10章〜19章

 

― 10 ―


 2人は、学校の1階にある保健室に顔を出す。
 「え?! 何、ちょっとどうしたの?! ……え? 洋子ちゃん??」
 放課後。そろそろ一日の仕事も終え、のんびりとお茶を飲みながら日誌をつけていた先生は、突然やって来たひどい怪我人に驚いた。まして、卒業したばかりの思わぬ顔である。
 左足が赤一色だ。押さえる手とハンカチも、血だらけ。慌てて駆け寄る。

 「先生、お久しぶりで〜す」
 「ちょっと! どこでこんなケガしたの?! あぁあ、ほら! そこ座って!」
 先生の手当てが始まる。ユキコはほっと胸をなでおろした。

 血を洗い流し、キズ口を丹念に消毒し、ガーゼや包帯などで手当てを済ませ、先生は改めて洋子に問う。
 「どうして、こんなひどいケガしたの?」
 「すみません、ちょっと足を切っちゃって……」
 と、洋子は当たり前の事を言う。
 「……とにかくね、これは応急手当てだから。……救急車呼ぶ? それ、縫わなきゃならないよ?」
 「え〜面倒くさいなぁ、もう……」洋子はふくれっ面になる。
 「バッカ……。面倒くさいも何もあったもんじゃないわ。……なんなら、先生が病院まで送ってく? もう今日終わりだし」
 「……え、ホントに? んじゃあお願いしちゃおうかな?」
 臆面も無く、洋子は誘いを受けた。

 ユキコは家に帰り、洋子は先生に連れられて病院に行った。





 帰宅後。ユキコは疲れて、自室のベッドに寝転がる。
 (花子さん……か)
 見たのはほんのひと時だったが、その姿は鮮烈に記憶に残っている。見間違い、では済まない。もうその存在は、疑いようもないものなのだ。その目で、間近に見てしまったのだから。
 少女の姿をしていたが、一目で異様さが感じられた。むき出されたキバ、長い腕。硬そうなカギ爪。……確かに、バケモノと言えた。

 そして、洋子の事を思う。洋子は足に大怪我を負った。当分は戦えないだろう。
 (なんで失敗したんだろ……?)
 詳しいいきさつはわからない。だが、自信満々で戦いに臨んだ洋子が、敗北してしまった。恐ろしい話とともに聞かされた「コトダマ」も、花子を倒すには至らなかったのか……?
 ユキコは不安に飲まれ、顔をしかめる。
 ……でもとにかく、洋子にまかせるしかない、と落ち着く。

 そして、ルリの事を思い起こす。花子に殺された友達。
 殺される前日。話しかけ、問い詰めた事を悔やむ。だが、ルリは確かに様子がおかしかった。花子騒ぎが起こってから、急に塞ぎ込み始めたのだ。
 その事を問い詰めると、ルリはわめいた。
 ――花子さんには殺されないから……ジャマしないで……! と。

 なぜ、殺されない、と言えたのか。わからない。結局は殺されてしまったのだが。
 (ルリちゃんが殺されたのは、アタシが余計な事を言ったせいなの……?)
 ――違う、と言って欲しい。違うんだ、と納得したい。
 だが、真相を掴むまで、気持ちは晴れないだろう。





 2階西側の女子トイレの入り口はまた、板張りで封鎖された。そこだけ、異様だ。
 ユキコはあれから何度となく訪れ、様子をうかがう。――中に花子がいるのだ。板張りが壊されていないか、など毎日のように気になる。
 その日の放課後もまた、ユキコは板張りを眺めに来た。
 ――花子さんと話がしたい。
 今日はその思いがやけにつのって、消え去らない。

 板張りをノックしてみる。
 「ねぇ、花子さん、話がしたいの……」
 返事をしばらく待つ。

 「ルリちゃんって……覚えてないかな? その子を殺したんでしょ? ……どうして殺されちゃったのか、アタシすごく気になってるの……アタシのせいかもしれないって……」
 「オマエのせいなんじゃないのか?! ギアハハハッ!!」
 突然、狂笑が返って来る。……花子だ。

 ――すぐ、側にいた。この板張りのすぐ向こう。ユキコは血の気を抜かれ、後ずさる。
 「オ、オマエ……! オマエが誰だかアタシにはわかるぞっ! ……この前、洋子と一緒に来たガキだろうっ?! なかなか美味そうなガキだったなぁ!! よぉく覚えているぞ……ギシシシシ……!」
 いやらしい笑い。ユキコは怖気づきながらも、強い叫びを返す。板張りがあるお蔭だ。
 「脅かそうったってそうはいかないよっ! オマエなんか……、アタシが倒してやるっ! このクソ花子っ! 悔しかったら、こっから出て来いってんだよっ! ば〜か!」

 ――ドガンッ!!

