50話〜エピローグ

 

― 50 ―


 廊下の先。口裂け女が倒れたまま、うめいているのが見える。
 そして、生徒らの姿。――危険だ。
 「逃げてっ! ソイツはバケモノよおっ!!」
 叫んだ後、壁によりかかりながら、急いで階下に向かう。あのまま、おとなしく倒れてくれているのを願う。

 「ちょっとどうしたのっ!」
 誰かの声。……気づくと、自分は階段の踊り場で倒れていた。急いで立ち上がろうとする。
 「保健室へ……連れてって……」
 「わかった!」
 3人組みの女子。肩を貸してくれた。ゆっくりと階段を降りる。保健室は、すぐそこだ。

 「失礼しまーす!」
 室内。先生の姿はない。
 「ホラ! 服脱がせといて! アタシ、包帯とか探すから! あぁあ、美紀子は救急車! 先生に、呼んでもらって!」
 1人が戸棚をあさり出し、1人が外へ駆け出す。救急車はカンベンしてもらおう、と思ったが、いずれ誰かが必要になるかもしれない。口裂け女は今頃、また暴れ出しているかもしれない……。
 「じゃ、そこに座って」
 ベッドに腰かける。
 亜矢は服を脱がされていく。くすぐったい。朦朧(もうろう)とした意識の中、思わず笑みがこぼれた。

 「ひどい傷……血が止まんない……!」
 両手を血塗れにさせながら、亜矢の服を脱がす。恐怖のためか、泣き出している。
 さすがの亜矢も、このままでは死ぬ、と恐れる。
 「亜紀……アレ、できない?」
 そう、小さく口ごもる。
 右手を左腕に伸ばす。一番深く切られた傷だ。そこを、きつく掴む……。
 「え……痛むの?」
 女生徒が、亜矢の行為にまたおろおろする。
 「なんでもない……」
 右手を離す。
 マジックのように、そこの血は止まった。傷口に、血の塊がこびりつく。だが人目にバレないように、最小限に留めておく。
 (すごいね、アタシ……)

 水をはった洗面器とタオルを手に、戸棚をあさっていた女生徒が来る。「まずはさ、体洗ってあげるから。すごいもんね、その血……。その後、応急手当ね」
 洗面器を足元に置き、タオルに水を浸し、亜矢の体にこびりついた血を拭く。洗面器は瞬く間に真っ赤になる。
 「由香ちゃん、その子の事、拭いてて! アタシ、水とっかえる」
 2人はてきぱきと、亜矢の体を拭いてくれる。
 「アタシさぁ……看護婦になりたいのよねぇ……。すっごくさぁ、憧れてんの……」
 などと話し出す。そういう話は真に心温まるのだが……、今は落ち着く場面でもない。
 「……あの、ごめん。時間ないの。体、拭かなくていい。傷の手当てだけ、お願い。血があんまり出ないように、包帯を巻いて欲しいの。きつく」
 そんな亜矢の言葉に、2人は顔を見合わせる。「……え、時間ないって?」

 「ここかーっ!!」

 戸を荒々しく開けてくる、血塗れの鬼。
 ……口裂け女、だった。

 「きゃあああっ!!」
 2人は叫び、慌てて飛びずさり、とまどう。看護婦に憧れている子は、我を取り戻し、患者(?)である亜矢をかばいに戻る。
 亜矢は舌打ちをし、脱いだ服を抱える。
 「あらあら……着替えの最中だったのね? 悠長な事をやってるじゃない……傷の手当て? アタシを先にしてもらっていいかしら?」
 放つ言葉とは無関係に、鎌を振り上げる。
 「手当てぐらいさせてよね……」
 枕を投げつけ、亜矢は同時に自分も飛び出す。
 「ぐあああっ!!」
 亜矢の体当たり。口裂け女は、後頭部をコンクリの壁に激突させた。
 そのまま亜矢は廊下に出て、口裂け女の襟元を引っつかみ、廊下に引っ張り出す。
 「ほら! アンタ達も早く逃げなさいっ!」
 中の2人にうながす。足を震わせながら、2人はようやく外に出る。

 「コレは……?」
 亜矢が引きずっている女生徒を、2人は不思議な顔で見る。血塗れ。口が裂けている……。
 「妖怪、口裂け女よ」
 気の利いた冗談も言えなくてそのままを言う。だが、2人にはうまい冗談に聞こえたかもしれない。
 亜矢はそのまま廊下を引きずり、2人から離れた所で、口裂け女の腹を蹴りつける。
 「てめえが死ね!」
 勢いづいて、何度も蹴りつけ、踏んづける。もう泉美だ、などと言っていられない。

 「あ、ごめん、アタシの服とって!」
 気づくと、目先に数人の姿があった。口をぽかんと開けて、見られている。……ブラとスカートの姿で暴れてもバカだ。服を受け取り、素早く着る。結局、包帯を巻くヒマはなかった。
 「うああっ!」
 今度は、亜矢が体当たりを食らった。服を着る、ほんの一瞬をつかれたのだ。
 襲いかかり、馬乗りになる。鎌をどこかにやった口裂け女は、亜矢の顔面を拳で殴った。
 何度も何度も、殴ってくる。
 たまらず亜矢は、渾身の力で跳ね除けた。口裂け女は向かいの壁にまた後頭部をぶつけ、そのままへたり込む。

 ……動けないまま、お互いしばらく睨みあった。
 「……ギャラリーが多くなって来た。悪いがここはひとまず退散させてもらう。今日は、お前を驚かすだけのつもりだったんでな」
 口裂け女はよろよろと立ち上がる。
 「また改めて、メールででも連絡するよ。使い方はしらないがな」
 そして苦笑を残し、口裂け女は歩き出した。玄関は、ギャラリーのいる方だ。口裂け女はそれらに荒々しく「どけ!」と叫び、悠々と立ち去っていく……。

 「逃がすかよ……!」
 立ち上がろうとする亜矢だったが、もう腰にチカラが入らない。足もガクガクで、どうにもならない。
 いつしか頭の中もぐるぐると回っていた。このまま意識を無くすのは簡単だ……。
 「また、病院行かなきゃなんないの……? 笑いものだよ」
 笑みを浮かべたまま、亜矢はその場に倒れ込んだ。


