10話〜19話
 

― 10 ―


 昼休み。
 泉美の携帯に、メールが届く。
 教室で、友達数人と一緒に、携帯をいじっていた時だったので、届いた瞬間、みんなの注意をひいてしまった。

 「え? 誰から誰から?」
 「あ……亜紀ちゃんだ」
 同じクラスの友達である亜矢より、その妹の亜紀の方と親しい錯覚を、泉美はまた起こしてしまうのだった。亜矢は今頃、一人静かに図書室で本でも読んでいるハズだ。

 「え〜と、なんだなんだ……」泉美は、メールを読む。
 「え〜なに? ミミってさ、あの亜紀ちゃんとも仲いいの? 亜紀ちゃん、どんなメールよこすの?」
 そう友達が顔を覗かせてくる。美人で有名な柚木伏姉妹を、この学校で知らない者は、ほとんどいない。この子の目には、羨望(せんぼう)がやや混じっている。なお、ミミとは泉美の愛称だ。

 しかし、泉美はちょっと内容を見せられないメールだったので、ごまかす事にした。
 「や! 大した事ないメールだよ。何やってんの〜ってカンジの。うん」
 パタ、と携帯を閉じる。
 「ホントに〜? ミミって、亜紀ちゃんとそんな会話する仲なんだぁ?
 ……でもさぁ、亜紀ちゃんも結構人見知り激しいよね。アタシとかさ別に、全然友達とかになれないし。なんでミミは気に入られたのかな〜?」
 「そうそ。あの子、人を選ぶと思わない? なんかさ、たまぁに冷たいカンジの時もあったりすんのよね〜。でさ、亜紀ちゃんって、ホント物事はっきり言うよね? この前さ、電車で「うるさい!」って他の学校の男子を怒ってたの、見たよ?」
 「い〜ホントにぃ?」
 亜紀の事で会話に華が咲く。
 「その後、どうなったのよぉ? その男子とか、素直に謝ったの?」
 「さぁ……?」
 そんな話に、泉美も心配になってしまう。確かに、亜紀は物怖じしないで、何でもかんでも口にする子だとは思う。でも、友達ばかりでなく、他の学校の子にまでそんな態度をとる、とは知らなかった。

 で、友達の目がまた泉美に向く。「ミミってさぁ、亜紀ちゃんに何で気に入られてんのかしらね〜? なんでメル友にまでなってんのよぅ〜……? なんか、うらやましいし……」
 「知らないよ、そんなの。たまたまでしょ」
 泉美は、特に思い当たるフシはない。姉の亜矢とだって、そんな親しい仲とも言えない。どの道、亜矢と親しくしている人間を、亜紀以外にあまり見た事がない。
 そして、亜紀とはまた違って、亜矢は女子から人気がない。お嬢様面して、腹を割った会話もしないので、お高くとまっている風に見えるからだった。

 「ね、亜紀ちゃんってさぁ、結構亜矢ちゃんとケンカしてるようなのよね〜……。知ってた?」
 「そう?」泉美は知らぬ顔でそう聞き返す。言われてみると、確かにそんな気が多少はしてしまうのだが。
 「なんかね、たまぁに言い争ってるのを、目撃されてんのよ……男子とかさ、あの姉妹がさ、気になって結構追いかけたり、朝早く来たりするヤツ、いるみたいだから」
 「へ〜」と、泉美。
 「ところでさぁ……ミミぃ、亜紀ちゃんからのメール見せてよぉ? どんなの送ってくるか、知りたい〜」
 「やあだ」
 泉美はぷい、と向こうを向く。

 その辺で、教室に亜矢が戻って来る。昼休み終了のチャイムも鳴る。
 泉美も自分の席に戻る。そして改めて携帯のメールを読む。


 ――ミミちゃんの口裂け女のサイト、見たよ〜。
 結構、面白いね、口裂け女って。でもさ、今の時代、それははやんないと思うんだけどね〜。笑
 せっかくだし、あの住宅地のウワサも書いたら? 書きたいんでしょ? 現代に残る口裂け女伝説って事で書けば、今後の話題にもつながると思うよ。うまい事、去年、あそこで事件起こったしさ。それを掘り下げたらどう? どうせサイトなんて匿名性高いし。何書いたっていいのよ。ヤバクなったら、切ればいい。それだけ。
 でも、あの絵はないよね〜。口裂け女のさ、表情がおとなしすぎるよ。普通の女がマスクしてドレス着てるだけ、みたいに見える。バケモノを描きたいんなら、リアルに書こうとしてもダメだよ。デッサンをもっと狂わせないと。
 ……バケモノってのは、人に納得させちゃいけない。こんなものだと思わせたら、それはもうバケモノじゃない。


 そんな、亜紀からのメール。
 この前、自作サイトのアドレスを、パソコンのメールで、柚木伏姉妹に送ったのだ。姉妹共用のパソコンは、ノート型らしい。
 サイトの感想を携帯のメールでくれたのは、今の昼休み、ヒマだったからなのだろう。
 ……でもずいぶん、勝手な事を言う子だとは思う。そして書いた事を、次の日にはもう大半忘れてしまっている。亜紀はだいたい、そんな子だ。……付き合って、そんなに長くはないんだけど。
 亜紀は、ひと時の感情を全部、ぶちまけて生きている。ストレスのたまらない振る舞い方だとは思うけど、あまりに世間体を無視している。……でも、可愛い顔をしているから、何したところで、味方も多いんだろうけど。

 先生が教室に来て、授業が始まる。

 ――せっかくだし、あの住宅地のウワサも書いたら? 書きたいんでしょ?
 ――どうせサイトなんて匿名性高いし。何書いたっていいのよ。ヤバクなったら、切ればいい。それだけ。
 ――バケモノを描きたいんなら、リアルに書こうとしてもダメだよ。デッサンをもっと狂わせないと。
 泉美は亜紀からのメールで、特に気になった箇所を、頭の中で反復させる。

 でも、あの住宅地の事は……書けない。それだけは、今後も変わらないと思う。
 そしてメールの最後の言葉。
 ――バケモノってのは、人に納得させちゃいけない。こんなものだと思わせたら、それはもうバケモノじゃない。

 ずいぶん変な事を言うなぁ、と泉美は思うのだった。
 どの道、そこまで要求されても、応える事はできないだろう。
 でも。せっかくサイトを始めたんだし、自分でやれる範囲の事はやってみよう、と思うのだった。


― 11 ―


 あの日から、藤森 由美子の心は、深く暗い所へと落ちた。
 怖くてもう、鈴木宅へは行けない。それどころか、外で誰かに会うのも怖い。

 見たもの。――笑った時、大きくへこんだマスク。
 ……あれが、脳裏から離れない。
 由美子にとって、鈴木の奥さんは、心を開ける数少ない隣人の一人だったので、ショックもなおさらだった。

 見間違いだと思いたい。いや、別に、大した事はないと思いたい。少しだけ、大きくへこんだ風に見えただけだ……。
 ――しかし。心の奥底では、「鈴木さんの奥さんは、口裂け女である」という図式が、完全に固まってしまっているのだった。

 でも。いつから?
 そして、なぜ。なぜ、鈴木さんの奥さんはバケモノなのか。
 まったく、わからない。

 とにかく。今は確証が欲しい。鈴木さんの奥さんが、バケモノなのか。そうではないのか。
 ――ならば、あのマスクをはいでみればわかる……。

 由美子は少し笑う。
 アタシはいつから、こんな幼稚になってしまったんだろう? 鈴木さんの奥さんがバケモノ? どうして?
 バカじゃないの……アタシ……。

 でも。
 確かに、マスクは大きくへこんだのだ……。だから、アタシは驚いたのだ。

 鈴木のだんなさんは……どうだろう? 特に変なウワサは聞かない。
 奥さんがバケモノだったら、だんなさんもどうにかなってしまっているか、それとも気づかずにいるのか……。

