱いだ半裸姿のメリーも疲れた風で、ぐったりとしている。流れた血の量も多く、辺りは真っ白な血溜まりができている。
 口内と腹部の縫合。背に受けた銃弾は貫通したようで、縫合は背と腹の二箇所。幸い脊髄(せきずい)の損傷は無かったが、内臓が多少傷付いており、明りの充分な確保もできなかったため、処置にはだいぶ時間がかかった。
 石膏像のようなメリーの裸体に包帯を巻きつけ、脱いだ自分のジャンパーを乗せてやる。「あいにく、シーツがありませんのでね。申し訳ない」

 「……須藤さん、貴方の望みは何?」
 ふいにそう言われ、須藤は顔を上げる。「……望み?」
 「お礼をしなくちゃ悪いでしょ……? 何かおっしゃってくださいな」
 「お礼ねぇ……」
 須藤は腕組みをしてしばらく考えるが、答えは出なかった。「何も無いですね。特には」
 そう言われ、メリーは少し呆ける。

 「……それより、メリーさんの事を教えてくださいよ。貴女は一体、何なんです? どういった存在なんでしょうかね」
 須藤はおどけた顔でメリーの脇に座り込む。
 「貴女の望みこそ、聞いてみたいもんです。僕らに暇つぶしの悪意を振りまかせて……、世の中を混乱に陥れたい。でもそれは何です? お遊びですか?」
 「……お遊び、ね。そうかもしれないわね」
 メリーは須藤をちらりと軽く見返した後、目を背けて苦笑する。須藤に信頼や好意はいだいていないつもりでいる。須藤もその辺はある程度わきまえている。

 「私は、特殊な人間のドッペルゲンガーなんです。いえ、人間というより……都市伝承のドッペルゲンガー、なんですね」
 「都市伝承……のドッペルゲンガーですか。やたら複雑ですね」
 「世に云う「白いメリーさん」ね。白い派手な洋服を着て、厚化粧をして……白い手袋に白い日傘……。ワンポイントに赤い靴……。どんなに年をとっても美しく綺麗でありたいと願う、可愛らしい老婆よ……」
 「老婆……ですか?」
 須藤は目をしばたく。メリーについての知識は無い。
 「横浜に住んでいましてね。ハマのメリー、だなんて呼ばれて。派手な格好をしているから、ウワサが立ってね。そんな老婆のドッペルゲンガーなのよ、私は」
 「はぁ……「白いメリーさん」の話はチラッと聞いた事がありましたがね。貴女とはまた別モノ、というワケですか……?」

 「そうね。でも最近また事情が変わってきたのよ。メリーはね、「白いメリーさん」じゃなくなったの。横浜から姿を消したのよ。実家に戻って化粧も落として、ただの老婆になってしまったのよ……」
 疲れたのか、メリーはしばらく言葉を切る。須藤は黙って待つ。

 「……そして私自身が「白いメリーさん」になったと思ったわ。表舞台から消えたオリジナルから切り離されて、何の制約も受けなくなったと思ったの。……でも違っていた。ある時、新たなオリジナルの存在を知ったのね。電話がかかってきたのよ……」
 メリーは目を細める。
 「ソイツは……、都市伝承としての「メリー」だった。ウワサが作り出したイメージ。白いドレスを着た、真っ白な老婆。……ソイツは、アタシの元に現れたわ……。そして殺すって……」
 須藤はメリーの口元の震えを見る。
 「でも……殺されなかった。こんなに可愛い子は殺せない、なんて馬鹿にされて……。めげたわ……」

 「そうして殺されないまま、私は貴方方ドッペルゲンガーを仲間に引き入れながら、私のチカラを世に示してる。「白いメリー」は、私なんだとね」
 メリーの瞳に、須藤は強い意志を見る。
 「そう、歪ませてやるわ……絶対にね……」
 そうしてメリーは話を終えたつもりなのか、口を閉ざした。須藤は聞いた話を受け入れ、ゆっくりと噛み締める。

 しばらくして、メリーが口を開く。
 「疲れたので、眠りますね。おやすみなさい……」
 「えぇ、ごゆっくりと。お姫さま……」
 手術をするためにつけた、傍らのまばゆいハンドライトを消す。バッテリーから電源をとる、工事用などに使われるやや強力なライトだ。これが無ければ、内臓を縫うのは暗くて無理だっただろう。
 須藤はメリーからやや離れた所に折りたたみの椅子を置き、そこでタバコを吸い出した。 

 「僕も暇なんでね。何かあったら協力させて下さいよ、メリーさん……? 何も求めませんから」
 倉庫の闇を見上げれば、どろりと流れ落ちる汚い悪意が見える。
 「僕らバケモノに……、こんな平穏な日常なんかいらないんですよ。生きるか死ぬかでいい。だから、人間に摩り替わったヤツは、すぐ犯罪を犯して破滅してしまうんです」

 須藤は闇をぼんやりと見つめ続ける。オリジナルの事は、全く見えない。
 不眠症ぎみで、眠る事をさほど必要としていない須藤は、世が明けるまで、そのままじっとし続けた。


― 33 ―


 軽い目覚め。まだよく眠れた気がしない。それでも夜は明けていた。
 室内には、清楚な空気が漂う。薄いカーテン。ガサついたシーツ。首をひねると、シックな鏡台が目にとまる。
 視界の違和感はすぐ消える。……ここはビジネスホテルだ。自分は、まだよく知らない女性と泊まっている。児玉はその成り行きの記憶を、ぼんやり追いかけた。

 「あら、おはようね。よく眠れた?」
 バスローブ姿の佐々木が顔を出す。朝風呂してきたらしい。
 「……はい。よく眠れました……おかげさまで」
 児玉は半身を起こし、頭を下げる。だが逆に、今から眠りにつきたいと体が訴えてきそうだった。
 「シャワー浴びてきたら? 後、バスタブのお湯、抜いといたからね。朝から入んないでしょ?」
 「えぇ、はい。……あ、すみません。お湯、ほったらかしにしてて」
 「え? いいっていいって」
 佐々木は苦笑を見せる。児玉はやや緊張をほぐした。

 少し目をこすった後、児玉はのろのろとベッドを出た。朝は苦手だ。記憶は無くしているが、きっと昔からこうなのだと思う。その点、佐々木は逆のようだ。憑き物のとれたようなスッキリした顔で、朝を迎えている。児玉には、昨晩より綺麗な顔立ちに見えた。
 佐々木は室内のTVをつける。画面の左隅には、5:30とある。それを見て、児玉は口をあんぐりと開けた。ここに着いたのは午前二時頃だったハズだ。……これではまだ、三時間ほどしか寝ていない事になる。
 児玉はまた横になりたかったが、他人の前だ。しかも、世話になっている。寝るのをあきらめて起き上がり、素直にバスルームへ行った。


 『昨晩遅く、このT県M市M病院にて、惨劇が起こりました。大勢の人々が見守る中、この病院の駐車場で警官十数名が殉職するという、信じられない事態が起こったのです……。事件の発端として殺されたとみられる十代の女性患者の他、その抗争に巻き込まれた一般市民にも数名の死亡が確認されています。その他、怪我人も多数出ている模様です……。正確な、死傷者の数の発表は、まだ警察の方からは出ていません』
 女性レポーターが痛々しく告げるニュース。辺りにはロープが張られ、現場は警官や報道関係者と見られる人達でごった返している。壊れたパトカーをレッカー移動する様子などが映し出されている。佐々木はベッドに腰かけたまま、硬直する。
 『また、この不可解な惨劇を引き起こしたのは、二人組の女性との目撃情報もあり、その内、犯人の一人と見られる女性が、死体で発見されているとの事です……。事件を目撃した病院関係者らの話によりますと、昨晩午後九時過ぎ、院内二階の一室にて、二人組の女性が原因不明の暴行を行い、逃げた患者を駐車場で殺害。その後、駆けつけた警備員をも殺害。その場にいた看護婦らの連絡を受けて、現場に向かった警官達をも、犯人らは次々と殺していったのです……。そして数時間に渡る抗争が繰り返され、最終的に警官の死者が十数名にものぼってしまったのです。……また、使われた凶器は拳銃の他、ナイフの類であっただろうと推測されていますが、まだ明らかにはされていません』

 「……終わったね。アタシも……」
 佐々木は見ていられなくなり、TVのスイッチを切った。
 いずれ、自分のオリジナルの死亡が確認される。「不可解な惨劇を起こした、凶悪犯の片割れ」として。ヘタをすると、世に大々的に……?

 ――自分は、死んだ……。

 「で、凶悪殺人犯のそっくりさんを……もう、どこのホテルでも泊めてくれなくなるでしょうか……? んなワケないよね〜」
 佐々木は大きなため息をつき、ベッドに倒れた。





 ホテルのロビーにある簡素な喫茶店で、モーニングセットを向かいあって食べる。他の客の姿も数人見える。ビジネスホテルゆえ、そう多彩な顔ぶれでもない。
 児玉は、佐々木からもらった服を着ている。バッグの中に数着入っていて、佐々木のセンスでコーディネイトされたのだった。服をもらうにあたり、何度も丁重に断ったのだが、「そんな制服姿のコ、連れて歩けない」と言われ、児玉は申し出を受けざるを得なかった。
 自分は今、まるで女性誌に出るモデルばりの格好だ。児玉は恥ずかしくて、どこにも目を向けられなくなっていた。

 かりかりのトースト。やや大きめのハムエッグ。苦いだけのコーヒー。食べながら少しずつ、児玉は現実感を味えるようになってきた。薄汚れの目立つガラス窓の向こうでは、行き交う人の姿がちらほらと見える。
 ウェーブのかかっている、佐々木のつややかな髪。今朝、自分もされそうになった、薄めの化粧。……このオシャレな女性と知り合った不思議に、児玉は胸を高鳴らせていた。綺麗なだけでなく、この人は優しい。

 「おいしい?」
 ふいに佐々木が見つめてくる。児玉は目を大仰に見開いて、「はい」と返事する。佐々木は苦笑を見せる。そして佐々木は、この少女と出会ってからほんの少しの間に、ずいぶん笑ったなと気づいた。お姉さんカゼも、すいぶん吹かせた気がする。
 「あれ? 何か児玉ちゃんのハムエッグ、でかい気がするんだけど」
 見ると、児玉のハムエッグには卵が三つ使われていた。佐々木のは二つである。
 「あ〜、ひどいっ。何でよっ?!」
 そう気づいた佐々木はカウンターを軽くにらむ。児玉は笑いを返す。
 二人は知る由もなかったが、児玉の分のハムエッグを作る時、料理人が間違ったのだった。めったにない間違いを引き起こしたのは、実は児玉の「運」に関係していた。児玉はメリーから、「偏った幸運」を受けていたのだ。この場合は無論、ささいな幸運でしかないのだが。

 「あ〜あ。で……今日、何しよっか? 児玉ちゃん、何かしたい事ある? 行きたい所とかさ」
 無理にふるまう明るさに、反動で胸がチクリと痛む。作り笑いになる。児玉は気づかない。
 「したい事に、行きたい所ですか……? ……特には思いつきませんけど……」
 そう言い、児玉はゆっくりと表情を撫で下ろした。昨晩の続きが気になる。……メリーはどうなったのだろう? 殺された姉は? 警察は? 新聞は……?

