20章〜エピローグ 



― 20 ―


 ユキコは深く息を吸い込み、心を落ち着ける。
 ……湧き上がる、勇気。
 ――すべてを終わらせる、神の言葉……。美しい、その歌……。


 今、ユキコが歌わんとした……その瞬間。トイレの中で、花子がわめいた。
 「おい! テメエの友達だったんだよなぁ、ルリは?! ソイツの話を聞かなくていいのかっ?!」
 ――ユキコの胸に、突然迫る鈍痛。

 「ヒヘヘ……おい、ルリはなぁ……! 特別に美味かったぞぉ〜?!
 あの……怯える姿がまた、笑えてなぁ……! 実に、楽しく食えた。いやぁ……アイツの内臓が、こりゃまた実に美味くてなぁ……! アタシは夢中になって、むさぼり食わしてもらったよ……。実に満足したっけなぁ……!」

 言葉は支離滅裂。ユキコを動揺させんがための、苦肉の策だ。
 トイレの黒い空間から、花子の甲高い笑いが続く。
 ユキコは今、完全に言霊を忘れる。

 ――苦い記憶。
 ルリは、自分が追い詰めたから、ムリに花子退治に出かけて死んだ……。
 思い出し、その目をうつろにさせる。

 「アイツはホント、バカなヤツだった……。このアタシを、雑誌のフロクみたいな、チャチなオフダで、何とかしようとしたんだからなぁ……! ホント、どうしようもないバカだったよ……!! ギシシシシッ!!」
 「うるせえっ!!」
 洋子が叫ぶ。おまけに板を蹴る。
 「……ユキコ。惑わされるな。早く、言霊を歌え。そして、ルリちゃんのかたきを討つんだ!」
  
 頷いて、ユキコは目をきつくつぶる。
 だが、今の花子の言葉に頭の中が真っ白になって……、言霊が出て来なくなった。
 「ねぇ、洋子さん……歌の始まり、なんだっけ……?」
 洋子はユキコを見つめる。……ダメだ。この様子じゃ、言霊にチカラはこもらない。
 ユキコの手が震えている。
 「カタキを討ちたい……! このバケモノを……メッタクソにブッ殺してやりたいっ!!」
 涙ぐんで、歯を剥く。「洋子さん……ナイフを貸してください……」
 ――手を、差し出す。

 「バカ言うな! ……いいから言霊を歌え!! お前じゃ戦うのは、ムリだ!」
 「でも……もう歌えない……」
 ユキコの目は、宙を泳いでいる。 

 「ルリちゃん……!」
 その顔が大きく歪む。

 そこにまた、花子が笑いを交えて、叫んでくる。
 「おい、ユキコォオオッ!! ルリはなぁ、死ぬ前に、ぼろクソに泣き叫んだ!! 見ているコッチがミジメになるくらい、ブザマな最期だったぞぉおっ?! ……オマエもなぁ! ルリのように! ……泣き叫んで、わめいて! クソミジメに怯えさせてから……存分に、味わって!楽しんで! 食ってやるからなぁッ!!」
 「ナイフをよこしてええっ!!」
 ユキコはかんしゃくを起こして、わめいた。


 洋子は顔をしかめて首を振る。
 「冷静になれ。殺されて終わりだぞ?」
 そして、花子に向く。
 「……おい、バカ花子ッ!! お望み通り、ここを開けてやるよっ! アタシと勝負しろっ!」
 「……はぁっ? 勝負だぁ……? 何を寝言、言ってるんだボケ。……オマエらはな、アタシに引き裂かれて、殺されて食われるんだ。ただ、それだけの事なんだよ……マヌケ!」

 洋子もカッとなる。……だがすぐ思い直す。……完全に、花子にノセられている。
 「……洋子さん……お願いだから、アタシにやらせて……。言霊は洋子さんが歌ってよ……。それでいいでしょ?!」
 ユキコの目は真っ赤だ。そして、洋子にも向けられる敵意……。
 洋子は息を呑む。……やらせてみようか、と……。


 震える手で、洋子はユキコにナイフを渡す。
 「……殺されても、恨みっこナシだからな?」
 「わかってるよ」
 ユキコは涙をぬぐい、ナイフを強く握る。……重い、ナイフだ。
 「おい、オマエらっ! 正面切って戦うのが、怖いのかよおっ?! ホント弱虫だなぁっ!! ……ルリそっくりだぜぇっ!」
 花子がまたヤジを入れてくるが、二人は無視する。
 「アタシが言霊を歌ったら、花子の様子を確認しろ。本当に効いているようなら、釘ヌキで、板を取れ。そして、花子を殺すんだ。いいな?」
 「わかってる」
 ユキコは、花子を切り裂く事に意識を集中する。……この狂暴な意気が鎮まる前に、決着をつけてしまいたい。

 「テメエらっ! いいかげんに……ここを開けろっ! この板とっ払ってから歌いやがれっ!! ……そんな安全な所で言霊を歌ってアタシを倒すってのか?! ……意気地なしもいいところだっ!! 卑怯にも程がある!!」
 洋子は相手にしない。そして完全に表情を落とした後。……静かに、歌いだした。


