1話〜9話
 

― 1 ―


 ――今から20年前の、夏の雨の日。
 その住宅地で、殺人事件が起きた。

 殺されたのは、2人の少女。付近の小学校からの帰宅途中だった。
 2人とも、ナイフで顔を切り刻まれての、出血多量死。
 犯人は、それから数時間後に捕まった。


 少女2人を惨殺したのは、若い女だった。
 精神鑑定を受け、女の精神は正常のものと判断され、監獄行きになった
 少女を殺害した目的などは特になく、行きずりの突発的な犯行とされた。

 女はその数日後。獄中で舌を噛み、自殺した。


 それから数年の後。
 その住宅地で、怪しい女がうろついているとの通報が、何度も警察に出された。しかし通報を受けても、警察がその女を捕らえる事はできなかった。
 被害はないまま、年月は過ぎてゆく。気味悪がって、その住宅地を手放す者も多くなる。

 いつしかその住宅地近辺では、こんなウワサができあがっていた。
 ――夏の雨の日。赤いドレスを着た女が、その辺をうろついている――と。


 そして昨年。事件は起こった。





 「マヤちゃん! マヤちゃんっ!!」
 主婦が、顔の形を無くした我が子にすがりついて、半狂乱になる。
 ――自宅前で、その子は殺された。

 連れ並ぶ傘の群れ。
 発見者の子供は、わあわあ泣きながら、母の手に連れられ、警察に事情をつたない口調で説明している。
 「マヤちゃん、じゃあねっ!って言ったら……赤い服のヒトが来て……マヤちゃんに何か話しかけてて……すごく背の高いヒトだったよ! そしたらマヤちゃんが倒れちゃって……そしたら、赤い服のヒトがアタシの方を見たから……逃げたの」
 警察官は雨で書けないページを何度も破きながら、事情聴取をメモ書きする。
 「すみません! 通して下さい!」
 救急車が人波に近づいてくる。
 被害者の母が歯をむきだして叫ぶ。「この子はもう死んでるのよ?! 救急車なんか来てもしょうがないでしょっ!!」

 ……そんな事件。
 数日後。この住宅地に昔から住む、幾世帯かの親は、あるウワサを思い出す事となった。
 この住宅地で広まった、昔のウワサを。





 泉美(いずみ)は自転車で、その住宅地を訪れた。
 小学校が目の前にある。住宅の数はざっと2〜30軒か。
 ――ここが、ウワサの地であるらしい。
 住人達の機嫌を損ねないよう、うまく聞き込みして回ろうと、自分に何度も言い聞かせた。

 事件から1年。泉美は落ち着くのを待った。
 本当は去年、事件が起きた時に、ここに乗り込みたかった。でも、自制した。殺人事件の起きた地で、バケモノのウワサを聞いて回るなど、それは心ない人間のやる事だと思ったからだ。だから、1年、待ったのだ。

 メモを手に、グッと息を呑む。……やるぞ。


 まず、事件の事を聞きたい。1年経ったから、きっと大丈夫だよね……教えてくれるよね……。
 ヒトの家を前にして、急に不安になる。

 ピンポーン……

 チャイムを押してしまった。
 待つ事しばらく。
 しかし、あいにくその家は留守だったようだ。
 首を振り、別の家にしようと玄関先から出る。
 その時、
 「あれぇ? ミミちゃん……」
 キッと自転車を止め、声をかけてくる者があった。

 見ると、学校でいつもウワサの、美少女姉妹だった。姉の亜矢と妹の亜紀だ。2人は1つ違いなんだよね。
 「何やってるの、ミミちゃん? 知り合いの家?」
 ミミちゃんとは、泉美という名前から出来たあだ名だ。いずみみ、と読めるから、ミミとなった……。
 「……いや、知り合いじゃないけど……ちょっと、聞き込みにね……」
 そう言ってしまうと、急にバカらしく思えてくる。

 「聞き込みぃ? 何の?」妹の亜紀が、泉美にたずねる。
 「……ん、ちょっとね。知りたい事があって。亜矢ちゃん達は……なぁに? ビデオ?」
 その手に、ビデオレンタルの包みを見つけて、そう問う。
 「そうだよ。この先のレンタル屋。……ねぇ、何よ? 聞き込みって何? 教えて」
 妹の亜紀の方が、遠慮なく聞いてくる。姉の亜矢と泉美は同い年なのに、妹の方と親しい錯覚を起こしてしまうから不思議だ。
 「……まぁ、恥ずかしいけど……この辺で昔はやったウワサがあってさ……」
 「口裂け女ね」
 そう、ズバリと亜矢が言ってきて、泉美はドキリとしてしまった。

 「ま、そう……そうなんだ。口裂け女。っていうか、去年、ここで起きた殺人事件、まだ未解決って話でしょ? なんかさ、犯人は口裂け女っぽいんじゃないかな〜……なんて思って」
 泉美は頭をかきかき、事情を説明する。
 亜矢も亜紀も、笑わない。
 「……ミイラ取りがミイラになる。それと同じよ。余計な事に首を突っ込まない方が、私は懸命だと思うんだけど」
 亜矢はそう言うと、自転車をこぎ出す。「じゃね。気をつけて」
 「ばいばぁい!」亜紀は元気に挨拶してくれる。

 そこに残った泉美は、多少ふくれた面をして、2人を見送った後、なんだか気が乗らなくなって、今日は帰る事にした。


― 2 ―


 中学校2年生。
 泉美は、今の学校生活の中で、ほぼ永遠をさまよっていた。

 やたら、この中学時代が長い。
 まず、授業が長い。
 一日も長い。一ヶ月もやたらと長い……。うんざりするほど、長い。
 その長さは、気のせいに決まっている。気のせい、というか、元々、そんなものなのだ。だが、「異常に長い」という体感は、ぬぐい切れない。
 まだ、中学生活を1年と少し終えたばかりというのが、信じられない。
 その長さの中で、野球部のマネージャーなんかをしているが、数が多いので、たまにサボってもしかられない。半分、自分の中では辞めていた。仲間ともだいぶ、折り合いがつかなくなってきている。

 泉美は今、「口裂け女」に、燃えている。その事が、今の自分の行動源であり、一番話していて楽しい事だ。
 なぜ、口裂け女なのか、と聞かれても困る。どこかの雑誌でチラッと見て、興味を引かれたのかもしれないし、元々そういう話は好きだから、その延長線上にあるものなのかもしれないし。
 とにかく。泉美は今、口裂け女を調査中なのである。

 調べたら、ホームページに乗せるつもりだ。
 苦労して作った自分のホームページも、最近は書く事がなく、停滞気味だ。自分の写真を載せて、ネットアイドルになるのもいいが、脱げとか言われたらイヤなので、やめておく。どの道、顔なんか出せるワケがない。体だって……。
 HP、「イズミちゃんの日記」も思い切って閉鎖だ。つまんなかったもんね、実際。