 言いかけた時、佐々木が思わぬ言葉を返してきた。
 「じゃあさ、パチンコしてみない?」
 「え?! パチンコ! ……ですか……?」
 児玉は思わず眉をよせる。そんなギャンブルなど興味は無いし、やりたいとも思わない。話としても、トッピすぎる。


 「まぁ、モノは試しよ。児玉ちゃんも、アタシみたいにギャンブル運が上がってるかもしれないしさ。きっとメリーさんに何か、運を良くされていると思うから」
 「そうですか……? でも……」
 「でも?」
 「あの後、どうなったのかな……って。アタシ、あそこから逃げちゃったから、その後が気になって……」
 
 そう言われ、佐々木はテーブルごしに近づけていた顔を引き戻した。自分も、考えなければならないハズだ。
 「え〜……逃げた? ……まぁ、何だっけ? 児玉ちゃんのドッペルゲンガー……お姉さん?が、アタシのドッペルゲンガーに殺されちゃって、そんで、メリーも大暴れして……と。警官十数名死亡。そんなトコだったかな。今朝、ニュースでやってた」
 「え?! ニュース見たんですか?!」
 声を辺りに響かせた後、児玉は佐々木を見つめる。
 

 「んまぁ……何かひどい有様みたい。アタシはえ〜と……アタシのそっくりさんがまぁ犯人扱いっていうか……」
 この場所は声が通る。佐々木は首を振る。
 「この話は後で……」
 児玉もそれに気づいたが、もう他の事は考えられない状態になっている。
 二人は少し無言を続ける。
 佐々木は知らずにしかめていた顔をゆるめる。ひどい話だ。わざわざタクシーで遠出して来て、しかも殺されそうになったのだから不運としか言い様がない。しかしお陰で、一応の決着はついた。自分のドッペルゲンガーは死んだのだ。メリーに拳銃で、頭を撃たれて……。だが、単なる被害者扱いにはしてもらえなかったようだ。自分はこの世で、凶悪殺人犯として死んだのだ。

 「あの後、そんなにひどかったんですか……?」
 児玉は、自分のドッペルゲンガーが殺された以降の惨劇を、目にしていない。今すぐ、多少でも話を聞きたかった。佐々木はうなづいて、声をできるだけ小さくする。
 「……まぁね。パトカー五〜六台、もっとかな。警官、十数人皆殺しだってさ。やじ馬も大勢来てね。大ニュースよ」
 佐々木は冷めた、残りのハムエッグを平らげる。

 悲しいが、もう戻るべきところは失われてしまった。この先どうあがいても、自分にハッピーエンドは訪れないだろう。
 元からそうではあったが、自分は何を希望としていいのか、わからなくなってしまった。
 この場でまた、何もかもから突き放された感覚におちいりそうになる。だが、目の前の児玉を見て、話しかけてやる事に専念する。

 「……アタシは結構、世の中どうでもいいと思ってるから平気なんだけど。……でも、児玉ちゃんは気になるよね」
 「いえ、そんな……。でも、姉……というか、私のドッペルゲンガーが殺されちゃって……それが悔しいですね。そんなに悪くない人だったんですよ……」
 児玉は無念に目を伏せる。ポケットの中の携帯電話は、形見のお守り代わりだ。
 「まぁお互いのドッペルゲンガーが、昨日一緒に死んじゃったワケだよね。アタシはせいせいしてるんだけど、児玉ちゃんはちょっと事情が違うんだね。ふぅん……」
 佐々木は考えるフリをする。
 自分は長い孤独な生活から、人を思いやる気持ちが欠けている事に気づいている。世を切り捨てる感覚が、自分の中に染み付いてしまっているのだ。……自分の中には、「保身」しかない。強運で金を稼ぎ、生きる。美味い物を食べ、いい服を着て、豪華なホテルに泊まったり、温泉旅行を楽しむ。……それだけ、だ。金で楽しむ、毎日でしかない。
 だが、そんなものをこの子に悟られたくないし、教えるつもりもない。だからといって、正しい生き方などを諭(さと)す気もない。いや、諭す以前に、正しさなど知るつもりもない。神サマも道徳も、くだらない。本当は生きている事すらも……。

 「だからさ。イヤな事は忘れて、パチンコしようよ? ねぇ?」
 「えぇっ……?」
 佐々木の強引な話のねじり方に、児玉は驚くしかない。元々、パチンコなど、全く気乗りがしない。ギャンブルなど、知りたくもない。まして、昨日大事な人が死んだというのに、そんなフザケたマネはできない……。
 「すみません……。アタシのドッペルゲンガーは友達だったんです。だから……」
 「え〜ウソでしょう……? ソイツさ、影で人殺しまくってたんじゃないの? 友達だなんて……」
 佐々木の言葉に、児玉は唇を噛む。確かに、彼女は人を殺した。出会ってすぐに、ためらいもなく警官を殺した。……だけど、それは彼女が人間ではなく、ドッペルゲンガーだったからだ。そういう生き物だったからだ。
 でも話を重ね、この自分には心を開いて協力してくれた。きっと、わかりあえていたのだ……。嘘じゃない。

 「……まぁ、ムリにとは言わないけどね。落ち着いてからでいいよ、パチンコなんて。いつでもできるしね。……でもさ、あんまりそんなのに感情移入しない方がいいんじゃない? ドッペルゲンガーなんてさ、結局はバケモノなんだから」
 「…………」
 児玉は反論する気持ちを抑え、うつむいた。





 二人は朝食を食べ終え、部屋に戻る。
 「制服、預かっておくから」
 出された手に、たたんだ制服を預ける。それは佐々木のギヤ・バッグにしまわれる。もうぎゅうぎゅうだ。そしてバッグから出た手に、札束が握られていた。児玉はぎょっとする。  
 「はい、お金」
 出されたのは十万円ほど。児玉は驚いて首を振る。
 「はっ?! まさか! ……何ですかそれ……? 私は受け取れませんよ! 何もしてませんし……」
 「何言ってんの。お金なきゃパチンコできないでしょ。軍資金よ。……あのさ、やっぱり、おかしなものを忘れるためにも、パチンコした方がいいって。熱中できるよ。いい気分転換になるって」
 そんな佐々木に、児玉はどう言ってやろうか悩む。だが、人殺しの女に感情移入していた自分が間違っていたと考えると、やりきれなくなる。自分は彼女の事をどれだけわかっているつもりでいたのだろう?
 ……だがひと時でも、確かに彼女は自分の「姉」であったのだ。それは信じたい。

 佐々木は児玉の苦悩などおかまいなしに、続ける。
 「それにさぁ、アタシにとってお金なんか紙クズ同然なのよ。いくらでも稼げるから。その気になれば家も買える。マンションだってまるごと買えるかも。何ならお札をさ、ここでバラまいて引きちぎってもいいけど? お札のシャワーでもやる? 今、手持ちは百万ちょっとしかないけどさ」
 「……そんな。別にいいです。パチンコはともかく……お金をそう簡単にもらうワケにはいきません……それに、粗末に扱うところなんて見たくもありません」
 そういう児玉の胸に、佐々木は札を押し付けた。「いいから、とっといてっての!」
 「そんな! ……できません!」

 だが、佐々木は引かない。やや顔が本気に見える。児玉は困り果てる。
 「じゃあ、一万円、お借りしますから……。きっと返します」
 残りを丁重に差し出す。しかし、佐々木は受け取らない。気を悪くしたように、そっぽを向く。
 「児玉ちゃん。一万円じゃ何にもならないよ。三十分ももたないって。いいから……それ、持っといて」
 「そんな……それにアタシ、パチンコなんてしませんから……」
 そう言う児玉を、佐々木は睨み返す。
 「いいから! それを元手に、後で稼いで頂戴ってのよ! ……今日のところは、アタシにつきあうだけでいいから。アタシが好きなだけ稼げるところを見せてあげるからさ」
 気おされて、児玉はもう逆らえなくなる。
 「そう……ですか……?」
 「アタシには、異常なツキがあるんだから。あのワケわかんない、白いドレスのメリーさんのお陰でね! ……じゃあ、もう行こっか? こんなホテルにいたって、つまんないし」
 佐々木はバッグを背負う。
 「あ、そうだ。アタシ、ニュース見てません……」
 児玉はテレビを指差す。佐々木は強く首を振る。……凶悪犯としての自分の死。そしてそこには、被害者としての児玉の死もきっとある。両者とも待遇は違えど、「死」は確定しているハズだ……。見たらまた、児玉が悩む事になるのは明白だ。
 「やめといた方がいいね。知らぬが花、とか言うでしょ? 置いてくよ?」

 そして二人はホテルを出た。


― 34 ―


 どこかの農村にある廃屋の、古びた安テーブルの上に置かれた黒電話が、突然けたたましく鳴り出した。
 数歩離れた所で、ゆり椅子に腰かけ眠り込んでいた白い老婆が、ゆっくりとまぶたを上げる。
 「……これは随分とめずらしい事もあるもんだね。アタシの電話が鳴ってるよ。これは驚いた……」
 白い老婆――メリーは椅子から離れ、受話器をとりあげた。途端、猫なで声に変わる。
 「モシモシ? お電話ありがとう。私はメリーよ。アナタはだぁれ?」
 ――湧き上がってくる、懐かしい感触。白い老婆は赤い口元を引き上げる。

 電話の主はとまどった声をあげる。女子中学生、といったところか。
 『え〜?! あ……あの、ホントにメリーさん? これって、ホントにメリーさん電話??』
 「もちろんそうよ。わかってかけて下さったんでしょ? 私、嬉しいわ。今から遊びに行ってもよろしいかしら? それじゃあね、待ってて下さいね」
 苦笑しつつ、受話器を置いた。

 「やれやれ。アタシんトコの古い電話番号が、まだどこかで出回っていたのかね? メリーの役は、あのお嬢さんに譲ったつもりだったけどねぇ……」
 老婆は寝ぼけ眼で頭をかき、首をかしげて考える。その姿は、純白のドレスに包まれている。フリルのレースが裾を彩り、華やかな作りだ。履いている靴は赤のパンプス。手には白い長手袋をはめ、その顔は真っ白に塗りたくられている。
 「……まぁ、勤めは果たすともさ。アタシは都市伝承、なんですから」
 黒電話をつかみ上げ、老婆は戸口を出た。





 数回の電話のやり取りの後、その少女は気を失い、自室でうつぶせに寝入る事となった。
 白い老婆は、手にもった黒電話に受話器を戻す。コードは付いていない。
 少女を見下ろし、老婆は告げる。
 「アンタは運がいいよ。アタシはもう、殺すのをやめたんだ」
 傍のTVを、老婆は眺める。昨晩のM市M病院での、惨劇のニュースが流れている。それは今朝から何度も繰り返されている。