 とにかく。確かめるしかない。
 そしてもし……もし、本当に鈴木さんの奥さんが口裂け女だったら……。もし、本当に、マヤを殺したバケモノだったら……
 アタシは、ナイフの一つでも突き立ててやりたい。





 柚木伏(ゆきぶせ)姉妹はその日曜、朝から酒を飲んでいた。
 両親が生きていたら、嘆くか怒るか……。酒を飲んでデキあがり、2人でリビングでげらげらと笑い、転げあうのだった。

 「お、姉ちゃん! こぼれてる、こぼれてる! 何やってんのよぉ!」
 亜矢は手元で倒れたカクテルのビンを起こし、それをぐい、と飲む。ソルティドッグ。2人のお気に入りのカクテルだ。その空ビンは、辺りに5本以上転がっている。2人はまた、酒に酔いやすい体質だった。

 つまみの袋菓子をほうばって、亜矢は幸せな笑みを浮かべる。亜矢にとって酩酊(めいてい)状態は、数日に一度、なくてはならない息抜きだった。
 「ぶ!」
 亜紀がおならをする。そしてまた2人で火のついたように笑い転げる。

 「オマエさぁ! バケモノのくせに「へ」なんかすんのぉ?! アハハハハッ!!」
 「なにそれぇっ! アタシは亜紀ちゃんだってのにぃ〜。お姉たまったら、いつまで経っても信じてくれないのぉ?! 亜紀泣いちゃう〜〜ん」
 「うっせぇよ、このタコ! アタシはね、知ってんだよ。アンタが亜紀のヅラかぶったバケモノだって事あな! もうとっくの昔からぁ、知ってんの! ……知ってて、黙ってやってんだよぉ! タコォ!」
 「ゲフーッ!!」
 亜矢がゲップをし、また2人は笑い転げあった。

 「……ドッペルゲンガー(分身)ってんだろ、オマエ。知ってんだよ、アタシは。亜紀そっくりなバケモノ。……おおよ、てめえ、本当の亜紀をどこに隠しやがった? オマエみたいな態度悪いヤツじゃなかったんだぞ? 可愛い妹だったのによ……。オマエなんかに入れ替わられちまって……」
 亜矢は重いため息をつく。
 「……ドッペルゲンガーねぇ……」
 亜紀はそしらぬ顔で、また酒ビンをあおる。


 「あのさ、口裂け女、どう思う?」と亜矢。
 「……なによ、それ? ミミちゃんのサイトの事?」
 「んまぁ……。本当にいると思う? そんなの」
 「いるワケないじゃぁん……。空想の産物だよ。さすがのアタシも、そこまではバカじゃないよ」と亜紀。
 「そっか……亜紀が言うんじゃ、本当かもねぇ……」
 亜矢は妙にしんみりした顔になる。

 「何よ? いて欲しかったの?」と亜紀。
 「……そうだよ。未知のバケモノにさ、いて欲しかった。そうすりゃ、少しはこの現実も楽しくなるかなってね……」
 亜矢は、現実に楽しさをまるで見出せない人間なのだ。
 何か面白い事があっても、すぐ冷める。人間にも飽きるので、誰とも、長続きしない。例外もたまにはいるけど……。

 また、新しいカクテルを開ける。レモンカクテルであるソルティドッグ続きも飽きたので、今度はオレンジカクテルのスクリュードライバーに手を出す。酒はまだまだ買い置きが充分にある。
 「うえ〜……朝から疲れた……」
 亜紀は真っ赤な顔で寝そべる。「どーせやる事ないしね〜……また寝る……」

 亜矢はそんな亜紀を横目で見ながら、スクリュードライバーの甘さを堪能(たんのう)する。冷やしてこそ、のカクテルだ。
 「アタシも疲れた……」
 全部飲むのは控えようと、ビンのキャップを締める。
 そして、亜紀を見る目を、少し細める。
 ――このバケモノめ。いつかきっと、オマエの正体を暴いてやるからな。楽しみにしとけ!

 亜矢はニヤと笑う。
 ……い〜や。バケモノは、アタシだよ。すごくタチの悪いバケモノは、実はアタシなんだよ……。


― 12 ―


 「あら、藤森さん。こんにちは〜」
 日曜の昼下がり。軽い雨が降り始めた頃。
 藤森 由美子は、鈴木の奥さんと、近所の通りで顔をあわせた。傘をさし、Tシャツでジーンズ姿奥さんは買い物帰りなようで、袋を手にさげている。
 由美子も傘をさし、この住宅地の雨の日のウワサを思い出し、軽く表に出てみようとしただけだった。
 そして由美子は、我が目を疑った。
 ――鈴木の奥さんは、マスクをしていなかったからだ。

 「あ、この間はどうも……」
 その顔を凝視し、あわてておじぎする。
 「い〜え、こちらこそ。クッキーごちそうさま。今度は私が何か作るから」
 「いえ、そんな」
 傘を軽く触れ合わせながら、そんなやりとりをしつつ……由美子は気が抜けていくのを感じていた。

 やはり、あれは見間違いだったんだ。あの――マスクのへこみは。
 ……泣きたくなった。それとも、笑った方がいいのか……。


 ――マヤのかたきを……討てると思ったのに……。
 また、何もなくなってしまった。……追うものは、消えた。せっかく固めつつあった意志も、ここで泡のように消えうせてしまうのだった……。

 突如襲ってくる、めまい。立っていられなくなる。よろける。
 やがて由美子の全身の力は、ごっそりと抜け落ちた。傘がゆらゆらと揺れる。

 どうして……アナタは普通の人間なのよ……! どうしてあのまま、口裂け女でいてくれなかったの……?
 その奥さんの、何の事はない顔を、由美子はうらめしそうに見つめた。


 「ウフフ……」
 途中から会話が聞こえなくなり、由美子は低く笑いだした。鈴木の奥さんが驚く。
 「どうかした?」傘の下から顔を覗かせてくる。

 「すみません……もういいんです。アタシ、どうかしてたんです……」
 「どうかしてたって……?」
 「いえ、なんでもないんです……」由美子は深いため息をついた。
 もう、言葉を出すのもおっくうになる。
 雨音も、し始めた。もう、帰ろう……。

 そこで鈴木の奥さんはニコ、と笑った。「わかってますって。藤森さんが考えてた事は」
 「なんですか……?」
 由美子は情けない表情のまま、惰性(だせい)でそう聞く。
 奥さんは、手にさげていた買い物袋を……、下に置いた。そこに、傘もあずける。
 奥さんは、雨に濡れ始める。
 ……何だろう?と思い、由美子はちょっと顔をあげる。


 ――奥さんは笑っていた。
 「藤森さん、それ正解。……アナタのカンは、正しかったのよ……。アナタはそんな無防備な格好で、アタシと向かいあうべきじゃない……」
 「え?」
 「……この前、気づいたでしょ? アタシの口に……」
 「クチ……?」由美子は濡れる奥さんに傘を差し出そうと、手を伸ばす。
 奥さんは、その傘を跳ね除けた。
 「口裂け女は、ア・タ・シ……」


 奥さんのその言葉を、由美子は理解できなかった。
 2人で、雨にさらされたまま、立ち尽くす。
 ……冗談なのか? そんな口も裂けていない顔で言われても、何がなんだかわからない……。

 奥さんの顔が、うわっと音を立ててゆがむ。
 「ウハハッ! マスクしてて言えば、もっと良かった? アタシキレイって聞けば、もっと怖がってくれた? ……ウハハハハッ! ごめんねぇ〜」
 そして奥さんはそこから、キアーハハハッ! と、けたたましく笑いだした。
 

 なんなの……? アタシは夢を見てるの?
 由美子はまだ、わからない。奥さんは本当に、バケモノなの? ……どうして?
 