 板張りが中から叩かれる。ユキコは息を呑む。板を押さえているのは、クギだ。抜けないとも限らない。
 そして花子は板を爪で引っかく。ユキコは少し、震える。
 「……オマエの名前は、何だ?」
 そう聞かれ、ユキコは黙り込む。教えたくない……。

 「……オマエの名前は、何だ?」
 また同じ質問。
 ユキコは顔をきつくしかめた後、「ユキコだよ」と多少の強がりを交えて、答える。その後、後悔する。

 「……ユキコ、か。覚えておく。アタシを倒すとぬかしたな? ……楽しみに待っているからな。
 ……だけどな、逆にオマエはアタシに食われるんだ。そのやわな顔をアタシの爪で切り裂かれて……、目ん玉をえぐり出されて……その耳を噛み千切られて……、その腕や足も、無惨にバラバラにされちまうんだよ……ギシシシシ……」
 ユキコは思わず拳を噛む。悲鳴が漏れそうになるのを、飲み込む。
 「おぅ、ユキコ……。オマエのはらわたをな、生きたままずるずるっと取り出して……ムチャムチャっとな、むさぼり食ってやるからな……。ギシシシシ……。楽しみにしとけ……。やると言ったからには、アタシは必ずやる、からな……」

 「ううううるせえっ!!」
 ユキコは頭に来て、板張りを思いっきり蹴る。蹴った一番下の板が、メキッと嫌な音を立てた。
 「うああっ、まじっ?!」
 あわててそこから離れる。

 呼吸を整え、ユキコは一番聞きたかった事を思い出す。
 「……あのさ、花子さん。ルリちゃんを……殺したんだよね? ルリちゃん、わかる?」
 少しして、「覚えている」とまともな返事が返ってくる。

 「……ルリ、な。アタシを起こしてくれた、可愛いガキだ」
 「起こした?」
 ユキコは目を丸くする。
 「アタシは……、自分で目覚める方法を知らない。一度殺されてしまうとな……、人間の手を借りないと、アタシは起きる事が出来ないのさ。
 ……だから、アタシを呼び出してくれたルリには、感謝していた。なにせ、生き返るのは何十年ぶりかでな。だから、殺さないと約束していたんだ」

 「……だがな、アタシがガキを殺していくうちに……、アイツは怖くなったんだな。アタシを殺そうとしやがった。チンケなおふだか何かでな。……だから、ぶっ殺した」 

 花子がまともに話をする事に驚き、そしてまた、その話に無念でいっぱいになった。
 ――疑問が氷解する。ルリは、花子を呼び出した。そして後になって責任を感じ、花子を倒そうとしたのだ……。

 やはり、ルリが死んだのは……、自分のせい、だとも言える。問い詰めた事により、責任を強く感じ、焦って花子を倒そうとしたのかもしれないのだ……。
 ――苦しくなる。押し潰されそうになる。
 ……だが、受け入れる。胸に、刻むしかない。

 「……わかった。ルリちゃんの事情はわかったよ。……花子さん、いずれまた洋子さんとここに来るよ。その時、ルリちゃんに代わって、アンタを必ず倒す。……必ずね」
 「やってみろよ。どうせまた逃げ帰るか、殺されるのがオチだろうよ」
 そして花子は耳障りな笑いを返してくる。

 「……絶対、そうはいかない。絶対に、アンタを倒してやる! 覚えてなさいっ!!」
 そう言い残し、ユキコはその場を後にした。
 自分の中に強い力が宿る。そして唇を噛み、ルリの事を思った。


― 11 ―


 「ほら。ポケットから、カセットテープ出てきたよ? 危なく洗濯するトコだった」
 学校から帰ると、ユキコは母からカセットテープを手渡された。花子と戦った日、洋子から渡されたものだ。
 (やべ。忘れてた……)
 あれから5日は経つ。部屋に戻って、聴いてみる事にする。

 ベッドに座り、ケースからテープを取り出す。
 ケースのレーベル紙には、洋子からのメッセージが書かれてあった。


 ――ユキコへ。
 花子を倒す呪文、「言霊」をテープに吹き込んでおきました。もしアタシが死んだ時は、この呪文で花子を倒して下さい。
 また、この呪文を聴いてしまうと、頭がおかしくなってしまいます。ヘタすると、死にます。……だから、アタシが死んだ時以外は、絶対に聴かない事。
 でも、アタシが死んだら、後の事はお願いね。
 そして、ごめんなさい。


 ……と、書かれてあった。
 「聴かない方がいいのか……な?」
 ――聴いたら頭がおかしくなる? へたすると、死ぬ??
 何度も読み直す。信じられない文章だ。そんなものが世の中にある、という事が、まず信じられない……。

 とにかく、今は聴くべきではない。そう落ち着き、テープをケースにしまった。


― 12 ―


 ――自分に何が出来るのだろう?
 ヒマさえあれば、ユキコはそんな考えに浸る。
 洋子の怪我もだいぶ良くなった、という。また花子と戦う事を、洋子は満身で望んでいる。
 ……その時、自分も戦いたい。見張りとかではなく、もっと役に立ちたい。……花子とぶつかりあいたい。出来る事なら、この手で倒したい……。