 「……あのお嬢さんも少し、悪さをしすぎたね。あれだけ人間を殺したんだから、キッチリお仕置きしとかないとね。仕方ないけど……、殺すしかないようだね。まぁもっとも、殺せればの話なんだけどさ……」
 老婆は抱えていた電話を傍らの机に置き、受話器を取って、ダイアルした。





 ピリリリリ……
 メリーの携帯電話が鳴る。それは廃倉庫の隅で寝ている、メリーの枕もとにあった。腕を伸ばしかけるメリーを制して、須藤が取り上げた。
 「誰からでしょうね? これは。非通知ですが」
 メリーは顔をこわばらせている。
 「……私のオリジナルからね。そのぐらいは感じるわ。昨晩話した、都市伝承の事よ……」
 メリーは首を振り、拒絶を示す。「あのおばあさん……時代遅れの黒電話を使っているクセに、番号非通知ですって。バカにしてるわ」
 「ははは。都市伝承さまにかかれば、そんな事も可能なんですかね? ……で、とりあえず、僕が出ましょうか?」
 須藤は臆面もなく、通話のボタンを押した。「もしもし?」

 『……誰だい、アンタ?』
 老婆の声は鋭く聞いてくる。
 「初めまして。僕は、須藤と申します。メリーさんから、貴女のお話を少し聞いております。今、メリーさんは僕のやぶ治療を受けたばかりでしてね、電話に出られない状態なんですよ」
 『治療……? アンタは医者かい? で、やっぱりメリーは生きているのかい?』
 「医者の真似事ができる程度ですよ。メリーさんは傍にいます。疲れて寝ていますがね」
 メリーは静かに須藤を見る。
 『あぁそうかい。で、せっかく治療してもらったようだけど、メリーは生かしておけなくなった。子供だまし以上の事を、し始めているようだからね。昨日、さんざん派手にやらかした。可愛いお嬢さんだから今まで大目に見ていたけど、そうもいかなくなってね』
 「……あぁ、昨晩の事件は愉快でしたね。僕もラジオで耳にしましたよ。……で、生かしておけない、とは穏やかじゃありませんね。……どうも話が見えない。貴女も都市伝承なら、人をさんざん殺してきたのでは?」

 『あぁそうさ。その通りだ。……それを言われると痛い。だけど、あの子は少々やりすぎている。アタシは目立たない殺ししか、してこなかった。都市伝承ってものは、広がればいいってものじゃない。世にその存在があるかないかの、境界線上にいなくちゃならないんだ。なのにあの子はそんなものをおかまいナシだ』
 「あのですね、貴女ご自身の倫理や定義を、こちらに押し付けられるのは筋違いというものでしょう? メリーさんは、殺させませんよ?」
 須藤の言葉に、老婆はしばらく沈黙する。
 『……言っておくけど、アタシは世の中を反映している。アタシは、世間が生み出した存在だ。「白いメリー」というウワサが暴走しないように、アタシはつつましくやってきた。だが、そちらのお嬢さんは過激すぎる。だからアタシの手駒として、敵対する子を用意させてもらったよ』
 「ほう? それは興味深い話ですね」
 須藤は目を輝かせる。

 『そちらのお嬢さんが戸籍を抜いて、裸でほっぽりだしてしまった子らの、引き抜きをしたのさ。できるだけ引き抜きたいけど、今は二人だ。それ以上いてもムダかもしれないしね』
 「お名前は?」
 『そちらのお嬢さんがよくご存知だろうよ』

 そこでふいにメリーの手が伸び、携帯電話を掴んだ。そしてそれは、その手の中で握りつぶされた。
 「……どうかしましたか? まだ話は途中だったんですがね」
 須藤が残念そうに聞く。
 「あのおばあさんは電話のある所なら、どこにでも来られるのよ……。もっとも私達の電話は、形だけのものですけどね。どうせあの方、私を殺すとか何とか言っていたんでしょ?」
 「まぁそんなところですが。敵対する者を二人引き抜いた、と言っていましたね」
 「敵対する者?? ……あぁそう。別に問題じゃないわね」
 メリーは鼻で笑う。
 「だったらいいんですが」
 須藤は壊れた携帯の破片を拾い上げ、灯油缶をくりぬいたゴミ箱に入れる。
 「あの人に睨まれたら終わりよ。だからこそ、私はドッペルゲンガーをたくさん支配下に置いているの。有能な人を何人か、急いで呼んで来なくちゃいけないわね」
 メリーの顔に、恐れが見える。

 「……メリーさんが、オリジナルを恐れるとはね。ですが聞いたところ、その都市伝承というのはやはり、貴女のオリジナルではない、と僕は思いますよ。ただの亡霊ですね。貴女とは無関係に近い」
 「そうかしらね……」
 「貴女のオリジナルは、今その地元に帰ったという、「白いメリーさん」その人です。今は普通の老婆になっている、と聞きますが、やはり貴女はその人のドッペルゲンガーなんだと思う。だから、貴女が恐れる老婆、「都市伝承」は、ただの亡霊です」
 「亡霊亡霊と言ってもね……。このままじゃ私はその人に殺されてしまうわ」
 「貴女のセリフとは思えませんねぇ。まぁ今は大人しく治療を受けたばかりで、気分がナーバスになっているのかもしれませんが? 何なら僕が、その都市伝承の老婆を始末して差し上げましょうか? もっとも苦戦するかもしれませんがね」
 「まさか」
 メリーは少しの望みを見、すぐさま顔を背ける。

 「……都市伝承、とは人のウワサです。その情報を狂わせてやればいい。それが世に定着すれば、都市伝承は死に絶えます」
 「果たして、そんな事が可能かしらね……?」
 「それは貴女が下僕にしている、ドッペルゲンガー達を使えばいい。世に混乱の種をまかせているんでしょう? だったら今度は、メリーの都市伝承を流してもらうんですよ。それはある日、劇的に死んだ、とかね」
 「そんな事で……あのおばあさんを殺せるのかしら?」
 「試してみましょう。少なくとも、何らかの打撃は与えられると思いますよ。逆に言えば、都市伝承の弱みとは、そこしかない。彼女がただの生き物じゃないのは確か、なんでしょう? だったら、彼女を産んだ「世間」そのものに狂った情報を深く流せば、彼女をも狂わせる事ができるハズです」
 須藤は胸元から自分の携帯を差し出す。
 「さぁ。下僕のドッペルゲンガー達に連絡をとって、早速、情報操作をしてもらって下さい」
 「ただ、気をつけなきゃならないのは、その情報操作によって、貴女自身も影響を受けるであろう、という事です。まして、複雑な話は世に浸透(しんとう)しない。「白いメリーは何らかの事故によって死んだ」という程度のシンプルなウワサしか、流すのはムリでしょうね」
 そう言い、須藤はひらめいた。
 「丁度いい。……昨晩の事件を使いましょう。貴女はそこで大勢の人間に見られている、んですよね? そこで、白いメリーさんは死に絶えた、というウワサを流すんですよ。できるだけシンプルに、そして説得力があるように」
 そして須藤は笑い出した。
 「……いやいや、もっと傑作な案が思い浮かびました! ドッペルゲンガー達に、白いメリーさんに扮してもらって、人を襲ってもらうんです。そしていざ殺そうとする間際に言うんですよ。『私は死んでしまって、人間一人殺す事ができなくなってしまった……』とね。襲われた方は強烈でしょう。その話を人にせずにはいられなくなります」

 「わかりました。それでいってみましょう……」
 須藤のおどけた顔とは反して、生真面目な顔のまま、メリーは携帯電話を受け取り、頷いた。
 「うまく行けば、都市伝承の老婆と貴女の両者が、チカラを劇的に無くすでしょう。その時、兵隊の多い貴女に勝機が出てくる。そして都市伝承を始末してしまえば、後は好き放題やれるでしょう」
 「……何を言っているの? あのおばあさんを殺せば、私も消滅するわ」
 「しませんよ、きっと。あくまで貴女は、人間のドッペルゲンガーなんです。バケモノに影は生まれません。だから、都市伝承を殺したところで、貴女は死にませんよ」
 そんな須藤のセリフに、メリーは呆れた顔を見せる。
 「どうしてそんな都合のいい勝手な推測を、自信ありげに言えるのかわかりませんけどね……」
 「まぁその辺はこじつけみたいなものでしょうが、的外れでもないと思いますよ? ……ただ、その老婆がいつこちらに来るかしれませんからね。そこは先手を打ちましょうか」
 その時、メリーが手にしている須藤の携帯が鳴った。メリーがビクリとする。

 「誰だ?」
 ふいをつかれた須藤は顔色を悪くし、携帯を取る。
 『……先手を打つって? まぁお前さん方が何をしようが、そう簡単には死んでやれないね。お前さん達、悪タレどもを野放しにしておくと、いずれ人間サマの居場所が無くなっちまうだろうからねぇ?』
 「ほぅ? 人間が生み出した都市伝承だから、人間の味方をすると?」
 『ウワハハハ……。そうかもしれないねぇ。いや、アンタらがやりすぎなきゃいいのさ。文句は言わないよ? ただ、そこにいるお嬢さんがおてんばすぎて困る』
 「おてんばね……」メリーは苦笑する。
 『ところで突然で悪いけど、もうお前さん方の傍まで来ているんだよ。さぁ、どうする?』
 須藤は言われて辺りを見回す。

 にぶい音と共に、倉庫の隅にある扉が開かれる。そして黒電話を手にした白いドレス姿の老婆が、そこに姿を現した。


― 35 ―


 須藤は臆する事なく、老婆に足を向ける。
 「これはこれは都市伝承サマのご到着ですか……。僕が須藤です。よろしく」
 「よろしく、じゃないよ、まったく。何だい、アンタは?」
 白い老婆は黒電話を抱えたまま、須藤が来るのを待ち受ける。

 「僕はただのドッペルゲンガーですよ。まぁもっとも、長年やってきたのでね、そろそろオリジナルと完全に入れ替わっている頃合だと思うのですが」
 「……何? そんな事があるのかい?」
 話を流すつもりで聞いていた老婆は、思わず顔をあげる。

 「あぁ、もちろんですよ。僕らはメリーさんに戸籍だけもらうワケじゃない。人間と摩り替えてもらうんですから。個人差はありますが、いずれそうなります」
 須藤は老婆の手前数メートルの所で足を止める。
 「ところで、メリーさんを殺すのだけは勘弁していただきたい。……貴女も人殺しの都市伝承だ。神サマってワケじゃない。話がわからなくもないでしょう?」
 「やりすぎ、なんだよ、あの子は……」
 老婆はメリーの姿を探る。奥の暗がりに、それらしき姿を見る。
 「今更急に正義カゼを吹かされても困りますね。貴女にメリーさんを殺す資格はない。それに何故、貴女が正義カゼを吹かせるのかが疑問ですね」