 「ダメなのよ、アタシは! バケモノだから。突然ねぇ、人をめたくそに切り刻みたい衝動が湧き上がってきて! もう、ダメなのよぉ、アタシはっ!」
 手にしたナイフ。笑う顔。
 由美子は、あまりにも突然の事に、逃げる事を思いつかない。その奥さんの異常な態度に、目が離せない。

 「おい! こうすりゃ、怖がるかぁっ?!」
 奥さんは、空いた手を口に入れたかと思うと、ぐいと下あごをひいた……。
 微かに、バリッと音がして……
 奥さんの下あごが、大きく引き下げられた。

 口の裂け目が、横に伸びる。人間のほほにあたるべきところが、どんどん裂けていく……。そこに数本の細い糸が顔を出した。
 ――奥さんは、裂けた口を糸で止め、メイクで隠していたのだ。



 「キアーハハハッ!」
 ばしゃ!
 口裂け女は、大きく踏み出してくる。そして逆手に持ったナイフをふりかぶり……鬼の形相で、由美子に叩きつけた。
 「ギアアアアッ!!」
 それは、呆けていた由美子の胸の上に、深く突き刺さる。

 驚愕。
 まだ、事態をよく飲み込めていない由美子。
 じわじわと襲ってくる、ナイフの痛み。
 目の前の、バケモノ。――口裂け女。

 ――夢?

 でも、痛い……。すごく……。
 冷たい血が、胸をいっぱいに濡らし、腹の方へと流れていく……。冷たい……。
 「イィイイイ……!」
 由美子は前のめりになって、数歩よろめき、そして足を震わせながら、体を揺らす。どうしていいのか、わからない。
 雨が冷たい……。

 「あぁあ。親子とも手にかけてしまったねぇ……。だんなさんも近い内に、そっちへ送るから」
 アタシはまだ……死んで……ない……

 由美子の胸を濡らす鮮血。口裂け女はじっとそれを見て……ふいにその顔をまた、大きくゆがめる。目を、吊り上げたのだ。
 「ギアアアッ!!」
 そんなわめきとともに、口裂け女はナイフを抜き取り、由美子を蹴り倒した。由美子はもう、ふらふらになって倒れる。

 ――マヤ!

 由美子の意識はもう、消えかける。
 口裂け女は無言で、そんな由美子に馬乗りになり……、そして夢中でナイフをその顔面に、何度も突き刺した。





 事を終えた後。口裂け女は通りに目をやる。
 見晴らしのいい一本道だが、雨のため、幸いな事に誰もいない。騒ぎを聞いた者もいないのか。
 住宅地のまん中で。突如の殺人を、口裂け女は犯してしまった。

 「……殺しちまった……まいったな」
 口裂け女は軽く舌を出し、頭をかく。「また警察が来るな。なんでやっちまったんだろ、アタシは……」
 口裂け女はジーンズの尻ポケットからよれよれのマスクを取り出し、口を隠す。
 「殺すのは、ドレス着てやりたかったのに……」
 まぁいいさ。この夏はこれから、殺しまくってやるんだから。
 ――あのバケモノを、ここに呼び寄せるため、派手に暴れてやる。

 わずらわしいバケモノ。地獄の中で、こちらをじっと覗き続ける、ワケのわからないバケモノ……。それを始末しなければ、気持ちが悪い。アイツラに見られているのはわかっていた。だから、こうして本性を現して、暴れる気になったのだ。
 「早く来い。切り刻んで、ミジメな面にして、殺してやる」

 由美子は早くも、事切れたようだ。それを見下ろし、つぶやく。
 「……藤森さん。娘のカタキを討てなくて残念だったねぇ? せっかく口裂け女を見つけたってのにさ。すぐ手をうたないから、そういう事になるんだよ」
 そしてため息。「また、口縫わないとなぁ……。毎回こうだとしんどいから、ファスナーでも付けるかな」
 口裂け女は買い物袋を拾い、自宅へと戻った。

 
 後は警察が来るまで、家の中で、素知らぬフリをする事にした。


― 13 ―


 藤森 由美子は、その命を奪われてから20分ほど、無人の路上で、静かな雨に打たれていた。
 その後、車で通りかかった若い男が、道路のまん中に倒れている死体を見つけ、警察に通報したのだ。

 あわただしく現れる、パトカーや救急車。
 近所の聞き込みが始まり、人の群れも出来始める。

 由美子の夫、一也は、連絡を受けてそこに戻ってくるなり、がっくりと肩を落として、無念に泣き出した。
 口を縫い直した鈴木の奥さんは、人込みの中、その一也をじっと眺めるのだった。





 一通り、警察の聞き込みが終わると、付近の検問もなりを潜めた。事件当日の夕方より道路での検問が始まり、翌日の夕方過ぎにそれは済んだ。

 ――妻の突然の死。
 一也は簡単にはそれを受け入れる事は出来なかったが、とにかく、親戚じゅうに連絡をし、葬儀社に依頼を出した。
 悲しむヒマもない。ワケがわからないが、コトを無事に進めてやらないといけない。
 ――由美子の死。
 なぜ、そんなものが、突然に? しかも殺された、だなんて……。
 警察の事情聴取にも、大した事は言えなかった。
 ――奥さんは普段、誰かに恨まれてらっしゃったような事はおありでしょうか? ――いえ、特には……。
 ――最近の奥さんの様子はどうだったでしょうか? ――様子ですか……? 1年前に娘を殺されて、それをずっとひきずって……


 ――殺された??

 どうして??
 どうしてマヤも殺され、由美子も殺されなきゃならない?!
 どうしてだ?! ……どうして……?

 一也の中には、怒りや悲しみより、今は疑問だけが、その脳裏いっぱいに広がるのだった。





 葬儀を終え、家には一人になってしまった。
 まだやる事はたくさんある。保険に関する事、警察。遺品の整理。これからの事……。
 ――なのに、自分には、何もなくなってしまった。

 せっかく築いた家庭を、あっという間に根こそぎ、奪われてしまったのだ。
 ――何者かに。


 疲れてもう、何もしたくなかったが、理不尽な思いは無碍(むげ)には出来ない。
 このまま、放っておくワケにはいかない。……もちろん、警察が犯人を見つけてくれる事だろう。きっと、見つけてくれる……。
 そしたら俺は。どうすればいいんだろう?
 とにかく、その殺人犯は刑務所行きか。そして俺はソイツに慰謝料を請求する……か。

 いや。金なんかどうでもいい。今後入る保険金でもう充分だろう。
 その犯人を問い詰めねばならない。――どうして妻を殺したのか。納得がいくまで。
 もし、無意味なゆきずりの殺人などであったら……俺はソイツを許すワケにはいかない。金を積んででも、ソイツを殺す。


 ……しかしなんで、由美子だったんだろう? そしてなんでまた、家の近くで殺されなきゃならなかったんだろう……?
 娘を殺されたばかりだっていうのに……どうしてこの俺ばかり……

 そうか。
 犯人は、マヤを殺した人物なのかもしれない。だから、今度は由美子を襲った、というのか。
 と、するとなんだ? 俺に恨みを抱いている者の犯行なのか?

 そうなのか……?