 そして、今度は「恐怖の口裂け女の実態」……とかいうHPを、立ち上げてやるんだもんね! ヒヒッ、楽しそう。
 そうそう。元々、オカルト好きなんだから、そういうHPにしとけば良かったんだね。

 ――今は授業中。
 泉美はあの住宅地に、また思いをはせる。やっぱりあの時、聞き込みしとけば良かった……と。
 あの住宅地で20年前に実際起きた、殺人事件。2人の少女殺しだ。その話はだいたい掴んでいる。
 そして去年起きた、少女の惨殺事件……。自宅前で娘を殺された、親の無念を思ったりする。
 ――犯人は、捕まっていない。

 もしかすると、口裂け女、というのは、ウワサにおヒレがついたものだったのかもしれない。実際は、ただの異常者の殺人事件、だったのかもしれない。
 でも。追う価値はある。

 「口裂け女のための、オカルトメモ」を見る。泉美が1年ほど前から、つけているものだ。あの事件直後、なハズだ。
 ずっと前のページ。そこにメモしたウワサの一つ……。

 ――発見者の子供の証言:犯人は、赤いドレスを着ていて、口に大きなマスクをつけていた。

 そのマスクが、単なる顔隠しのものであれば、口裂け女の線は消える。でも、犯人は赤いドレスを着ていたという。こんな目立つ格好で、殺人を犯すヒトがはたしているのだろうか?
 しかも、犯人は捕まっていない。それは、バケモノだからだ……。

 自分の都合よい解釈が集まって、「口裂け女」を実在のものにしたい、という偏った考え方は、確かに間違いかもしれない。
 でも、真相はまだわからないのだ。自分が見つけるかも、しれないのだ。

 きり、とした表情で前を見つめる。
 それが運悪く、教壇の先生の視線とぶつかり、勘違いした先生は、「お、泉美、やる気のある目をしてるな! この問題、解きたいのか?」などと当ててきた。

 数秒待ってから、「遠慮しときます」と丁重に断ったものの、先生は引き下がらず、「いいから、解いてみせろよぉ」などと甘えてくる。

 泉美は結局、解けなかった。


― 3 ―


 柚木伏(ゆきぶせ) 亜矢は、少しだけまた、意識を失っていた。
 気づくと授業中。……自分は、通常を保っている事に安堵(あんど)する。

 先生の声がまだ遠い。

 ――ギトギトと。
 心の壁に塗りたくられている汚い油を、洗い流したい。この黒い油は、どうやっても、とれない。ぬぐおうとすると、手まで汚れて、取り返しのつかない事となる。
 だから。触れない。


 夢とつながったまま。自分はこうして大人になろうとしている。
 広大で、ドス暗い無意識は……、離れる事がない。いつも、自分のどこかとつながっている。

 とても冷めた心で、泉美の事を思う。
 ――口裂け女、か。
 笑いたくなる。

 きっとそれは、アタシに関係している。
 このドス黒いアタシに、直結している。

 この闇のような。アタシに……。


 悲鳴を飲み込む。
 ……まだ。こんな所で狂うワケにはいかない。
 ノドを込み上げてくる血だまりも……飲み込む。

 アタシは……とてつもなく暗くて、冷たい。
 空洞なのかもしれない。アタシは。

 ――酒。アルコールを飲まないと、やってられない。
 今すぐにでも、すべてを大声で吐き出してしまいそう……。


 顔は能面のまま。
 心の中だけが、激動している。
 叫びは、自分の口元にも届かない。いや、届いたら終わる。


 少しだけ、亜矢は微笑んだ。
 現実に姿を現した空想の産物が……、アタシを殺すか、救うかしてくれる……と。
 そうじゃなくても……きっと、アタシを理解してくれるハズだ……。





 榊 泉美(さかき いずみ)はもくもくと、勉強を重ねていた。
 とは言え、熱が入ったのはつい最近の事だ。
 今日の放課後も、図書館ならぬ、古本屋で、めぼしい怪談の本を物色して回る。
 (500円までなら……)
 こづかいは月に1万5千円。携帯の通話料などで1万円が軽く飛ぶので、ムダ使いはできない。
 週に2度は来る、大型古本屋。ここの品揃えにはうっとりする。100円本のコーナーも充実していて、回転もいい。

 既に、「口裂け女伝説」というマンガと、学校の怪談本など、2冊を選んでいる。もう500円に達しそうだ。
 「あ〜ミミちゃん、何やってんのぅ?」
 そう声をかけられ、見ると、亜矢の妹の、亜紀だった。

 「ん? 怪談の本とか……探してんの。亜紀ちゃん、一人?」
 いつも姉の亜矢と一緒にしか見ないので、ちょっとめずらしい顔あわせだ。
 「お姉ちゃんさぁ、ウツの状態に入っちゃって。そっとしとこうと思ってね〜」
 「……鬱(うつ)? ホントなの、それ」
 成績優秀でしかも美少女で有名な亜矢に、そんな秘密が??
 ……と思ったけど、冗談だと軽く流す。

 でも、亜矢と亜紀の性格が正反対なのは、前から感じている。
 中学1年生で、亜矢と出会い、友達になった。同じクラスで、オカルト好きなところがあったからだと思う。
 そして今年。妹の亜紀がこの中学に入学してきて、友達になった。姉の亜矢と一緒にいる事が多かったからだ。

 ――柚木伏(ゆきぶせ) 亜矢と亜紀。
 群を抜いての美少女姉妹だ。言い寄った男は数知れず……とささやかれているが、ウソとも思えない。
 姉の亜矢は大人しく、妹の亜紀は活発だ。そのギャップにたまについていけなくなるが、泉美は楽しくつきあっている。

 
 「ミミちゃん、口裂け女のマンガなんか読むの〜! 趣味いいね〜」
 亜紀がニヤニヤとして、ミミの胸を突ついてくる。……公衆の面前で、胸はやめて。
 「んまぁ……ね。今、口裂け女に燃えてるものだから。ホームページとか作りたいんだよね〜」
 口にして、舌を出す。どうしてアタシはすぐ、何でもかんでも口にしてしまうんだろ……。行動してから喋れってのに。
 「ひ〜ホームページなんか作れんのぅ? すっごいね、ミミちゃん……」
 話していると、年下という事を忘れてしまいそうだ。まぁ、何でもいいんだけど、別に。

 「ほんじゃね〜口裂け女、がんばってね!」
 亜紀は何も買った様子もなく、店を出て行く。
 がんばるのは、その調査だ、と言いかけてやめた。

 ……口裂け女、か……。
 本当にいるような気がするんだよね。

 あの住宅地で起きた去年の事件も。今までのウワサも。
 いない方が不自然で、いた方が、納得いく……。

 とにかく。今は情報収集だ。
 ムダかもしれないけど……、もし会った時のために、防衛策を知っておかねば!