 かさっ。
 授業中。隣の子に、何か手渡される。……メモ紙だった。

 ――ユキコちゃん。何、悩んでるの? 教えて。 マユミ、サチ、ジュンコ
 と、書かれてあった。ユキコは思わず笑みをもらす。言いたい事があったら、直接話せばいいのに。しかも授業中に、何をやっているんだか。
 (……悩んでる、か。そう見えるのかな?)
 3人が、コッチを振り向いて見ている。ユキコは笑みを見せてやる。……ガキだなぁ、と思いながら。

 でも、花子さんの話を言うつもりもない。誰も巻き込みたくはない。
 そうやって口を閉ざして……、自分は3年生の輪の中から、少しずつ孤立していくのかもしれない……。だが、それは仕方のない事だ。事が無事に終えた時にでも、種明かしをしてやろう。

 紙をクシャリと握りつぶす。
 ……いいんだ。
 優しいあの子達のためにも。アタシは必ず、花子さんを倒す。洋子さんと。
 その時にアタシは、最大限にやれる事を、やるだけだ。


 ――コトダマ?
 そう、ふいにひらめく。

 言霊……。
 洋子からもらったテープ。それには、「言霊」が吹き込まれてある。
 ――聴いたら、ヘタすると死ぬ。
 だけど、花子を倒すのには、有効な呪文らしい。
 
 聴いたら、どうなる? 聴いたら、アタシはチカラを得られるのか……?
 そうだ。自分が言霊を歌えるようになれば、きっと戦力になる。そして洋子に、戦いに専念してもらう事も出来るのだ……。

 そう、ひらめいた時。ユキコの心は決まった。


― 13 ―


 日曜。
 父親は朝から釣りに出かけ、午後は母親も買い物に出かけた。ユキコは望んで、留守番を引き受ける。

 玄関のカギを閉め、自室に戻って、ベッドに腰かける。
 洋子からもらったカセットテープを手にとる。
 ――言霊が吹き込まれてある、というテープ。聴けば、頭がおかしくなる? ヘタをすると、死ぬ……。
 しかし。言霊を聴き、歌えるようになれば、きっと戦力になる。

 「悩んでてもダメ。聴くしかないでしょ!」
 腰を上げ、ラジカセに這い寄る。テープをセットし、再生のボタンを押した。





 ボリュームを調節する。
 ……聴こえてきた。洋子の声だ。確かに……、歌だ。アカペラで歌っている。

 ラジカセを食い入るように、見つめる。
 不思議な旋律。意味のわからない言葉の流れ。聴いてはいけない歌。この後、死ぬかもしれない……。

 急激に押し迫る、不安。それはやがて吐き気に変わる。
 そして頭が痛み出す。
 目をしばたく。……顔をしかめる。
 ――歌の響きが、頭に迫り来る。ボリュームを下げようと手を伸ばしたが、その手がなんだか見えなくなる。
 気づくと自分の口が、嗚咽を吐き出しながらわなないていた。

 呼吸が意識しないと出来ない。強烈になる、吐き気。視界が熱を帯び、ゆがんでいる。
 きつくつぶった目から、涙がドッとこぼれた。
 「うええっ……っ!」
 頭を揺らしながら、嘔吐してしまう。倒れる。倒れてしまう……。
 ――真っ赤に染まった、じゅうたん。

 強烈な金属音が頭に突き刺さる。言霊。この歌に、殺される……!
 「うえぇえええ……っ!!」
 また血を吐く。腹を押さえて転げる。自分の血へドで、顔をよごす。
 息も出来なくなる。血の嘔吐は止まらない。このままでは、体じゅうの血を吐き尽くしてしまう……。

 ――視界の隅に見える、獣の足。
 (……地獄の牛鬼……!)
 そのひづめを確認した時、何かが終わったような気がした。

 (……死ぬの……?)
 血溜まりに溺れ、ユキコは意識を無くしていく。
 ……何もかもが、ひどく冷たい闇に落ちた。


― 14 ―


 玄関のチャイムが鳴っている。
 ……戸を激しく叩く音。ユキコはうっすらと目が覚める。

 (あぁ……お母さんが帰ってきたのかな……? やべ……)
 「うぅうっ!」
 また来る吐き気。ばしゃり、と汚物を吐き散らす。

 「お母さん……」
 起き上がれない。体全身の力が、抜け落ちてしまっている。ラジカセはテープの再生を終え、微かなノイズを放っていた。

 チャイムが続く。
 ――うるさい。こっちは起き上がれないのに……。
 ダメだ。ひどすぎる。見てよ、この血を……。

 「どうしたの?! ちょっとユキコ!! 寝てんの?! 開けてっ」
 微かに聞こえる、母の声。起き上がらねばならない。なんとしても。
 「うああっ!」
 ヒジを上げ、腕に力を込める。
 じゅうたんとTシャツが、血のりでつながっている。
 ――ピンポンピンポンピンポン……。
 母の鳴らす執拗なチャイム。今ほど、母を憎んだ事はない。こんな時に、帰って来やがって……ちくしょう!
 カギをかけたのが裏目に出たが、かけなければ、この今の惨状を目にされていたかもしれない。この、血だまりの中にうつぶせている、惨状を……。