 一也は色々考える。
 でも、葬式やなんやで疲れた。それにもう、考え続けるのはイヤだ。
 一也は夕食をとるのも忘れ、寝室へと向かった。





 泉美もその事件の事を、早くに耳にしていた。
 ――サイトには書かない。
 しかし、自分が書き溜めている「口裂け女のための、オカルトメモ」には、気づいた事を事細かに列記していた。
 地元新聞の切り抜きも、保管してある。


 ――5月26日。昼過ぎ。K市 Sの住宅地内で、殺人事件が起きた。
 殺されたのは、会社員 藤森 一也さん(32)の妻、藤森 由美子さん(31歳)。胸を鋭利な刃物で貫かれた事による、出血多量死。警察は殺人事件と見て、捜査を進めている。
 犯行時は雨が降っていたものとされ、由美子さんが発見された時には、既に死亡していたという。
 警察は、現場付近より見つかった果物ナイフが犯行に使われたものと見て、捜査している。
 なお去年、この住宅地で起きた、藤森 真弥(まや)ちゃん(当時6歳)の事件の関連についても調べている。真弥ちゃんの事件もまだ捜査中との事だ。
 真弥ちゃんは藤森 一也さんの一人娘であった。
 

 泉美は、藤森宅を知っていた。以前住宅地を訪れ、軽い聞き込みを行った時、親切な人に教えてもらったのだ。あの話好きのおばさん?に。
 去年起きた殺人事件の被害者、藤森 マヤ。今度はその母親が殺された、というのだ。
 泉美は刑事ではないものの、その関連性について、考えてみるのだった。

 ――これはどんな事件なんだろう?
 もしかすると、口裂け女とはまったく関係のない話、なのかもしれない。
 同じ母子が続けて殺される、というのは怨恨(えんこん)と考えるべきか。どっかのサスペンスドラマみたい……。

 ……真相を突き止めるのは、難しい。
 というか、今後の新聞記事を待つしかないだろう。自分には、何もできそうにない。


 今は夜。泉美は自室で、パソコンとにらめっこをしている。
 最近、自分のサイト「恐怖の口裂け女」の掲示板の方でも、書き込みがちらほら見えるようになってきた。どういうつながりで見つけてもらえたのか、真に不思議な気持ちになる。でも、目を見張るような書き込みはない。
 サイトのアクセス数は、ここ3週間で360。大半は自分が押したものなんだけど。
 とにかく、成長させていきたい。でも、変な事は書かない。

 ――でも。
 口裂け女を書くのには、限界もある。もう既に書ききってしまった、とも思える。この先、展開がまるで見えないのだ。発展のしようがない。
 他の都市伝説や妖怪について書いてもいいだろう。でもしかし、泉美は口裂け女以外の妖怪に、さほど興味を持っていなかった。
 書くのなら、口裂け女がいい。


 ――あの住宅地での事件。
 それを関連事項として書いてしまえば……相当、飛躍するだろう。相当、面白くてスリリングなサイトになるだろう……。
 その事件は「迷宮入り殺人事件」になるかもしれない……。そこに口裂け女の入り込む余地も、充分に出てくる……。
 ――書ける。きっと、アタシには書ける。

 いや。
 アタシにしか書けない事、なんだ。これは。
 ……そう、そうなんだ! アタシが尻込みしていては、せっかくの口裂け女の新伝承も、なかった事になってしまう……。
 これは、伝説なんだ。これから、伝説になるんだよ! アタシの手で……。

 すごいよ。
 絶対、アタシはすごい事態に、直面してる。
 サイトを作る技術がアタシにあるのも、偶然じゃない。きっとこれは……アタシに課せられたもの、なんだ……。

 泉美の意志は、ついこの間までとはまるで違う方向に、向き始める。
 ――突然湧いた、胸を突く高揚(こうよう)感。
 夜だからこそ湧いた、その高揚。

 泉美は、それに逆らう事ができず……新しいテキストを、夢中になって、打ち込み始めるのだった……。


― 14 ―


 その日の夜。泉美は意気込んで打ち込んだテキストを、そのままサイトに載せ、アップロードした。

 その数時間後。それを柚木伏 亜紀が、目にしていた。姉の亜矢はもう、自室のベッドで寝ているハズだ。
 「……バカ」
 ネットにつないだノートパソコンから顔を離し、亜紀は小さく呟く。

 「ミミちゃんは、ホントバカだね〜……あきれるぅ」
 立ち上がり、キッチンの冷蔵庫を開け、ソルティドッグの飲み残しを手にする。
 ぐび、と飲み、またリビングのテーブルに座り込み、その上のノートにまた顔を近づける。



 ――新・口裂け女伝承!
 実は!私の住む町でも、最近、口酒女のウワサが流れているのですっ!
 それは、K市S地区という所にある、住宅地。近くに小学校があり、住宅の数はおおむね30件というところでしょうか。

 その住宅地で、20年ほど前より、口裂け女が出る、というウワサが流れているのです。
 20年ほど前、そこで2人の子供が殺される、といういたまましい事件がありました。
 その犯人は若い女。すぐ捕まり、刑務所行き。で、獄中で舌を噛み、その女は死んだんだそうです。
 それから、そこでは夏の雨の日になると、赤いドレスを着た女が辺りをうろつく、というウワサが流れていたのでそうです。

 去年(2002年)、そこで殺人事件が起きました。小さな女の子が、顔をナイフでめった刺しにされて、殺されたのです。
 ……その犯人は、まだ捕まっいません。
 そして今年。その女の子の母親が、殺されたのです!

 事件は起きたばかり(5/26)。
 詳細は、今後書き込みいたします。



 「へったくそな文……。しかも、誤字脱字ばっかじゃん……見てて気分悪くなってくんね……。バァカじゃないの、まったく……」
 亜紀は柿ピーをつまみ、カクテルをあおりながら、泉美のサイトにケチをつける。

 <掲示板>をクリックする。
 亜紀は目を細め、書き込みを開始した。



 サイト、読ませていただきました。
 へたくそな文ですね。誤字脱字も非常に目につきました。
 要、訂正箇所を指摘いたします。
 (口酒女)(30件)(いたまましい)(流れていたのでそうです)(捕まっいません)
 どの様に直すかは自由です。

 「新・口裂け女伝承」についてですが、結局のところ、何を言いたいのか、まったくわかりませんでした。酒でも飲みながら書いたんですか?
 どうしてその事件が口裂け女がらみだと思うのか、詳しいお答えをお願いします。

 [A]



 書き込み終わり、虚しくなってパソコンの電源を切った。
 そして目を閉じ、真顔になる。

 ――あの女を殺す時……口を裂いた、あのバケモノは、なんだ?

 亜紀は、意識の中で住宅地を歩く。どんよりとそこは暗く、誰もいない。
 ――いや。女がいる。アイツも、コッチを見ている。
 だが、その顔はわからない。ネガポジのように色調が反転して見える。――そこは無意識ゆえ、コントロールは効かない。あらがう事なく、目で探るしかない。

 ……くそ。見えない。
 しかし、探りたいのは正体ではない。顔でもない。
 ――それが本当に、人間ではないものなのか、という確認。そして向こうも、コチラを見ているかどうか、だ。

 今は、やや向き合ってみえる……。向こうも立ち止まって、こちらを見ている。


 亜紀は中断し、首を振る。……これ以上、探ってもムダだ。無意識を覗く程度ではどの道、会話はできない。無意識に入り込むのはいいが、出るのが疲れるのでやめておこう。

 「口裂け女か……」
 亜紀は呟き、まだ考え込む。「これからもっと、殺すつもりかな……。簡単に、警察に捕まんなきゃいいけど」

 ――ふと、泉美を思う。
 口裂け女をネタにサイトを始めて、地元のネタまで公開……か。今後、何をどう書きたいのかはわからないけど、迷惑な子だという事だけは確かだ。おそらく今後、あの住宅地を何度も訪れるつもりなんだろう。
 ……そして殺される。結末はそんなトコだ。

 「でも、さ。お姉ちゃんの友達なら、ムシはできないね。アタシは何たって、お姉ちゃんを愛してんだからっサ」
 そう言いきり、ソルティドッグを飲み干す。飲み残しじゃ足りなかった。もう1本欲しい。

 「お次はぁ〜……何にすっかな」
 また立ち上がり、冷蔵庫より今度は梅酒の缶を取り出し、開けて飲む。
 「ぶは〜〜〜!」
 そして首をかしげる。
 「そろそろ……学校、やめっか。あんなのにつきあってらんないよね。もう。普通のフリすんのも、バカバカしくなってきたし……」

 「そ。バケモンはバケモンらしく……しないと」
 梅酒を飲み干し、そのスチール缶を固く握りつぶし……握った拳より、血をしたたらせる。
 手を開き、缶を捨てて血をなめる。
 「いてぇ……」
 今更ながらそう呟き、亜紀は血が止まるまで、そこで手の平をなめ続けた。


