30話〜39話
 

― 30 ―


 亜紀の葬式から早や2週間。
 亜矢の背中の傷も、痛む事はほとんどなくなっていた。包帯ももう、不要だった。
 元々、直接受けた傷ではないので、軽傷といえば軽傷だった。大きな所で4針ほど縫った所もあるが、すべては通院で済んだ。
 軽傷で済んで無論良かったのだが……、それは亜紀とのつながりが弱かった証明、のような気がして、亜矢は悲しくもあった。どうせなら、その不可思議なつながりをもってして一緒に死ねば、もっと満足していたかもしれない……。

 ――ガラン。
 自転車のかごの中、買い物袋が鳴る。
 酒を買い込んだのだ。今夜は思いっきりやるつもりだった。
 人間、ツライつらい、ばかりじゃ生きていけない……。





 自宅に戻り、目を伏せる。
 少し、体が重い。
 ……早く、いい思いに浸りたい……。

 リビングのテーブルにつき、袋から買い込んできた物を取り出し、並べる。
 カクテル数本。コンビニ弁当。アイス。お菓子。つまみ類……。
 TVをつける。音だけ、欲しい。

 弁当より先に、カクテルを開けてしまう。お気に入りのソルティドッグ。そのまま、ノドに押し込む……。
 「うぶっ!」
 勢いをつけすぎて、少しむせる。だが、それが心地よい起爆剤となる。亜矢はもう、ニヤケる。
 柿ピーをつまみながら、亜矢はむさぼるように、飲んでいく……。


 「うへへぇっ!」
 デキあがったのは、2本目を空けた時だった。
 「う〜弁当食わなきゃ」キッチンのオーブンへ放り込む。
 またリビングのテーブルに戻り、ニヤニヤしながら酒を飲む。
 「亜紀ぃっ! 隠れてないで、出て来いっ! てめえの分も買ってあるから、よっ!」

 アハハハハッ!

 笑ったのはTVだった。
 ふいに亜矢の気がそがれる。「うるせえんだよ、てめえはっ!!」TVのスイッチを荒々しく切る。
 ――無音になる。

 途端に、亜矢の気持ちも静まる。
 「つまんねぇよ、ちくしょう……」
 涙目になる。「……頼むから、また出て来てこいって、亜紀……。バケモノなんだろ? 死んでないんだろ? ……アタシのドッペルゲンガーなんだろ……? 頼むって……。オマエがいなくちゃ、アタシはダメなんだよ……本当に……」
 泣き言とともに、視界は大きくひずむ。
 「どうすりゃいいんだよぉ、アタシは……?」


 ――テーブルの隅にある、ノートパソコン。
 泉美とつながる、一つの線。

 「いや、そいつは……いつか、見てみるからさ……。今は何もする気になれないんだよ……」
 「いつかって、いつ?」
 「いつかって……いつか」
 とりとめのない、独り言。
 「ホントに、アタシって……やる気のない女なんだね。最低だよ。ホント……ウジ虫みたいな女……」

 「亜紀の……カタキすら、討てないの? アタシは……」
 思わず、手の平を見る。力を込めないと、すぐ丸まってしまう、手の平。
 ――活力が、ない。
 手の平を広げる事すら、ひどく意識しないとできない……。
 「疲れたんだよ、もう……」

 ――でも。
 動き出さないと、何も始まらない。

 亜矢は顔をしかめる。「でもさ。ミミちゃんとコンタクトとったからって、何になるのよ……?」
 ――パソコンなんか、触りたくない。


 「……何やってんのよ、アタシはッ! このバカッ!!」

 ふいにわめき、亜矢はパソコンを引き寄せる。
 開けて、電源を入れる。
 液晶画面を、食い入るように見つめる。

 ネットに接続。
 お気に入りを探る。
 映画関係のサイトが、多くお気に入りに登録されている。亜矢は胸を痛める。
 そして、「恐怖の口裂け女」を見つけた。





 トップページを見るなり、亜矢は顔を曇らせる。
 醜い顔の口裂け女のイメージ画が、出迎えてくれたからだ。
 「ミミちゃん、こんなの描くの……?」

 記事を読む。亜矢は初めて見るので、よく目を通す。
 そこには、口裂け女についてのウンチクが語られており、また、<新・口裂け女伝承>として、例の住宅地での殺人事件についての新聞記事が抜粋されていた。

 そしてBBS。
 新しい書き込みを見て、亜矢は目を見張った。
 例の住宅地に住む者が、書き込みをしたらしい。そして……
 
 ――私は事件の被害者の遺族なのです。
 その一文から、長い事目が離せなかった。
 

 「藤森……」
 新聞は読んでいたので、被害者の事は多少、覚えていた。
 サイトの新聞抜粋記事を見る。



 ――5月26日。昼過ぎ。K市 Sの住宅地内で、殺人事件が起きた。
 殺されたのは、会社員 H.Kさん(32)の妻、H.Yさん(31歳)。胸を鋭利な刃物で貫かれた事による、出血多量死。警察は殺人事件と見て、捜査を進めている。
 犯行時は雨が降っていたものとされ、Yさんが発見された時には、既に死亡していたという。
 警察は、現場付近より見つかった果物ナイフが犯行に使われたものと見て、捜査している。
 なお去年、この住宅地で起きた、H.Mちゃん(当時6歳)の事件の関連についても調べている。Mちゃんの事件もまだ捜査中との事だ。
 MちゃんはH.Kさんの一人娘であった。

 (5/27 某地方新聞より抜粋)



 この事件の被害者の遺族である、H.Kが、このサイトを見て、書き込みしたのか?
 それとも、イタズラか……?
 わからない。



 ……ですが、このサイトの悪口を書きに来たのではありません。
 管理人さんに、お力を借りたくて、書き込みしたのです。
 どうか、この私の探している「口裂け女」の情報を、お聞かせ下さい。
 その口裂け女は、私の家族を殺した者なのかもしれないのです。



 被害者の遺族を名乗る者の、この書き込み。亜矢は真摯(しんし)に受け止める。
 ――アタシだったら、協力するだろう。
 だが、管理人「ミミ」はまだ、返事を書いてはいない。
 泉美はまだ、見ていないのか? 書き込みされてから、5日ほど経っている。

 ――亜矢の手が動く。
 書き込み用のネームテンプレートにある、[A]。亜紀が使ったものだろう。それをそのまま使う。
 遺族の書き込みに、特に名前は記されていないが、それをH.K――藤森なにがし、だと信じて、亜矢は返信する事にした。



 初めまして。
 管理人さんではありませんが、私もその事件に関しては被害者の遺族、と言えます。
 貴方が本当に事件の被害者の遺族ならば、私にメールを送ってください。その時、実名を必ず、付記願います。
 
 私が力になります。微力ではありますが。

 [A]


 
 メールアドレス欄も埋めて、書き込みを終了した。
 本当に力になれるかどうかはわからないが、自分一人でいるより、マシだ。どの道、知ってしまったからには、このH.Kを無視する事はできない。同じ、被害者の遺族として……。
 だが。自分がただの女子中学生と知ったら、相手はあきれるだろうか? ……そうかもしれない。
 