― 51 ―


 怪我は通院で済んでいる。病院は前回入院した病院ではなく、地元の病院にした。
 ――泉美の両親はやはり、殺害されていた。
 そして泉美は行方不明。事件に巻き込まれた可能性を、TVは訴えている。

 学校での乱闘騒ぎ。亜矢は警察に事情聴取を受けたが、被害者扱いだったので、さほど負担になる問答はなかった。そして鎌を持って暴れた女生徒については、「知らない」を貫き通した。……泉美と、この事件の結びつきを指摘する声は聞かない。
 数日、校内での乱闘事件の真相を知りたがる者達にまとわりつかれたが、亜矢はテキトウに聞き流し続けたので、周囲が落ち着きを取り戻すのも早かった。
 腕や腹に包帯を巻き、やや窮屈な生活を強いられる。だが、生活は元に戻る。
 この数ヶ月。気づいてみると亜矢は傷つけられたり、失ったりするばかりだった。……そしてその体には、今後も長く引きずりそうな傷跡が、多く残されているのだった。





 登校中。霧雨が降っている。
 傘を忘れたが、急ぐ気持ちにもなれず、寒さに浸りながら、歩いて行く。
 学校付近の橋。生徒らの姿が2〜3人見える。
 橋の上で立ち止まる。欄干(らんかん)から、河原を見下ろす。

 ――犬の死体。河原に生い茂る草葉に隠れているが、そこにあるのはわかる。どうしてそれに気づいたのか、自分でもわからない。
 寂しい死体。もう動く事はない。あのまま、誰にも気づかれず、腐っていくのだろうか……?
 犬があんまり寂しかったから、その波長を感じてしまったのかもしれない。
 亜矢は犬を見つめる。そして自分の少々の時間を、その命を考える事に費やしてあげたい気持ちになる。素通りし、何も考えてあげなければ、その命はあまりにも悲しい。
 (霧雨のせいだよ……)亜矢は苦笑する。自分はいつもこんなバカな事をするほど、感傷的で優しい人間ではないのだ。

 だが、今は考えてみる。
 ――死、とは何だろう。

 様々な、死。唐突な事故死。病死。餓死。
 食われて死ぬ動物。人間に食われるためだけに、長い年月を生かされている、無数の動物。
 老死。憎まれて、殺される者。憎まれなくても、殺される者……。
 自殺。強い自殺願望を持つ者。仕方なく、死なねばならない者。死にたくないのに、死なねばならない者。
 死を惜しまれる者。惜しまれない者。周囲に悲しみを訴えて死ぬ者。笑顔で死ぬ者……。
 安らかな死。無惨な死。


 犬を見つめる。あれは、どういう死だったのだろう?
 苦しかっただろうか。悲しかったのだろうか。……もしかすると、殺されたのか。

 以前聞いた、亜紀の言葉が突然よみがえる。 
 ――お姉ちゃん……犬は死んだら、どこに行くの?

 考えてみる。前は、何と答えたっけ……?
 「天国か……地獄に行くんじゃない?」
 小さく、口ごもる。

 ――そんなものはないよ。アタシは知ってるもの。
 ――死後の世界なんてものは、ないの。死んだら何もかも、人間も犬もネコも……無になるのよ。無くなってしまうのよ、お姉ちゃん……。
 「そうなの? 本当に、無になるの……?」
 亜矢は首を振る。――そんなのは、悲しすぎる。 
 でも。案外この世は無慈悲な事が多い。神サマなんてものがいるとは思えないほど、この世は時に残酷だ。
 亜矢は神を信じてはいない。


 遠くに、数人歩いて来る姿を確認する。……浸っている姿を見られるのはバカらしい。亜矢はその場を離れる。
 額の露をはらい、歩きつつ、また河原に目を向ける。
 「最後に、ニク、食いたかった……?」
 亜紀の感覚。それはやはり、自分の中にある。

 (死ぬんなら、寂しく死にたいね。誰にも気づかれないくらいに……)
 葬式とか。そういう締めくくりは要らない。自分は消えるように、この世からいなくなりたい。
 だが。泉美――口裂け女との戦いが待っている。自分の自殺願望とは関係なしに、それはクリアしなくてはならないものなのだろう。
 今は考えたくも無い事だが、あの顔を見れば、殺意は自然と湧いてくるに違いない。戦いはそれはそれで楽しい、とも言える。
 (あの子を殺してアタシも死ねば……何もかもキレイさっぱりじゃん……)
 平穏な世に。自分を含めた、暗く不可解なヤミは……、要らない。

 (ムダな存在だったんだね、アタシは……)
 校舎までの道のりの間。その考えをぬぐう事は、できなかった。


― 52 ―


 今日も一日を終え、自宅に戻る。
 夕食を作っていると、めずらしく来客があった。地元の消防団だ。数人、昔ながらの火消し人の半纏(はんてん)を着て、訪れる。月に一度、火防点検にやって来る人達だ。
 「最近ですね、物騒な事件が起こっています。ですから、充分にお気をつけてほしくて、巡回しています。変わった事はありませんか?」
 「えぇ、特には……」
 「そうですか。それじゃ、失礼します。充分にお気をつけて。なるべく、夜などは一人では出歩かないよう、お願いします」
 去って行く。自警団、というところなのだろう。ご苦労な事だ。

 ――物騒な事件。そう。ここ数日立て続けに5件ほど、付近の市町内で、殺人事件が起こっている。
 殺し方は、鋭利な刃物で頭部や上半身をめった刺し。殺すのが目的の、単純な犯罪らしい。どうせ口裂け女の仕業だろう、と亜矢はふんでいる。
 特に興味は湧かない。口裂け女はまた新たな自由を得て、飛び回り、チカラを誇示したいのだろう。

 警察の巡回も熱を帯びている。パトカーで拡声器を用いての、住民への注意の呼びかけも、下校時などによく聞くようになった。
 ――最近、K市周辺にて重大な事件が発生しております。特に夜半などの、一人での出歩きは控えるよう、お願いいたします。そして、不審な人物を見かけましたら、警察に連絡をお願いいたします……