 「……くそおおっ!」
 ユキコは起き上がる。見ると、ほぼ全身が血に塗れていた。……これでは、母の前に出ていけない。

 頭がずきりと痛む。
 とにかく、血のついた服を脱ぎ捨てた。
 ショーツ一枚になり、ユキコは2階の自室から、階下に降りる。
 そして、玄関に向かって叫ぶ。
 「お母さぁ〜ん? ちょっと待って! 今、おフロ入ってたのぉ! 髪洗ってるから、少し待っててよぉっ!!」

 「え〜? 早くカギ開けてよ〜。なんでおフロなんか入ってんのよぉ〜……?」
 やっぱり、母親だった。普段と変わらぬ、母の声。ユキコは悲しくなって、顔をしかめた。
 ――自分はもう、どうにかなってしまっている。ユキコですら、なくなっているかもしれないのだ。

 (……早く、血を洗い流さないと……!)
 急いでフロ場に行き、ショーツを脱ぎ、シャワーを浴びる。ボディソープを全身にぶっかけ、体を泡塗れにさせる。
 無我夢中で、全身をこする。母を引き止められるギリギリまで、体を洗い、血を感じさせないようにするんだ!

 数分経ってしまったか? だが、血はあらかた取れた。きっと感づかれない。
 今度は急いで体を拭く。拭きながら、おかしくなって笑う。――アタシは何をやっているんだろう?
 そしてタオルを巻き、母の元へ……。

 ガチャッ……。

 現れる、陽気な母の顔。「んもぅ〜、何やってんのよぉ。寝てるかと思った」
 「う、うん……フロで寝てた。なんか疲れてさ、今日……」
 そしてまた急いで、フロ場に戻る。
 ――これで一安心だ。安堵の笑みがこぼれた。

 また念入りに、体を洗う。そして、惨憺(さんたん)たるアリサマであろう、部屋の事を思い浮かべる。じゅうたんは血だらけだ。血ばかりじゃない。胃袋の中身もぶちまけた。……サイアクだ。
 部屋の掃除は相当大変だろう。加えて、服もどこかで洗って来ないといけない。コインランドリーとか?

 ……また意識が朦朧(もうろう)とし出す。夢を見ているような感覚。
 ツバを飲み込む度に、ノドが痛む。血を吐きすぎたからか?
 暖かなシャワーを浴びていると、そのまま眠ってしまいそうになる。湯船につかりたい……。でも、湯船は水だ。
 ――部屋は血塗れ。
 (……休みたい……疲れた)

 フロ場からあがる。とにかく、部屋のカギを閉めて、ベッドで休もう……。掃除はまだムリだ……。
 「ね〜ユキコ〜、いい肉あったのよぉ! 今日さ、す・き・ヤ・キ〜!」
 無言でいるワケにもいかず、「お〜すげっ!」と一言。反動で頭が痛む。

 階段の手すりに掴まりながら、重い体をひきずって、ユキコは自室に戻った。
 (これから……もっと何度も「言霊」を聴いて、歌えるようにならなくちゃな……)
 まだ序の口だ。だが、この先も同じように血を吐いたりするのであれば、とてもじゃないがやっていけない。
 そうではないと、願うしかなかった。


― 15 ―

 部屋に戻って、惨憺(さんたん)たるありさまをまた目の前にする。
 バケツ一杯ひっくり返したような、大量の血の跡。よくここまで吐いたものだと感心する。自分の体の中に、ちゃんと血は残っているのだろうか?と心配になる。
 血に混じった汚物。……見ていると、また吐き気をもよおしてくる。
 とにかく……掃除だ。休むのは、後だ。

 バケツとぞうきん。……あと、インスタントコーヒーの空きビンなどが欲しい。そのビンに汚物を注いで、少しずつ、トイレか流しに捨てるのだ。母などに気づかれないように。
 階段を降り、フロ場の脱衣場に行く。ミニバケツとぞうきんを、洗面台下の棚から取り出す。
 バケツに多少の水を汲み、無言で自室に戻る。

 また階下へ。キッチンへ行き、「コーヒーの空きビン、なぁい?」と母に声をかける。
 「そこらにない?」台所に立つ母が指差した、オーブンレンジの下の棚。そこに見つける。
 「何に使うの?」という母の問いに、「何か」と意味のない一言を返し、自室へ。
 そして、夕飯時まで、ユキコは掃除を続けた。





 2時間後。父も帰宅し、夕飯時になる。
 じゅうたんの上の汚物は、大体処理が終わった。何十回となく階段を往復し、トイレに流した。辺りに血が飛び散らないよう気をつけて注いだので、トイレそのものの掃除は、そうひどいものにはならなかった。
 母にもそう疑問を持たれる事なく、ユキコの一大掃除は無事、あらかたの終焉を迎えたのだった。