 「そんなんじゃないよ……。アタシら都市伝承はこの世の「オマケ」だ。幽霊みたいに、あるかないかわからない範疇(はんちゅう)でいなきゃならないものなんだ。アタシらのチカラは強大すぎる。その気になれば、世の中に壊滅的な打撃を与えてしまう事だってできるんだ。誰だって殺せるしね」
 「だから、つつましくやっていけ、と?」須藤が問う。
 「そんなところだね。別に人間の味方をしようとか、そんなんじゃない。アタシは自分から動くもんじゃない。呼ばれなきゃ、どこにも出ていかないしさ。でも、「白いメリー」という都市伝承が、世間サマを大きく騒がし続けるのは黙って見ていられない」

 「?!」
 話の途中で、老婆は顔を上げる。須藤が急に歩を寄せて来たのだ。
 「近づくと、殺すよ?!」
 それでも須藤は動じない。老婆の方が青くなる。

 黒電話が足元に落ちた。
 派手に転げ、砕けていく。
 「ぐわぁああっ……?!」
 老婆は後ろから首を締められていた。

 目をギラつかせ、メリーは老婆の首を掴んでいる両手を絞っていく。
 「……メ、メリー……やめろっ! アタシという枷(かせ)を無くしたら……、オマエはこの世をメチャクチャにしてしまう!」
 須藤が老婆の両腕を掴む。足蹴りを避けるため、老婆を抱けるほど近づく。
 「この世がメチャクチャに? ……ほぅ、それはぜひ拝見してみたい。僕らバケモノはいつも、この平穏な世に、もっと大きな刺激を求めているものでね」
 須藤は老婆の腕が折れるほど、きつく掴む。
 「いたい痛い……! お、オマエら……!! よってたかってこのアタシを殺すなんて……!! この悪党どもっ!」
 そんな老婆の泣き言に、メリーは思わず吹き出した。
 「アハハハハ……! ホントわからないおばあさんねぇ〜……。こうして見ると、どうして恐れていたのか、不思議なくらいよ。……さぁおばあさん? 可愛い孫の手にかかって死にましょうね〜……?」
 メリーはぎりぎりと老婆の首を締めきる。その立っているチカラが緩んだところで、老婆の首をへし折った。

 「やりましたね……」
 須藤は老婆の手を離す。それは足元に崩れ落ちた。
 メリーも目を輝かせて微笑んでいる。
 「まさかこんな局面が、こんなに早く訪れるとは思ってもみませんでした。ありがとうございます、須藤さん……」
 「なぁに。僕は手を握っていただけの事ですから。じゃ向こうから灯油を持って来ます。生き返らないとも限らない。燃やしておきましょう」
 メリーはうなずき、そして老婆の死体から少し離れる。
 そして須藤が戻って来るまでの間、老婆を静かに見続けた。

 須藤が灯油缶を手に、戻って来る。
 「ホントにあっけない最期でしたね。まぁもっとも、都市伝承をこうして物理的に殺せるとは、夢にも思っていなかったワケですが……」
 灯油缶の栓を抜き、老婆にそれをかけ始める。
 その時、須藤の携帯電話が鳴った。
 「……そうら来た。甘かったようですね?」
 灯油缶を置き、電話を受ける。

 『……モシモシ、私メリーよ。私を殺そうとしてもダメね。生身の人間じゃないんですもの』
 気味の悪い声色を使っているが、明らかに、目の前で横たわっている老婆からの電話だ。須藤は首を振る。
 「さすが都市伝承、と敬意を示しておきましょう。簡単には死んでいただけませんか。……で、復活のご予定は?」
 老婆は声色をやめる。
 『……そうだねぇ。アンタらがアタシの死体を始末してくれないと、ちょっと身動きがとれないね。この世に、アタシの体をいくつも持たせる事はできないからさ。少し、時間がかかるかね』
 「そうですか。それは好都合というものです。貴女がお休みの間、我々は多少の手を打たせていただく事にしますよ。できればごゆっくり、お休み下さい……」
 『オホホホホ。そうかい。まぁ年寄りだからムリもできないしさ。……ところで、さっきの話は本当なのかい? ドッペルゲンガーとしてのアンタが、人間として完全に入れ替わるっていうのは……』
 「何か気になる事でも?」
 『気になるさ。その逆もあるんだろう?』
 「逆、と言いますと?」
 『ドッペルゲンガーに摩り替わられた人間の方が、ドッペルゲンガーになってしまうって事さ……』
 「あぁ。それはそうでしょうね」
 須藤は事もなく答える。
 『……よくわかった。あんまりのんびりもしてられないね。アタシが見込んだ可愛い子達を、そんな目にあわせたくはないからね……』
 電話が切れる。須藤はメリーに説明する。
 「老婆からです。大した痛手もなく、生きている様子ですね」

 メリーは顔をしかめる。
 「殺せなかったなんて……残念ね。また怯えていなきゃならないのね……」
 「死体を、放っておきますか? 老婆が復活するまで、多少なりとも時間を稼げるかもしれません」
 「冗談じゃないわ。このおばあさんの事ですもの。今すぐにでも、起き上がってきそうよ。……燃やして下さいな」
 「そうですね」
 須藤は老婆の死体に再度、灯油をかけだす。そしてマッチをすり、老婆へ放る。
 勢いよく火が上がり、老婆は炎に包まれる。
 メリーと須藤はその様を、長く見つめ続けた。





 朝九時すぎ。開店したばかりの店内は、やや穏やかな空気に包まれている。
 それでも、児玉は初めて見る光景に圧倒されてしまっていた。

 広く、きらびやかな店内。ズラリと並ぶパチンコの台、列。何百台あるのかわからない。そして行き交う大勢の客。店内に響く、煽(あお)るような活気のある曲……。まるで場違いなクラブにでも迷い込んでしまったような錯覚を覚えた。
 「いきなりスロットは無理だろうから〜、簡単なパチンコから行こうね〜?」
 バッグをロッカーに預けた佐々木は、身軽になって店内を駆け巡る。児玉はパチンコなどする気は全くない。しかし、ムリに握らされた十万円を返却しようにも、受け取ってもらえないままでいた。

 佐々木はパッキーカードの自動販売機を指差す。
 「これでカードを買うのね。買い方教えてあげるから、自分でやってみて」
 佐々木は上機嫌だ。根っからギャンブルが好きなのかもしれない。だが、強引なところがある。児玉は強く断れないまま、佐々木の話を聞いているしかない。
 「ホラ、ここに3000と5000と10000、のカードがあるよね? じゃ、一万円のを買いま〜す」
 佐々木は販売機に札を滑り込ませ、出て来たカードを取る。
 「は〜い。コレあげる」
 児玉は佐々木から差し出されたカードを見つめる。
 「……あの、受け取れません、私……。ホントにできませんから。許して下さい……」
 胸が痛い。心の中で何度も、<お姉ちゃん>と叫びをあげる。涙すら、出てきそうになる。こんな所にいる自分が、恥ずかしくてたまらない。

 「許して下さい? 何よそれ……。あのさぁ? そんなに深刻な顔しないで頂戴よ。ここまで来て、何言ってんの! ほらあ!」
 佐々木は児玉の手に無理やり握らせる。
 「イヤですっ!!」
 児玉は叫び、そこから逃げ出した。





 「何なのよあの子は……? ワケわかんないわねぇ……」
 佐々木は落ちたカードを拾い上げ、仕方なく自分が使う事にする。
 テキトウに座り、パチンコを打ち始める。
 「ホントにねぇ……バカじゃないの? パチンコくらいできなくてどうすんのよ? ……と言うか、それ以外の楽しみって、何かあるワケなの??」
 ぶつぶつ文句を言いながら数分打つ。
 すると、信頼度の高いリーチ予告アクションが来た。スーパーリーチに発展する。
 「こりゃ早速来たかな……?」
 しかし、ドラムは778で停止した。
 「あれ、ダメじゃん……?」

 そしていつまでも当たらないまま、一万円のパッキーカードを使い果たしてしまった。佐々木はしばらく呆ける。
 「? ……めずらしい事もあるもんね?」
 席を立ち、また一万円のカードを購入する。少し背筋が寒く感じた。





 「何で当たんないの……?」
 二枚目のカードも使いきり、回転数は500をゆうに越える。大当たりは来ない。
 「アタシが当たらないなんて、ありえないよ……。インチキしてんじゃないの、この店……?」

 パチンコはダメだと頭を切り替え、今度はスロットのコーナーへ行く。喉の渇きを覚え、缶ジュースを買う。
 「このアタシからギャンブル運を取ったら……何にも残らないんだからさ……。頼むよ、メリーさん……?」
 祈る気持ちで、スロットの前へ。札を投入し、メダルを取る。
 「……当たるよね……? 絶対来るに決まってるよ……」
 そうして二千円突っ込んだところで、BIGボーナスが来た。
 「ほうら、来たじゃん……」
 佐々木に笑顔が戻る。

 だが。それはほどなくノマれ、また札を投入しなければならないハメになった。
 それ以後、投資を重ね続け、いいかげん佐々木も気付き始めていた。
 ――事情は知らないが、自分からギャンブル運のツキが無くなっている事を。


 台を離れ、自動販売機の並ぶ休憩コーナーの長椅子に腰をかける。やたら疲れ、頭の中が熱くなっていた。
 「今日だけに決まってる。今日はちょっと調子が悪いだけよ。……それとも何? あの児玉ちゃんと出会ったから運が狂ったとか?」
 しかし、佐々木はその考えをすぐに打ち消す。
 「とにかく、あの子探さないとね……。まぁどうせアタシを頼って戻って来るでしょうから、待っててもいいけどさ」
 そうして台の方を見るが、もう勝てる気がしなかった。
 途端、自分の所持金が、心細く感じられてきたのだった。


― 36 ―


 午後二時過ぎ。
 佐々木はスロットで三万円すられ、パチンコに戻って見るものの、めざましい当たりは来ないまま、ずるずると金を取られ続けていた。
 そして、いつまで待っても戻って来ない児玉にシビレを切らせて、佐々木はギヤ・バッグを手に店を出た。

 だが見知らぬこの町で、探すアテなどあるはずもない。
 「どこ行っちゃったのよ、あの子……」
 バッグがやけに重い。疲れてしまっていた。歩道脇にあるベンチにふらふらと腰をかける。
 (何なのよ、ホントに……)

 ――異常なツキを無くした。
 今までギャンブルで、生活費を難なく稼げていたその運。しかし、それがここにきて突然、本当に無くなってしまったのだとしたら、この先どうすればいいのだろう?
 (あのドッペルゲンガー……つまり、「戸籍上のアタシ」が死んじゃったから、かな……? だから、運の偏(かたよ)りみたいなものもオジャンになった……? それと同時にもしかすると、メリーさんに見捨てられたのかもね……)
 信じていた特殊なチカラを失い、佐々木は途方に暮れる。活力をも失い、このまま倒れこんで寝てしまいたかった。