 後は、泉美がどう出るか、だ。
 泉美にやる気がないようなら、H.Kと口裂け女を探そう。

 とにかく。――亜紀のカタキを野放しにしてはおけない。
 事件後2週間経った今になってやっと、亜矢にそういう気力が、強く芽生えたのだった。


― 31 ―


 翌日。
 亜矢は学校から家に帰って、まずパソコンを立ち上げる。
 ――メールの確認。
 しかし、DM以外、何も来ていない。

 「何期待してんのよ、アタシは……」
 多少の意気をそがれたが、自分も気が早すぎる。これでは、どちらがどちらにすがりたいのか、わからない。

 ――その代わりに、留守電が入っていた。
 また警察か……、と思ったが、違っていた。警察からの連絡は、亜紀の放火の一件で何度もかかってきていた。あれは、そういう事で決着がついてしまったのだ。亜矢はその時、警察にまるで反論しなかったせいもある。
 今度の電話は、その放火された物件の所有者からだった。

 「はじめまして。私どもは長野の方に住む者です。所沢、と申します。
 先日は柚木伏 亜紀さんという方が、お亡くなりになって、大変残念な事ですね……。お悔やみを申し上げたいと思います。
 それでですね、理由はわかりませんが、亜紀さんにウチの物件が焼かれてしまったワケですが……その事については、亜矢さん? 気になさらないように、お願いいたします……。あれはもう、使い道のない家でしたので。警察の方にも、そうハッキリ言っておきましたので、ご心配なされないように……。
 では、お電話で失礼します。今、ここ岩手の方に帰ってきているものですから、ご都合さえよろしければ、今度お伺いさせていただきたいと思います。それでは……」

 ――所沢。警察でもらった資料にあった、物件の所有者だ。家が焼かれ、その後始末に、長野県から岩手に来ているのだろう。
 訴えられても仕方のない事だったが、所沢さんは許してくれるようだ。
 亜矢は少し、緊張感が解けた思いがした。


 電話を返すべきかと思ったが……、疲れているので、少し「子供」という言いワケに甘える事にした。
 そして今。自分は別の問題に直面しているのだ。
 ――口裂け女、という問題に。


 行き当たりばったりではなく。倒すべき、具体的な案を考える必要がある。
 退屈な授業中も考える事は考えてきたのだが……、なかなかそれに集中する事もできなかった。
 バケモノ――口裂け女。
 それを、どう倒すのか。

 ――亜紀はどうしただろう?
 倒そうとして、火をつけたのか? もし、物件の所有者が損害賠償をふっかけてきたら……、ヒサンな目に会うところだった。亜紀はその辺、まるで考えナシで行動したのだろう。

 今、口裂け女はどんな状態なのだろう?
 亜紀は、傷を負わせる事ができたのだろうか? 倒してはいないのか?
 ……わからない。

 それが亜紀の言う、「泉美ちゃんが、カギを握ってる」なのか。泉美に聞けば、何かわかるというのか?
 とてもそうは思えないのだが……でもそろそろ、当たってみる頃にはなっただろう。
 亜紀の死によって停滞していたものを、そろそろ動き出させる時なのだ。


 亜矢はキッチンへ向かった。
 今晩は、まともに料理を作ろう、という気持ちになったのだった。





 藤森 一也は帰宅し、まずパソコンのスイッチを入れた。
 買い物袋から弁当を取り出し、オーブンへ。お茶の缶を開け、飲む。

 気づくと、ため息。
 仕事から帰って来ているのに……どうしてこんなに静かなんだろう……? と思う。
 ――「恐怖の口裂け女」。
 こんなものにすがろうとしている自分が、情けない。


 BBS。管理人ミミは、応答してくれただろうか?
 そして見る自分の書き込み。その後に、管理人ではない書き込みがあった。



 初めまして。
 管理人さんではありませんが、私もその事件に関しては被害者の遺族、と言えます。
 貴方が本当に事件の被害者の遺族ならば、私にメールを送ってください。その時、実名を必ず、付記願います。
 
 私が力になります。微力ではありますが。

 [A]
>  


 「なに?」
 ――被害者の遺族だって?
 しばらくマユをひねる。

 ウチだけが被害者じゃない、というのか?
 ――私に、メールを? 実名で?
 ――私が力になります??

 「……イタズラ、だろ?」
 ふいに、息詰まる。……そうなんだ。自分はこんなにも苦しいというのに……、他人というヤツはこんなイタズラを……。
 やはり、掲示板になど、書くんじゃなかった……。


 しかし、そう決め付けるのは、まだ早い。
 このAが、本当に事件の被害者の遺族で、本当にこの自分の力になってくれるのだとしたら?

 オーブンが鳴る。
 そのまましばらく、時間は過ぎた。


― 32 ―


 ――口裂け女。
 忘れようとしているのに……、泉美の頭の中から、その単語が離れる事はなかった。

 授業への集中力も、だいぶ欠けてきている。
 今も、うわの空だ。黒板をぼんやり見ながら、悩んでいる。

 ……もう、あんなサイトに書く事など、ない。熱など、もう冷めてしまっている。それに、あの住宅地での事件を書いた時から、うっすらと罪悪感が芽生えてきていたのだ。
 それにもう……、自分の中では、口裂け女は終わっている。

 なのに。その単語が頭の中から消えうせる日はない。気づくといつも、それで悩んでいる。
 口裂け女の夢を、毎日のように見るからだ。

 ――異常、だった。
 そんな事は、異常なのだ。毎晩のように、そんな夢ばかり見るなんて……。
 いつからだろう? ……わからないが、気づいた時にはもう、夢はそればかりだった。
 その夢しか、見ていない気がするのだ……。

 ――怖い。
 まるで、それに見られているかのようだ。呼ばれているかのようだ。肩を叩かれているかのようだ……。
 そんなもの……いるハズはないのに。
 そう。そんな空想のオバケなんて……この世にいるハズはないのに……。

 (あんなサイトを作ったから、口裂け女の夢ばっかり見てしまうんだ……)
 そういういつもの結論に、落ち着く。

 ――あのサイトを、終わらせよう。
 泉美はそう、決めた。
 口裂け女など本当にいなくて、自分はバカな空想に溺れているだけなのだとしても、苦しんでいるのは事実なのだ。だから、あれは終わらせるべきなのだ。サイトなど、楽しめなくなったら終わりだ。

 今日にでも、終わらせよう。
 泉美はそう固く、心に決めた。





 口裂け女――鈴木 優子は、その泉美の心境を敏感に察知した。強い思いは伝わってきやすい。

 ――この自分の伝承を広めるべき者が、それを放棄しようとしている。
 泉美という人間はどこにでもいる、とるに足らない存在だ。だがしかし、その者が発する「情報」に、価値があったのだ。
 「くそ。脅かしすぎたか……」
 優子は空家の中で、舌打ちする。泉美という人間を誤解していた。この自分とつながる事を、喜んでくれているとばかり思っていたのだ。しかし、それは誤解だったようだ。
 優子は顔をしかめ、首を振る。
 人々へと語り告がれ……、存在を確固たるものとし、力を得ていくのはこれからだというのに……、伝承経路をストップされてはたまらない。
 「惜しいが、殺すしかないな……」
 顔を上気させ、口の端を吊り上げる。
 汗をぬぐう。
 今は、体が腐りかけてきている事から、高熱を発しており、時に頭の中が沸騰しているような感覚すら覚えた。
 ――死は近い。止めようもない。