 だが、じゅうたんのシミは消えそうにない。淡い緑色の中、汚く赤こげた模様が、広範囲にくっきりと残っている。
 こればかりは、どうしようもない。

 体調不良のまま、迎える夕食。
 すき焼きの味はわからない。
 頭痛薬を飲んでいたため、いくらかは持ち直したものの、食欲はまるで無かった。でも、おかしく思われないように、無理して食べる。「おいしい」と、額に汗を浮かばせながら言う。何度も吐きそうになる。

 両親は……幸せそうに、食べている。本当に、幸せそうだ。
 ――ウチは、幸せな家族なのだ。
 そう、ここに来て再確認する。だけど自分はそこから、ほんの片足、踏み外した。
 言霊を聴いて、何が変わったのか、今はよくわからない。だが確かに、自分は何か、変わってしまった。そんな気がする。
 (……やめとけば良かったのかな……?)
 心の中が、どんよりと暗く沈んでいる。明るさを、遠くで見つめている。
 とにかく今は、笑う事が出来なかった。





 また、じゅうたんを拭けるだけ拭いて……、夜遅く、眠りにつく。
 部屋のカギをかける。いつもは、カギなんかかけない。でも朝、いきなり部屋に入って来られても困る。

 ベッドの中。仰向けで、天井を見つめる。
 ――何も、考えられない。


 眠ろう。眠るしかない。
 だが今晩だけはきっと、何も夢は見ない。……そんな気がした。


― 16 ―


 長い夜を終え、朝を迎える。
 その晩はとうとう、眠る事ができなかった。疲れて眠りたいハズなのに、まどろみを越す事はなく、意識はいつまでも続いた。
 朝日を迎え、ユキコは眠りをあきらめた。

 窓の外が白んでくる。のそりと体を起こし、汚いままのじゅうたんを見つめる。
 ずいぶんと血を吐いてしまったが……、あれは言霊を聴いた事によって、死ぬ寸前だったのだろうか?
 そして見えた牛鬼。洋子の話に出て来た、何だかよくわからないもの。地獄の亡者。
 ――でも、とうとう一線は越えた。そして生きている。

 言霊。
 一度聴いただけなのだが、旋律ぐらいは口ずさめる気がした。
 例えようのない、歌だ。不思議な温かみを持つ旋律。思うだけで、ふわりと心が浮かぶような……。この眠れぬ夜。根底に細く、言霊を聴き続けていたような気もする。
 救いの歌だ。命のこもった歌だ。
 この歌なら、花子に負ける気はしない。いや花子どころか、どんな悪霊にも、きっと絶大な効力を発揮するだろう。
 「今度こそ絶対、花子さんを倒せる!」
 ユキコは力強く、笑った。





 「あのさ〜。今、大掃除してる最中だから、部屋の中、いじんないでね!」
 玄関口で、母にそう釘をさし、ユキコは自宅を出る。
 じゅうたんの汚れの上に、わざと部屋の中のものをどっちゃりと積み上げ、隠したのだ。だが今日にでも明日にでも、それを隠す何かを考えておかなければならないだろう。いや、じゅうたんを取り替える必要があるかもしれない。

 「……??」
 ユキコの視線が止まる。……何だろう? 母は返事をくれない。
 ――怖くなる。

 「お母さん! わかったよね?!」
 そう念を押す。……だが、母の表情は動かない。 
 (……具合でも悪いの?)

 もう問いただす事は出来ず、逃げるように家を出た。





 集団登校中。今朝はいやに、皆無口だった。
 いつもの登校仲間。上級生が先頭に立ち、近所の子が数人、一列に並んで登校する。学校が義務づけた登校の様式だ。
 ユキコはその真ん中で、不審な思いにかられたまま、黙って歩いていく。
 ――何かがおかしい。
 だが、言霊を聴いたお蔭で、周囲の人間までおかしくなるワケはない。……そう、言い聞かせる。
 学校が近づくにつれ、不安はどんどん膨らんでいく……。





 気がつくと、授業が始まっていた。
 今朝はおかしい。まだ誰の声も聞いていないような気がする。教室内に、賑わいというものが、まるで感じられなかった。
 ――落ち着かない。気持ち悪い。
 ウソだ。こんなの、夢だ。

 そして、寒気。今朝は寒い。薄着してきた事を呪う。……このままじゃ、とてもじゃないけど一日耐えられない。
 ……びんぼう揺すりを止める。なんだろう。アタシはイライラしているのか?

 やっぱり、おかしい。
 言霊を聴いたから、何かがおかしくなってしまったのか?
 ここはもしかすると、別の世界なのか。……地獄?? それとも、血を吐いたあの時、実は死んでいたのか? 

 「……ユキコさん。コッチに来て、この問題を解いてみて下さい」
 先生に当てられる。思わず、ホッと安堵する。……何もおかしくないじゃないか……。
 「……??……」
 目を細める。黒板の字が見えない。
 とにかく席を立ち、黒板に向かう。

 みんなの視線。遠い黒板。
 チョークを手渡され、黒板を見上げる……。
 そこには、
 「言霊を聴いたガキめ。また、地獄へようこそ」と、書かれてあった……。


 「うそだっ!!」
 信じられない思いでわめく。
 (……夢? ここは、夢なの??)