 べっこう飴を投げつければ、追ってこないって話もあるし、「ポマード」という呪文を3回唱えると逃げ去って行く……とかさ。色々知っておかないとね。
 いや、マジな話で……。うん。


― 4 ―


 早くも夏を感じてしまいそうな、そんな天気の良い日曜。
 泉美はまた、例の住宅地へと自転車を走らせていた。

 かごの中にある、安物の手さげポーチの中には、父親から借りたデジカメ。オカルトメモ帳。口裂け女関連の本。お菓子、などが入っている。
 ……で。今になって、思っていた。
 なんて聞けば、住民達に、悪い心象を持たれずにすむんだろう……。と。

 あれこれ想像する。
 この日曜。家族で幸せにくつろいでいる所に(……例えば、家族でTVゲーム。?う〜ん。じゃあ、お庭で飼い犬とじゃれあっている。でも、住宅地じゃ犬、あんまりいないか? じゃ、とにかく、だらっとTV見ている、と……)、のこのことアタシが行って……その玄関口、ピンポーン。「すみませんけど、去年ここで起きた殺人事件の事について聞きたいのですが……?」と頭を下げる。
 もちろん、応対に出た人は、アタシをヘンな目で見るだろう。この子、何なの……?と。

 そうじゃなくても、少なくても。口裂け女の事について聞くのは……難しいだろう。そんな単語、恥ずかしくて、この口から出せるワケがない。
 ……じゃあ、「この住宅地で昔はやったウワサについて、教えていただきたいのですが……?」と聞くか?
 でも、アタシが知っている範囲の事しか、教えてもらえなかったら。そりゃあ、ムダな聞き込みだった事になる。ただ、ハジをかきに行っただけという、ヒサンな結末を迎えるかもしれない……。


 どんどん不安になっていき……、その住宅地へ着いた時には、その不安も最高潮に達してしまっていたのだった……。
 (とにかく。学校の新聞部、という事にしとこう。で、「この住宅地で、怖いウワサを聞いちゃったんですけど……何か知りませんか?」とかね。ウン。とにかく、当たってみるしかないよ)

 住宅地を自転車で軽く流す。
 どの家に、行こうかな……。

 南北に走る片側一車線の道路。舗装は古びて、あちこちひび割れている。
 泉美は南へ向けている。右手に学校が見えた。結構な敷地の小学校だ。校門付近はサクラの花びらが敷き詰められていて、その木々は、そろそろ緑化しかけている。

 暖かな、日だ……。

 十字路に行き当たると、右手にビデオレンタル店がある。柚木伏姉妹、行き着けの?店だ。
 (住宅地はここで終わりか)
 外に出ている人影は見えなかった。聞き込みはチャイムを押して……という事になりそうだ。
 方向転換し、来た道をゆっくり戻る。
 さぁ。どの家から行こうか……。
 

 車がなく、カーテンも閉まっていて、出かけていそうな家もちらほらある。
 あんまり、お父さんとか出て来られてもヤダな……あぁ、主婦狙いなら、やっぱり平日の昼間なんだよなぁ……。失敗した……。
 またもうろうろ。どの家にも訪問する事ができない。
 参った。ヒトの家を訪れるのが、こんなにも難しい事だったとは……。
 エライな。訪問販売のヒトとか……。まぁ、慣れなんだろうけどさ。


 そこでふと。水しぶきの音がした。
 自転車を停める。
 (車洗ってる……とか?)
 恐る恐る、その庭先を覗く……。

 若い女の人。薄手のTシャツに、短パン姿。確かに、車を洗っている。キレイな車……。
 「こ……こんにちは〜……」
 声をかけて、おじぎする。


 ……聞こえていない。

 「こんにちは〜……!」
 女の人が、「えっ!」と驚く。
 「あ、はい! あ、ごめんなさいね」
 女の人は、あわてて蛇口を止めに行き、タオルで手をふいた後……、泉美の前に来た。
 
 「ど、どうもこんにちは! あの……新聞部の者なんですけど……」
 「はい?」女の人は、目をぱちくりして、応対してくれる。

 で。……なんだっけ。何を聞きたいんだっけ……。
 えっと……。新聞部……。記事として……。あぁ、それはタテマエだってのに!

 アタシは、何を聞きたかったんだ?

 ――口裂け女!
 それしか出て来ない……やべ……。遠回しに、どう聞くつもりだったっけなぁ……。あぁああ……。

 「えっと……
 この辺で、変なウワサを聞いたもので……いや!そんな変な話じゃないんですけど、あの……怖いウワサなんですけど……」
 顔が真っ赤になるのがわかる。アタシはバカだ。アホウだ! 恥ずかしいっ!! 何言ってんのよ、ちゃんとしろって!
 「……怖いウワサ……? あれかな。口裂け女?」
 「いいいっ?!」
 ズバリだったので、思わず、そうわめいてしまった。


 「そ、そうです、それ! あの! そのウワサについて、何か聞けたらと思いまして……」
 あんまりの嬉しさに破顔してしまうと、女の人は大きな笑いを見せた。  
 「アナタは……学生さん? どこから来たの?」
 「あ、中学生です。あの、北の方から来ました……」
 って、旅人じゃなんだから!ンもう……。その後、アタシは地名を喋る。

 「口裂け女。……確かにね、そんなウワサが立ってたよ、この辺。マスクした女の人がさ、夏の雨の日にうろつくって……。でもね、口裂け女かどうかははっきりしないよ? マスクしてたっていうから、そんなウワサがたったのであって。……で、去年、ここで起きた事件は知ってる?」
 「ちょっとだけは……」とアタシ。
 「うん。フジモリさんってとこのお宅でね。お嬢ちゃんが殺されちゃったの。小学2年生、だったかな。すごい事件でさ。新聞にも載ったし、その後、警察もずいぶん巡回して回ったようね……この辺」
 女の人は気さくなようで、どんどん遠慮なく話してくれる。ありがたい。

 「やっぱり、犯人は捕まってないまま、なんですか?」
 「そうみたいね。フジモリさん宅は、こっから3軒前だよ」と南を指す。「行ってみる?」
 アタシは首を振る。被害者のお宅におしかける真似は、まだできそうにない……。