 優子は泉美に失望した。
 人間の気は変わりやすい。泉美は確かに、サイトを作った時は嬉々としていたハズだ。なのに今は、口裂け女を拒絶し、忌み嫌い、そして情報発信をやめようとしているのだ。
 それは、優子にして見れば、「裏切り」に等しい行為だった。
 「アナタがアタシを面白おかしく宣伝してくれなきゃ燃えないのにさ……。ホント意気地のない子よね。……そこのところをタップリとわからせてから、殺してあげようね……」
 そこで案が浮かぶ。「そうね、正装で殺してあげようね、泉美ちゃん……」
 ――真っ赤なドレス。
 この自分の、狂いの証。この自分の、新たな伝承の、色付けなのだ。

 ニヤとして、部屋隅のスポーツバッグを開ける。
 その中にある赤いドレスを取り出してみる……。
 「アタシは……狂ってんのよ。そこんところをね……忘れちゃいけないわね……」

 目の前にかかげられる、美しい赤。毒々しい、赤。優子はうっとりと見つめる。
 「この体が腐ってしまう前に……事はすべて終えるわ。そして、満足して死んでやる」

 優子は汗をぬぐい、ドレスを飽きる事なく、いつまでも見つめた。


― 33 ―


 その晩。自分の作ったサイト、「恐怖の口裂け女」を終わらせるつもりで、泉美は久しぶりにそれを開いてみた。
 勉強机の上のデスクトップパソコン。それに電源を入れるのも、久しかった気がする。久しい、とは言え、1〜2週間程度の事なのだが。
 パソコンでのメル友はいないし、特に楽しみにしているサイトもないので、泉美にとってパソコンは、必需品ではなかったのだ。
 どの道、口裂け女への興味は失せていた。
 ……いや。それが「怖く」なり、楽しむどころではなくなったのだ。

 ――毎晩のように見る、口裂け女の夢。
 ――そして、柚木伏 亜紀が火の中で焼かれる夢……。逃げた自分、口裂け女……。
 夢なので、記憶としては定かではないが、怖くなったのは、そういう不吉な夢をしつこく見たせいなのだ。


 サイトを開くと、アクセスカウントがだいぶ伸びていた。
 出迎えてくれる、歪んだ顔の、口裂け女。絵は何度も描き直したものだった。
 生前の柚木伏 亜紀からもらった助言を思い出す。

 ――バケモノを描きたいんなら、リアルに書こうとしてもダメ。デッサンをもっと狂わせないと。……バケモノっていうのは、人に納得させちゃいけない。こんなものだと思わせたら、それはもうバケモノじゃないよ……。

 そんな事を言われた気がする。泉美はそれをまともに受け止め、歪んだ顔の口裂け女を描いてみたのだ。
 でも改めてみると、こっけいな顔にも見える。
 亜紀を思い出し、今少しだけ寂しい思いになった。交わした言葉もさほど多くもなく、そんなに長く一緒にいたワケではないけど……、楽しい子だったと思う。


 BBS。
 どうせ何も書き込まれていないだろうと思ったが、予想に反して、書き込みは多かった。
 見ていないものが、5件近くある。

 アダルトサイトの広告に始まり、このサイトをちょっとほめてくれる声があったり。
 そして、冗談では済まされない、書き込みを見つけた。

 目を疑う。 



 初めて書き込み致します。
 私は、口裂け女が出ると言われている、このサイトで紹介されている住宅地に、いる者です。



 「……そして、私は事件の被害者の遺族なのです……?」
 思わず、声が出る。
 信じられない書き込み。

 それを、私は無視していたというのか……?
 こんな大事な書き込みを……。

 確か……被害者は、藤森さんだ。殺されたのは、マヤちゃんという子供。そしてその母親、だったハズだ。
 つまりその遺族というと……、父親?



 管理人さんに、お力を借りたくて、書き込みしたのです。
 どうか、この私の探している「口裂け女」の情報を、お聞かせ下さい。
 その口裂け女は、私の家族を殺した者なのかもしれないのです。

 馬鹿な話かもしれませんが、私は真剣です。
 もし、口裂け女がデタラメなのであれば、あきらめもつきます。
 どうか、知っている情報をお聞かせ下さい。お願いします。



 「ウソでしょ……!」
 顔を両手でおおい、泣き声になる。
 ――今まで私は、何をやっていたの?!

 「でも……アタシなんて……何もできない……」
 また、怖くなる。……今度は、重荷に。

 それに続く書き込みを見る。



 初めまして。
 管理人さんではありませんが、私もその事件に関しては被害者の遺族、と言えます。
 貴方が本当に事件の被害者の遺族ならば、私にメールを送ってください。その時、実名を必ず、付記願います。
 
 私が力になります。微力ではありますが。

 [A]
>  


 ――A?
 もちろん、知らない人だろう。
 でも、この人も被害者の遺族と言っている。
 どういう事だろう……。

 あの住宅地で起きた事件が、他にもあったのか?
 思い当たらない。
 もしかして、公けになっていないが、口裂け女は密かに殺人を重ねているのか?
 ……いや。そうであれば、必ず騒ぎになるし、事件として新聞に載らないハズがない。

 確か、あの住宅地での鈴木さん一家も何かあったハズ。
 夫は事故死。妻が行方不明。その遺族? ……誰だろう。親戚かな。行方不明になった妻自身とか?

 「違うでしょっ!!」
 泉美は真顔で吠えた。

 思い出す。それは、確かに夢で見た。
 夫を殺した、口裂け女。
 ――鈴木 ゆうこ。そう。鈴木 優子は、口裂け女だ……。


 「どうして今頃思い出すのよ……」
 おかしくなる。なんだか、悔しくもなる。

 他の事件。
 あるとすれば……
 柚木伏 亜紀の焼死。あの住宅地の外れの空家。

 その遺族。
 「まさか……亜矢ちゃん……? これって、亜矢ちゃんなの……??」
 泣き笑いになる。

 本当に、どうなのかはわからない。
 でも。私は、この人達を無視して……口裂け女を怖がって、考えないようにしていた……。
 逃げていたんだ。


 「亜矢ちゃん、ごめんねぇっ!」
 そのAが、亜矢と決まったワケではない。でも、きっとそうなのだと、泉美は信じた。
 突き動かされる。強い力に。

 でも、今度は違う。
 口裂け女のためではない。
 口裂け女によって、苦しめられた人達の助けになるべく……、泉美は動く事に決めた。


― 34 ―



 申し訳ありません。ここ数日、サイトの方を見ていませんでした。
 書き込み、ありがとうございました。

 書き込みをされたお二方は、例の住宅地における、事件の被害者、との事でした。
 もし事実であれば、非常に近い所に、私達はいるワケですね。

 私に何ができるかはわかりませんが、できるかぎり、協力させていただきたいと思います。
 口裂け女に関して、わかる範囲でお伝えしたいと思います。


 HP「恐怖の口裂け女」管理人ミミ



 昨夜、そんなメールを2人に出しておいた。2人とも、書き込みにメールアドレスを入れてくれていたからだ。
 もう遅いかもしれない。でも、無視するワケにもいかない。大事な事だから。