 たかだかこの半日で、五万円以上ムダに浪費してしまっていた。それが世では通常なのかわからないが、勝ち続けるのが当たり前だった自分にとっては、もちろん初めての事だ。ショックも大きい。
 ……どんどんと消え行く札。ただ無意味に金を奪われ続けていくのが、たまらなく怖かった。
 「ダメなヤツだなぁ……アタシってばさ……」
 悔しさと脱力感に抑え込まれながら、ただうつむき続ける事しかできない。

 視界の隅に、行き交う人々の足元が流れ続ける。綺麗な靴の群れ。しっかりとした足つき。楽しげな会話。普通の人達。ちゃんとした居場所があり、毎日を安心して暮らしている人達……。途端に、うつむき続けている自分が笑われているような気になり、逃げ出したくなる。
 ――虚勢を張り、めいっぱいのオシャレをして、アウトサイダー(のけ者)きどりで生きてきた今まで。
 その虚勢を張れたのも、ギャンブルの異常なツキがあったお蔭なのだ。それを無くしてしまっては、終わりだ。……先には、何も無い。

 (頼むよ……助けてよ、メリーさん……。そんなイジワルしないでよ……)
 自分は弱い。ただ一度の痛手で、こうも弱く崩れてしまうのだ。
 「メリーさん……お願いですから……見捨てないで下さい……」
 佐々木は小さく呟き、バッグを引き寄せて抱え込み、苦しげに目を閉じた。





 同じ頃。メリーと須藤は、廃倉庫を後にしようとしていた。
 倉庫脇の古びた乗用車。古びてはいるが、多少の高級車である。後部座席に、医療器具などの入ったバッグを積み込む。車は昼前、一時間かけて内部の掃除をされていて、清潔さを取り戻していた。そして先ほど、ボディの水洗いを終えたばかりだった。
 仕上げとばかりに、助手席をまたタオルで乾拭きした後、須藤はにこやかにメリーを招き入れる。
 「さぁ、お姫さま。どうぞ」
 「ありがとう、須藤さん」
 メリーは苦笑し、車に乗り込んだ。くたびれた中年にしか見えない須藤だが、それなりの見栄があるのだと察する。
 須藤も車に乗り込む。
 「で。その、パソコンに詳しい、阿部クンというのがこの近くに?」
 「そうですね。そんなに近くでもありませんけど。車で三時間くらいかしらね。阿部さんにはご迷惑でしょうけど、あの方の近くにいた方が、色々と行動しやすいでしょうから。……もっとも、何らかのウワサを流したところで、その効果がどれだけ出るのかは疑問ですけどね」
 「……まぁそう言わずに。相手は都市伝承ですからね。言わば、世の中が作り出した「創作物」なんです。だったら、その創作者である世間を歪めてやれば、何かが変わるハズです。……まぁ、その阿部クンとやらに意見を求めてもいいでしょう」
 とにかく、須藤は車を出す。幅の広い砂利道を抜け、舗装道に出る。

 「須藤さん、何か食べませんか? お腹がすいてらっしゃるでしょう? お昼抜きで、車を掃除してらしたから……」
 「……あぁ、確かにね。すきましたよ。ここ近年はやけに、人間らしくなってきまして。意識が途切れる事も全く無くなりましたね。たまに寝れば、夢すら見るようになりましたから。ははは」
 「……そういうものなのかしらね」
 メリーはすまし顔で聞き流す。
 片側一車線の狭い商店街を抜け、国道に突き当たる。メリーの指示で、北へ折れる。

 車は爽快な流れに入る。メリーは思い出したように呟(つぶや)いた。
 「……阿部さんは幼少の頃に、「天然で」オリジナルと入れ替わった方です。私が介入した方じゃないんですね」
 「天然、と言いますと……?」
 「ドッペルゲンガーとしてこの世を彷徨(さまよ)って、そしてオリジナルをその足で捜しあてた方なんですよ。滅多にいないと聞きますけどね。そして阿部さんの場合、オリジナルを殺さなかった。出会ったのが幼少の頃でしたので、殺すんじゃなく……、友達になった、って……」
 メリーはクスクスと笑い出す。須藤はぎょっとする。
 「まぁそれはともかくとして、阿部さんは優秀ですので。それに、あの方は都市伝承のホームページも持ってらして。須藤さんのアイディアを実行するに、何かと都合がいいんです」
 「え? ホームページ、ですか……まいったな。完璧だ」
 須藤は頭をかく。集客が上手ければ、「都市伝承」の情報操作はやりやすいだろう。大手のサイト運営者ならば、特に都合がいい。
 「じゃ、これから遅い昼食でも済ませましょうか。メリーさんも何か?」
 「えぇ、そうね。戴くわ。美味しいものは好きですから」





 「……佐々木さん!」
 声をかけられ、佐々木はその身を軽く震わせる。ややあって、顔を上げる。
 そこに、児玉がいた。辺りはいつの間にか、暗くなりだしていた。パチンコ店がネオンを放っている。

 「あ、……あぁ、びっくりした。ごめん。寝てたみたい……何だか疲れて……随分寝たのかな……?」
 頬が痛い。抱えているギヤ・バッグのファスナー部分が、寝ている時に顔に当たっていたようだ。
 そして――悲しい夢を見ていたのか。佐々木は危うく、涙をこぼすところだった。

 ――児玉が目の前にいる。抱きつきたい衝動を抑えて、佐々木は苦笑いを浮かべる。
 「今まで、どこに行っていたんですか……探しましたよ、随分……」
 「え?! え〜と……何言ってんの? アタシ、ずっとここにいたよ……?」
 パチンコ店のすぐ傍のベンチ。ここから一歩も動いた記憶はない。

 「何言ってるんですか。いませんでした。何度もこの辺探してたんですから。……もう暗くなるじゃないですか……捜し疲れましたよ、ホントに……」
 やや高揚ぎみに見える児玉は、ベンチの隣にどさりと腰かける。
 この自分をやはり頼ってくれているのか。佐々木はちょっとした感激に、その弱い胸を震わせた。
 「……でも、児玉ちゃん? アタシずっとここにいたんだよ? ホントに。そこにあるパチンコ屋から出て来て、ここに座ったっきりだもん……」
 佐々木は驚いて言うが、児玉は強く首を振る。
 「いませんでしたよ、ホントに。……この辺、しつこく探し歩いていたんですから。それにこんな所で寝てちゃ、誰かに注意されるでしょ?」
 「何よ、いたってのに! ここで、ずっと待ってたんだよ……?」
 待っていた、という自分のセリフに恥ずかしくなり、佐々木は口を閉ざす。……もう、どうでもいい。こうして児玉が戻って来てくれたのだから。

 児玉の方も、どうでも良くなった。ギャンブルを強要されるのは嫌だが、今ここで頼れるのは佐々木しかいないのだ。
 「……わかりました。すみません」
 実質的に児玉が折れ、話はややまとまる。そして二人は並んで座ったまま、少し無言を続けた。

 「お腹すいてない……?」
 佐々木が弱く聞く。
 「そうですね……すきましたね。それにしても、ここで寝てただなんて……。警察とか来ませんでした? ここ、駅から近いでしょ。交番もすぐその辺にありましたから……」
 そう言い佐々木を見やると、その姿はそこに無かった。

 「……えっ?! 佐々木さんっ?!」
 辺りを見回す。しかし……、いない。
 立ち上がって視界を探るが、見当たらない。あの大きなバッグ姿を、簡単に見失うワケがない。
 ……そうじゃない。確かに――忽然と、消えた。すぐ隣に座っていたのだ。立ち上がる時に気付かないなんて、考えられない。

 「……佐々木さん……」
 一言もなく、消えた佐々木。目の前で起きたそれが、児玉には受け入れられないでいる。何があったのか、わからない。
 どうする事もできずに、児玉は長くその場にたたずみ続けた。 


― 37 ―


 夕過ぎ。日が落ちようとしている頃。須藤が運転する車は寂れた町並みを越し、目的地であるアパートに到着した。
 周囲は多少の田畑と民家が数軒見える程度。その駐車場は十台ほど停められるようになっているが、今は一台しか停まっていない。須藤はそこに横付けする。
 「カンジからすると、空き部屋が多そうですね。好都合だ」
 須藤は二階建てのアパートを見上げて満足そうに微笑む。いずれ自分もここに部屋を借りて、阿部との共同作業にかからねばならない。
 「5号室ですって。今晩の阿部さんの夜勤が始まる前に、あらかたの話を終えてしまえればいいですね」
 先ほど、車中でメリーは阿部に連絡をとっていた。阿部はメリーの相談話に快諾(かいだく:心よく引き受ける)したのだった。
 メリーと須藤は正面奥の階段を上がり、5号室前に行く。ブザーを押すとすぐに、感じの良さそうな小柄な青年が出迎えてくれた。阿部だ。
 「……これはどうも。メリーさんもお久しぶりです。さぁどうぞ上がって下さい」
 室内に通される。中はガラリとしたものだった。TVとパソコンと本棚。そして部屋の中央に折りたたみのテーブルが一つ。他に無駄な物が見当たらない。

 「……見事なもんだな、阿部クン。君は人間になってからまだ日が浅いのかい?」
 驚いた須藤が聞く。ここまで物に執着のない人間もめずらしいと感心する。
 「……そうでもありません。僕は無駄を切り捨てるのが好きなだけです。で、今僕は24歳なんですが、人間になったのは8つの時です。もうかれこれ16年ほどやっているんですね。完全に、僕とオリジナルは入れ替わりました」
 阿部が差し出す手を、須藤は握り返す。
 「僕は須藤と言う。僕も君と同じクチだ。だが、入れ替わってまだ数年でね。地に足がついていない。たまにまだ消えかける事もあるから、人間には成り切れていないようだ」
 「……そうですか。まぁ人間になったからって、特に便利になるものでもありませんよ。ただ僕らは元が化け物ですので、普通の人間よりは多少便利な事ができる程度ですね。見えないものが見えたりとか……。犯罪などもしやすいですね。人間より目鼻が利きますから、捕まるようなヘボはしません」
 そして阿部はデスクトップパソコンの前の椅子に座る。パソコンには、ホームページが表示されてある。
 「さっき、メリーさんに電話でお話しした、僕のサイトがコレです。「怖い、都市伝承」。……まぁおかげさまでアクセス数は日々5000程度ですね。まぁ5年もやっていましたから、自然と。この程度だと、大手サイトとは呼べないんですけどね」
 「や、日々5000人が覗きに来るんなら立派なもんだろう? で、メリーさんの情報も載っているワケだね?」
 須藤が聞く。
 「……まぁそうですね。紹介している都市伝承の種類が多いために、個々は簡単な紹介に留めてありますけどね」
 須藤とメリーが画面に顔を近づけてきたので、阿部は笑いながら席を退く。