― 15 ―


 柚木伏 亜矢は、今朝目を覚ますと、右手の感覚がおかしいのに気づいた。
 見た手の平。
 ――それは、血だらけだった。

 「あ〜あ……」
 ベッドのシーツも汚してしまい、亜矢はげんなりと首を振る。
 手が痛い。よく見ると、結構な切り傷が2、3ついていた。血はほとんど乾いている。
 「また、亜紀か……な?」
 たまに、こういう事を以前から経験していたので、亜矢はひどく取り乱したりはしない。

 ……一卵性双生児などに見られる、不可思議な話の一つだ。
 ――片割れが傷つくと、もう片方も同じ場所に傷がつく。
 そんな現象。別に亜矢と亜紀は双生児ではないのだが、そういったものをお互い、受ける事があったのだった。


 リビング。壁の時計は午前6時を少し回っている。
 亜紀は起きてTVを見ていた。ビデオ映画らしい。ラフな格好をしている。「おはよ〜お姉ちゃん」
 「……アンタ、寝たの? ずいぶん早いね」
 亜矢はパジャマ姿で大きく背伸びする。「ふぁあああ……あのさぁ、誰かさんのお蔭で、右手痛いんだけど?」
 亜紀は知らぬ顔をする。「ん? なんでぇ?」
 「ま、いいけど……」
 亜矢は頭をかき、歯を磨きに、洗面所の方へ行った。





 姉妹は電車通学だ。中学生の電車通学は、この辺ではあまり目にしない。
 毎朝、7時5分の下りに乗る。乗る駅は無人駅だ。ここは、田舎なのだ。
 電車に揺られる時間はわずか5、6分。
 K駅に着く。そこから中学校まで、のんびりと歩いて登校する。

 亜矢は、亜紀といるのが心地よい。いい姉妹だと、自分でも思っている。
 だけど、お互いに腹黒いものをたずさえている。互いに普通ではないからこそ、わかりあえる部分も大きく、信頼も厚いのだと言えそうだ。普通の子なら毛嫌いしそうな暗い面も、理解してやれるのだ。

 亜矢達は、学校までの道のり2キロほどを、20分かけて歩く。
 時には道を変える。時には30分かける。時には、走っていく……。
 気ままな、朝のひと時。
 亜矢も亜紀も口にはしないが、この時間が好きだった。この、2人だけの朝の、長い時間が。


 「ミミちゃんが追ってる口裂け女。……あれ、確かにいる」
 朝の閑散とした飲み屋街。途中、亜紀が小さく、そうぼやく。
 「口裂け女? 前にいるワケないじゃん、って言ってなかった?」と亜矢。
 「うん。アイツは、隠れてた。完全にね。……でも最近、本性を現してきた」
 「なんで?」
 「……多分、呼ばれたから。その都市伝承を、誰かがほじくり返そうと、意気込み始めたから、よ」
 「誰かって……?」亜矢の顔が曇る。
 「そう、ミミちゃんよ」

 それからしばらく黙ったまま、2人は歩く。
 「……でも。もしそうだとしても、ミミちゃんだって被害者みたいなものよ。口裂け女の都市伝説は、昔からあるものだし。あの住宅地のウワサだって、あの場所で昔から云われていたものみたいだし……」
 そういう亜矢に、亜紀は首を振る。「ミミちゃんが、本当の被害者になるのは、こ・れ・か・ら」
 そう言って苦笑する亜紀に、亜矢は怒る。「バカ言わないの!」

 ――カンッ。
 空き缶を蹴り、亜紀はまた首を振る。
 「……何もかも、呼ばれて集まるのよ。ミミちゃんもそこから、逃げられない。もう既に……見そめられているわね、あれは。ミミちゃんはもう、部外者じゃない。あの子の熱はもう冷めない。これから、口裂け女狂いになってくわ……呼ばれながらね」
 「やめて、バカ!」亜矢は亜紀の肩を強く押す。

 「挑発もしといたしさ。……あの子のサイトにちょっかい出して来たんだ、実は。匿名で」と亜紀。
 「なんですって!」たまらず、亜矢は本気で怒る。「ミミちゃんを巻き込まないでっ!!」

 亜矢の本気の顔を、亜紀はバカにしたような目で見つめるが……、やがて両手を降参の形に変える。
 「んまぁ……アタシも死んでほしくはないよ? その辺の加減は、うまくしとく。……あのね、逆にさ、あの子を守ってあげようとしてんだからさ。……ね? 怒んないでって、お姉たま〜〜」

 「アンタって子は……」
 一度激しく怒り……そしてその火をすぐに消す。「なによ、ミミちゃん、危ないの……?」
 「……ん? まぁね。だいぶ危ない。ある意味、事件を起こした張本人だしさ。なんたって、「新・口裂け女伝承」をこれから引っ張っていく、やり手の管理人さまでもある事だし。あれはもう、ちょっとやそっとじゃ、止められないね、きっと……」
 そんな亜紀の話に、亜矢は軽くうなだれる。
 「……いいわ。アタシが話、してみる」

 「やめときなって〜。お姉ちゃんの会話はさ、辺りにつつぬけるんだから! ただでも有名人なんだし。ウワサの美少女姉妹の、うるわしき姉! 亜矢ちゃんのセリフは〜、事一つにおきましてすべて!周囲の人達の注目の的なんですよ〜〜ぅ」
 ふざけた亜紀の調子を見て、亜矢は目を座らせる。「うるさいね」
 飲み屋街を抜け、ちょっとした商店街に出る。

 後はお互い牽制(けんせい)しあいながらの会話を続け、コンビニに寄る。今朝の朝食をここで調達する。
 2人はあんパンとコーヒーを手に、今度はやや機嫌の良い会話に移る。

 踏み切りを越え、住宅地に入る。やや人の姿が目についてくる。朝のあいさつを交わす声。通学の自転車。車……。
 亜矢は大きなため息をつく。学校が近い。亜紀同様、亜矢も学校が、あまり好きではなかった。

 「おはよ〜」
 見慣れた友達が声をかけてくる。「今日も早いね〜」
 亜矢達は、こぼれんばかりの美しい笑顔を見せる。
 後はその友達を交えて、校舎へと向かう。会話も毒気を完全にひそめる。

 ――だが。亜紀はこの日、登校を最後にするつもりで、来ていたのだった。


― 16 ―


 その日、泉美は寝不足だった。夜遅くまで、パソコンをいじっていたからだ。

 昨晩。アップしたばかりのネタ「新・口裂け女伝承」に、早速掲示板にて、ケチをつけられた。……丁寧な事に、修正箇所の指摘までされてしまった。
 夜1時すぎにそれを目にして、気が気でなくなり、泉美は急いで修正をかけた。修正をかけ、文を整え、情報の追加書きもしてしまう。
 そして掲示板の書き込みにも、お礼とおわびを述べる。……低姿勢あるのみ、だ。ホントは削除してしまいたかったが、悪いのは自分だ。確かにヘタクソで、言いたい事がはっきりしない文だったのだから。

 夢中になって、キーボードを打つ。タッチタイピングなどとはほど遠い打ち方だが。
 そして、ページの修正を終えて寝たのは、午前2時すぎだった。……そういう事で、今日は5時間も寝ていなかった。


 当然、午前の授業は眠くて仕方なかった。強烈な睡魔にあらがう事が、こんなにも苦痛なのだと、しみじみ感じた。昔、睡眠をさせないという拷問の話を聞いた事があったっけ、などと思い出したりする。
 ――昼休み、寝よう。時間をフルに、熟睡するぞ!
 そう、心に誓って迎えた昼だったが……

 「こんちは〜! お姉ちゃんは……いないね。あ、ミミちゃ〜〜ん」
 そう騒ぎ立てて教室に入ってくるのは……学校の有名人、柚木伏(ゆきぶせ)姉妹の妹、亜紀だった。
 「……あ、こんちは……。どうかした?」
 昼食を食べ終え、友達に断ってから、ゆっくりと寝る体勢に入っていたところに……、突然の来客。しかも、これから長話になる予感もする。