 今朝は6時前に目が覚めてしまった。こんな事は久しい。
 ぼんやりと、パソコンで自分のサイトを眺めていた。
 結局、閉じるのはよしておいた。

 ――夢。
 今朝は見なかったが、その「夢」で、この2人に協力できると泉美は確信していた。
 なぜかはわからないが、自分は夢で、口裂け女とつながっている。
 今までの口裂け女の動向も、ややわかっている。
 どこにいるのかも、大体つかめているのだ。
 今後もそのつながりがあれば、充分、2人に協力できるだろう。

 「でも……まだ、そうと決まったワケじゃないよ」
 サイトに書き込んだ2人が、事件の被害者である藤森 一也と、柚木伏 亜矢、と決まったワケではないのだ。

 いれてきたコーヒーをすする。今朝は台所の母に驚かれた。いつもは学校に遅刻寸前に起きるからね……。
 メモを見る。口裂け女に関して、つづってきたメモだ。

 サイトには公開してこなかったが、最近の口裂け女の夢も、メモはとっていた。
 このつながりが事実なら、今はまた別の空家にいる。しかも、口裂け女――鈴木 優子は、重傷を負っている。
 ひどい胸の傷。ひどいやけど。


 パソコンを閉じる。
 後はメールを待つばかりだ。
 ……いやいや、亜矢に学校で話かけてみようか? 同じクラスなんだし。
 亜矢は何も言ってこなかったけど、私の事を見ていたのかも知れない。
 だとしたら、謝っておこう。

 そしてまた苦笑する。2人の書き込みが、誰のものなのか、まだわからないのだ。とんだ見当違いであるかもしれないし、イタズラであるかもしれない。
 その方が……いい。もしそうだったら、サイトを閉じて、もう口裂け女の事は終わりにしよう。
 藤森さんについてはメールを待つしかないけど、亜矢については、話してみればわかる事だ。





 学校に着く。
 早く起きたせいもあり、教室にもやや早く着いた。

 ――柚木伏 亜矢がいる。
 この子は毎朝早いと、そういうウワサだ。
 「おはよう、亜矢ちゃん……」
 「おはよう」

 「……やっと、返事くれたね」
 そんな亜矢の言葉。
 泉美の視界が、大きく開ける。
 「亜矢ちゃん! あの書き込み……やっぱり、亜矢ちゃんだったの?!」
 「そ」
 亜矢は何気ない笑みを返してよこす。
 「あ〜……ごめんねぇ。サイト見てなくて……ホントは閉じようとしてたの」
 カバンを席に置き、亜矢の元へ行く。


 「……?」
 亜矢に、手を差し出される。
 「泉美ちゃん。これから迷惑をかけてしまうかもしれないけど……協力してほしいんだ。頼めるかな?」

 亜矢の手を見つめる。
 この先にある、重いもの。
 ――柚木伏 亜紀の死。
 ――口裂け女。

 この先の無事は、なくなってしまうかもしれない。
 でも、泉美は亜紀が好きだったし、亜矢とも友達だ。

 亜矢の手を、握り返す。
 「もちろんよ。……がんばってみる」
 なぜか出る、涙。こぼれそうになるのを、こらえる。

 亜矢も、潤んだ目で見つめてくる。
 「……ありがとう。貴方の事は、私が守るから。協力、お願いね」
 「うん!」

 そして2人は笑いあい、照れくさくなって、お互いの肩を大袈裟に叩きあった。


― 35 ―


 藤森 一也はその日も会社をサボッた。
 パチンコ店内。
 昼に一度金を下ろして来たが勝てず、その日はすでに10万近く負けていた。もはや自暴自棄になっている。

 「なんで出ねえんだ、バカ野郎……」
 また金を滑り込ませる。キリがない。出ては飲まれ、出ては飲まれを繰り返し、台を何度も移動した。でも、今日はまるで当たらなかった。
 今は本日最悪の目にあっている。台のデジタル回転数は、2500を越えていた。

 「ごめんなぁ、マヤ……こんなバカな父さんでなぁ……」
 そのボヤキは騒音にかき消される。
 心の中は空虚だった。
 目が痛い。痛くてたまらない……。

 ふと、口裂け女の事を思い出したりする。
 (そういや数日前、変なサイトに書き込みしちまったっけ……)
 台は単調に玉を飲み続ける。リーチは全然当たらない。まるで呪われたように。
 (バカだよなぁ……マヤも由美子も、ただの変質者に殺されたんだって……)
 そこで顔がひきつる。
 ――変質者。
 俺の一番大事なものが……そんなものに殺されただなんて……。
 許せない。

 許せないのに……この俺は……。
 台のハンドルから手を放す。
 (こんな……こんなダメなままでいいのか?)
 ――悔しい。
 悔しいんだ、俺は……。

 (警察が悪いんだ……犯人を見つけてくれないから……)
 口裂け女、などというバカ話を信じるようになって、どうする!
 このままじゃ俺は……堕ちていくばかりだ……。

 席を立つ。
 金なんか、どうでもいいんだ。だけど由美子の残してくれた大事な金を、こんなものにつぎ込むのは、申し訳ないじゃないか……。
 会社の同僚に迷惑ばかりかけて、どうするんだ俺は……。
 早く、立ち直らないとな……。

 でも。もう気力がないんだ。
 もう、この手には何も掴めないんだ……。何もかも、すり抜けていくんだ……。





 帰宅して、リビングのテーブルの上の、ノートパソコンをチラリと見る。
 一度、HP「恐怖の口裂け女」に書き込みして、後はほったらかしたままだ。……何か、返事はもらえただろうか?

 ……もらえたかもしれない。でも、気休めを言われたところでどうしようもない。
 もう、口裂け女などというバカな事を考えるのは、やめにするんだ。でないと、本当にダメになる。
 でも気になって、電源を入れる。
 戸棚をあさり、カップラーメンを見つける。

 (夕食に……カップラーメンか……)
 由美子の料理……。いつも胸が沸き立つような、鮮やかな盛り付けで楽しませてくれた……。
 幸せな、家族だったのに……。

 「……由美子……」
 怒りたくても、そのやり場がどこにもない。だから、苦しい。
 破裂しそうなのだ。自分は。

 でも……誰かが助けてくれるワケじゃない……。

 カップラーメンにお湯を注ぎ、パソコンの前へ。
 サイトを見る。「恐怖の口裂け女」。


 当サイトは活動を停止いたしました。真にすみません。
 なおBBSだけは当分の間、残しておきます。


 そんな簡素なメッセージとともに、サイトは消滅してしまっていた。
 「あはは」
 ラーメンをすする。「俺より飽きやすいや」
 でも、胸がスッとした。こんなものに触れなくて良かったのだ、やはり。深入りしてもきっとバカを見るだけの事だっただろう。
 「なんでBBSだけ残しとくんだよ?」
 どうでも良くなり、ウインドウを閉じる。