 「まぁ、しかしですね、さっきのお話。メリーさんの死亡説をネットで流すという話ですが……僕はその方法はあまりうまくないと思います」
 阿部がそうはっきり言う。
 「ほぅ? どうしてだい?」
 「都市伝承というのは、口承で伝わるからこそ、臨場感があるんです。伝える人間には演出もある。だからこそ、口承が望ましい。……ネットで怖い話を聞いたところで、ヒトの記憶に痛烈な印象を残す事はきっと難しいんです。ネットのチカラは強いようでいて……、実はさほどでもないと思うんですね。例えば、僕のサイトがある日突然閉鎖したとして、困る人間は誰もいない」
 「ははは……。こりゃ冷めたお方だ……」
 須藤は笑う。
 「まぁお疲れでしょうから、その辺に座って下さい。今、何か持って来ますから」
 阿部は奥まった隣のキッチンに行く。須藤とメリーはテーブル脇の座布団に、向かい合って腰を下ろした。

 「信頼できそうな方でしょう?」
 メリーは須藤に小さく問う。
 「あぁ、その辺は全く心配いらないようですね」
 須藤も短く応える。
 ややあって、阿部が缶ジュースや茶菓子を持って来て、テーブルに並べた。
 「で? 僕はあまり事態を把握していないんですよ。メリーさんというのは一体、何人いらっしゃるんです?」
 それに、メリーが応える。
 「私を含めて、三人ね。まず、都市伝承を生むきっかけとなった、人間の老婆が一人。この方は無害ね。もうこの舞台に出て来る事は無いでしょうから。……そして、都市伝承として人間が生み出した妖怪が一人。今、私の敵になっているのがこの方ね。私がやり過ぎているから、お仕置きに殺そうだなんてしている、怖いおばあさんね」
 「……はぁ。おばあさんが二人……ですか?」
 阿部は初めて耳にしたのか、あどけない顔で何度もうなずいてみせる。

 「その驚きようは、都市伝承を扱っているサイトの管理人さんとは思えませんね? そして、私はそのお二方のドッペルゲンガーなんですね。実は、どちらのドッペルゲンガーなのか、私にもよくわからないの。オリジナル自体が一風変わっているものですから、見えない部分が多いのね」
 メリーは声を出してため息をつく。
 そこで須藤が口を出す。
 「僕は「貴女は人間の老婆のドッペルゲンガーなんだ」とメリーさんに言っているんですが、どうも信じてもらえないらしい」
 「それはあくまでも希望的推測ですから」
 メリーは確証のない希望を持つ事が嫌いだ。

 「それにしても、メリーさんが三人もいるとは……。じゃあ、貴女以外の二人は始末してしまいたいですね。……でも、それでは貴女も死んでしまいますか。と、すればオリジナルを見分けてから行動すべきでしょうか?」
 「そうね。で、おそらく私は二人分のドッペルゲンガーなのよ。あの二人は同一人物と言って差し支えないと思うわ。人間の老婆にチカラが無い分、都市伝承がそれを補っているのね。それはともかく、あの都市伝承のおばあさんは殺してしまいたいの。それで私も一緒に死んでしまうんだとしてもね……」
 メリーは静かに言う。

 「……わかりました。その都市伝承を殺す目的で、僕らは話を進めていって構わないんですね? ですが、僕のサイトを使ったところで、その都市伝承をどうにかできるとは思えません。さっきも言いましたが、ネットのチカラなんてそんなに強大なものじゃないんです。逆を言えば、よほど強大なチカラを持った者でないと、ネットでの情報操作なんてできません。僕のサイトは日々5000人訪れると言いましたが、実質はその半分くらいかもしれません。一人がワンクリック(1回だけ見る)とは限りませんのでね」
 阿部は茶菓子をほうばり、自分も缶ジュースを開ける。
 「まぁ都市伝承であるその老婆を抹消したい、と思う気持ちはわからなくもないですが、そんな事をネットでしようと思っても、まず無理でしょう。数年かかっても成せないかもしれません。ウワサというものはそう簡単には広まってくれないものです。なぜなら、この世には様々な情報が氾濫(はんらん)しているからです。情報があり過ぎるから、何もかも次々と塗り替えられていって、次々と忘れ去られていってしまう。人々にとって、よほど強く興味をひかないウワサなど、広まりようがないんです」
 阿部はあきらめぎみで言う。須藤達も黙って聞く。

 「そうではなく、やはりメリーさん自身が動くべきでしょう。都市伝承は、貴女が強大になっていくのを恐れている。だからこそ、貴女はもっと派手に動き回り、もっと派手に殺すべきなんです。人は殺人や犯罪のウワサには敏感です。貴女が動けばうごくほど、ウワサは急成長していくでしょう。それは間違いないと思います」
 メリーは首を振る。
 「そうしたいのはやまやまなんですけど、この間ちょっと悪さしたら、すぐあのおばあさんが飛んで来ましてね。殺すころすって、うるさいんですよ。……次また動いたら、きっと殺されます」
 「戦って勝てる相手ではない、と?」
 阿部が鋭く聞く。
 「おそらく、勝てないでしょう。まともに向き合ったら、殺されます。あの方が死ぬのかどうかも疑わしいんです……」
 メリーはコーラを飲み終え、「もう一本」と指を立てる。阿部はキッチンからすぐ取ってくる。ニコリとしてメリーはそれをまた飲み始める。
 「あの都市伝承のおばあさんを始末しなきゃ、私に明日はないんです。……で何か、阿部さんにいいアイディアがないかと、お聞きしたかったんです。貴方は頭がよろしいですから」

 「またそんな……。でも僕が思うに、都市伝承のメリーは引退しかけていませんか? 世で言う「白いメリーさん」は、貴女に移りつつある。昔は確かに、白いドレスを着た老婆のウワサが流れていました。しかしここ近年は、決して「白いメリーさんが老婆だ」と断定されているワケでもない。それは、貴女が世に浸透(しんとう:知れ渡る)しかけている証拠なのかもしれません」
 阿部の話に、メリーは顔をしかめて悩みこむ。そうであって欲しいと思うのだが、実際どうなのかはわからない。
 阿部は続ける。
 「だからこそ、都市伝承の老婆は貴女を恐れている。これ以上、貴女が強大になったら、自分では手のほどこしようがない事を悟っているんですよ。……つまりですね、貴女は老婆を恐れずに、動き回るべきなんです。派手に人を殺しまくり、もっと強大なものになっていくべきなんですよ。その間、僕らが盾となって貴女を守る。……そういうのはどうです?」
 「なるほどねぇ……。ただ、大変そうだな、僕らも」
 須藤は阿部の意見に納得の色を示す。

 「ありがたい申し出なんですけど……とてもご迷惑をおかけしちゃうわね。それでも構わないんですか?」
 メリーの顔にいたずら色が見える。今の阿部の話が気に入ったのだ。
 「もちろん構いませんよ。須藤さんも?」
 「もちろんだ」
 阿部も須藤も迷いはない。
 「ただ、失敗は許されないからね。その辺は充分に気をつけていこうじゃないか。このお姫さまを殺されちゃあ、ゲームオーバーだ。その辺の計画というのも考えていこう。もっと兵隊を増やすとかね」
 「そうですね。メリーさんに心当たりはありますか?」
 阿部の問いに、メリーは首をかしげる。
 「……残念ですけど、貴方方の他は思い当たりませんね。一番優秀だった、佐々木さんという方が殺されたばかりでしてね……。女の方だったんですが。おとといの晩の事件、ですね。阿部さんはご存知かしらね。……で、あの時、都市伝承に私の体を乗っ取られて、拳銃で撃たれて死んでしまいました」
 「体を乗っ取る?? それは危ないじゃないですか……!」
 阿部が奇声を上げる。メリーの体を乗っ取られ、自殺をされようものなら、守りようがない。
 「普段はないんですけど……どうもクスリを飲んで、意識が朦朧(もうろう)としている時などが危ないようですね。気をつけます……。もうそのクスリは無いんですけどね」
 そう言い、メリーはあのクスリでの快感を思い出したのか、目を細めてニヤついた。未練の色がある。

 「この先、貴方方二人に、私の命を預けます。……どうぞ守ってくださいね?」
 メリーは丁寧に頭を下げる。メリーなりのフザケ方なのだ。阿部と須藤は顔を見合わせて苦笑する。
 「もちろんですよ。それじゃ早いウチに、ここの部屋を借りる手はずを済ませておきましょうか。阿部クン、隣の部屋にでもごやっかいになるから、よろしく」
 「えぇ、わかりました。しかしもう夜になりますよ? 今晩は僕の部屋に泊まったら? 僕は今晩夜勤なので、朝まで帰りませんから」
 「……あぁそうなのかい? まぁ今から手続きは無理か。じゃ、そうさせてもらうかな。まぁどうせ僕は寝ないんだけどね。その辺を散歩するかもしれない」
 「そうですか。寝なくていいのは便利ですね。僕は睡眠の習慣がついてしまったものですから、まるで人間そのものですよ。……で、メリーさんもご一緒に?」
 「私は電灯のように、点いたり消えたりできますから。ご心配なく」
 「あぁ、それも便利ですね。僕も昔はそうだったと思います。……ところで、メリーさんはオリジナルと入れ替わる、という事は無いんですか?」
 阿部の問いに、メリーはにこやかに応える。
 「オリジナルが普通じゃないから、おそらく無いんじゃないでしょうか。もっとも都市伝承は別として、人間のおばあさんの方とは会った事がありませんからね。もしかしたら、会えば人間になっていくのかもしれませんけど……。でもそれじゃ今後何かと不便になりそうですのでね、やっぱり遠慮しておきます」

 須藤は缶コーヒーを飲み干す。
 「ところで、阿部クンのオリジナルってのはどこにいるんだい? メリーさんから聞いたんだが、君はオリジナルを自分の足で見つけたそうじゃないか。どうやったんだい? すごいな」
 「見つけたのは、たまたまですよ。夕暮れ時、お互い一人寂しく長い道路沿いを歩いていましてね。出会えましたよ。……で、僕のオリジナルというのは、今はこの僕自身になりました。高校を迎えた頃ですね。人間になるまでおよそ五年かかりました。それで僕は完全に入れ替わったんですね。その間、オリジナルの方が段々と消えかけるようになっていったんですね。そしてどんどん消える時間が長くなっていって、終いには幽霊と大差ない存在になってしまって……後は自然に消滅してしまいました」
 「消滅? そりゃ驚いたな……」
 須藤は目を丸くする。「じゃあ僕のオリジナルも、今頃消えてしまっているかもしれないなぁ……」
 阿部はうつむく。
 「僕はオリジナルの事を嫌いじゃなかったんですけどね。子供の頃はよく遊びましたから。で、オリジナルはいじめられっ子でしてね。友達がいないから、僕を慕ってくれたんですね。不思議と仲良くなれましたよ。僕の邪気も、その頃は人間を殺そうとするほど強くはなくて、小動物殺しに留まっていましたから。……ただ一緒に長い時間はいられなかった。お互いに相反する何かがあったんでしょうか。息が切れてくるんですね」
 「で、ヤツが消滅した時は無念でした。大切な相棒を失ってしまったような感じがして。……まぁ消滅したというのは思い込みかもしれません。今もどこかでひっそりと生きているのかもしれません。ただ、それからもう十年近くも目にしていませんのでね。おそらくは消えてしまったんじゃないかと」
 「なるほどね……」
 須藤は軽く同情する。