 泉美が警察に捕まったら、さぞつまらない終幕を迎えるだろう。だがそれによって、口裂け女の新たな一面など、かいま見る事ができるかも知れない。うまく妖怪である事が突き止められた折には、きっと大きな話題となる。
 しかし。正体が榊 泉美本人であり、口を裂いた、ただの狂人として扱われたら? 泉美は浮かばれない。両親をも惨殺した凶悪犯として、その幕を閉じる事になってしまうのだ。
 それはあまりにも、可哀想だ……。

 亜紀の部屋に行く。
 ドアを開ける時、いつも願う妄想。――そこに、亜紀がいる。

 ……しかし、いない。
 机の引き出しを開ける。そこにある、数本のサバイバルナイフ。1本、取り出す。
 「また、借りるからね?」

 自室に持っていき、ゆっくりと眺める。
 厚い皮の鞘に収められた、いやに重量感のあるナイフだ。グリップにも皮が巻かれてあり、滑らないようになっている。
 「でもね〜……いきなりこんなの使って戦えるかな? こんなんなら、バットでも使った方がいいかな?」
 しかし、バットを持って辺りをうろついているのでは、目立つ。だがナイフなら、学生カバンにゆうゆう入る。
 ナイフを鞘から取り出し、刃を見つめる。研ぎ澄まされた切っ先。指先が触れただけで血が出そうだ。
 それで、泉美――口裂け女を切る。その行為は本当に無慈悲だ。こんな、自分の指先すら切るのをためらうような物で、深々と力いっぱい、切りつけるのだ。
 ――人殺しとは、なんという、傲慢(ごうまん)な行動だろう。他人の痛みがわからない、究極の無慈悲、だ。
 それを、やらなくてはならないのか?
 かつては友達であった泉美の肉体を切りつけ、血を噴き出させ、殺さねばならないのか?
 ……できない、と思う。

 だが。久しぶりに感じる背後のヤミが……、嘲笑ってくる。
 攻撃的でない人間など、生きている意味はない。人は争って勝ち抜いて、生きていくのだ。ためらいや慈悲などを感じていては、自分が破滅するだけだ……。無意味になっていくだけなのだ。
 だから。腹の底から笑えない人間は、無意味なのだ。少なくとも、強者は腹の底から笑うだろうよ……?
 「うるさいね」
 自分の抱えるヤミ。きっとソイツは殺戮を好み、血を見たがっている。戦い、となればきっと、胸躍らせて喜ぶ事だろう。
 「とにかくアンタの望み通り……、アタシは口裂け女を殺すよ。決着をつけないと、ミミちゃんが可哀想だからね」
 ナイフを鞘にしまい、亜矢はベッドに寝転んだ。





 K市近辺の殺人事件に、歯止めがかからない。連日、どこかで死体は発見される。
 目撃者も出てきた。
 ――犯人は、赤いドレスを着た、若い女。という事だった。

 TVが盛り上げる。地方ニュースで納まらなくなってしまった。民放でも、特番が組まれる。
 「目撃情報によるとですね〜……犯人は真っ赤なドレスを着ていてですね〜ドレスですよ?! で、なんか「口裂け女」なんじゃないかって話もあるそうなんですよ?」
 「口裂け女〜〜?」
 「えぇ。1970年代。全国的に広まったとされる妖怪。それが口裂け女、なんですね。どういうものか、といいますと……」
 大口の女のイラストが登場する。怖がらせない程度のものだ。
 「これが、口裂け女、ですね。で、マスクをしていてですね、「アタシきれい〜?」って言って、それを取るんですがぁ……、今回の事件ではそれはどうだったか、わかりません。それに、あくまで推測の話ですので。
 で……特にですね、今回の一連の事件でご遺族となられた方々には、誤解して欲しくはないのですが、この番組はあくまで推測を語っておりますので、ご不快な思いをされませんよう、お願いいたします。……え〜なにぶん、特番の生番組なものですので……、至らぬ箇所が多分にあると思います。申し訳ございません。ご容赦ください」

 謝ってばかりで笑える。でも、現代都市伝説に結びつくかもしれない、おお事の事件ゆえ、局側としては、ぜひとも特番を組みたかったのだろう。だが、文句の電話は相当数、行くに違いない。局側も、ある程度は承知の上での事だろうが。
 でもなんだかTVに取り上げられると、一息におお事になってしまったような気がする。夏だし、いい怪奇特番になっている。
 きっと、口裂け女のサイトも軒並み増えてくるのではないだろうか? 色々な所で、話題が盛り上がっている事だろう。

 ――口裂け女は今、その存在を存分に誇示できている。
 満足げに、笑っているに違いない。満たされているに、違いない……。

 「……目立ちたがり屋め……」
 夕飯時。亜矢はTVを見て、ぼやく。その手には2本目のカクテル。好きなソルティドッグだ。
 ――赤いドレスの口裂け女。
 その名は、この時世に、新たな都市伝説を刻んでいる。
 「……その都市伝説サマを、アタシに殺せっての? アタシまで有名になっちゃったら、どうすんのよ?」
 ご飯も食わず、ポテトチップスなどを食らう。目がそろそろ回り出して、たまにむせる。
 「仕方ねぇなぁ……」
 空き瓶を持ったまま、TVを指差す。口裂け女のイラストが笑っている。
 「おおよ。殺してやる。この有名人サマめ。劇的な最期をな、オマエにくれてやるよ……」
 「……おぅ、なんか調子出るよな? 戦う前も、酒かっくらう事にすっか?!」
 そして大笑いした。


― 53 ―


 「はぁあ、楽しい楽しい……」
 今夜も、まんまと人を殺し、口裂け女は悦に浸る。
 今まで何度か警察に姿を見られて来たが、その度に逃げる事ができた。赤いドレスはもちろん目立つ。だが、殺戮を地味に行っても意味はない。派手に殺し、派手なウワサを立ててこそ……、妖怪としての意味があるのだ。
 この体は小柄で、しかも手足はか細い。しかし、負傷のない完全な体ゆえ、自分の能力を申し分なく発揮できている。――泉美には、感謝している。