 そしてなにげなく、メールを確認する。
 「……ミミ?」
 DM以外に、そんなメール。ミミと言えば、「恐怖の口裂け女」の管理人か?
 開く。



 申し訳ありません。ここ数日、サイトの方を見ていませんでした。
 書き込み、ありがとうございました。

 書き込みをされたお二方は、例の住宅地における、事件の被害者、との事でした。
 もし事実であれば、非常に近い所に、私達はいるワケですね。

 私に何ができるかはわかりませんが、できるかぎり、協力させていただきたいと思います。
 口裂け女に関して、わかる範囲でお伝えしたいと思います。


 [管理人ミミ]

 

 「そっか、教えてくれるってか……」
 嬉しいような、それともどうでもいいような気分。
 「返事か……」
 ――アテにはしない。とにかく、お礼ぐらいは言っておこうか。



 お返事ありがとうございます。
 サイトの方、閉じられたのですね。残念な事と思います。
 でも、僕としましては、「口裂け女」を信じる事などはできず、妻と娘をそんなものに殺された、などとは思えないままでいます。

 一つお聞きします。
 ミミさんはどうして、犯人が「口裂け女」だと思うのですか? ただの変質者などではなく、どうして怪物などを持ち出してくるのでしょうか?
 サイトに詳しく載っていたかもしれませんが、閉じられた今では確認もできません。
 ご返答のほどを、お願いいたします。

 ただ、僕は口裂け女などというものを信じきれずにおります。


 藤森 一也



 実名を記し、送信する。
 一息に書き、誤字脱字をチェックもせず、出してしまった。
 ラーメンをすする。……やはり、俺はバカな事をやっているのか……。
 (そういや、BBSだけ残ってたんだっけ?)
 「恐怖の口裂け女」BBSを覗いてみる。



 初めまして。
 管理人さんではありませんが、私もその事件に関しては被害者の遺族、と言えます。
 貴方が本当に事件の被害者の遺族ならば、私にメールを送ってください。その時、実名を必ず、付記願います。
 
 私が力になります。微力ではありますが。

 [A]
>  
 
 
 そんな書き込みを見つける。自分が書き込んだものへの返事だ。
 「そういや、コイツに返事出してないな……」
 本当にこのAも、被害者の遺族なのかは疑わしい。

 名前をクリックし、メール書き込みのウインドウを開く。



 初めまして。
 貴方がどういう件で事件の被害者なのかは存じませんが、お力を貸していただけるとの言葉は、よい励ましになりました。ありがとうございます。

 しかし、僕はこの先、なんとか立ち直っていくつもりです。
 口裂け女、などというものを一時でも本気で考えた事が、今ではとても恥ずかしく思えます。
 それでは。


 藤森 一也


 送信。
 ラーメンも食べ終わる。
 「大変だな、メールってのも……」疲れたので、パソコンを閉じる。
 TVのスイッチを入れる。
 途端に、パチンコ店のCMが流れる。
 「もう、2度とやるかボケ……」

 立ち直れないとしても、あんなものに手を出したら余計にダメになるし、疲れる。ただひたすらに、時間と金のムダでしかない。与えられた命を、粗末に費やすだけの事なのだ。
 「カタキさえ討てればな……」





 その日の夕方は、亜紀が燃やしてしまった物件の所有者である、所沢さん夫婦が家に来て、亜紀の祭壇に手を合わせていった。優しそうな老夫妻だった。
 所沢さんは、いずれあの家は取り壊す予定だったと言い、亜矢をなぐさめた。そしてただひたすら、妹を亡くした亜矢を元気づけようと言葉を残していった。
 そして、亜矢の気持ちも晴れる。これで亜紀のしでかした不始末の一件は終わったと、胸をなでおろす事ができた。

 その晩。亜矢は藤森 一也からのメールを受け取った。
 だが、内容を見て、少し残念に思った。

 ――しかし、僕はこの先、なんとか立ち直っていくつもりです。
 ――口裂け女、などというものを一時でも本気で考えた事が、今ではとても恥ずかしく思えます。 

 (そうだよね……当たり前だよね……)
 苦笑する。ぜひ一緒に口裂け女を倒しましょう! ……と来るより、よほどリアリティのある返答だ。これが、現実なのだ。
 (やめておこう……)
 藤森 一也を巻き込むのは、やめておこう。
 (戦うのは、アタシ一人でいいんだ……。泉美ちゃんだって、口裂け女を見つけてもらったら、後は巻き込まない)

 まだ見ぬ、口裂け女。
 だがはっきりと、亜紀は口裂け女に殺されたのだと、夢で告げてきた。
 あの、別れの夢――。


 机の上の携帯電話が鳴る。メール音だ。
 泉美からだった。急に仲良くなったので、なんだか照れくさい。

>今晩も口裂け女の夢、見ると思う。起きたらすぐ、メモすればいいんだよね? がんばってみるから。

 そんなメール。
 夢を思い出すには、起きたすぐがいい。意識を集中して、思い出す事に専念する。ある程度思い出せてきたら、すぐにメモをする。――夢に関する本には、こんな方法がよく載っている。それを教えてやったのだ。
 泉美は、なぜかわからないが、口裂け女とつながっている。
 居場所さえ突き止めれば、後は一人で殺しに行くつもりだった。

 武器はナイフ。
 亜紀の部屋に残っていた、ナイフだ。亜紀はナイフを集めるのが好きだったようだ。
 それで、亜紀のカタキをきっちりと討つつもりでいる。

 風呂に行く。
 そして洗面所に足を踏み入れた途端。
 鏡が音を立てて、割れた。


 縦に入った大きな亀裂。
 (なんで……?)
 そのまま風呂に入る気にもなれず、しばらく眺め続けた。





 疲れたので、勉強前に少しだけ休むつもりでベッドに横になる。
 泉美はそのまま寝入ってしまった。

 ――鈴木 優子。
 ひと気のない路地裏を、歩く。履いているのはハイヒール。音が高い。
 ひらめく真っ赤なドレス。
 そしてひどい頭痛。燃えるような全身の痛み……。

 「榊 泉美……。キサマがアタシをこんなに弱くしてしまったんだ……。責任はとってもらうわよ?」
 あまりの暑さに汗は滝のよう。涙も一緒くたになって流れ落ちる。
 口は裂けたまま。カマを手に、優子は歩いていく。
 「バケモノらしいじゃないのさ、アタシ……」
 ――見られたら、誰でも、いくらでも殺す。
 「泉美ちゃん……寝てないで、警察でも呼びなさいよ。クフフ……。今死んじゃったら、亜矢ちゃんが悲しむでしょうに……。せっかくあの根暗な子の親友になれたばっかりじゃないの……。え?親友なんてまっぴら? あらら、ウフフ……」
 口が止まらない。頭の中がもうどうにかなってしまっている。