 「フジモリさんも、最近になって、少し考え方を変えたみたいで。犯人は人間じゃないのかも……、って事を、否定しなくなってきたようなのよね。……というか、恨む相手がわからないから、とにかく、昔からこの住宅地で言われているウワサに、目を向け始めたみたいでね……一時期、フジモリさん家の奥さんが、狂ったように情報収集してたの、見てたわね……」
 「新聞に書くんなら、ここが重要。いい?
 ……その口裂け女は、赤いドレスを着ている時に、人を襲うらしいの。ウソかホントかわかんないけど、その赤いドレスを着て、マスクをつけた大柄な女に襲われた、だなんてウワサが、確かに一時期はやったのよね……」
 「赤いドレス……ですか」
 以前聞いたウワサと、同じだ。――赤いドレスの、口裂け女……。

 すると女の人は急に、「あ〜また喋っちゃった」と顔をしかめた。
 「アタシって、口が軽いってよく言われるのよ。だいたいさ、不幸のあった近所の事を、見知らぬアナタに話している時点で、間違ってるのよね……。そうは思わない?」
 そう言われ、泉美は返答に困ってしまう。
 「……ん〜……。あんまりね。この辺の変なウワサを広めるのもアレだし。この辺でカンベンしてもらえる?」
 女の人は、はにかんだ笑いを見せる。その目はまっすぐで、やや悲しい。
 「……わかりました。お話、ありがとうございました!」
 ペコ。と頭を下げ、そこから立ち去った。





 少し自転車をこぎ、ひと気のない所で止め、ポーチの中からメモとシャープペンを取り出す。
 今、聞いたばかりの話をメモ。
 被害者の家は、フジモリさん。殺された娘は小学2年生。
 フジモリさんの家。あの女の人の家より、南へ3軒目……。略図を書く。
 フジモリさんの奥さんは、口裂け女の情報収集をしていた??

 ……こんなところか。
 今日は、この辺にしておこう。
 思いついて、デジカメで辺りの写真を軽く撮る。だけど、ページに載せるかどうかは、まだ考えないでおこう……。
 アタシも、被害者の家族の事を、考えなきゃいけない。
 自分の勝手な趣味のために、人をキズつけるような真似だけは、したくない……。


 泉美は大きなため息をつく。
 そして、自転車をまたこぎ出した。

 ――口裂け女か。
 静かな気持ちで考える。
 そのオバケは今、どこでどうしているんだろう……?
 オバケに、意思はあるのかな? 赤いドレス……か。それに、自分の意思で着替えたりするのかな? で、どこで着替えるんだろ?
 オバケってやっぱり細胞でできてんのかな? ……どうなんだろ。それになんで、人を殺したがるんだろ……。

 で。そんな口裂け女が本当にいたら……それって、何なんだろ? やっぱり、すごい事なのかな? もし、生存を確認できたら、すごいニュースになるのかな? 
 話とか……できるかな。
 「アタシ、キレイ……?」って聞いてくるのかな……?


 いずれ来る、夏の雨の日。
 アタシはやっぱり、ここを訪れているんだろうな……。


― 5 ―


 月曜。その日は、朝から霧雨が降っていた。
 制服――ブレザーが、肩からしっとりと濡れていく。
 柚木伏 亜矢と亜紀は、基本的に傘が嫌いなので、登校途中は濡れるにまかせていた。……傘が嫌いなのには、特に理由はない。
 傘が嫌いなのではなく、雨に濡れるのが、好きなのかもしれない。
 亜矢と亜紀は無言のまま、静かに住宅地の外れを歩いていく。学校まで、電車を降りてから2キロほど。毎朝、ゆっくりと歩く。

 登校途中、知り合いに声をかけられるのも、好きではなかった。朝は特に機嫌のいい日はない。2キロ歩いて学校に着いてやっと、人と話す気力が湧く、といったところだ。
 それは亜矢だけではなく、亜紀もそうだった。
 周囲に明るい、と思われがちの亜紀も、心の中では亜矢とそう変わりはなかった。
 ――心は誰にも悟られるものではない。
 亜紀はただ、亜矢のように、ウジウジと考えない、というだけの事だった。

 橋の歩道。亜紀が立ち止まる。
 「どうかした?」亜矢が振り返る。
 「あそこで……一つの命が……終わった……」
 そんな詩的な返答。亜紀は、河原を指差す。

 「犬か何か……?」亜矢もそちらに目をやる。
 「そう。めずらしいね、餓死みたいだ……」亜紀は目を細める。

 「お姉ちゃん……犬は死んだら、どこに行くの?」と亜紀。
 亜矢は少し顔をしかめる。お姉ちゃん……か。本当は違うのに。
 「さぁね。人間と同じなんじゃないの? 天国とか地獄とか……」
 「そんなものはないよ。アタシは知ってるもの」
 亜紀は笑っていない。

 亜矢は目をそむける。「知らないわよ。犬の死後、なんてさ……」
 「死後の世界なんてものは、ないの。死んだら何もかも、人間も犬もネコも……無になるのよ。無くなってしまうのよ、お姉ちゃん……」
 亜紀の目を、見たくはない。亜矢は顔をしかめたまま、向こうを向く。「もう行こうって……」
 「あの犬……最後に、ニク、食いたかったってさ……」
 亜紀も顔をしかめる。
 亜矢は歩き出した。





 学校に着き、更衣室に行き、タオルで髪をばさばさとふく。亜矢は短髪なので、すぐ乾く。
 亜紀の事を思う。あの子は、完全になじんでしまっている……。この世界に。

 ――落ちた無意識。つながった長い夢……。
 長い夢の後。掴んだその手。泣きながら、掴んだその手を……。

 亜紀との出会い。
 考えると、頭がヘンになる。どうしてあの子は妹なんだ……?
 あの子がいるから、アタシは闇を見ているまんまなんだ……救われないままなんだ……。


 いや。違う、か。あの子は、結構アタシを救ってくれた。いい話し相手になってくれていたもの……。
 でも。あの子は、現実を狂わせている。それは、確かだろう。

 ――いや。アタシだけかもしれない。
 あの子に狂わされているのは、このアタシだけ……。
 わからない。

 いいんだ。亜紀は、妹でいいじゃないの。
 どうせ両親――家族はもういない。どこかに、落ちて、しまった。代わりにあの子が、アタシを助けてくれているんだ……。
 アタシが狂わないように、と。

 疲れて、更衣室で立っていられなくなる。倒れたい。眠ってしまいたい……。
 とにかく、教室へ行こう。

 亜矢は首を振り、廊下へ出た。


― 6 ―


 今日は一日じゅう、霧雨のままだった。
 その晩。榊 泉美は、「恐怖の口裂け女」のサイト作りを、仮に、開始する事にした。

 例の住宅地を写したデジカメの写真は、まだ掲載するのはよしておいて……、まずはイラストからいこうか。
 絵心は、多少ある。昔、小学3、4年生の頃だったか。どこかのコンクールで、賞をもらった事がある。確か、虫歯予防の……標語入りのヤツ……。交通安全だったかな?