 「……それはともかく、もう少ししたら夕食をご馳走しましょう。九時から夜勤なんですよ。八時には出かけます。……まるで人間でしょう?」
 「ははは。リアルな生活を送っているんだね。働くのは辛いだろう?」
 「そうですね。でも何も考えなくていいので、熱中できますよ? 工場で働いているんですが。まぁ人間関係だけは、うまくいっているとはとても言い難いんですけどね」
 そんな阿部の話に、須藤は首を振る。
 「まぁ根本的に人間と僕らは異種だからね。どう頑張っても仲良く酒を飲める間柄にはなれんだろう。……それにしても働くだなんてイヤな話だね。僕はそんな気なんてまるで起こらなくてね。資産を食いつぶすだけの生き方だよ。どうせ、そんなに長く生きようとは思っていないからいいんだけどね……」
 「まぁ須藤さんもその内、変わっていくかもしれませんよ。金を得れば、自由が利きますからね。それに僕はこの世に色々と残したいものがあるんですよ。ホームページもその一環です」
 「この世に残したいものだって?! ……おいおい、君はただの人間じゃないのか? 信じられないね、お仲間だなんて……」
 「そうでもありません。たまに人は殺しますし、悪いいたずらもしますから。ただ、この世は結構面白いですからね。やる気になれば色々な事ができますので」
 「そんなものかねぇ……」
 須藤の顔には感心と呆れが入り交ざる。

 「まぁとにかく、メリーさんと須藤さんに来ていただいて、僕の今後にまた新たな張りができた、と言うものです。喜んで協力させていただきますよ。できる範囲でね」
 「ありがとう、阿部さん……きっとそう言ってくださると信じていました」
 メリーは調子よく微笑む。
 「まぁ、僕も退屈していましたのでね。と言いますか、僕は阿部クンとは違って、今後に希望的観測はまるで無い。僕は納得のいく死に場所を求めているだけなんでね。都市伝承と相打てるなら、それはそれで満足がいくというものですよ。ただ、僕も戦って勝てる自信はありませんがね。役立たずで終わってしまったら、申し訳ない」
 須藤も決心をみせる。
 「ありがとうございます……」
 メリーは深く礼をする。
 「……それじゃ、お夕飯が何なのか、楽しみにさせて頂きますね、阿部さん?」
 そんなメリーのセリフに、二人は一瞬、心底呆れた顔を見せたのだった。


― 38 ―


 午後八時過ぎ。
 児玉は歩き疲れて駅前のベンチにへたり込んだ。やや大きな駅だ。二階建てで、ショッピングのテナント等も入っている。加えて地下もある。

 夕過ぎ。この駅付近の、パチンコ屋の店先のベンチにて一度姿を見せた佐々木は、ものの数分でまた行方をくらませた。
 その消え方も異常だった。立ち去ったのではなく、文字通り「消えた」のだ。自分の目の前で。

 不可思議な現象にとまどいつつも、児玉はあきらめずにこの時間まで周囲をくまなく探し回った。だがそれは不毛に終わった。駅前にある数軒のパチンコ店内を丁寧に歩き回り、駅の広い構内を駆け巡り、近くのコンビニやゲームセンター、思い立ってオフィスビルの中まで覗いて歩いたのだ。街中の路地裏もしつこく徘徊した。歩けるだけ、歩き回った。……しかし、佐々木を見つける事はかなわなかった。

 「寒い……」
 今の季節は夏を過ぎ、夜は肌寒い。歩き回って汗をかいたから、なおさらだ。靴擦れして、かかとも痛い。考えてみれば、佐々木にコーディネイトしてもらったこの服に、自前の学生用の革靴は似合わない。児玉は軽く苦笑する。
 「佐々木さん、帰ってくるよね。また会えるよ、絶対……」
 そう言い残し、児玉はベンチから腰をあげた。あんまり遅くなると、宿がとれなくなる恐れもあるだろう。この周囲はさんざん歩き回ったので、地理感覚はついていた。昨晩、佐々木と泊まったビジネスホテルまで、歩いて行こう……。
 今はまた一人になり、心細さに襲われながら、児玉は足を速めた。





 未成年者が一人で泊まれるものなのか不安だったが、心配なく部屋に案内された。派手な服装をしている事もあるし、昨晩の客だとフロントもわかったようだった。
 二階の一室に入り、ベッドに腰かけてしばらく呆ける。そう言えば、夕飯がまだだった。佐々木には悪いが、自分は腹が減っている。階下のレストランで食べてもいいが、おっくうなのでルームサービスにしようと決める。鏡台の上のメニューをとり、ベッドに寝転んで眺める。
 「……ビーフカレー」
 そう決め、フロントに電話を入れる。承知の言葉を聞き、電話を終える。

 またベッドに寝転び、天井を眺める。
 「まったく……何やってるんですかね? 佐々木さんは……。お腹空いてるんじゃないですか? でも、自分で勝手に消えたんですからね。アタシは知りません……」
 深いため息を何度もついた後、児玉はふいに家族の事を思い浮かべる。
 この目で見た、母親の姿。
 ――小柄な体つき。パーマをかけたその頭。優しそうな母親……。
 ほんの数日前の事だ。自分の影が入院し、その付き添いで椅子に座って眠りこけていた、母親……。児玉は目を閉じ、その光景を思い出す。

 今頃……、自分の家族は嘆き悲しんでいる事だろう。自分の娘は、右手を切断され、首を潰されて死んだのだ。もっともそれは本当の娘ではなく、娘のニセモノなのだが。娘――私はここにいる。
 だけど、もう自分というものは終わってしまったのかもしれない。児玉なにがしは、凄惨な事件に巻き込まれ、死んだのだ。そして今いるこの自分は、戸籍も記憶も名前もない生ける亡霊なのだ。
 (……そんな事を簡単には受け入れられないけど……、でも私はまだ生きたい気がする……)

 今の状態のまま、後どれぐらい生きられるのかわからない。もしかすると、ドッペルゲンガーを失ったこの自分も、何らかの影響を受けるのかもしれない。自分も消えて無くなるのかもしれない……。
 (……佐々木さんの、ように……?)

 佐々木の消え方は異常だった。立ち去ったのではない事は確信できる。煙のように消えたのだ。跡形も無く。
 そう思うと、寒気が襲ってくる。
 (違う。人間が消えてなくなるだなんてありえない……! 佐々木さんだって……きっと大丈夫だよ……ちょっとした見間違えか何かよ……)
 児玉は急激に顔をしかめる。
 「何がビーフカレーよ……自分勝手なんだから、アタシは……!」
 やり切れなくなり、児玉は身を縮めた。





 気付くと、疲れ果てていた。険悪な顔で、台を睨んでいる。
 店内には「蛍の光」が流れていた。閉店の知らせだ。もう夜の十一時になろうとしているのだ。
 「ちっともダメじゃん……何よ、この台は……人をバカにして」
 佐々木は台の下皿のコインを箱に移し、少ないながらも換金する事にする。この分では、一万円いくかどうか、だ。金はいくら使ったか、すっかり忘れてしまっていた。十万円を軽く越した気がする。ポケットに突っ込んだハズの札束が、ほとんど見事に消えてしまっている。

 ぼうっとしたまま、コインを換金用の景品と交換し、店を出る。当然のごとく、辺りはもう真っ暗だ。離れた交換所に人が並んでいる。
 「あれ! そう言えばバッグ、どこだっけ?!」
 慌ててポケットにカギを探す。……あった。一度ロッカーから出したハズなのに、また利用していたのだろう。店内に戻り、バッグをロッカーから引き出す。
 そして換金所へ向かう途中、また思い出す。
 「あれ? 児玉ちゃんは……どうしたんだっけ?」

 首をかしげるが、思い出せない。確か夕過ぎ、店前のベンチで一度会ったハズだ。それからの記憶が曖昧(あいまい)だ。自分はどうしてまた、スロットなどを打っていたのだろう……? しかも、この店には見覚えがない。駅前の店とは違う。夕過ぎにあの店を出て、また違う店に自分はふらふらと足を運んでいたのだ。性懲りもなく。
 (アタシってば……異常だね……)
 疲れ果てて、頭も痛い。近くの席で、タバコの煙をもうもうと吐かれたせいだ。だが、自分も好きで座っているのだから仕方ない。

 換金を終え、周囲を見回す。道路向こうには大型の食料品店や酒屋などが並んでいる。ここは郊外であるようだ。道は全くわからない。
 (とにかく、駅前に行こうか……いくらボケてたって、そう遠い所まで来てないでしょ?)

 右手に見える道路は、車の通りが多い。おそらく県道か国道クラスだろう。佐々木はギヤ・バッグを背負い上げ、ふらふらと歩いて行く。
 道路沿いに歩く。そこは国道だ。少し行った先に、道路看板が掲げられてあった。幸い、駅の方角が示されてある。

 「何でこんなトコに来てるんだろうなアタシ……?」
 駅までタクシーを使おうかと思ったが、やめておく。自分の心のよりどころであったギャンブル運は、羽を生やしてどこかへ逃げ去ってしまった。あれは、夢だったのだ。この先、そういった甘い希望は無い。佐々木は今日の大敗を教訓にし、気持ちの切り替えをはかる事にする。……もう、無駄使いは許されない。
 「あ〜あ。児玉ちゃん、どこかなぁ……? 気ぃ利かして、昨日泊まったホテルとかにいてくれりゃあいいんだけど?」
 歩道をずっと歩いて行く。駅までの道のりは歩いて相当ありそうだ。まだまだオフィスビルなどが立ち並んでいて、駅は見えない。
 「……今、手持ちが百万だとして……二人で毎日暮らすのが最低一万円はかかるだろうし……じゃあ生きてられるの、あと百日くらい?」
 そう言ってみて、一人で声をあげて笑う。そしてすぐ、気力を無くす。
 「こんな事になるんなら、もっと稼いどきゃ良かった……」
 買っては捨ててきた衣類。ブランド物。本。自転車も数台。高級ホテルにも何度も泊まった。高額な酒も浴びるように飲んできた。……金を湯水のように使っては、捨ててきたのだ。

 「……でも、アタシは後悔しないよ。それはそれで楽しかったんだから。で、今ここに百万円持ってるアタシがいるのが、再スタートよ。要は、ここからどう生きればいいのか、でしょ? ゆっくり考えていくわよ、アタシなりに」
 佐々木はニッコリと微笑む。お気に入りのギヤ・バッグ。この子はもう、手放さない。
 「生きようね、児玉ちゃん……」
 少しだけ、走ってみる。そして息が切れかけた辺りで、ライトアップされた駅の面影が見え始めた。