 「やめろおおおっ!!」
 花子はトイレ内で暴れ出す。
 洋子は自分のすべてを、ここに注ぐ。……確かにオンチかもしれない。効きが悪いかもしれない。だけど、そこは気力でカバーする。
 「……うぶっ?」
 ユキコのノドにせりあがってくる、微かな血の気配。だが、飲み込む。

 花子は、中でしばらく板を引っかき続けていたが、その音もやがてしなくなる。
 廊下に落ちている釘抜きを手にし、板張りに近づく。
 言霊に意識をすべて集中している洋子は、動けない状態だ。だから、トイレ内から花子を逃がしてはならない。

 花子の気配を充分に感知してから、残りの板を上から順に外していく。
 花子の姿が見えた。板のすぐ下で、うつぶせになって苦しげにもがいている。洋子の言霊が、効いているようだ。
 ……だが、とどめには至らない様だ。

 ユキコはナイフをかざし、真下の花子に狙いをつけた。
 「……殺された子達の、カタキだ」
 その時、言霊が止んだ。


 振り向く。
 すると、洋子がヒザを折り……、血を吐いていた。
 「洋子さんっ?!」

 洋子は、顔をひきつらせて笑っていた。
 「ギヒヒッ!! ……ギアハハハ……わ、笑えるよ……い、ヒ、……今になって、今になって!! 本当の地獄とつながるなんてっ!!」
 また勢いよく、洋子は血を吐く。
 「洋子さんっ!!」
 ユキコは混乱に陥る。

 膝下程度に残された板張りから、花子の影が、のそりと起き上がった。


― 21 ―


 洋子は奇声を上げながら、血を吐き続ける。腹を折り、廊下をのた打ち回る。

 花子が笑う。
 「……一体、何しに来たんだ、オマエらは? アタシを笑わせに来たのか?! ブザマなナリじゃないか、おい……」
 板張りを乗り越え、花子は廊下に出てくる。
 「来るなっ!!」
 ユキコはナイフをかざし、花子に突きつける。だが、花子はたじろがない。
 「……ガキめ。そのナイフで、このアタシを切り刻むってのか? ……やってみろ、人殺しめ……。親が泣くぞ?」
 ――人殺し。
 その言葉で、またユキコの決意がたじろぐ。
 「貸せっ!」
 そのナイフを、後ろから洋子が奪い取った。

 そのまま、素早く花子に襲いかかる。花子もとっさの事に、避けられない。
 かろうじて上げた腕を、ナイフが襲った。
 「ギャアアアッ!! いでええっ!!」
 その左腕が、ナナメに大きく切り裂かれた。

 「早く歌えっ!! 言霊を!」


 ユキコは、目を見開く。……やるしかない!
 そしてきつく目を閉じ、闇に意識のすべてを傾けた。

 ひざまずく。そして腹の底から、祈りの歌を搾り出す。
 ――神サマ!

 自分のチカラの全てを乗せて、ユキコは言霊を放った。





 「……ユキコ」
 歌を歌い続け、そろそろ気力が尽きかけて来た頃、ふいに肩を叩かれる。
 目を開け、ユキコは絶叫した。

 そこには、真っ赤な血に塗れた花子が、立っていたからだ……。





 地獄に落とされ、狂ったように絶叫する。顔をひきつらせ、洋子の姿を探す。

 横っ面を花子に殴られ、横転する。……だが、痛みもわからない。 
 ――鼻の先。真っ赤な血袋があった。
 髪の毛。人。……血でずぶ濡れになった、ヒトの塊……。


 「イヤだぁああっ!! 洋子さぁああんっ!! ……洋子さぁああん!!」
 手を伸ばす。が、花子に踏んづけられる。
 顔を上げる。花子は勝ち誇った顔で、何かをくちゃくちゃ噛んでいた。

 ユキコの下あごが震え出す。
 ひどいめまいと、頭痛に襲われる。涙で、何も見えなくなる。
 ――洋子さんの、何かが食われている……。
 「イヤだぁあああっ!!」

 その髪をひっ掴み、花子は顔を近づける。
 「……ギシシシシ……さっきまでの威勢はどうした、ユキコ……? ヒヒッ。だらしないねぇ……」
 そして乱暴に、ユキコを引き倒す。ユキコはもう、抵抗も出来ない。

 また髪を掴まれ、顔を近づけられる。キバだらけの、猛獣の顔。
 「オマエの言霊も、全然胸に響いて来なかったねぇ……。感動がなかったよ。
 やっぱりガキの考える事には、穴がありすぎる。……こうであればいい、こうであるハズだと、いつもチャチな希望的観測で、行動しているからだ、マヌケめ……。慎重さが足りないんだよ」
 「オマエの言霊なんか、ガキのたわ言だ。よくもまぁそんなお粗末な歌で、このアタシを倒すとかぬかしたもんだ……。呆れてしまうね……」
 ユキコはもう、目も開けられない。