 机に座る。大きめの机だ。右半分のスペースを、デスクトップパソコンが占領している。ADSLで、ネットにつないである。2年ほど前に買ったシロモノだ。さしたる故障もなく、現在も楽しませてくれている。
 キーボードと教科書類を脇によけ、引き出しからA4コピー紙を数枚取り出す。コピー紙はいつも切らす事なく、補充に気をつけている。

 紙を2つ折りし、ラフスケッチ。……描くのはもちろん、口裂け女、だ。
 まずは、普通の女の人を……描く。輪郭。目鼻。髪は長めかな……。
 服は、何だろ? やっぱりコート? でも、アタシが追っている口裂け女は、赤いドレスを着ているという。
 (ドレスか……)
 なんで、ドレスなんだろ? 目立つよね。誰かに見つかったら、逃げきれないんじゃないの? ねぇ?

 とにかく、ドレスを描こう。うわ、変になった。
 ためしに、口を大きく描く……と、まるでへたくそな絵になってしまった。

 難しい。
 また挑戦する。輪郭……目鼻は普通……、いや、目はきつく……。長い髪……あ、そうそう。マスクさせとこ。
 輪郭などを何度もなぞり直し、目元を深く、きつく強調する……。
 「怖っ!!」
 描いた後、大袈裟に身をひいてしまうのだった。「いいよ〜これぇ〜!」
   
 「……いいかも」
 鉛筆画は出来た。これをスキャンして、そのままサイトのトップイラストにしようかな? でも、鉛筆画は……見映え悪いよね、きっと……。
 色を塗る事にする。絵の具……しばらく使っていないけど、引き出しの中に……
 ……ちらばっていた。けど、筆もあるし、パレットもある。

 それらを取り出す。後は、筆とき用の水か。
 部屋を出て、キッチンへ。コーヒーの空きビンを見つけ、お湯を注ぐ。これでオッケイだ。

 そこまでしたのに……、薄いコピー紙に水彩絵の具は塗れないだろう、と気づく。ふやふやになって終わりだ。
 ……しかし、泉美はあわてない。
 このラフスケッチを、もう少し厚い紙に、透写書きするのだ。
 部屋にあるガラステーブル。高さ30センチほどのこれは、下からライトを当て、透写板として使うのだ。

 そして数分後。水彩に耐えうる紙に、口裂け女の画を、鉛筆で透写した。透写時は、絵をひっくり返して描く。こうすれば、絵のバランスの補正ができる。

 「おっしゃ……!」
 苦労が心地よくなってきた。自然と笑みがこぼれる。
 透写のライトを消し、色塗りに入る。筆を水でとき、パレットにへばりついている色をこする。……昔使った色。微妙な色が残っている。

 薄い肌色。口裂け女の顔に、控えめに塗る。多少、緑がかって、いい感じだ。
 そして、髪。暗い茶系。鉛筆の線が残る程度に、薄く塗っていく……。
 顔と、髪が、次第に色彩を帯びていく。……悪くない。

 そして、ドレスか。バストアップの画なので、テキトウなドレスでも、ごまかせている。
 ――薄い赤。
 赤は、映える。そこだけ、ひどく浮き立つ。
 泉美は控えめに塗りながらも、違和感を覚えていく……。


 ……ダメだ。色を塗ると、こんなに変になるの??
 ドレスだけが、映える。顔は暗いので、非常にアンバランスな画となってしまっていた。

 少し筆を止め、考える。
 口より、ドレスが目立つなんて……。

 (裂けた口の、カムフラージュ……? でもまさか……)
 ドレスにマスクというのも、アンバランスすぎる。色を塗ると、まるで絵にならない。
 「アタシがヘタだから、なのかも……」
 首をひねり、考える。

 ――とにかく、ダメだった。サイトのトップ絵にするには、あまりにも納得のいかない絵になってしまいそうだ。
 筆を置く。
 ダメだ。文にしよう。

 机に戻り、パソコンの電源を入れる。
 (「口裂け女」で、検索してみよっと……)
 何か参考になる絵とかあればいいな。
 多少、気落ちしながらも、今後を探ろうとする泉美だった。





 翌日。
 その日も、教室に一番乗りする、亜矢だった。

 朝の空気はいい。誰もいない教室も、好きだ。
 誰かがやって来るまでの長く、短い時間。亜矢は席に座り、静かに瞑想(めいそう)にふける。

 少しでも夢に入ると……、手足は何かに飲まれてしまっている。今朝は、泥のようだ。冷たい。そしてもう、べとべとに汚れてしまう。
 ささやいてくる、何かの声に耳を傾ける。……でも、その言葉をはっきりと聞き取れる事は、まれだ。

 草原が見える。3人、子供が立っていて、3人とも同時に舌を噛み始め……苦しみもがいた後、ばったりと倒れて、草の中に消える。亜矢は、声を立てずに、笑い転げる。

 ――ヒトの死は、軽い。
 ヒトなんて、どこにでも、いくらでも、いるから。

 目をつぶっているこの瞬間にでも。ヒトの数は勝手に上下しているのだろうし、見知らぬ何億人が、そっくり次の何億人に入れ替わっているかもしれない。
 ――きっと、不変なのは、隣人だけ。

 あやふやで。いつになっても、何も見えないし、何もわからないままの、この世界。ゲンジツ。
 今朝も、私にささやかな疑問と優しい答えを、ありがとう。


 亜矢はにこりとする。
 今朝は、機嫌がいい。誰にでも、微笑みをあげられそう。

 ……あぁ。この教室に、誰が最初に来るのかな? ヒトを待ち遠しく思うなんて、すごく久しぶり……。
 いい笑顔でアイサツできると思うわ。すごく……いい日……。


 数分後。やって来たのは、クラスでも特に暗い、ブサイクな男だった。
 アイサツも何もない。コチラを一瞥(いちべつ)し、すぐ目を背け、自分の席にがたがたと座る。

 亜矢の顔がこわばる。
 ――その男を、殺してやりたくなった。


― 7 ―


 デパートの地下1階。食品売り場の、裏通路。
 藤森 由美子は、ダンボール積みのそこで、仕入れ品の仕分け作業をしていた。
 次第に、その手がゆっくりになり……由美子は一人静かに、夢想に入りだした。

 ――娘のマヤ。

 ……おかぁさん、おかぁさん……! ちょっと、コレ、やってみて!
 差し出されるものは、小型ゲーム機であったり、クロスワードパズルであったり、チエの輪であったり……。

 ……おかぁさん、このお肉、すごくおいしぃ〜!
 幸せな食卓。優しくて、可愛い娘……。
 ……おかぁさん、アタシお皿ふきたい!
 ありがとうねマヤ……。優しいな〜マヤちゃんは!