 振り返る。途端、皆はけたたましく笑い出した。
 ――狂笑に、飲まれる。意味のない、笑いだ。皆の顔が、悪魔に見える。
 「……夢、だよね? ……絶対、夢だッ!!」
 わめき、ユキコは教室を飛び出した。





 校舎を出て、外をさまよう。
 あてもなく、歩道を歩いて行く。途中、何度も笑う。
 「ウソだよ、あんなの……」
 そして心細くなって、少しだけ泣いた。
 ――あれが、言霊を聴いた後の副作用なのか。洋子が、「おかしくなる」と言っていたものなのか。
 「どうすんのよ、アレ……これからもずっと、あんなままだったら……」
 ――狂ってしまう。

 「洋子さん……」
 今の自分を助けてくれるのは……、洋子しかいない。
 (洋子さんの中学校、行ってみるか……?)
 そしてユキコは駆け出す。

 途中、ふいに思い当たる、最悪の事態。――洋子もおかしくなっていたら?
 その時もう……、助かる道はない。


― 17 ―


 中学校に着く。
 校舎正面の時計を見る。丁度、昼だ。

 洋子のクラスはどこだろう? 中学1年生、という事しかわからない。
 (なんとかなるでしょ)
 ユキコは生徒用玄関から、堂々と校内に入った。





 初めて目にする中学校の校内は、なんだか暗く、そして広い。
 スリッパで廊下をうろうろする。

 制服姿の見知らぬ人達を呆けた顔で眺める。やっぱり中学生ともなると、大人びて見える。
 「……ねぇ、どうしたの?」
 ふと、セーラー姿の女子生徒に声をかけられる。
 「あ……あの、人探しです。洋子さんって人を探してるんですけど……。中学1年生の……」
 「苗字は?」
 ……苗字。忘れた。
 「苗字はわからないんですけど……あの……ロングヘアーで、オカルト好きな洋子さん……なんですけど」
 言いながら、他に説明のしようがない事に気づく。

 「あ〜! はいはい、その洋子ちゃんね! ……わかるわかる。じゃ、連れてってあげる」
 「ホントですか? すみません」
 ユキコは安堵し、女子生徒の後に着いて行く。





 「オカルト好きの洋子ちゃ〜ん。お客さんですよ〜」
 この女子生徒は、丁度、洋子の友達だったようだ。
 「おあ?! ……ユキコ……ちゃん?? なんで?」
 女子生徒の輪の中で、洋子はトランプをやっていた。タロットカードかもしれない。洋子はユキコの元に駆け寄る。
 ユキコは手招きして、洋子を少し教室から離す。
 「洋子さん。アタシ……、言霊を聴いたの」

 洋子が真顔になる。「……なに?」
 「それで、みんながおかしくなっちゃったの……。お母さんとか……友達とか……! すごく怖くて……ここまで来ちゃったの……」
 震えるユキコの口元。洋子はその肩を抱き、背を優しく叩く。
 「洋子さん……これって、直るよね?! ……大丈夫だよね?」
 ユキコはそう問うが、洋子は苦々しい顔で首を振る。
 「……いや。脅かすワケじゃないけど、言霊を聴いたら、終わりなんだ……。見える世界が歪んでしまう。それは、直る事はないと思う……。アタシももう何年も……その中にいる」
 洋子に抱かれながら、ユキコはみるみる青ざめる。

 「まぁ……慣れればだいぶ治まる。今は頭の中が混乱してるから、極端に異常な事が起こりやすいんだ。言霊を聴いた事によって、ユキコの無意識が開けたばかりだからな。……頭の中が、パンク寸前なんだよ」
 そこで洋子は言葉を切る。「……向こうで、ゆっくり説明してやる」

 洋子に連れられ、ユキコは校舎を出る。





 広い校庭の一角。芝地に二人は腰を下ろす。
 今は昼休み時間らしい。離れた所に、生徒らがまばらに見える。

 「……言霊を聴くとな、人の心の奥底にある「無意識」が開けるんだ。無意識っていうのは、人間の基礎だ。人間が、考えつく様々なモノや状況なんかが、無造作に詰め込まれた、だだっ広い世界なんだな……」
 「その無意識によって、人間は夢を見る。だから夢は荒唐無稽……つまり、何でもアリ、なワケだ」
 洋子はユキコを責めるのをせず、状況を教えてやる事につとめる。

 「人間は、現実にいるようで、いない時もある。また、無意識はつながっていないようで、つながっている時もある。言霊を聴くと、過去の地獄を思い出してしまう。その話は、前にしたな? で、過去の地獄は、無意識の中にある。誰にでもあるものなんだけど……、ほとんどのヒトはつながりを断たれている。夢以外の場所ではな」