 殺した時の事を思い出す。
 雨の日。日の落ちた頃。マスクをし、ドレス姿で泉美宅の玄関に立つ。出て来た母親を、問答無用で切り殺した。
 叫びを聞きつけ、父親が飛び出してくる。ソイツも鎌の一撃で用なしとなる。
 「イヤァアアアッ!!」
 階段途中。様子を見に降りてきた泉美が、足を崩して泣きわめく。
 「……あら、こんばんは。会いたかったワ、泉美ちゃん……」
 泉美は恐怖に全身を痙攣させる。ただ、泣きわめいている。突然の両親の死。ひどい悲劇。
 泉美の元へ行く。まるで逃げられないまま、泉美は体を丸めている。ひきつけを起こしている。
 「アラ嬉しい。そんなに怖がってくれるの? ……なぁんか、すご〜くいい気持ちになるわね」

 口裂け女に間近に来られて、泉美は泡を吹き出した。恐怖に耐えられず、失神したのだ。
 「アラッ! すごくイイ反応!! ……さっすが泉美ちゃん、恐怖というものをわかってくれてるのね〜……あぁ、もう可愛いったらないわ。ホントにイイ子ね……」
 マスクを外し、顔を近づける。裂けている口が笑いに歪み、ひどく醜い。
 「この体ももう限界でね。酷使しすぎちゃったみたいでさ……なかなか辛かったわ」
 2人の顔が密着する。
 「……アナタには助けられてばかりね……。本当に感謝してる。だから、ワタシがアナタになるのは、最高のお礼なんじゃないかなって思うの……。価値観がわからなくても、でも本質としては、きっと最高のお礼になるハズだわ……」
 口裂け女は、泉美に意識を注ぐ。泉美だけを感じる。その奥底を、見つめる……。
 キスをし、その泡を優しく吸い取ったりする。
 すべてを、泉美に傾ける……。

 そのまま、しばらく時間が過ぎた後。鈴木 優子の体は、階段を力なく転げ落ちた。
 ゆっくりと。泉美が腰を上げる。その顔に、笑みが浮かぶ。
 「さ。口切って来ようね……」


 ――そして今。殺しに殺しを重ね、自分でももう何人殺したかわからなくなってしまっている。
 「殺せるだけ、殺してやる。選り好みはしないよ」
 繁華街の路地裏。今は中年のおばさんとスーツの男を殺した。今晩も雨だ。視界が悪く、行動しやすい。雨を好むのは、今はそれだけの理由だ。
 「鎌一つで、ばんばん死んじゃうね。ホント人間ってのはもろいよ……」
 歯ごたえがない。だからこそ、殺しの速度をあげていく。物足りないからこそ、数で気持ちを補う。

 「おらぁあああっ!! 死ねぇええっ!!」
 視界の隅に届いた若い女。真っ直ぐに襲いかかる。
 「きゃあああっ!!」
 女は気づき、あわてて逃げ出す。だが、口裂け女の脚力には敵わない。たちまち追いつかれ、組みしかれる。
 「誰かあああっ!! 助けてぇええっ!!」
 その口を塞がず、口裂け女はニヤニヤと見守る。
 すぐに人だかりができる。口裂け女はソイツらを、余裕の顔で見回す。
 「……どうだ? ウワサの口裂け女だぞ? 驚いたか? ……いい話のネタにしてくれな?」
 やじ馬達はびくびくしながらも、口裂け女を狂喜の目で見ている。笑って、騒ぎ立てている者もいる。
 「そうか。喜んでくれているようだね? ……じゃあね、今からお前らに、一生忘れないものを……、お披露目してあげようね……?」
 そして鎌を、馬乗りになった女の首に、突き刺した。
 血が噴き出す。
 やじ馬が放つ悲鳴。金切り声。人込みが荒れる。
 「いいか?! こうして人殺しを楽しめるのは、バケモノの特権だ! テメエらケツの青いガキどもが、楽しんでいい世界じゃない事だけは、思い知っとけ!!」
 そして顔を、鎌で突き刺しては、えぐる。女は声もなく、体を痙攣させる。
 血は容赦なく、辺りに撒き散らかされる。
 人込みは、逃げる。雨は強まる。

 顔を崩し終え、口裂け女は鎌を止める。
 「今日は……運が悪かったね、姉ちゃん……」
 女の肩を叩いた後、立ち上がる。
 「いつまで、こんなアホな事をやらせとくつもりだ……、柚木伏 亜矢?」
 雨で顔を拭き、またどこぞへと口裂け女は消えていった。


― 54 ―


 K市付近の国道沿いなどで、警察の検問が時折行われるようになった。
 そして各事件現場での聞き込み。犯人の目撃者も相当数現れ、そろって「赤いドレスの口裂け女」だと、告げられる。マスコミに正式発表を迫られ、警察は「事件現場で目撃された、犯人と思われる者は、赤いドレスを着ていたらしい。手足がかぼそく、若い女性である事が有力視されている」とだけ、発表した。

 K市全体の小学校では、集団登下校が義務づけられる。その登下校時、PTAなどにより、スクールゾーンの安全の監視が進められた。付近の子供達は口裂け女を心底恐れ、マスクをした人を見ただけで、騒ぎ立てる。夏風邪の者は時折、いらぬ誤解を受ける事になる。
 子供達だけでなく、学生や大人達も、まだ捕まらない殺人鬼に、恐れをいだいた。面白おかしく脚色したウワサなども、広がっていく。

 警察も数人、殉職した。
 連日連夜、TVはその異常な殺人鬼の話題で、盛り上がる。
 イラストによる、イメージも徐々に確立していく。日本中の者が皆、赤いドレスの口裂け女を、記憶の中に宿らせていくのだった……。





 柚木伏 亜矢はその夕方、自転車で町を徘徊していた。
 雨は夕前から降り続けている。――必ず、どこかで今日も誰かが殺される。そう見込んで亜矢は、K市の繁華街を中心に、探索を続けている。全身ズブ濡れだが……、仕方ない。口裂け女は雨の日を好むようだから。