 2人で笑い転げたり……髪を切ってあげたり……一緒にお風呂に入ったり……

 ……おかぁさん……


 気づくと、目に涙がいっぱいたまっていた。
 悲しくて幸せなひと時を、終える。
 娘を思うのは……、胸が痛い。だけど、自分がこれからを生きる上でも、必要不可欠な事だ。
 アタシは、マヤを愛している。1年経った今でも、変わらない気持ちで……。

 ――胸が苦しい。

 由美子は腰をあげ、食品の袋を積んだカートを押し、仕事場へと戻った。





 毎日の仕事場は、さほど広くはない。
 デパートの食品売り場。精肉売り場の裏で、肉の加工やパック積めなどを、5人程度で行っている。部屋は5人でいっぱいになる。

 「藤森さん、ひき肉見て来て」と、店長。
 「はい」由美子は、目と鼻の先の、売り場に顔を出す。

 ……ひき肉。パッケージ数は残り5つ。少ない。
 戻って、「ないですね」と告げる。
 「じゃ、ひき肉、お願いします」
 「はい」
 こんな感じだ。由美子は頭を切り替え、ひき肉精製にとりかかる。1人作業用の、卓上タイプの機械。上の穴から生肉を入れ、ハンドルを回す事によって、前面の管からひき肉が出るしくみだ。
 5パッケージ作り、別のラッピングの機械に流し、ひき肉をラップ。日付シールを貼り、そのまま売り場へと持っていく。

 ひき肉を並べながら、「いらっしゃいませ」とお客さんにアイサツ。
 幼い娘を引き連れた主婦などを見ると、思わず胸が痛む。


 仕事場に戻り、次の仕事を与えられる。
 由美子は無心になりたくて、意欲を持って、仕事に励んだ。





 夕方5時。仕事が終わる。帰って、食事の支度だ。
 車の軽い渋滞。――また夢想に入る。

 娘のマヤを殺したものの正体。
 それは本当に、ただの人間ではないのだろうか? あの、バカげたウワサの、バケモノなのだろうか……?

 そんなバカな話は、信じたくはない。
 でも……娘を殺したのは、確かに、赤いドレスを着た女だという。娘の友達だった子が、その目で見ているのだ……。

 警察はもう、親身になって話を聞いてくれなくなった。アタシがシツコクして、嫌われたせいもあるだろう。何度も怒鳴ったし……。「一体、何やってんの?! どうなってるんです?! どうしてマヤを殺した犯人を、すぐ、捕まえられないのよッ!!」……などと。


 ――赤いドレスの口裂け女……。
 ナイフで、マヤの顔は……ぐちゃぐちゃにされて……

 あの小さな口の中に真っ赤な血が溜まり……
 傷を負った眼球が。地面に落ちていた……。


 由美子は顔を激しくゆがめる。
 ――許せない。
 犯人を、許せない。
 見つからないのも、許せない。
 アタシが見つけて、殺してやりたい。

 でも。何もわからない……。あたる手がかりは、もう、ない。


 だから。
 そろそろ、本当に頭を切り換えるべきなのかもしれない。
 マヤを殺したのは……、人間ではなく。……赤いドレスの口裂け女なのだ、と。


 虚空をにらみ、由美子は夢想を切り上げた。


― 8 ―


 亜矢と亜紀は、2人で暮らしている。
 両親は3年ほど前に他界したが、多額の保険金を残してくれたので、金銭に関してはここ数年困る事なく、暮らしていける。困る頃には、働いている歳になっているだろう。
 親戚に引き取られる話を断り、亜矢と亜紀は自立しているのだった。
 家はさほど広くもない、一般的な大きさの家だ。今は2人で、自由きままに使っている。

 ――という現実を、亜矢は知らぬ間に「与えられている」様な気がしている。


 両親は交通事故で死んだのだが、亜矢の記憶はまた違う。両親は、家の中で、死んだ気がするのだ。
 ――闇に、食われて……。

 そして、亜紀。
 妹の亜紀も、死んだ記憶がある。自分の目の前で……。
 でも、今、なんら問題のない顔をして、一緒に暮らしている。
 それが時に、解せない気持ちを引き起こす。
 でも、結論はいつも同じだ。――アタシの頭がおかしいのだ、と。


 夕食を終え、TVを眺めては笑う。
 笑うけど……、ほとんどは記憶に残らない。酒――カクテルを飲んでいるせいもあるだろう。
 「ぶはははは……! コイツ、すっげぇ〜バカ!」
 亜紀も腹を抱えて笑う。亜矢はもう、そんな亜紀に対してしつこい言及はしない。――この子は、本当の亜紀なの?! と、昔はよく恐れたものだが。


 しばらくして、亜矢は食器洗いに入る。亜紀は洗濯機を回す。
 TVから離れると……途端に、現実が視界に張り付いてくる。
 ――現実は……何も笑える事がない。
 原因のわからないストレスに、落ち着きを奪われる毎日だ。 

 いつしか、真顔を通り越し、暗い面持ちになる。
 (アタシの中にある闇は……静けさを願っているワケじゃない……)

 時折、背筋を襲う焦燥感(しょうそうかん)。
 待ち焦がれているのだ。
 ――高揚(こうよう)できる時を。狂喜できる時を……。





 泉美は、口裂け女のイラストに、色を塗る事をあきらめた。
 あれから3度ほど描いてみたのだが、どれも口裂け女、には見えないイラストになってしまったからだ。赤いドレスを超える印象のある顔を、描く事ができなかったようだ。

 鉛筆画をスキャン。ペイントソフトで加工する事にする。
 色々、フィルター効果を試す。色彩を変えたり、ネガにしてみたり……。

 そして十数分後。なかなかいい加工方法を見つけた。一度セピア調にし、その後ネガのフィルターで青にする。すると、紺色の背景に、白で描いたような絵になる。元がただの鉛筆画にしては、見映えは悪くない。
 「うん! いい」
 納得し、画像を保存。

 ホームページ作成ソフト内。
 作りかけのページ「恐怖の口裂け女」を画面に引き出す。
 はっきり言って、趣味のいいページとは思えない。でも、自分が作りたいものを作れば、それで目的は達成される。何かマズイ事があったり、いたらない事があれば、後日いくらでも修正できるのだ。

 トップページ。作ったばかりの画像を、タイトルの下に配置。
 ……どうだろ? アタシにしては、悪くないんじゃない?

 さ。次は口裂け女のうんちくでも書くか。
 頭をひねりながら、まずは知っている範囲で書く。オカルト本を読んだり、口裂け女関連のサイトを訪れた後なので、多少の知識は身につけた。……きっと、書ける。





 ★口裂け女、とは?