 ユキコは考える。
 言霊を聴いた事によって、過去に体験したという地獄を思い出し、無意識が開ける。地獄、についてはまだピンと来ないのだが、これからわかっていくのだろうか?
 そして、夢。夢が何でもアリなのは、無意識とつながっているからだ、という事らしい……。
 「言霊を聴くって事は、夢と現実をつなげてしまうのと同じだ。だから、狂う。現実が崩壊しちゃうんだよ、自分の中ではな。目を覚ましていながら、夢のような出来事が起こる。だから現実が信じられなくなるんだ……」

 「で、ユキコが聞きたいのは、それが続くかどうか、だろ? ……続く、んだよ。いつまでも」
 そう言われ、ユキコは表情を無くす。
 「……でもな。次第にだいぶ治まってくるから。夢ったって、普通の夢を見る時もあるだろ? 無意識とつながっていても、正常さを保てれば、現実もそうひどくは崩壊しない。……要は、恐れるなって事だ」

 洋子は、ユキコの顔を両手で掴む。
 「……ユキコ。無意識は怖くないし、現実も怖くない。つながっていても、怖くはないんだ……」
 「これからもたまに、現実が狂うだろう。でもな、そんな時は笑ってやれ。……「ばぁか」とな。そうすりゃ、おかしくもならない。……要はな、すべてを受け入れて……、自分が現実を飲み込む事なんだ。飲まれてはいけない。……飲み込む、んだ!」
 洋子に強く言われ、ユキコは「うん……」と素直な返事を返す。

 洋子はユキコから手を放し、笑いを見せる。
 「……聴いちまったモンは仕方ねぇ! も少ししたら、早速花子を倒しに行こう。お前の言霊で、花子を脅かしてやれ!」
 「うん!」
 ユキコもやっと笑顔になる。そして嬉しさのあまり、洋子に抱きついた。


― 18 ―


 数日。平穏な日々を過ごした。
 ユキコはあれからも、言霊のテープをヘッドホンで聴いたりしたが、もう特に血を吐いたりする事もなかった。――言霊は、ユキコのものになったのだ。
 だが代わりに、寝ても夢を見なくなってしまったような気がしていた。
 ――ここ数日の夢の記憶が、まるでない。
 ただ、そこにあるのは暗闇ばかり……だったような気がする。今後もずっとこのままだと、気が滅入りそうだ。


 この日曜。ユキコは、洋子の家に来ていた。洋子手製のクッキーなどでもてなされる。
 「あれから、みんなの様子はどう?」
 日も暖かくなり、洋子は涼しげな格好で、ユキコを迎えている。薄手のTシャツに、短パン姿だ。ユキコもそれと大して変わらない格好だ。
 「……だいぶ落ち着いてきたみたい」
 ユキコは、静かに応える。ユキコ自身も、あまり負担を感じる事もなくなってきた。
 洋子はひとまず安堵する。

 「今回……、死なせてしまった子達には、申し訳ない気がする。アタシが花子を倒しておけば、こんな数年で、花子がまた出てくる事もなかったハズだからね。アタシが手を抜いたりしなきゃ、あの学校はこの先何年、何十年と安泰だったハズだからさ……」
 「そんな事ないよ! ……洋子さんのせいなワケない……」
 うつむくユキコに、洋子は笑って肩を叩く。
 「……表向き、だよ。言霊を聞くと価値観が狂う。他人をいたわる心、反省する気持ちなんかが特に失われる。だから、そういうものは意識的に、考えていかなきゃならないんだよ。アタシらはさ」
 
 「ところでな。言霊を甘くみちゃ、ダメだぞ? あの歌は覚えりゃいい、ってものでもない。あの歌から、多くを感じなきゃダメだ。……言霊は、神の歌だ。だからアタシらが歌っても、中途半端になりやすいんだ」
 「……中途半端?」
 「あぁ。言霊そのものに大層なチカラがあるから、ただ歌えば花子なんかを倒せそうな気になってしまうが……、それは間違いだ。素質、心の力量がなきゃ、役に立たない。付け焼刃で簡単に効く呪文でもないしな。それに、言霊は美しく歌ってこそ、その効果を発揮する。だから、歌を正確にキレイに美しく歌えないと、効果も半減する」
 そんな話に、ユキコも顔を曇らせる。
 「……ユキコが言霊を歌うのは、承知した。そのつもりで聴いてしまったんだろうからな。で、アタシが直接、花子をナイフか何かでぶったぎる。ホントは、腕力で花子をぶっちぎる必要があるらしい。そうすりゃ、花子はもう2度と出て来られないくらいに、きつく殺せるらしい。でも、その方法をとって花子を殺した奴は、過去にいないって話だ」
 ――素手で花子さんを殺す。凄まじい話だ。
 「でもな、ナイフやなんやで殺しても、ヤツはおとなしく死ぬ。そうすりゃ、一旦の解決にはなる。当分は出てこれない。……当分はな。……まぁ、何年、何十年かはもつらしいから。今はそれでガマンするしかない」
 「……うん」
 ユキコは納得する。

 「でな。アタシの事なんだけど……アタシは言霊の効果を、完全には受けていないんだ」
 「言霊の効果??」
 「言霊を聴いたら、いずれ人間としての「枷(かせ)」は外れる。とんでもない腕力、脚力なんかに、いずれ目覚める。……そういう事でユキコは多分、もうとんでもない女になってるよ」
 「え〜……?」
 そんな実感はない。