 「早く逃げなよ〜いずみ〜……」





 ノックの音。母の声。
 「泉美? お風呂入ってから寝なさい。汗くさいまんま、また学校行きたくないでしょ? もう11時よ?」
 
 「はぁい!」
 そう返事をして、泉美は夢を思い起こす。
 そして、恐怖に飲まれた。
 「ウソでしょ? このアタシを殺しに来るの……? 今??」
 ひどい寒気。歯が鳴り出す。
 「そんなハズないよ……。第一、アタシの家、知ってるワケない……。それに、アタシは関係ないよ……。口裂け女なんかに狙われる理由なんかないもん……」
 まだ夢からひきずる、体の痛み。ひどい汗。
 (大丈夫よ……戸締りしてあるしさ。お父さんもお母さんもいるし……。何かあったら警察呼べばいいんだしさ……)
 いや。今回ばかりは、本当にただの夢なのかもしれない。怯えているから、そういう夢を見ただけなのだ、きっと。
 ベランダのガラス戸の戸締りを確認して、カーテンを閉める。

 ――風呂。とにかく、シャワーだけでも浴びて、早く寝よう……。





 ビクビクしながら風呂を終え、自室に戻る。
 もう寝る時間だ。何も考えず、床につく。
 (絶対、大丈夫だ。何かあってたまるもんか……)


 ――見た夢。
 口裂け女は、すぐそこの、ベランダに立っている。


― 36 ―


 今は夢なのか、現実なのか。
 ベランダごしに、口裂け女が立っている。
 ――泉美はベッドの中。身動き一つできない。目だけ、ギョロリと剥(む)かれている。

 ひどい耳鳴り。ひどいめまい。
 狂いたくなるほどの、焦り。叫びをあげるまで、楽にはなれない。


 やがて。
 しとしとという雨音が聞こえてきた。
 優子は、静かに打たれる。


 どんなに長い時間がすぎたのかはわからない。
 気づくと、夢は現実であり、自分は泉美に戻っていた。
 ベランダを見る。そこにはまだ、口裂け女の気配があった。

 優子の熱もひき、胸を中心とした全身の痛みも、今はウソのようにひけていた。
 「いい雨だ……気持ちいいよ……」
 優子はにこやかに笑う。
 カマの切っ先で、ガラス戸をいたずらにひっかく。

 「ひぃいっ!」
 泉美はそこではじめて、悲鳴を発した。ぐっしょりと背が濡れている。
 「なぁ、泉美……もうアタシを書いてはくれないのかい?」
 またひっかく。
 「アタシはこれでなかなか寂しがり屋なものでねぇ……。誰にも相手にされないと、虚しくてたまらないのよ……」
 ひっかく音は、まるで恨みの音のようだ。
 「アタシは、あの住宅地から西に少し行った所にある、古臭い商店街の中にいるよ……。潰れた駄菓子屋だ。わかるなら、おいで……。亜矢に、カタキを討たせてやると、そう伝えなよ……」
 「亜矢ちゃんに?」
 自分の声を久しぶりに聞いた気になる。
 「亜矢にその気がないんなら、藤森でもいい。あのバカダンナな。
 まぁとにかく、アタシの最後の楽しみだよ。そうだね……近いうち……こんな雨の日に、来てほしいね……。痛みが今はまるでウソのように消えてしまってるし……アタシも少しは、楽しんでから死にたいしさ……。それくらいの余裕は持たせて欲しいもんだね……」
 雨音は次第に強くなる。
 「今度は風邪ひいて、熱出しちゃたまんないわね。もう帰るわ。……アンタは運のいい子よ。雨に命を救われたわね。このアタシの気分を、雨が沈めてしまったんだから……」

 気配がなくなる。
 汗で濡れている体を無理に起こす。……冷たい。
 泉美は部屋を出て、洗面所に降りる。
 パジャマを脱ぎ、タオルで体を拭く。下着も取り替えよう……。

 今起こった事を思い起こす。
 現れた口裂け女。居場所を軽く告げ、雨の日に来い、と言った。それを亜矢か藤森に伝えろ、と。カタキを討たせてやる、と……。
 ――伝えよう。
 伝えた事で、亜矢と藤森 一也の運命をひどくゆがめてしまう事になるかもしれない。終わらせてしまう事になるのかもしれない。
 でも、伝えずに済ませる真似はできない。口裂け女を殺す事はきっと、亜矢達にとっての悲願なのだ。

 口裂け女が死にかけている事は、それとなくわかっている。
 それを無碍(むげ)に、死なせてしまうワケにはいかない。二人には、納得のいく最後を、見届けてもらわねばならない。

 だがこの雨の中。寂しく帰る鈴木 優子の姿を思い浮かべて、泉美は少しだけ、胸が痛んだ。


― 37 ―


 月曜。一也は真面目に出社した。
 妻の由美子が死んでから、もう49日も終えた。今まで、会社を休みがちにしてきたが、それもそろそろ潮時だ。同僚の同情に、いつまでも甘えているワケにはいかない。
 ――自分は、立ち直らねばならないのだ。何としても。

 仕事中、あまりに苦しくなって、泣きたくなる時もある。でもそういう時は、由美子とマヤが、天国から自分を見ているのだと、言い聞かせる。幻滅されたくない。自分は立派な、父親なのだ。

 ――この先。何をどうがんばろうと、幸せは戻ってこない。
 だけど、生きている。だから、精一杯、生きねばならない。
 ……不幸なのは、自分だけではない。それを、胸に刻むのだ。
 こんなにも不幸であっても。潰れるワケにはいかないのだ。
 自分は、父親なのだから。


 (マヤ。俺に力をくれ……!)
 無残に。顔を潰されて殺された娘、マヤ。
 殺したのは、誰なのだ? どんなヤツなのだ?
 女だというのは、目撃者の女の子の証言でハッキリしている。赤いドレスを着ていたらしい。ワンピースなのかもしれないが。
 ……とにかく。警察にまかせるしかない。時間がいくら経とうとも、きっと見つけ出してくれる。……そう、信じるしかない。

 窓の外はもう夏。クーラーにはまだ少し早いが、日差しは暑さを増してきている。空の青さも色濃い。
 ふいに。高原のキャンプ場で、バーベキューをした思い出などがよみがえる。
 いい匂いとともに、焼ける肉。マヤに差し出される小皿。由美子のはしゃぐ姿。
 (また……行きたかったなぁ……)
 一也は涙をティッシュで拭き、胸を熱くさせた。





 帰宅後。パソコンに電源を入れる。
 由美子がフォルダに収めていた、マヤの写真を見るためだった。由美子自身の写真も、あるだろうか?