 「あ、ごめん亜紀ちゃん。アタシ、昨日あんまり寝てなくて。寝させて!」
 先手とばかりに、やや本気で懇願(こんがん)する。
 亜紀は快活に笑う。
 「見たよ〜アレ。掲示板。メタクソに書かれてたっけね〜。……で、何? 夜中書き直して、寝不足なの?」
 と、亜紀は傍観者のフリをする。
 「見たの、アレ〜……。んまぁ、ショックでさ。書き直したよ、納得いくまで。なんか、へたくそな文、とか思いっきり書かれちゃったしさ……。その書き込み消そうと思ったけど、まぁ……文章直しちゃったし。残しておく事にした」
 泉美は机の上に腕組みをし、顔だけ亜紀に向ける。まだ寝るのをあきらめてはいない。

 亜紀は近くの席に腰かける。
 「結構、ネットって見られてないようで、見られてるもんなのかもね。……寝不足のトコ悪いんだけど、アタシさ、お別れのアイサツに来たのよね〜」
 「は?!」泉美は、思わず顔をあげる。
 「……学校、辞めようと思って。なんかさ、つまんないから。アタシにとっては、ムダだし」
 そんな亜紀のセリフに泉美は口を開けたまま、呆ける。「……だって、中学生は義務教育だよ……? 辞められないんじゃないの……?」いい終わり、苦笑してしまう。

 「ムリヤリ、辞める」と亜紀。
 「は?!」泉美はまた驚くばかりだ。

 「まぁ……そういう事でね。いずれまた、会うかもしれないけど、学校でお目にかかるのはこれが最後、という事で。じゃね、ゆっくり休んで。……後で、アタシも迎撃の書き込み、してあげる。へたくそな文、なんてそりゃないんじゃないですかっ?! アンタ、何様?! ……なぁんて感じで。余計荒れるか?」
 そして亜紀は辺りに聞き渡る笑いを残し、教室を出て行った。

 泉美はしばらく呆然としていたが、やがて冗談だろうと思い直し、寝入る事にした。どの道、義務教育を避けるマネはできないだろうし……。





 図書室。
 亜矢は席について、読書していた。読んでいるのは、赤川次郎の三毛猫ホームズシリーズだった。亜矢は赤川次郎にハマっていた。読みやすくて、しかも楽しい。亜矢にとって読書は、勉強ではなく、ほとんど息抜きだった。
 「お姉ちゃん。勉強、ご苦労。暗い、いい趣味ですね」
 嬉々として向かいの席に座ってきたのは、妹の亜紀だった。
 亜矢は顔をしかめる。「何しに来たの?」

 「ちょっと相談事があって。……素敵な恋の、悩みであります!」と、亜紀。
 亜矢は無言で、追い払うジェスチャーをする。
 「……いいから聞いてよぉ〜」
 亜紀は、こうなると手をつけられない。亜紀はいつもわがままで、他人に遠慮がない。
 亜矢は首を振ると、立ち上がり、図書室を後にした。亜紀もついていく。


 図書室を出たところの通路には、長イスが置いてある。幸い、誰もいない。2人は座る。
 「何よ?」
 噛み付くように、亜矢は問いただす。
 「中学校ってさ、辞められないの?」と亜紀。
 「は?!」
 さすがの亜矢も、そんな話を予想できず、呆ける。

 「バカくさくなって。辞めたいのよ、こんなトコ……。頭ヘンになりそう! 元々変だから、もうアホに……」
 亜紀のバカ話に早速疲れて、亜矢は顔をしかめる。
 「中学校は、辞められません」

 「あ、そう?! ……じゃわかった。強制退学しかないね。アタシは何がなんでももう、学校来ないから。後はお姉ちゃん、よろしく〜」
 「何、急にバカな事考えてんのよ……」と亜矢。

 しかし、亜紀はそこで笑いをやめた。
 「バカくさいって言ってんのよ。聞いてもらえた? ……わかったよね? と言うか、わかるよね。アタシにとって、学校がどれだけムダかって事が。……じゃ、そういう事で」
 亜紀は立ち上がり、立ち去る。

 「……何勝手な事言ってんのよ! 学校辞められるワケないでしょうに?」
 「でも、辞める」
 そう言う亜紀の後を、亜矢もついていく。「……あのさ、学校辞めた方が、面倒多くなるって。先生が電話かけてきたり、ウチに来たりするようになるよ……?」
 「そんなに、ウチにいないようにする」と亜紀。
 「一体、何をしたいの、アンタは?」亜矢は問う。

 「簡単な事よ。思うがままに生きたい。……ただ、それだけよ」
 「ガキ」と亜矢は即答する。
 「ガキじゃないわ。バケモノだから、よ。もう、人間のフリしてるのに飽きちゃっただけ」
 亜紀のクチから、はっきりと自分がバケモノだと聞いたのは、これが初めてのような気がした。

 亜矢はもう、反論するのをやめた。――自分には、その権利はない。
 ……この子は、人間じゃない。妹でもない。亜紀でもない。亜紀の格好をした、バケモノなのだ……。
 死んだ亜紀の、ドッペルゲンガー(分身)……。

 ――そのバケモノが、何かを始めようとしているのか。

 「ほんじゃ。先生にも一言言ってくるわ。もめそうだったら、殺さない程度に、脅かしてくる」
 立ち去りながら、笑いをあげる亜紀。

 亜矢は……、その小さな一つの崩壊を目にし、悲しくなってしまった。


― 17 ―


 口裂け女――鈴木 優子は、苛立っていた。
 近所の人が余計な事を言ったお蔭で、警察の自分への聞き込みの度合いが、少し高いのだ。
 自分と、藤森 由美子は仲の良い隣人、という事になっているようだ。

 事件より3週間ほどが過ぎた。6月の半ば。依然、殺人事件の捜査は続いているのだろう。
 それより早いところ、由美子の夫、一也も始末してしまいたかった。
 由美子が日記などに、自分の事を多少でも、書いていないとも限らない。夫がそれを目にし、自分への疑心を抱いているかもしれない。

 そうでなくても、由美子の遺品は気にかかる。ノート、メモ、日記、パソコン……。それらに、「鈴木の奥さんは、口裂け女かもしれない。マヤを殺した犯人かもしれない」とでも書かれていたら、警察も無視はできないだろう。いかにバカげた文句であろうとも、疑心は抱かれる。
 ……つまらない事で、警察に捕まりたくはない。

 だが今は、じっとしている他はない。今は、どうにも動きがとれない。
 警察やマスコミ。そのやっかいな巨大組織は、どうあがいても崩す事はできないだろう。そこからは、隠れているしかないのだ。
 ――だが。口裂け女は暴れたかった。思うがままに。
 ……そう。思うがままに、人間どもをぶち殺してやりたい……。脅かして、恐怖させてやりたい……。この住宅地一帯を、恐怖のどん底に突き落としてやりたい……。
 しかし。巨大組織には敵わない。事を起こせばすぐに飛んできて、アレコレいらぬ詮索を、しつこく始めるのだ……。
 ソイツらこそ、殺してやりたい。ソイツらを泣き叫ばせてやりたい……。


 口裂け女は、考える。
 自分は、今後も生きていたいのだろうか? と。
 ……いや、どうだろう。この先、普通の人間として、澄まして生きる事に、何か喜びがあるのだろうか?
 恐らく、何もない。

 ――この夏。
 一つの恐怖を、ここに形作ってみてはどうだろうか?
 警察やマスコミなどを恐れず。殺せるだけ、殺す。
 まして、自分は捕まりはしない。――バケモノなのだから。
 鈴木 優子の殺人が明るみになり、全国に指名手配されたところで……、自分はどこかに潜って、生きていけるだろう。

 「……そうだな」
 口裂け女は一人ごち、意志を固めた。
 手始めに、自分の、バカなダンナを殺そう。10年来一緒に暮らして来て、私の正体を見抜けなかったあのバカを。