 べっ。

 花子が何かを吐き出し、ユキコの顔を塗らす。
 落ちたもの。それは……小さな肉塊。耳、のようだった。
 「アイツはマズそうな面なんでな。よしておいた。……食うなら、お前だ」

 それを見て。倒れている洋子も見る。
 自分の言霊が効かなかったばっかりに……死なせてしまった……。
 (洋子さんを。死なせてしまった……洋子さんを……)
 ――また、自分のせいで。

 ひどい頭痛とともに、流れ出る涙と鼻水。顔がめちゃくちゃになる。
 「ちくしょうっ!!」
 一声大きくわめき、ユキコは立ち上がった。
 「花子ッ!! ブッ殺してやる!! ……ブッ殺してヤルうッ!!」

 拳を振り上げ、襲いかかる。……もう、策も何もない。ただ、力でぶつかる意気だけしか、そこにはない。
 花子は目を見開いて笑った。その底力が意外であり、滑稽(こっけい)であり、感激すらもよおしていた。
 しかし、殴られて花子の意識は、180度転換せざるを得なくなった。

 ――鈍器で殴られた、凄まじい衝撃。
 花子の視界で火花が炸裂し、花子は壁までふっ飛んだ。
 リバウンドし、転げまわった後、驚いた顔でユキコを見る。

 ユキコがまた襲う。思わず花子は逃げ腰になる。が、背中を掴まれ引き倒される。
 「……その力は何だっ?!」
 返答を待つ間もなく、花子はその腹を強く蹴られる。そしてうめく間もなく踏みつけられる。
 「フギャアアアッ!!」
 いきり立ったネコのような悲鳴をあげ、苦痛に身をよじる。
 「よくも……、洋子さんを殺したなっ!!」
 また横っ面を殴る。花子の視界が拡散する。一瞬、頭が砕かれて終わったと思った。そのキバが、数本折れた。

 「グギャギャアアッ!!」
 よろめき、おぼつかない足取りで、必死に逃げる。だが、トイレから遠くへは逃げられない。一種の地縛霊ゆえ、そういう性なのだ。
 折れた歯を吐き出し、信じられない思いでユキコを見る。

 ユキコはまた、花子に向かっていく。
 「やめろおおッ!! ヤメロ、この野郎ッ!!」
 そんな花子の泣き言が通用するハズもなく、ユキコの拳は、花子の頭にまたひどい被害をもたらした。

 殴られた衝撃で、壁に激しくぶつかり、そのまま花子は崩れ落ちる。
 悪鬼の顔で、ユキコは花子を見据える。
 「死ねよ、このガキャアッ!!」

 「待てよ」
 そんな言葉とともに、ユキコの腕がやんわりと掴まれる。
 血塗れの洋子が、苦しげに笑っていた。

 「うそおおおっ!!」
 ユキコに、ヒトの表情が戻る。
 「……大層な暴れっぷり、真にご苦労だった。でもな、殺しまでは体験する事はない。とどめは、アタシがやる。耳を食い千切られたお礼もあるしな。痛ぇんだ、これがまたよ……」
 そう言って無理やりな笑みを見せる洋子。ユキコはきつく、抱きついた。


 震える手でナイフを握り直し、洋子は花子に向き直る。花子は尻餅をついたまま壁にもたれかかり、朦朧としているようだ。
 「……花子。ここで一旦オマエは死ぬ。この後、何年……何十年か経って、またオマエがのうのうと現れたとしても……、誰かがオマエをまた殺す。オマエが改心して、人間を襲わなくなる日が来るまでだ。……ありえない話だろうがな」
 そんな洋子を、焦点の定まらない目で見上げ、花子は「……クソッたれめ」とつぶやいた。

 そして洋子はナイフを手に、ユキコに振り向く。
 「18禁だ。目をつぶってろ」
 ユキコは苦笑いで、首をかしげた。


― エピローグ ―


 花子をめちゃくちゃに解体した後。
 二人は職員室へ行き、血塗れの姿で先生らをひとしきり騒がせた。その後、保健室で応急手当を受ける。特に洋子は重傷だった。片耳を食い千切られ、体のあちこちが、花子の爪で引き裂かれていた。先生達は泣きながら、でも手際よく応急手当に専念した。
 「……あのさ、「付け耳」ってあるよね? 聞いた事あるもん!」
 洋子は今更ながら、そんな心配をするのだった。

 警察が来て、二人は軽く事情を説明する。回収された花子の死体は……、犬とおぼしき形で、毛だらけだった。
 洋子は来た救急車に乗り込むなり、意識を落とした。

 ユキコも、大した怪我はないものの、救急車に乗せられる。
 そして、目を閉じた。


 ユキコは眠りに入る。
 ――言霊を聞いてから、見なくなっていた夢。

 ……でも今は、夢を見られそうな気がしていた。




 「恐怖の花子さん 〜yukiko's story」 ( 完 )






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