 1970年代の終わり頃。日本全国で、とある妖怪のウワサが広まりだした。
 ――その名は、口裂け女。

 顔の下半分を覆う、大きなマスクをしている女性の妖怪で、学校から帰宅途中の子供などに声をかけてくる。
 ……「アタシ、キレイ?」と。

 大きなマスクで顔がよく見えず、問われた子供はとまどうと思う。
 でも、質問に答えようとする。
 「キレイです」
 そうお世辞で言ったが最後。その女はおもむろにマスクを引き剥がし……その耳まで裂けた大きな口をあらわにし……そして叫ぶのだ。「これでもキレイかーー!?」と。

 ……また、「キレイじゃない」と答えれば、手に持ったカマやナイフで引き裂かれて、殺される。
 その口裂け女の問いには、「それなりに」と答えるのが正解らしい。それで女の感情は逆なでされずに、事は無事に済むのでしょう。
 そうそう。逃げてもダメみたいですね。口裂け女は100mを3秒で走る、なんて話もありますから……。(なんか想像すると、笑える〜)


 ★口裂け女の発祥について。

 口裂け女発祥の地は、岐阜県、というウワサが有力な模様。(なぜかはわからない)
 なお1970年代終わり頃というのは、日本各地で春先、「花粉症」の出始めた時期とされ、マスクをしている人が多く、そのマスク顔に恐れを抱いた子供が、空想の中でオバケを作り出してしまった、とも考えられているようです。
 (マスクをした顔って、威圧(いあつ)的に感じますもんね?)

 目新しいマスク顔。そんな人ばっかり、よく見る。 →怖い →マスクの中には……大きな口があるんじゃないか? などという妄想が、妖怪という形に結びついてしまったのかもしれませんね。


 ★口裂け女の好きなもの、苦手なもの。

 口裂け女は「べっこう飴」や「小梅ちゃん(商品名)」が大好物なそうで。もし持っていたら、投げつけてやりましょう。口裂け女がそれを拾ってなめているスキに、逃げられるのだとか。
 また、口裂け女の誕生には、「整形手術失敗談」というのがあり(整形手術で口を裂かれた女が、狂って妖怪みたいになってしまった、という変な話)、その整形手術を行った医者が、頭にポマードをべっとりとつけていて、手術中、女は具合が悪くなったのだとか。
 だから「ポマード」と3回唱えると、その時の事を思い出し、苦しみだすんだって。

 ★
 以上! 口裂け女にまつわるお話でした。

 PS
 今、ウチの県内の、とある住宅地で、口裂け女のウワサが流れているんです。
 後日、詳しい情報などをアップしていきたい、と思っています。





 掲示板も設置する。「口裂け女 掲示板」。口裂け女にまつわるお話を、何でも書いてくださいね。……と。
 PSはいらないかな〜……などと思ったりするが、とりあえずはそのままにしておく。

 そして、まだトップページしかないそのページを、アップロードした。


 ……アップした後、一息つく。泉美は最近、レモンティーにしている。粉状のヤツだ。
 キッチンに行って入れてきて、ついでに菓子も見つけて部屋に戻る。

 口裂け女について改めて書き起こした事により、泉美の中でもその姿がやや、確立されたように思える。
 後は……調査か。本格的に乗り出すか。……それともやはり、そっとしておくか?

 少し悩むが、被害者のお宅についてだけは、触れないよう、気を付けておこうと思う。あの住宅地の写真掲載もマズイだろう。やるんなら、わからないように加工するか……、絵にしておこう。

 何かを、表現するという事は、難しい。手間もかかる。
 でもやはり、自己満足だろうが、喜びはある。眺めて……、楽しい。眺めるだけで、嬉しい。


 アドレス欄に、自分のサイトのアドレスを入力。Enter。
 ――「恐怖の口裂け女」
 が、無事に現れた。お気に入り、に追加しておく。
 自分のサイトをしばらく眺める。誤字脱字はないか、と一通り見るが、幸い大丈夫なようだ。結構自分には、めずらしい事だ。
 アクセスカウンターは、自分が更新クリックした数だけしか動かない。自分1人で7回も8回も押したりする。
 ……とにかく、ここからが始まりだ。

 あの住宅地の人たちに、もしかすると迷惑をかける事になるかもしれない。でも、アタシは止められない。今のアタシには、口裂け女しかないんだ……!
 もし。もし、迷惑をかけるような事になりそうだったら、潔くやめるつもりだ。だから、今だけは許してほしい……。写真も地名も掲載しませんから……。

 でも。あの住宅地の事を書くのであれば……、20年前の少女2人の惨殺事件、そして去年の殺人事件の事も、書く事になるのではないだろうか……?
 アタシは……本当に書くのか? 他人に起こった、ひどく残酷な事件を。あかららに? 自分の趣味、なんかのために?

 ここに来て、悩む。

 どうしてアタシは、こんなサイトを作ってしまったんだろう……? そんなところまで、気持ちは落ち込んでいく。

 今後の事はわからない。
 泉美はウインドウをすべて閉じ、電源を落とした。


― 9 ―


 小学校前に溜まっていた桜の花びらのなごりは、だんだんと消えうせてゆく。
 藤森 由美子は夏の近づきを感じながら、気を引き締めていた。

 ――バカにしていたウワサ。それを今は、目をこらして探している。

 家にいると、何をしていても落ち着かない。すぐ、窓の外が気になる。
 ……ソイツが、歩いていやしないか、と。
 赤い服の人に、過剰に反応するようになっている。嫌悪すら、もよおす。
 勝手なものだと思いながらも、由美子は今日も、窓から通りをじっと見つめていた。

 ――でも、そんなものはいない。
 マヤを殺したものが何であれ。バケモノなんていうものは、追ってもいないのだ……。
 また馬鹿馬鹿しくなり、リビングに戻る。気が滅入るばかりでは、死へと向かうばかりだ。
 気分換えにTVでも見よう……。


 ……そしてしばらくTVを見るものの、何もつまらなくて電源を切る。
 死ぬばかりだ。これでは。
 仕事をして、気をまぎらわせていた方が、まだマシだ。家にいると……本当に、

 苦しくて。

 死ぬばかりだ……。


 クッキーでも焼こう。それをサカナに、鈴木さんの奥さんと話でもしてこよう。
 あの人は本当に優しくていい人だ。この暗いアタシに、物怖じしないで何でも言ってくれて……マヤが死んだ後、アタシを救ってくれた恩人みたいなものだから……。また、甘えて来よう……。きっと楽しい時間をアタシにくれるハズだから……。家にいればいいな。鈴木さん……。