 その晩も、優子のダンナの帰宅は遅かった。夜11時を回っている。
 「や〜また残業でさっ。今日はパチンコじゃないからね。メシ〜」
 優子はマスクをし、出迎える。「おかえり」

 ちょっとぎょっとして、「花粉症、まだ治ってないの?」とダンナ。
 優子は無言できびすを返し、キッチンへ。ダンナは優子の機嫌の悪さに気づき、ヘタに口を出さない事に努める。

 
 キッチンのテーブルにつき、ダンナは食事につく。優子は向かいに座り、ぼんやりTVを眺める。
 ダンナは、優子には逆らえなかった。主導権はいつも優子だ。だから、機嫌が悪そうな時はすぐに察して、刺激しないようにする。
 「や〜おいしい」
 たまにそう言って、おどおど食事を進める。
 
 「バカじゃないの」
 そう言う優子を、ダンナはキョトンとして見つめた。「……ん?」
 「バケモノと一緒に暮らしてきて、楽しかった? この10何年」
 「……?」
 ダンナは箸を止め、優子に見入る。何を言われているのか、サッパリだ。
 「今まで気持ちよく抱いていた女の顔を、詳しく調べた事はなかったの?」
 「……?」
 わからない。優子の顔? 整形でもしたのだろうか……?
 「ちょっと、出かけようよ? いい事教えてあげるから」
 「え?」

 優子は立ち上がり、ダンナを手招きする。
 ダンナは何だかわからなかったが、とにかく後についていくしかなかった。





 飛ばす車の助手席で、ダンナは悪夢に陥っていた。
 ――今日の優子の様子が、おかしい。
 あの浮気がバレたのか。そうなのか? でもしかし……あれは愛人、などというほどのものでもないし……
 いや、借金がバレたのか。……そろそろ返済が辛くなってきたからな……。
 などと、色々考える。
 
 しかし、どこまで行くんだろう……? もう12時を回っている。これじゃあ明日の仕事に響くじゃないか……。

 何か言っても、優子はまともに答えてくれない。しかも、マスクをしたままだ。そしてやがて、完全に黙り込んでしまった。
 ダンナの不安はどんどん大きくなっていく……。





 そしてとうとう、海岸線まで来てしまった。かれこれ2時間、車を飛ばしてきたワケだ。
 まさか、急に海が見たくなった、などとは言うまい。
 ここまで来ると、さすがのダンナも気づいていた。
 「優子! 心中でもする気なのかっ?!」
 優子は答えない。

 そして、道幅が広くなっている所で、車を停める。
 辺りに、ひと気はない。
 しんみりした闇の中。
 優子は、助手席のダンナに、顔を近づけた。

 「……ねぇ、アタシ、キレイ?」

 「は?!」
 ダンナは唐突な言葉に、呆けてしまった。
 そして、急に噴出しそうになった。もしかすると、冷めた関係の修復をしたくて、わざわざ海まで来た、とか? ……ははは、こりゃ笑える! ……ホントかよ、おい……。

 「そりゃあもう……キレイに決まってるじゃんか……」
 ニヤけた顔で、優子を見つめ返す。そういや、夜の夫婦関係もご無沙汰だったかな……? へへへ。
 ダンナは嬉しくなり、優子のマスクに手をかける。

 すうっ。

 優子が息を吸い込む。
 マスクが、大きくへしゃげる。
 ダンナの手が止まる。……何か、変なものを見た気になる。
 笑いが止まる。

 「……アンタと結婚したのは、その鈍さが好きだったからよ。今まで、ずっと変わらぬニブサでいてくれて、ありがとう……」
 優子は、マスクを引き剥がした。





 「うぎゃあああああっ!!」
 ダンナは、優子の顔を見て、絶叫する。
 ――口が! 大きく裂けているっ!!

 「ぎゃああああっ!!」
 慌てて逃げようともがく。シートベルトを外し、ドアに手を……

 ドツッ。
 その背に、激痛が突き刺さる。
 「このアタシがキレイなワケないでしょうがっ!! このバカッ!! キアーッハッハ!」
 ナイフで、その背をえぐる。ダンナの絶叫がなお激しくなる。
 「愛してるわっ! アタシと一緒に死んで! お願いッ!!」
 そう叫び、口裂け女は狂った笑いをあげる。
 ナイフを抜き、今度はダンナの顔を滅多刺しに……


 しばらくして、ダンナの絶命を確認すると、車をまた走らせた。
 数分後。2人を乗せた車は、海へとまっさかさまに転落した。

 ……優子がその後、そこから脱出したのは言うまでもない。


― 18 ―


 それから数日後。
 優子は思惑通りにいかなかった事を知った。

 心中を装って、ダンナを乗せた車で、海に転落。……自分も死んだ、と周囲に思わせたかった。
 しかし、現実はそうはいかなかった。

 車が思った以上に早く、発見されてしまったのだ。
 夫の死体も、きれいなまま警察の手に渡り……、死因が実は、ナイフによる出血多量死だった事を、すぐさま気づかれてしまったのだ。
 そして自分、鈴木 優子は生きている可能性が高い、とされ、その行方を追われる事となってしまった。表向きの報道は、妻の優子さんも、事件に巻き込まれてしまった可能性が高いとされ……などと言われているが、警察がそう思ってくれているかどうかはわからない。

 ――だが。どの道、隠れて暮らすつもりだったので、落胆もそうひどくはない。
 とりあえず今はまた、住宅地付近まで戻って来ていた。ひと目を避けて道を選び、数日かけてようやく辿り着いたのだ。ここに来るまで金もなかったので、腹もすいていた。
 衣服もよれよれで汚い。どこかで洗う必要がある。

 戻って来たものの……、どこに警察がいるか知れない。
 優子は慎重になる。

 とりあえず、場所の確保が先決だ。空家なら近くにたくさんあるから、上手い場所を探そう。そして自宅に戻り、金や衣服を持ってくる。後、化粧品。


 次、殺すのは……藤森 一也か。
 いや……もう、こうなってはヤツなどどうでもいい。鈴木 優子が殺人犯だとバレたところで、今更無くすものはない。
 
 ――今必要なのは、殺意を取り戻す事だ。
 人間の生活が染み付いてしまって、どうにも考えがまともな方へと流れていってしまう。
 バケモノである自分を、取り戻さねばならない。

 人間でいる事も、そう悪くはなかった。
 あの夫との生活も、まんざらではなかった。心の底から笑える時も多くあった。

 だがしかし。自分は元より、人間ではないものなのだ。
 鈴木 優子という人間を殺し、入れ替わったバケモノなのだ。
 「バケモノは、バケモノらしく……」
 そう一人ごち、優子はまた歩き出した。





 「バケモノは、バケモノらしく……」
 公園のベンチで、腕組みしながら昼寝していた亜紀は、そんな寝言を言って、パチリと目を覚ます。

 そして辺りを見回し、状況を再確認する。
 学校を辞めて数日。アタシは毎日、ブラブラしてるワケだ。

 「さって、と」
 起き上がり、軽く体を伸ばす。「んじゃ、下見してくっかな」
 亜紀はベンチ脇に停めていた自転車にまたがり、その場を後にした。


 ウワサの住宅地。
 最近、ここに済む鈴木家の事件のあらましを、亜紀も知っている。夫が殺され、心中偽装。妻の行方は知れない。妻の名は鈴木 優子。生きていれば、重要参考人、扱いだ。
 あれから泉美と電話で話したが、泉美が言うには、あの住宅地で、初めに聞き込みに行った家が、その鈴木家だという。
 鈴木さんは優しくて親切な人で、恐らく犯人じゃない、と力説していた。再度家を見に行って、事件のあった家だと確認し、かなり驚いたようだ。

 亜紀は歯がゆかった。
 口裂け女は半分、見えている。だがしかし、まだ決定的には、つながっていない。

 泉美が必要だ、と亜紀も感じていた。やはり泉美が何らかの引き金になっている。泉美がこの都市伝説を作り出している、とする妄想も、あながち間違いではないのかもしれない。
 ――鈴木 優子なのか、口裂け女は?
 だから、泉美は引き寄せられたのか?