 また途方に暮れて立ち止まる。……探すとなると、見つからない。
 体の熱を奪われ、意識も雨に飲まれそうになる。
 (くそ……)
 この雨と、連日の事件のせいで、人の出歩く姿はあまりない。だから亜矢は、警戒を強めている警察のいい的になり、ここ2時間ほどで3度も呼び止められてしまった。
 (見つけられない……)
 ――悔しい。雨の日、何度も町をこうして探索しているのに、口裂け女を捕まえられない。口裂け女は、ひどく目立つ格好をしているというのに。

 ……亜紀。
 ここで出て来る弱音。自分では、見つけられない。亜紀の、チカラを借りたい……。

 だが。亜紀は応えてくれない。
 この「弱音」には、応えてくれないのか……。きまぐれに、イジワルをされているのか。
 それとももう亜紀は……いないのか。

 狭い路上でただ、亜矢は雨にさらされ続ける。
 絶望がのしかかってくる。無力な自分。
 ――ひどく、疲れた。

 だが数分の後、亜矢は口元を食いしばり、自転車をまた漕ぎ出した。……探すしかない。それにきっと、口裂け女も自分を探している。
 焦りはいらない。探し続けるのみ、だ。


 「……?!」
 そこで突如くる、頭痛。針でも突き刺されたように、鋭い痛みに襲われる。
 自転車を停め、目を閉じる。頭の中はまだ、痛みにうめいている。
 (……口裂け女か?)
 呼びかける。
 ……声が、聞こえた。

 遠くで、笑っている。その真っ赤なドレス姿が脳裏に浮かぶ。
 「うあっ……!」
 ――また襲ってくる、痛み。
 だが、その顔にはまぎれもない笑みが、浮かんでいた。
 「……とうとう、来たようね? 見つけてくれたの、アタシを……?」

 ――随分探したわよ……。一体、どこにいたの?
 「何言ってんのよ……畜生」
 嬉しくて、大笑いしたくなる。

 ――あのさ。今からね、Sビル近くで無差別殺人が起こりそうなんだけど……、見物しに来ない?
 「ふざけんな。……待ってろ、デカ口女めが!」
 口裂け女の狂笑が途切れる。
 亜矢はSビルに向けて、急いだ。





 Sビル下。
 「来たぞっ! どこだ!!」
 亜矢は自転車をブロック塀に立てかけ、カバンからナイフを取り出す。そして辺りを探る。

 「あら、随分と遅かったわねぇ……あんまり遅かったから、ホラ?」
 現れた口裂け女は、いきなり生首を放ってくる。アスファルトの路面に転がり、髪の毛が散乱する。女だ。
 「……ご苦労な事ね。人を殺して、何が楽しいの?」
 「楽しさに、理由なんかないわ」
 口裂け女は、草刈り鎌を見せる。

 「……そうだろうな」
 亜矢もナイフを前面に突き出す。
 そして、口裂け女の顔を見て、ぎょっとする。――口を裂いていない。

 「おい……口を裂け」
 亜矢は口裂け女を睨む。
 「アラ、どうして? ……いやよ。この顔、可愛いもの……気に入ってるのよね〜」
 「口を裂けッ!!」
 亜矢はわめき、大きく詰め寄る。
 ――泉美の顔。他人や警察に、決して見られてはならない。もし間違って、行方不明中の泉美と、口裂け女の接点でも挙げられたら……。
 目撃者が出たら、アタシが殺す。

 亜矢は歯を剥く。
 「……そうかい。じゃあ、アタシがその口を裂いてやる。そうして欲しいんだろっ!!」
 亜矢は策もなく、飛びかかる。
 「別に」
 口裂け女は鋭く真横に駆ける。狭い路地裏。大きくは動けない。

 追った足が少しよろめく。
 視界がぼやけ始めている。……熱か。この雨に打たれ、風邪でも引き始めているのか?
 「笑わせんな!」
 亜矢はこのひと時に、自分の全てをゆだねる。この戦いは、今ここで決着をつける。終わるまで、精神力でカバーだ。

 だが、ほんの一瞬で口裂け女の姿を見失う。
 ――焦る。
 「どこに逃げた! この野郎ッ!」
 わめきながら、路地を駆ける。
 ――カラフルな傘が2つ。人の姿だ。女子学生。こちらを見ている。

 「あ、赤いドレスの女は見なかった?」
 2人は首を振る。
 また駆ける。……バカな女だと思われた事だろう。そしてあの2人が、Sビル前の生首を見る事がないようにと、軽く祈る。あんなものを見たら、今後の価値観が狂う。

 「くっそぅ……! 逃げてどうすんだよおっ!!」
 亜矢は悲痛にわめく。
 雨は止まない。意識は今にもとろけていく。

 「亜紀イイッ!! フザケてないで、出て来いッ!!」
 その叫びの直後。脳裏に金属音が響き渡る。そして、亜矢の視界が一瞬にして澄みきり、冴え渡った。
 すべてが透明無色になる。すべてが、見透かせる……。

 「あのバカは何のつもりか知らないけど……、アタシはここで決着をつけるよ! 絶対に、逃がさないッ!!」
 亜矢は、夢中で駆けた。


― 55 ―


 口裂け女は、繁華街に逃げる。赤いドレス姿だ。さぞ目立つだろう。しかも、刃物を手にしている。通行人が気づけば、大声が上がるに違いない。そして泉美そのものを知っている者が目にすれば、不審さに拍車がかかるだろう。
 だが、辺りは雨だ。街を行き交う人の数もそう多くはない。しかも大半は傘に顔を隠している。ドレス姿の泉美を目にする者は今のところ、さほどでもない。

 亜矢は走る先に、赤いドレスを確認する。祈る気持ちで、黙って追いかける。あの素顔で、騒ぎを起こされたくはない。
 だが、そんな願いもすぐに打ち消される。泉美が、誰かに切りつけたのだ。
 「うわあああっ!」
 腕を押さえ、倒れる中年男性。泉美はまた逃げる。だが、そこで亜矢は追いついた。
 「この、やろ……!」
 肩を掴み、引き倒す。そして間髪入れず、ナイフを胸元に突き立てた。
 「ウギアアアアッ!!」
 