 「でな。アタシに言霊を教えてくれたヤツはさ……、ちょっとイカレた奴だったんだよ。だからその時、地獄を乱されたんだ」
 「地獄を乱された??」
 「言霊を初めて聴いた時は……、誰でも生死をさ迷う。地獄の牛鬼とか、地獄そのものの話を事前に聞いとかなかったヤツは、まず死ぬ。この前、花子と戦う前に、ユキコにした話。あぁいうのが重要だったんだな」
 ユキコは、音楽室で聞いた話を思い出す。……地獄。地獄の牛鬼……。
 「アタシはね、無理やり聴かされたんだ、イカレたバケモノにな。……まぁ、その話はよしとくけど、とにかくその時、アタシの中の、過去の地獄をかき乱されたワケだ。だから、アタシにはだいぶ、思い出せない過去があるんだ……」

 「まぁ……とにかくな、アタシには言霊を聴いた事によって受けられるハズの恩恵を、受けられなかった。腕力も精神力も、人並みのままで。言霊を知ってるってだけの、イカレた女なんだな。……残念な事に」
 ユキコは何も言えない。
 「だから……アタシの武器はナイフだ。花子は、アタシのチャチな言霊で倒せる相手じゃなかったのを、前回で悟った。少し、考えが甘かったよ。……でも今度は二段構えだしな。ユキコの言霊と、アタシのナイフ。やれるような気がするよ。でかい刃渡りの重たいヤツ、用意しとく。それで花子をバラバラにしてやるよ」
 ユキコは、洋子が花子を解体する場面を想像してしまう。……怖い。
 「でも、18禁だ。お前には見せないよ」
 そう言う洋子に、「自分だって18歳じゃないでしょう?」と苦笑するユキコだった。


― 19 ―


 そして、その日が来る。
 6時間目のない日を選ぶ。木曜日。みんなは少し早く、学校から姿を消す。
 午後、4時半。校舎内に、子供の姿は見えない。1階の職員室に、先生がいる程度、だ。

 「言霊はな、大人が聞いても死なないんだ。だから仮に、先生が聞いたとしても、問題はない」
 大人は、地獄とつながる事ができなくなっているから、なんだそうだ。地獄の過去を多少わかっていたとしても、子供の時ほど鮮明に覚えているワケでもなく、そしてまた、夢とつながるには、大人の無意識は構築されすぎている、との事だった。

 前回のように、校舎2階の東側の防災シャッターを閉める。誰かが来て、邪魔されないためだ。
 そして、校舎西側のトイレへと、二人並んで足を進める。西側のシャッターは閉めないでおく。何かの時、素早く逃げられるように、だ。

 ガリッ、ガリッと、引っかくような音が聞こえてくる。
 「花子が、待ちわびているぞ?」洋子は笑う。
 「……おい、花子っ! オバケのくせに、そんな板張りくらい壊せないのか? それにそれくらい、すり抜けたって、いいんじゃないのかぁ?」
 2階西側の女子トイレの入り口を塞ぐ、数枚の厚い板張り。
 引っかく音は、まだ続く。


 二人は、その前まで来る。
 「今度はな、釘ヌキ用意してきたんだ」
 洋子はそれで早速、板の釘を抜きにかかる。

 ギシシシシ……

 花子の笑い声。ユキコは顔をしかめる。
 「そう急かすんじゃないよ。今、開けてやるからさ、大人しく待ってな」
 クギを四つ抜き、板が一枚外れる。
 後、七枚ほどある。     

 「洋子に……ユキコか? ずいぶん待った……。今すぐ、お前ら二人とも、引き裂いて……、血まみれにして……、動けなくなったところを、生きながら食ってやるぞ……ギシシ……楽しみだな……」
 「そんな事言うガキには、言霊をお見舞いだ。ユキコ、もう歌っていいぞ?」
 「うげっ! ちょっと待てっ! お前ら、安全な所でコトダマを歌うってのか?! それは卑怯だっ!!」

 そんな花子の言葉に、洋子は大笑いする。「何言ってんだ、ばぁか! お前らバケモノを駆除するのに、卑怯もクソもあるか」
 板が二枚外れる。トイレの中に、多少の光が入る。
 花子は、すぐそこにいた。

 「グワァアアッ!!」
 花子の叫びとともに、板が外れたところから、長い腕が襲ってきた!
 洋子めがけてふり払われる。
 「いだっ!!」
 それは、洋子の横っ面に、ぶち当たった。

 「洋子さんっ!!」 
 ユキコは、倒れた洋子の髪をかき分け、キズを探る。
 「……いてて……叩かれただけだ」

 「爪を立ててたら、貴様は死んでたぞ? ギシシシシ……」
 「このアホめ。そんな余裕があるとはな。……ユキコ、このアホに、言霊をお見舞いしてやれ」
 洋子にうながされ、ユキコは言霊を歌いはじめた。




 (20章に続く)




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