 コーヒーをいれ、早速フォルダを開ける。間違って消してしまわないよう、コピーもとっておく。
 「おぉ……」
 そこには、マヤがたくさんいる。
 誕生日。バースディケーキを前にして、ピースするマヤ。七五三。振袖を着て、実に可愛らしい。
 入学式。キャンプ場にて。スキー場にて。町営プールに行った時も撮ったんだな……。
 (幸せだなぁ……)
 だが、その浸りも、長くは続かなかった。
 (何が幸せなもんか……。マヤが中学生になったり、高校生になっていったり……そして社会人として立派になっていく姿を見れないだなんて……ひどい話じゃないか……!)
 襲ってくる脱力感。パソコンから顔をそむける。

 (やる事ないな……俺)
 TVも見たくない。特に興味のある事もない。
 (もう少しだけ、見るか)
 縮小サイズでザッと眺める。ずいぶんたくさん収めてある。別のフォルダもあるようだ。
 ウインドウのバーを一番下まで下げたところで、一也は目をみはった。

 ――アナタへ。
 という、テキストファイルを見つけたのだ。

 「なんだ、こりゃ……?」
 開く。それには、こう書かれていた。



 アナタへ。

 きっといつか、ここを見るものだと思って、アナタに伝えたい事を書き残しておきます。

 私は、マヤを殺した犯人が憎くてたまりません。
 でも、いつまで経っても見つからないので、私は本当に「口裂け女」が殺したんじゃないか、と思い始めています。
 この住宅地に、以前からあるウワサの、バケモノですね。

 マヤが殺された時、見ていた子は、「赤い服を着た女の人が、ナイフを手に、マヤの顔を刺した」と言っています。子供心にバケモノと目に映ったようで、それ以降は「バケモノ」だと辺りに言いふらしていたようです。
 その子は引っ越してしまったから、もう話は聞けないけど、私はそれまで、必死に聞き続けました。何とか、細かい所まで覚えていないか、と。あんまり私がしつこくしたから、引っ越してしまったのかもしれないけど。

 とにかく。話を聞けば聞くほど、普通の女とは思えなくなってきたんです。
 口が裂けている、とは言いませんでしたが、怖い顔であったのは覚えているそうです。

 ところで、私は最近、鈴木さんの奥さんに会ってきたんですが、奥さんの様子がおかしいのに気づきました。
 雰囲気が、おかしいのです。花粉症でマスクをしている、との事でしたが、笑った時、マスクが大きくへしゃげて、私はひどく驚きました。
 大きな口に、見えたのです。

 「鈴木さんの奥さんは、口裂け女」?

 こんなバカげた文は、そうでないとわかった時点で消します。
 もし、この文が消されずに残っていて、私が死んだりした時は……、それが事実であるかもしれません。

 アナタへ。そう、書き残しておきます。
 お気をつけて。


 由美子より



 「鈴木さん……?」
 3軒北側の家だ。奥さんは、家に何度か遊びに来たりしていた。顔は覚えている。
 そして今。ダンナは海で車の転落死。他殺、とあったか? そしてその奥さんは行方不明なまま。6月の半ばに起きた事件。今から1ヶ月前の話だ。
 その鈴木の奥さんが、口裂け女……?

 信じていいものかどうか、迷う。
 由美子が最後に残した言葉なようだが……奥さんがそうではないとわかった後、消すのを忘れただけかもしれない。
 ――口裂け女。
 もし仮にそんなものがいたとして、それがマヤ、そして由美子をも殺したのだとしたら……?
 だが。そんな想像上のバケモノなど、どうして信じる事ができるだろう。
 鈴木の奥さんはきっと、海の中だ。見つからないだけなのだ。
 だが、そう言えば。そのダンナさんは他殺の疑いがあったハズだ……。
 つまり、鈴木の奥さん。――鈴木 優子が殺した疑いがある。おおっぴらにそう警察は言っていないが、そう疑っている話をチラリと聞いた覚えがある。自分は由美子が死んだばかりで、頭がいっぱいだったから、鈴木宅の事件はさほど興味がなかったのだが……。


 そこで、パソコンが変な音を立て、一也は肝を抜かれた。
 何だ、と思ってみると、メールが来たらしい事がわかった。

 メールの差出人は、ミミ、だった。



 ミミです。

 こんばんは。
 一也さんに、お知らせしておきたい事があります。
 変な話ですので、信じられない場合は、このメールを破棄して下さって構いません。

 口裂け女が昨晩、家に来たのです。私の家に。
 そして、言い残しました。貴方(藤森さん)に、カタキを討たせてやる、と。

 正確には、藤森さんの他にもう一人、います。その子も、口裂け女に家族を殺されたのです。カタキ討ちは、その子か、貴方にさせてやる、と口裂け女は言いました。

 居場所も、聞きました。
 もし、その気持ちがおありでしたら、その場所をお伝えいたします。
 ただ、それはもう一人の子と会って、お互いが納得の上で、話を決めてもらいたいと思います。
 お返事、お待ちします。

 もし、このメールの内容が信じられない時は、返信も無用です。
 数日待ってみます。それでは。

 お気を悪くされたら、すみません。



 一也はしばらく、読み返す。
 口裂け女が、このミミの家に来て、話をしていった? なんだ、それは。
 テーブルについて、お茶でも飲みながら話したのか? バカげた話じゃないか。

 だが、口裂け女の居場所を知っている、というのには感銘を受ける。それは聞いて調べてみればわかる事だ。ウソのつきようもない。まさか、そこに行ったところで、何らかのワナにハマる……のかどうかはわからないが。

 聞く価値はある。
 一也は落ち着いたら返信する事に決めた。
 またコーヒーを飲みに、キッチンへ。

 ――コーヒーね、お腹に悪いんだよ!

 マヤの言葉。
 一也はペットボトルのお茶を湯のみに注ぎ、レンジに入れた。 


― 38 ―


 昼休み。
 校舎の屋上で、亜矢と泉美は並んで、町を見下ろしている。

 心地よい風。他にも数人の生徒らがたわむれているが、会話は聞こえない。
 「藤森さんから連絡はまだ?」
 そう言う亜矢に、泉美はうなずく。
 「アタシのはさ、自分勝手な妄想みたいなもんだから。本当のカタキ討ちは……、藤森さんに譲りたいのよね。その気があれば、の話だけど」
 「……早くしないと、口裂け女、死ぬよ?」
 泉美が夢で見ている口裂け女は、ほぼ死にかけている。原型を留めない、胸の傷。やけどによる、高熱。そして、腐りかけているその体……。日に日に、弱っていく。

 「亜紀が重傷を負わせてくれたんだね。と言うか、ほぼ致命傷になってるのかな? このまま放っておいても死ぬんでしょ? アタシは、それでもいいと思ってる。そうすれば、亜紀が口裂け女を殺した事になるしさ。……それに、これからわざわざ戦ったりしなくてもいいんだし」
 「そうだね……」
 泉美は、カタキ討ちの事を、2人に伝えなくても良かったかな、と思ったりする。カタキ討ち、とは、口裂け女と戦う事だ。バケモノとの、殺し合いだ。弱っているとはいえ、バケモノの力はあなどれない。

 「でも、口裂け女の状態さ、ずっと続いてる。苦しんでるのはわかるんだけど……、生き延びてる。悪化しているのか、していないのか……わかんないのよ……」
 泉美の不安。口裂け女の状態が、演技ではないのはわかる。だが、自分が見ているものは、あくまで夢なのだ。実際の口裂け女を見ているワケではない。そこがやや、ひっかかるところだった。
 「で、居場所はどこなのよ?」町から目をそらし、亜矢は泉美を見る。
 泉美は首を振る。「ダメ。まだ教えられない。藤森さんと話がついてから。……亜矢ちゃんも納得してたでしょ?」
 「そりゃそうだけど……」
 だが。藤森 一也からもらったメールを読んだところ、口裂け女を信じていた自分が恥ずかしい、というような事が書かれてあった。だから亜矢は、藤森が決起する気はない、とふんでいた。