 ――顔を切らなきゃ!
 亜矢は暴れる泉美の顔を掴み、その口に狙いをつける。
 苦しさに歪む、泉美の顔。間近でまともに見て、ナイフを持つ手が躊躇(ちゅうちょ)する。

 「何やってんだっ!!」
 集まってくる人。亜矢は腕を掴まれ、泉美と引き離される。
 タイミングを逃し、呆ける。

 ――たくさんの傘。亜矢は不思議な思いで見つめる。
 そして足元で泣いている泉美。もちろん、口裂け女の泣きマネなのだろうが。
 「なんだなんだ……何やってる? あ?! 人殺しかっ?! まったくフザケたガキだなっ!」
 ナイフを取られ、頭を殴られる。亜矢は水の上に倒された。

 「違うよ……、このドバカ……!」
 亜矢は顔を上げる。「ナイフを……返せ! マヌケッ!!」
 差し出される手。気迫に飲まれ、男は恐る恐るナイフを差し出す。
 「……こっちに刃を向けるヤツがあるかっ! ボケッ!!」
 また怒られ、男は頭を下げて謝る。亜矢はそれをもぎ取り、泉美に向き直る。
 「イヤァアアッ! 人殺しぃいいいっ!!」
 またフザケた悲痛な叫びを、泉美はあげる。
 周囲に群がっている人々。
 ……手を出せない。
 せめて口が裂けていれば、ナイフを突き立てる正当性があったものを……。

 「あ」
 誰かが上げた声。「口……」
 泉美が指さされる。

 その両頬に、奇妙な裂傷。口元から、耳までのびる破線……。
 この雨のため、縫った口を隠した化粧が流れたのだ。

 泉美は笑う。
 「まぁ……隠してても仕方ないか……」
 ギャラリーを見る。
 「アタシ、キ・レ・イ?」
 指を当て、一息になぞって裂く。左の頬。そして右も裂ける。
 あらわになる、大きな裂けた口。人間が、バケモノに変貌した瞬間。
 大きな悲鳴とともに、ギャラリー達はあわてて逃げ出した。

 鎌を掴み取り、口裂け女は起き上がる。 
 「……人込みが気になる?」
 「えぇ、やりにくい。……でも、別にもういいよ。ここでアンタを殺してしまいたいしさ。後の事は、後で考える」
 亜矢はナイフの切っ先を向ける。口裂け女は少し、後ずさる。
 「ひと目も多い事だしさ。今後は警察にめ一杯、お世話になってちょうだいね」
 「あぁ、そうするよ」

 亜矢は切りかかる。だが、足元がおぼつかない。
 口裂け女は大きくかわす。
 「へたくそね〜」
 また駆け出す。川沿いの飲み屋街を西へ。狭く、ひと気はだいぶ無くなる。南に折れ、亜矢も続く。
 「いい加減にしろっ!」
 走るだけで、体力はだいぶ失われていく。
 水に足を取られ、何度もつまずく。熱がまた気になり出す。
 西に折れ、行く先にまた交差点。口裂け女が振り向く。
 「静かなトコ、行きたいでしょ?」
 指差すのは北。また逃げる。亜矢は必死について行く。





 国道に出て、今度は東へ。車のライトに照らされながら、2人は歩道を駆けていく。
 「戦うのは、どこだっていいでしょ!!」
 そう亜矢は何度も叫ぶが、聞き入れられない。口裂け女は踊るように、どこまでも路を行く。
 線路上の陸橋を越え、交差点を抜ける。信号が赤でも構わず渡る。まだ東へ。そしてビデオレンタル店の角を、赤いドレスは北に曲がった。
 そうして辿り着いたのは、あの住宅地だった。
 鈴木 優子が最初に事件を起こした所。この度の新たな口裂け女伝承の、発祥の地だ。

 日の落ちかけている暗く静かな住宅地を、映える赤いドレスは上っていく。
 亜矢はゆっくりと目で追う。口裂け女の目的地は、ここなのだと悟る。

 「ここ、結構ひと気がなくなったって話よね? アタシのせいかな〜?」
 ドレスを揺らめかせ、口裂け女は気持ち良さげに回って見せたりする。
 「……アンタのせいだろうよ」
 その亜矢の返事に満足したのか、口裂け女は楽しげに笑いを返す。
 「……アタシはここで生まれたからさ、死ぬのもここがいいかな、ってね。ワケわかんない所で死ぬのもつまんないしさ。ちょっとした……こだわり」
 ――口裂け女は、死を覚悟している?
 思いも寄らなかったので、亜矢は少し呆ける。

 小学校前を抜け、交差点を西へ。
 「この辺、誰も住んでないね〜……この辺にしよっか?」
 やや広い道路。小学校の脇だ。道路を挟んだ住宅の並びには、「売家」の看板が掲げられている。

 口裂け女も亜矢も、足を固める。お互いの武器を手に、睨み合う。
 「アタシは……亜紀と、ミミちゃんのカタキを討つつもりで、アンタを殺す。……でも、アンタは?」
 亜矢の問い。
 口裂け女は目を細めて笑っただけで、答えはなかった。


― 56(最終章) ―


 雨が急激に弱まる。日も落ちている。
 濡れて冷えた体。そして雨で忘れていた熱が、亜矢を襲ってくる。
 歯が鳴り出す。

 口裂け女はそんな亜矢の様子をじっと見つめる。
 「……アンタの深い闇を、アタシは恐れている。アンタには、確かに「ひどいもの」がある。このアタシですら、目を背けたくなるようなものが。……でも、調子が悪そうね? 人間っていうかぼそい型の中じゃ、そのチカラは存分に出し切れない、ってところかしらね?」
 言葉を返すのも辛くなっていたが、亜矢は気取られぬよう、言葉をつむぐ。
 「それは勘違いか、買いかぶりだよ。別に……アタシには、何もない」 
 ――頭痛。
 そう、アタシは何もない。ただの人間だ。傷を癒したり、ガラスを割ったり、たまに亜紀が変わった事をしてくれるけど、それ以外は……何もない。