 だが今は、鈴木 優子はいない。


 亜紀は、自分でも何をしたいのか、よくわからなかった。しかし、自分は何かに突き動かされている。落ち着いてなど、いられないのだ、今は。
 ――口裂け女を殺す。
 そういうつもりで、手にしたポーチの中には、鞘(さや)に収められたナイフが一丁。安物のサバイバルナイフだが、無いよりはマシだろう。切れ味も悪くはない。

 赤いドレスと雨が好きらしい、そんな口裂け女。
 とにかく今は、会ってみたかった。





 亜矢から事情を聞いてはいるものの、泉美も亜紀の事は、放っておけなかった。
 これ以上、亜紀の欠席が続けば、いずれ、亜紀の事は学校じゅうのウワサになるだろう。
 だが亜矢は妹に対して、親身になっていないように感じる。問い詰めたところで、「仕方ない」の一点ばりだ。なんだか、亜矢に対して初めて、本当の冷たさを感じていた。

 また、亜紀が「口裂け女」を追っている話は、チラリと聞いていた。
 それが学校を休んでいる原因、とまでは聞いていないが、遠からず、というところではないかと泉美は感じている。

 「口裂け女」をつづった泉美のサイトも、いつしか2000ヒットを数えるようになっていた。色々、宣伝に従事したお蔭だろう。
 HP「恐怖の口裂け女」も、内容が充実してきた。
 トップにメニューをつけ、都市伝説として語り継がれてきた、口裂け女話「口裂け女とは?」と、今調査を続けては、書き込みを続けている「新・口裂け女伝承」。情報を得たサイトの「リンク」。そして「掲示板」など。複数のページ分けをするほどになった。
 
 ――口裂け女。
 それは、本当にいるのだろうか?
 今、あの住宅地で起きている事件は、それがらみなのか?

 亜紀ではないが、泉美もじっとして授業を聞いているのが、最近苦痛になってきていた。
 メモばかり、とる。……口裂け女の推測。行方不明の鈴木 優子の事。
 サイトに書きたい事が、だんだん増えていく。
 ――いけない事だ。
 この一連のニュースにより、いくら舞台の住宅地を匿名扱いしたところで、バレる可能性は高い。
 そして自分がしているのは、バカな推測であり、被害者の遺族に対する冒涜(ぼうとく)に他ならない……。

 でも。
 止められないんだ……。


 泉美にはもう、口裂け女しかなかった。
 絶対、それがいる、と信じている。
 そして、殺されてもいいから、その姿を一目、見たい。できる事なら、話をしてみたい……。

 サイトには、「このサイトが更新を長く停止した時には、私が口裂け女に殺されたものと思って下さい(笑)」などと明記している。
 そうだ。私が殺される事によって、この都市伝説は深みを増す。サイトを見てくれている人達が、私という被害者を含めたドラマを、今後に残していってくれる……。

 殺されるのは、もちろん怖い。
 だけど。
 この先にも無意味な毎日があるのなら。ここで有意義な最後を飾りたい。
 ――口裂け女に殺される、などという事は、すごく意義のある事なのだ! この世に、そういう妖怪の存在を実証しうる、すごい手がかりになるのだ。

 泉美の気持ちは、自分でも知らないうちに、そんな方向に、固まってしまっていたのだった。
 とにかく。死ぬ寸前まで、サイトの中身を色濃くしていこう。泉美はそう思うのだった。


― 19 ―


 その住宅地の外れにある空家に、鈴木 優子は腰を落ち着けている。
 売り物件でもなく、その古い家は長年放置されているのだ。おそらくその家の持ち主は、そこに住んでいた両親などから、遺産としてその家を譲り受けたものの、特に使うアテもなく放置している――そんなところだろう。

 昼間は、出かけない。夜、こっそりと裏口より出て、買い物などを済ませる。車など、使えない。……徒歩で行動している。
 すべてを終わりにしてしまいたいという、破壊衝動が一時はもたげてきたりもしたが……、今はこうしてまた別の日常を手に入れ、だいぶ落ち着いてきてしまった。

 だが、一旦落ち着くと、キレイ好きな鈴木 優子の面が現れてきて、家の中をとことん掃除したくなってしまったりするのだった。だが、目立つマネはできないし、カーテンも開け放つワケにはいかない。
 誰にもバレずに、当分はそこで暮らすつもりでいたので、優子は生活のすべてに関して、慎重になっていた。


 ……昼はもっぱら、買い込んできた雑誌を読む。TVを見たい衝動にかられたりするが、この空家には電気は通じていない。通じていても、使うワケにはいかないだろう。
 ――ここ数日は、フロに入っていない。温泉もどきのヘルスセンターが近くにあるのだが、どこで知る顔に会うかわからないし、化粧で裂けた口を隠している顔は洗えないので、どの道、サッパリとはしかねるだろう。
 カセットコンロで火を起こし、お湯を沸かして、タオルで体を拭く。――今はそれでガマンしていた。


 優子は、そこに落ち着いてからというもの、ため息ばかりついている。
 自分はバケモノのハズなのに……どうしてこんなにも弱いのだろう、と。
 ダンボールを敷き詰めた狭い部屋で、優子はただじっと座り込んでいる。


 ――力を、失ってしまっている。
 歯を剥いて怒る衝動もなければ、口を裂いて大笑いする衝動も湧かない。
 このままでは……闇に飲まれて、消える。
 背後にある闇は、すぐにでもこんな自分を飲み込んで……あとかたなく、消してしまうだろう。


 「くそおおっ!!」
 悲しみに似た怒りが、もたげてくる。
 ――ヒトを殺せ!
 ――誰でもいいから、今すぐ、殺せ!!

 でないと……オマエなどは……何の価値もない、ゴミのようなものでしかないのだ……。

 「ぐおおおおっ!!」
 優子は髪を掻きむしる。
 ――こんなハズではないのだ!
 自分は、殺人鬼だ! 恐れられるものなのだ!
 もっと……もっと、殺しまくって、人間どもを恐怖のどん底に陥(おとしい)れてやるのだ……!!

 「グアアアアッ!! アゥアアァァッ……!」
 もう、ワケがわからない。
 優子は髪を振り乱して、もだえる。

 ――急に湧き上がってきたこれは、なんだ?!

 ガバッ!と顔をあげる。
 ――見えるビジョン(映像)。


 「ゆきぶせ……アキ?」


 突然出た、言葉。
 ――名前?

 しばらく呆然として、虚空をにらむ。
 そして気づいた。

 「……まさか……アタシは、操られている……?」




 「ククッ」
 駅前のベンチで、キャップを被って、涼しげな格好で座り込んでいた亜紀が、声を出して笑った。
 そして吐き出すように、言う。
 「アタシの名前に気づいたか。鈴木 優子」

 そして周囲に人がいるのも構わず、亜紀は大笑いを始めた。
 「こりゃあ……そろそろ煮詰まってきたかな?」
 楽しくて仕方ないとした顔で亜紀は立ち上がると、近くの自販機に行き、コーラを買う。

 「しみったれた顔してんじゃねぇよ、バケモンが。……サッサと殺しまくれよ。……そして、いい花を飾んなさい」
 ニヤニヤと。亜紀は自転車置き場へ行き、自転車に乗る。

 「口裂け女。……どうだ、今、アタシに会いたいか?」
 目をつぶる。
 ……返事はない。
 「唐突は嫌いかな? でもね、アタシはもう待てないの。早いトコ、アンタに会って、ブッ殺してあげたい」
 自転車をこぎ出す。
 「でもね、フヌケの口裂け女なんか殺しても、アタシは満足しない。だからね、もう少しだけ、時間をあげる。……アンタが、もっと大きなウワサになってから、殺しに行く」
 「アハハッ!」
 コーラ片手に、時折高笑いをしながら、亜紀はどこぞへと自転車を走らせるのだった。




 (20話に続く)



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