 少し明るい表情を取り戻し、この間、ネットで見つけたレシピを元に、アメリカン・クラシック・クッキーに挑戦してみる事にした。





 それから2時間ほどして、ずいぶん形のいいクッキーが焼きあがった。
 満足して、笑みが浮かぶ。
 (マヤに食べさせてあげたい……)
 悲しい気持ちではなく優しい気持ちで、クッキーを小皿に盛り、そのままにしてあるマヤの部屋に運ぶ。

 「……マヤ、お母さんね、クッキー焼いたの。……あれ、いないの? ……どこか出かけてるんだね。ここ、置いとくからね……」
 クッキーを、机の上に置き、また目にあふれる涙を笑みで打ち消し、キッチンに戻る。

 ――明るい、鈴木さんの奥さん。この住宅地に越して以来の友達だ。5〜6年かな。鈴木さんも当時、ここに越して間もなかったので、気もあったようだ。
 旧友に会うような気持ちで、出かける支度をする。もちろん、普段着でいいんだけど……。アタシから出向くのは、ちょっと久しぶりかな。いつも、鈴木さんがウチに来たからね……。


 鈴木さんの家は、ウチから3件北側にある。アタシはクッキーをバスケットに入れて、いそいそと出かけた。





 (……?)
 鈴木宅に顔を出して、まず気にかかったのが、ガレージ前に置かれた車だった。
 汚い。
 不思議に思う。記憶の中での鈴木さんの車は、いつも新車のようにピカピカだった。こんな汚い鈴木さんの車を見るのは、初めてかもしれない……。車の下半分が、乾いた薄茶色に染まっている。
 これから洗うのかな。そうなんだろうね。
 でも。そんな事は些細(ささい)な事だ。由美子はちょっと笑って、玄関に足を向ける。

 ピンポーン……

 ややあって、ガチャリとドアが開かれる。
 現れた鈴木さんの奥さんを見て、由美子は心臓の止まる思いがした。

 マスク……!
 そしてあろう事か……真っ赤なTシャツ……。

 「いらっしゃぁい……。ごめんねぇ、アタシ、花粉症で……」
 あぁそうか。そうなのか……。
 由美子は苦笑いをし、なんとか落ち着く事に努める。

 「どうぞ、あがってぇ。アラ、何か持って来てくれたの? なぁに?」
 「あ、クッキー焼いたから……。あの、具合悪いんなら、これ置いて帰るから……。別に大した用もないんだ、アタシ……」
 由美子は自分の足の震えに気づき、足を落ち着かせる。
 「あ、全然平気。もう花粉症も治まる頃だし。一応のために、マスクしてるだけなんだぁ」
 そうか。少し、安堵(あんど)する。
 アタシはバカだ。鈴木さんを疑ったら、アタシには後がないではないか。それに、口裂け女を信じるのは、何十年も昔の、子供だけだ。今の世で、大人が信じて怖がるシロモノでは決してない。
 ……でも。鈴木さんもひどい。
 マスクに、赤い服だなんて……。このアタシへのあてつけ、に思えてしまう……。そんなワケないんだけど……でも

 ――汚い車。

 由美子は不安に落ち込む。
 いやいや、花粉症で具合が悪かったから、洗車してなかっただけでしょ……。

 「さ、あがって。アタシもヒマしてたのよね〜」
 笑いを取り戻し、「お邪魔しまぁす」とクツを脱ぐ。

 じゃ今日は、口裂け女の話でもしてやろうかな。鈴木さん、すごく似てる〜なんてね。見た瞬間、びっくりしたよ〜なんてね。

 なぜか。上がった家の中が、薄暗く感じた。





 初挑戦の、アメリカン・クラシック・クッキーをサカナに、会話が弾む……ハズだった。
 だが。いつまで経ってもマスクを取らない彼女に、由美子は内心、不安をつのらせていった。
 クッキーをつまみ、紅茶を飲むのはアタシだけ。奥さんはそんなアタシと向き合って、見ているだけ。
 テーブルを挟んで座る彼女の、服。その赤い色が目に痛い。
 ――赤は、嫌いなのに。

 会話が、あまり楽しくないと感じている。
 奥さんの様子は、そんなに変わらないと思う。別人、というワケでもない。
 だけど……目の前にしていると、妙に落ち着かない気持ちになってくる。
 ――彼女の目に、違和感を覚える。

 そして出された紅茶がやけにぬるく……、由美子はどうしようもなく、言いようのない焦燥感にかられていた。

 ――ダメだ。
 おかしい。
 鈴木さんの様子が、ただ事ではない。大体はあっている。だけど、些細な事が、以前とは食い違うのだ……。
 その些細な違いが、向き合っていると、次第に大きなズレとして感じられてくる……。

 「具合、ホントに悪くないの?」
 由美子はそう何度も聞く。帰る口実を見つけようとしている気もする。
 「ウン。全然悪くない」

 「あの……マスク取らない? なんか落ち着かない気持ちになってしまってさ……」
 「だめぇ。鼻水ずるずるでさぁ。クッキーは後で、おいしくいただかせてもらうからさ。ありがとね」

 会話はそんなにおかしくないと思う。
 ……でももういい。もう、帰りたくなった。落ち着かない。

 「貧乏ゆすり。どうしたの?」
 奥さんが目を細めて笑ってくる。
 ――こ、わ、い。

 そうか。そうなんだ。
 アタシが奥さんに感じているものは、恐怖、なんだ……。

 「ごめんね。なんか、そのマスクと赤い服が……アタシ、ダメで。帰る。ごめんね。花粉症治った頃に、また来るよ。ごめんね……」
 立ち上がって、また謝る。

 奥さんも立ち上がる。思わず、由美子の血の気がひける。
 「……あぁ、そうかぁ……そうだよね。なんか藤森さんの様子がおっかしいなぁと思ってたら、そうかぁ……そういうワケね。アタシのマスク姿が、イヤだったんだ……そうねぇ、ごめんね。赤もダメかぁ……」

 そう言われると、由美子の気も多少静まる。
 おかしかったのは……アタシだったのかもな。と。


 きしむ体を、玄関に向ける。
 「じゃ、ごめんね。早く良くなってね、それじゃまた……」
 クツをはく。多少ギクシャクしているから、うまく足に入らない。……焦る。

 「じゃ、また。今日はアタシ変で……ごめんなさいね」
 逃げるように。
 「きゃっ!」
 足元にいた白いネコ。ふんづけそうになって、あわてて体のバランスを崩してしまった。

 「あらあら……アハハ、大丈夫? アハハ……」
 奥さんが妙に笑う。緊張がほぐれたのかな、奥さんも……。

 そこで、由美子の顔が凍りついた。

 笑いを見せる奥さんのマスクが……、やけに大きくへこんで見えたからだ……。




 (10話に続く)



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