 「それにしても、この子はド近眼で困るね。眼鏡がないと、アンタの顔もわからない。でも眼鏡かけると、すんごくサマにならなくてさぁ……?」
 鎌を右手に掲げ、大又で近づいて来る。
 亜矢は後ずさる。
 「……ナイフなんてカッコつけるんじゃなかったよ。バットにしといた方が、有利に戦えた気がする」
 「それは残念ね」
 口裂け女は走り来る。
 亜矢は歯を食いしばる。だが、正面向いて戦うとなると、自信が無い。戦いに於ける、ナイフの有益な扱い方など、知らないのだ。

 「キィアアアッ!!」
 突然の奇声。口裂け女の殺意を、その身に受ける。
 「うわああっ!」
 亜矢は避けるしかない。足をもつれさせたが、なんとか大きくかわす。
 今度は無言で鎌が来る。亜矢の腕をかする。
 「アタシの……都市伝承は聞いてくれた? なかなか愉快だったよね〜? ……2000年初頭の、新たな口裂け女伝承。だけど、今回はワケが違う。現実への波及の度が、違うんだよね。ちゃんと死人も多く出てるしさ。いつまでも長く、語り継がれて欲しいものだけどねぇ……?」
 襲い来る鎌を必死でかわし、亜矢はナイフを鋭く突き出す。が、届かない。
 「もう充分に夢見たろ? お前の都市伝承サマは、この辺で終わりだ。飽きられないウチが華だぞ?」
 亜矢の言葉が効き、口裂け女は激しく笑った。腹を抱える。
 「ホント、そうね〜……。アタシを殺すのは、やっぱりアンタしかいないよ。本気でそう思ってる。だから、殺されてもそう悔しくはないのよね。……でもアナタを殺した行く先も、なんだか楽しげでいい気がする。アタシを止められる者がいなくなってさぁ、アタシは思う存分、いつまで〜も人間を殺し続けるの。……現実は、アタシという都市伝承によって、ボロボロに傷付けられていくのよ……」

 「大層な夢だね」
 亜矢は苦笑する。「でも、夢で終わったままの方がいい夢もあるわ。きっとアンタは、その夢を叶えるより、夢を見たまま死んだ方が……、満足に死ねると思うわ」
 「そういうものかしらね?」
 口裂け女はまた鎌を突き出してくる。その殺意は本物だ。死んでもいい、などという半端な気持ちは見受けられない。
 亜矢も気負いながらも、口裂け女に波長を合わせていく。
 ――このバケモノが、満足に死ねる最期を、与えてやりたい。
 ……だが、熱が……

 ふいに足をもつれさせ、亜矢は転ぶ。
 「ハハッ! 何やってんだ、ボケェッ!!」
 そのわき腹に、口裂け女の鎌が、突き刺された。


 「ウアァアアッ!!」
 身をよじり、口裂け女を蹴り飛ばす。鎌を抜き、放り投げる。
 「……くっそ……」
 溢れ出る血。押さえる。……が、血は止まらない。
 「ちょっと亜紀……」
 
 口裂け女は鎌を拾い、亜矢に向き直る。
 「アナタの闇、少し見えたよ。精神的なものだったみたいね。何か、強大なチカラが眠っているんだと、アタシは勘違いしてた。でも、そういうものじゃ、ないみたい……」
 「亜紀って子も、あれから出なくなったでしょ? それはアナタの中で殺してしまったからよ。そして現実もその辺り、多少歪んでしまった。葬式出したしね」

 「なんで現実が歪む……?」
 亜矢は問う。
 「この世は、見たものすべてじゃないって事よ。見えていない部分、明らかにされていない部分が、未知の動きをする。でもそれは、元々不思議な事じゃないのかもしれない。人間がただ、そういう事を知らなかったというだけで……」
 亜矢は脇腹を押さえたまま、起き上がる。
 「でも、そうそう都合よく奇跡は何度も起こらない、って事かな?」
 血が止まらないゆえの亜矢の皮肉を読み取れず、口裂け女は真顔で返す。
 「……そうでしょうね。たまたまアナタは、今までそれを多く見てきただけ、なのよ。……精神が歪むと、妄想も進む。やがて現実を疑う心も芽生えたりする。人間は子供の頃、夢とつながっているって云うけど……、アナタもね、今はそれだけの事なのかもしれない……」
 亜矢の血は止まらない。このままでは、まともに戦えない。
 「亜紀が……呼んでるのかな……?」

 「やっぱり、人間ってのはもろいよね。でも仕方ないよ。それにアナタも、人間として死んだ方が幸せでしょうし。……じゃ、亜紀ちゃんと泉美ちゃんの所に行けるよう、祈ってあげるから……ここで、死ね」
 鎌を振り上げ、口裂け女は迫り来る。
 亜矢は笑う。
 「なぜか……アタシはいつもあきらめが悪くてね。生きてるのに意味なんかないけど……でもどうしても、あきらめられないのよ、自分を」
 右手のナイフを突き出す。

 鎌が、左頭上から襲い来る。大きく一歩下がり、その腕に狙いを定める。
 短い悲鳴。ナイフは、口裂け女の右腕を大きく切り裂いた。

 亜矢は歩を離す。
 口裂け女は鎌を持ち直し、切られた腕を押さえる。
 「……痛いね。う〜……。なんか骨まで引っ掻かれた感じ……」
 余裕の表情を失い、痛みをこらえるのに専念する。血が路面に流れ落ちる。
 ――行かなきゃ!
 亜矢はまた切りつける。ふいをつかれた口裂け女が顔を上げた時には、その肩口を深々と切られていた。
 「ウグアァアアアッ!!」
 血を撒き散らし、口裂け女は路面に転がる。

 「終わりだよ」
 口裂け女の足元に落ちた鎌を拾おうと、手を伸ばす。
 しかし、一瞬早く、それは掴み取られた。
 横になぎ払われる。

 「アーーーッ!!」
 亜矢は、首を切られた。





 真っ赤に、熱く燃える視界。
 この一瞬で、終わった、とする絶望に飲まれる。

 頭を路面に強く打ちつける。
 ぱしゃり、とした水音。溢れる血。喉を流れ落ちていく、血。呼吸の仕方がわからなくなる。

 「ヒィハハハッ!! 残念だったねぇ、柚木伏 亜矢ッ!!」
 鎌を握り直し、足を震わせながら、ゆっくりと亜矢の元へ……。
 ――予想だにしなかった、亜矢の動き。
 亜矢は素早く体勢を立て直し、口裂け女に襲いかかった。
 一瞬の恐怖に飲まれ、口裂け女は動けなかった。