― 39 ―


 目を覚ますと、朝の八時を過ぎていた。
 しばらく呆けて周囲を見回し、今自分が置かれている状況を思い出す。
 ――佐々木はいなくなり、自分は借りた十万円を手に、一人でビジネスホテルに泊まっている。

 「こんなトコに毎日泊まってちゃ、すぐお金無くなっちゃうね……」
 素泊まり五千円。一階の軽喫茶店で使える、朝食サービス券五百円分付き。だが昨晩の夕飯にビーフカレーを頼んだので、早くも六千円ほど使ってしまったワケだ。
 十万円あっても、このままでは十日と持たない。朝から憂鬱な気分になる。……先は本当に短い。恐ろしいほどに。
 (この先も生きたいんなら、戸籍を何とかしなくちゃね……。やっぱり警察に行くべきだよね……)
 助かる道は、それしかない。警察に行ったところで例え身元が判明しなくても、保護はしてもらえるハズだ。警察に行けば、命ばかりは助けてもらえるハズなのだ。
 (そうだよね……このまま死んじゃうなんて、勿体ないもん……何にもわからないままでさ)
 それとも先走らないで、佐々木を捜した方がいいのか。少し悩む。
 (でも、警察に行くのは間違いじゃないから……)
 そう児玉は心を決める。ベッドから出て、洗面所に向かった。





 着替えて、一階の軽喫茶店に行く。
 「ね〜遅かったじゃない? 児玉ちゃん」
 席に着く間もなく、聞き覚えのある声をかけられ、児玉は目を丸くして周囲を見回す。

 傍のテーブルに、コーヒーを飲んでいる佐々木がいた。
 「……どうして……?! 今までどこ行ってたんですか……!」
 「まぁまぁ座ってすわって。フロントに聞いたらさ、それらしい子が泊まってるのがわかって。児玉ちゃんだな〜って思ったワケよ」
 佐々木はスッキリした顔でいる。化粧も済ませ、朝食も済ませていたようだ。早起きなのは感心する。
 向かいの席に座り、安堵のため息をつく。

 「どうして急に消えちゃったんですか……? アタシ随分捜しました……」
 「あ〜ごめんね。あれから色々考えてみたんだけど……アタシもよくわかんないんだ。ぷっつりとね、記憶が無くなっちゃってて。どうしてこんな所にいるのかな〜なんてね。アハハハ」
 「……全然笑い事じゃないですよ……」
 来たウェイトレスにモーニングセットを頼む。

 「でもさ、こうしてまた会えたワケだし。いいんじゃないの?」
 佐々木はウェイトレスを呼びとめ、コーヒーのおかわりを頼む。おかわりは自由らしい。 
 「でも、消えちゃうだなんて……アタシにはわかりません……」
 「まぁ本人の意思じゃないんだからさ。許してやってよ? 別にイジワルしたワケじゃないんだから」
 「そういう問題じゃ……」
 児玉はもう問いかける気力をなくした。突然消えた事情を、当人も知らないのではきっと答えは出ない。

 「できるだけ……もういなくならないで下さいね。ところでアタシ、警察に行こうかと思ったんです。やっぱりこのままじゃダメだと思って。先行きが不安ですもんね」
 「……警察ぅ?」
 佐々木が嫌な顔になる。
 「戸籍がわからなくても、保護はしてもらえると思うんです。やっぱりそうするべきですよね?」
 「やだなぁ〜、アタシは。保護してもらうだなんて。どっかの施設送りになるんじゃないの? そんな中途半端な生き方したくなぁい」
 「中途半端って……違いますよ。そんな事ありません。それに、仕方ないじゃないですか。記憶を無くして戸籍もないんじゃ、助けてもらうしかないでしょう……?」
 「別に。アタシは困ってないから。この先の事だって、自力で何とかするよ?アタシは。警察に泣きついて助けてもらうんなら、死んだ方がマシね」
 「またそんな……どうしてそういうひどい事言うんですか……」

 そうこう話している内に、モーニングセットが来る。先日と同じ、トーストとハムエッグとコーヒー。そこで佐々木がわめく。
 「あ!また児玉ちゃんのハムエッグだけ、卵が三つも! これってどういう事よ……! アタシのは二つだったんだよ!」
 そんな事に本気で怒る佐々木に、児玉は首を振る。
 「……どうでもいいじゃないですか、そんな事……」
 「よくないでしょ! 差別よ、これは! 店がはっきりと、客を差別してんのよ! 腹立つわねぇ〜……」
 じっとりと店のカウンターを睨む佐々木。居心地の悪くなったマスターらしき人が厨房に引っ込む。
 「じゃあ、卵一つあげますから」
 「……別にいいわよ、そういう問題じゃないし……」
 佐々木はすっかり意気消沈する。

 児玉は静かに食べながら、ふと思い立った事を告げた。
 「佐々木さん……もし、また急にいなくなっても、このホテルに居てもらえませんか? そうすれば、捜しやすいですから」
 「あ〜……そうね。そうしよっか?」
 「えぇ。もしお金無かったら、アタシ駅前にいますから。駅前のベンチに」
 「うん、わかった」
 「お願いします……」
 なんとなく、この約束が大切なものになるのではないか、とお互い感じるのだった。

 少しして佐々木が口を出す。
 「アタシさ、自転車買おうと思うのね。そうすりゃ移動が少しはラクになるでしょ? 昨日はなんだか歩き疲れちゃって……」
 「自転車ですか……」
 「昨日の夜さ、残りの所持金数えてみたワケ。そしたら百四十万ちょいあるのね。でも、アタシのギャンブル運が今後期待できそうにないから、そのお金を大事に使っていこうと思うんだ。だから移動手段は主に自転車ってコトで。タクシーとか使うんなら、その分少しでもおいしい物食べたいじゃない?」
 児玉はその自転車が大きなムダ遣いになるんじゃないか、と不安だったが、あまり逆らいたい気分でもなかった。
 「……おまかせします」
 「またそんな堅くならなくったって……。じゃ自転車乗って、どっか遊びに行こうね? 温泉探しとかさ?!」
 「この辺に無かったらどうするんですか……」
 「あるわよ〜絶対。……あ、じゃ行く前に駅前に行ってさ、観光場所確かめて来ようか? 温泉以外にも何か面白いのあるかもしれないし?」
 「そうですね……」
 いつの間にかちょっとした旅行気分を味わっている自分達に、児玉はおかしくなるのだった。





 部屋に戻り、身支度を整えていると、電話がかかってきた。
 「……フロントから?」
 佐々木はとにかく、出てみる。

 「やぁおはようさん……。アタシが誰だかわかるかい、佐々木ちゃん……?」
 しわがれた老婆の声。佐々木には覚えがない。
 
 「……あぁ、そうかい。わからないようだね。じゃあゆっくりと説明してあげようか。今朝は天気もいいし、気分が良いからね。……アンタの右肩に、蝶が一匹、いつでも留まってるねぇ。それを彫ったばばあの顔を、アンタは覚えていないかい……?」
 そう言われ、佐々木の顔は蒼白になる。「……貴女は誰?」

 「あぁ、やっぱり覚えていないね。その蝶は「オオミドリシジミ」って言ってたね。水色の綺麗な蝶だ。今のアンタは覚えていないかもしれないけど、その蝶を選んだのはアンタだね。わざわざ調べてきたそうじゃないか。アタシが何を彫ろう?って言った時にさ」
 「…………」
 もはや、何も言えない。とにかく、言葉一つ逃さぬように聞き入れる。
 「アタシはアンタを見込んだ。何故って? アンタは、メリーのお気に入りのドッペルゲンガーの、オリジナルだったからさ。そうさ、メリーは佐々木ちゃんの影を大層可愛がっていた。その才能に惚れ込んでいたんだね。信頼してた。だから、アタシはアンタを選んだんだ。まぁアンタは気ままだから、アタシからサッサと逃げたけどさ」
 「……逃げた……?」
 体中が寒くなり、握っている受話器を落としかねないほど震える。佐々木は椅子を引き寄せ、落ち着く。
 
 「おかしいねぇ。そんな事も忘れちまうほどボケたのかい? まだ若いのに。それとも何かい? アンタはもう、影が薄くなってきたのかい? オリジナルとして、消えかかっている、なんて事はないよねぇ……? 影と入れ替わったまま長い事ほったらかしておくと、オリジナルがいずれ消滅しちまうって話だからねぇ……?」
 そう言われ、佐々木は何も考えられなくなった。受話器を両手で持つ。支えきれない。

 「……おばあさん。貴女は誰なの……?」
 「……メリーだよ。世で言う、「白いメリーさん」。人間が作った想像上の妖怪さ。本当は、存在なんかしていないんだろうけどさ?」
 何がなんだかわからない。佐々木は泣きそうになる。
 「ひっひっひ……。あんまり脅かしちゃ可愛そうだね。まぁとにかく、最近アンタが夢を見なくなったようで、様子をうかがってみたのさ。アンタを、アタシは夢でしか見られないからね。もっとも、悪夢を見なくなったのはいい兆候さ。アンタのドッペルゲンガーが死んだから、安心して寝られるようになったんだろうけどさ」
 「……はい……」
 佐々木は呼吸を整えていく。震えも少しずつおさまっていく。
 「アンタの肩の蝶は、アタシとアンタをつなぐ、印だ。この先、いくら記憶が無くなっていこうが、その蝶がアンタに教えてくれる。アンタはアタシの事を、絶対に忘れる事がない。で、話は変わるけど……あの児玉ちゃんの事ね。あの子は役不足かもしれないが、まぁ大事にしてやってほしいんだ。一緒にいるんだろ?」
 「……えぇ、まぁ……」
 「そりゃいい事だね。まぁ朝から脅かしてすまなかったよ。用があったらまたどこかで電話するから。でさ、アンタらの電話番号をいちいち調べるのも、骨が折れるんだよ。なかなか見えないからさぁ」
 「そ、そうですか……」
 「……それでさ、児玉ちゃんに、携帯の電源入れとくように言っといてくれないかい? あの子は電源を切ったままで困る。せっかく姉ちゃんが残してくれたお守りを、アタシが有効に使ってやろうとしているんだからさ。何、形ばかりでいいんだ。正規の料金までは払う必要ないからね」
 「……はい。言っておきます……」

 お互い長いため息をつく。
 「じゃ、ご機嫌よう。金の事なら多分心配要らないよ。アンタの運は、メリーがドッペルゲンガーと交わした約束どおりに消されたようだけど、児玉ちゃんの運は残ったままだ。あの子が近々、道端で大金でも拾うだろうさ。ひゃっはっは……!」
 そして電話は切れる。
 佐々木は長い事そのままの姿勢で考え込み、やがて受話器を戻した。
 「結局何を教えてもらったのか、サッパリね……。児玉ちゃんに、携帯の電源入れておくようにって? ……わかりましたとも」
 そして景気よく立ち上がり、出かける準備を再開した。



 (続く)



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