 「後、2〜3日待ってみようよ? 藤森さんから返事がなかったら、その時は口裂け女の居場所を教えるから」
 「……もし、カタキ討ちする気になった時。アタシの好きにさせてね」と亜矢。
 泉美は少し考え、うなずく。
 「だけど、アタシも近くで見てる。戦うのはムリだけど……、すぐ警察とか呼べるように、携帯持ってるから」
 亜矢もそれに、うなずきを返す。「あんま、ヒト殺してる姿とか見られたくない気がするけどね〜……」
 「もう、勝った気でいるの?!」泉美は目をしばたく。
 「……ん? 負けると思った?」亜矢は素知らぬ顔だ。
 「なんか亜矢ちゃんってわかんないや……」
 泉美は妙に感心してしまうのだった。





 その日の夜7時頃。自宅の泉美のパソコンに、藤森 一也からのメールが届いた。


 メール、ありがとうございました。
 僕の他に、もうひと方、被害者の方がいらっしゃるんですね。その方とうまく話がつくかわかりませんが、カタキを本当に討てるのならば、ぜひお願いしたいと思います。

 妻が残したテキストを最近見つけたのですが、やはり妻も口裂け女を信じていたようでした。
 居場所を、ぜひ教えてください。
 メールで教えてもらえるんですか? それとも、もうひと方の被害者、という方と同席した折に、教えてもらえるのですか?
 どちらにせよ、僕は会いに行く意思がありますので、その旨をお伝えしておきます。
 それでは。よろしくお願いいたします。


 藤森 一也


 「来ちゃったか……」
 ――カタキ討ち。それがどんなものなのか、泉美にはわからない。
 自分の大切なものを殺した、憎い殺人鬼。それを自らの手で、殺す。
 ……なぜ、殺したのか。そういう事を、殺人鬼に聞いておきたいだろう。そして、恨みの思いをすべて込めて、凶器を突き立ててやりたいだろう……。
 亜矢を見る限り、穏やかな顔をしていたが、その心中がどうなのか、わからない。口裂け女を目の前にしてから、怒りがふつふつと湧いてくるのかもしれない。

 とにかく、亜矢と一也の意思は聞いた。
 亜矢に、メールだ。場所のセッティングとか、希望があったら聞いておこう。


 ……メールしてから2時間後。返事が来た。
 ――ごめん、酒飲んで寝てた。笑。場所はどこでもいいよ。公園とか、いいんじゃない? 口裂け女の話を、喫茶店の店員とかに聞かれたら、バカみたいでしょ。

 との事だった。公園。あの住宅地から自転車で20分もしない所に、市立の図書館がある。庭の敷地が広く、芝生は何組もの家族連れが弁当を広げても窮屈にならないスペースだ。ベンチもそこかしこにある。
 「決めた」
 K市の図書館でどうか、と亜矢にメールする。
 ――オッケ。いいと思う。今度の日曜かな? 3人でデートだ。
 と、亜矢。
 デートか。一也さんって、どんな人なんだろ。よく考えると、メル友と顔あわせ、みたいな変な成り行き……。しかも、相手は家族を口裂け女に殺された男性……。何か、お悔やみとか言った方がいいのかな……?

 「巻き込まれてんのかな、アタシ?」
 泉美は今の状況に首をかしげる。
 ふとベランダの方を見る。数日前、そこに立っていた、口裂け女……。
 (……一つ間違ったら、アタシも殺される)
 そう考えると、落ち着かなくなってしまうのだった。


― 39 ―


 (この体はもうダメだ……)
 暗い室内。
 畳の上、鈴木 優子はゴロリと横になっている。ふとんは汗まみれで、洗うまで使いたくはない。もっとも、もう洗う事はないだろうが。
 終わらない苦痛。脳裏を支配する、灼熱地獄。流れ続ける汗。クスリを飲んでもおさまらない頭痛。
 (食い物、買い込んどいて良かった……)
 ずるずると這いながら、ビニール袋をあさる。固形食糧。
 食い終え、ガムを噛む。歯を磨く余力がないからだ。
 タオルで汗を拭く。

 (戦えるワケないや……)
 ――このまま死ぬ。優子は何度もそう、あきらめていた。

 目を閉じ、神を呪う。
 (どうして……アタシみたいなものが、いるんだ?)
 ――口が裂けている、バケモノ。口裂け女。
 (何のために、アタシをこうして生かしている……? アタシはいつ、どこから生まれたんだ……?)
 記憶がない。
 鈴木 優子という人間になってからの記憶しかない。だが、幼い頃の鈴木 優子の事は知らない。

 (アタシを生んだ親は……誰なんだ? アタシはいつから、鈴木 優子になったんだ……?)
 何もかもが、あいまい。気づくと、疑問だらけになる。

 (アタシは……世の中を呪っていた。20年前か? ガキを殺し……獄中で舌を噛んで死んだ)
 その記憶はなんだろう? 鈴木 優子のものではない。
 (アタシはある時……鈴木 優子の体をのっとったんだ……)
 ――どうやって?
 思い出せない。


 「体をのっとる……?」
 そんな事ができれば、こうして苦しむ事もない。
 ――このままでは死ねない。

 暑い日が続き、夕方はよく雨になる。雨が降ったら、余力は戻る。
 「アイツらが来る前に……何とかしておこう」

 また、笑い叫びたい。
 真っ赤なドレスを着て、大きな口を開き、バカどもを怯えさせたい。
 バケモノとしての狂気を、取り戻したい……。

 優子は、雨を願った。





 優子の願い通り、その日の夕方は雨になった。
 だが、降り続く雨ではない。一時的なものだ。優子は素早く起き上がり、ドレスに着替える。

 カマを持ち、外に出る。日はまだ高い。この姿は目立つ。だが、雨が強いので、人目はあまり向かない。
 (いい雨だね……)
 頭痛はおさまらないし、雨が傷口にしみるが、大分思い通りに動ける。人を殺すには充分だ。
 (さ。いい女、いないかな)
 若くて、動きやすい女。無論、男の方が腕力など強いだろうが、趣味ではない。
 
 だが、中年の主婦や子供しか見あたらない。田舎の商店街をうろついているのは、そんな程度だろう。
 「ん?!」
 自転車に乗って、女子学生が来る。
 優子は笑って、狙いをつける。――久しぶりに戻ってくる感覚。湧き立つ興奮。
 自転車が止まる。優子は目を見張った。

 「……やっと見つけたよ。お前が、口裂け女だね?」
 「なに?」
 少女は自転車を降りる。
 「……アタシは、柚木伏 亜紀の姉。柚木伏 亜矢ってんだ」
 「アヤ……?」
 思わぬ来客。優子はカマを握り締めた。




 (40話に続く)



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