 ナイフが、深々と胸に突き刺さる。
 吹き上がる血とともに、抜かれるナイフ。
 よろめき、倒れる。口裂け女は、後頭部を路面に激しく打ちつける。
 その目を開いた瞬間。ナイフの切っ先が視界を覆った。

 悲鳴。絞り出される長い悲鳴。
 馬乗りになった亜矢のナイフが、口裂け女の顔をえぐる。何度も、えぐる……。

 やがて、悲鳴は完全に無くなる。
 もう動かない、口裂け女。短い友人だった、泉美の亡き骸。

 亜矢は焦点を無くし、首を押さえて、悲しく泣いた……。


― エピローグ ―


 「起きなきゃダメでしょ、お姉ちゃん……」
 頬をピタピタと叩く者。
 妹の――亜紀だった。

 「……よく、頑張ったじゃん。上出来、上出来。やっぱ、アタシがでしゃばんなくても、お姉ちゃんはやれるコだったんだよ?」
 亜矢は見慣れた優しい面影を、不思議な思いで見つめる。
 手を取られ、起き上がる。
 震える体。亜紀を見つめる。
 「……亜紀、なの……?」
 優しい笑み。自分だけの、確かな味方……。
 亜矢はおずおずと手を回し、そして強く、抱きしめた。


 「泉美ちゃんの死体、誰にも見られるワケにはいかないでしょ? そこだけは手助けしとかなきゃ、ってね」
 亜紀を満身で感じ取り、亜矢はいつまでも離れられずにいる。
 「ホラ〜……子供じゃないんだから。さ、手早くやっちゃお? そして久しぶりにゆっくり、楽しい酒でも飲もうよ?」
 亜矢は微笑む。
 「……うん、そうだね……」
 
 恥ずかしくなり、亜紀から離れ、その胸を軽く小突く。
 「じゃ、行こっか……」
 「うん」
 もう顔を失った泉美を2人は抱え、そこを立ち去る。
 切り刻んで焼くとか、硫酸のプールに沈める?とか、その死体をどう処理するか悩む2人だったが……、結局はどこかに埋める事に話は落ち着いた。

 とりあえず、近くの空家の敷地内に運び入れ、これから遠くへどう運ぶか考える。車など使えない。出来るとすれば、自転車で行くしかないのだ。
 「バラバラにするっきゃ、ないか〜? そうしないと運べないよ」
 仕方ない、と亜矢もその意見に賛同する。

 「あ〜お姉ちゃんはいいよ、疲れたでしょうから休んどいて。アタシがやっとくから」
 亜紀はナイフを取りに、表に出る。
 亜矢はブロック塀に、もたれかかる。体じゅうが痛い。どうして生きていられるのか、不思議でしょうがない……。
 (アタシもそれなりに、バケモノだったって事かな……)
 認めたくないが、認めないワケにはいかなかった。





 しばらくして目を覚ます。
 亜紀は自転車を2台用意し、そのカゴに、黒いビニール袋をそれぞれ乗せていた。
 「今時さ〜なかなか黒いビニール袋って無くて。探すの大変だったよ。それに血ィ出すぎるからさ〜、袋2重にしといた。……じゃ、行こっか? 警察に捕まんない事を祈って!」 
 亜矢も起き上がり、自転車に乗る。
 ――ビニール袋に、友人の死体。
 でも、感傷に浸るのは後だ。泉美をこの世から消去して、ここ一連の事件と、何の関連性も持たせないようにしなくてはいけないのだ。

 2人は夜の住宅地を抜け、東へ。K市から東へ行けば、小山が多く連なっている。埋める場所には事欠かない。
 風を受け、今更ながら、首に触れてみる。……傷跡は、乾いている。

 先を嬉々として走る亜紀の背を見つめる。
 ――生き延びてしまった自分。
 この先にまた、何があるのか、わからなくなる。

 亜紀が速度を緩めて、隣につく。
 「……現実はさ、楽しむ所だよ、お姉ちゃん?」
 肩を叩かれる。

 何があっても。亜紀のように、いつも笑えるように、なれるかもしれないのだ。
 ――辛さや苦しみや悲しみ。
 それらはいつか、乗り越えられる。確かに今までも、乗り越え続けてきたのだ……。

 亜矢は……、微笑んだ。




 「赤いドレスの口裂け女」 ― 完 ―

 あとがき

 55、56章はネットカフェで一息に、7時間ほどかかって書き上げました。集中できたのが真に幸いでした。いや、これだけ集中した事は稀(まれ)ですね。今まで無かったかもしれない。
 最後を上手く書けるか、結構不安でしたが、やるだけはやりました。満足です。

 エピローグの辺りでは、書いてて不覚にも泣いてしまい、声を押し殺していたという。……まぁ、個室タイプのネットカフェだから、誰にも気取られる事はなかったでしょうけど。……ちゅーか、僕はいつも泣きますね。作品の書き上げ時は。笑。恥ずかしいヤツだよなぁ。

 亜矢がラストで首切られる辺りは、ユキコを思い出してしまった。首をやられるんではね。……でも、あえて変える気はなかった。そしてそこに至っても、亜紀を助けに出させる事はあえてしなかった。ピンチに誰かが助けに来る展開は、避けたかった。結構、この物語では亜矢に自力で、なんとかさせてます。その方が、展開的にも力が入ったようです。
 そして亜紀をエピローグに登場させてみたら……あらら。泣いてしまったワケですよ、なんか。……僕にとって亜紀は、それだけ思い入れのあったキャラだったんでしょう。

 で。「赤いドレスの口裂け女」も、これで無事に終了いたしました。みなさん、長らくお付き合いいただきまして、真にありがとうございました。長かったでしょう? 楽しんでもらえましたか?
 一仕事終わりましたので、僕もしばらく余韻(よいん)に浸って、ボケーッとしている事にします。……ウソでしょうけど。


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