1章〜9章


 
― 1 ―


 ――床に散乱していたのは、大量の血と、人間の内臓。
 朝。学校の2階、西側隅にある女子トイレから、用務員が悲鳴とともに飛び出した。

 その小学校に通う、2年生の少年が惨殺されたのだ。前日の夜、警察に捜索願いが出されていた児童だった。母親が、「子供は帰宅していた」と誤認していた事により、校内の捜索は行われなかったのだ。
 その後、数週間経っても、犯人の手がかりは掴めなかった。

 その事件以来、校内でとあるウワサが芽を出した。
 ――トイレに出る妖怪。「トイレの花子さん」のウワサである。

 小学3年生を迎えたばかりのユキコも、そのウワサを信じていた。





 その事件以後。ユキコは、友達のルリの事が気になっていた。
 ルリの様子が、おかしいのだ。……以前はもっと明るかった。なのに今は、やけに黙り気味なのだ。
 気になって話しかけるが、「ほっといて」と断られる。その度に突っかかるが、ルリはうるさがるだけだ。
 「あの子に話しかけるのやめよう?」
 そう、みんなが言い出す。だけど、ユキコはルリをあきらめない。

 「……あのさ……、花子さんに関係あるの?」
 ある日。唐突にそうカマをかけて聞いてみた。すると、ルリは普段より激しい反応を見せた。目を見開き、顔を崩し……、逃げ出したのだ。
 (花子さんがらみ……?)
 そう気づいたユキコは、問い詰める路線を固める。だがそれ以後も、ルリはなかなか口を割らない。

 給食を終えた、昼休み時間。またユキコは、ルリの元に行く。
 「やめてよ……」
 本を読んでいたルリは、あからさまに迷惑そうな顔をする。
 「……ねぇ、お願いだからさいいかげん、何があったか話してよ? ……何で話せないのよ?」
 ルリは唇を噛んで、首を振る。
 「あのさ……、花子さんがらみなんでしょ? なんでルリちゃんがその事で悩むの?」
 「いいからやめてって!!」
 教室内、ルリに注目する。
 

 「あのね……ユキコちゃん? 心配してくれるのは嬉しいんだけど……、騒ぎを大きくしたくないのよ。別に花子さんには殺されないから、心配しないで……。ほっといて欲しいのよ。お願いだから……」
 泣きそうなルリの顔。ユキコはなお、問い詰める。
 「力になりたいのよ! ……わかんないの?! ほっとけないのよ!」
 「いいからもう……、ジャマしないで!」
 ルリは本を閉じ、あわてて教室を出ていった。

 その日の放課後。……ルリは、死んだ。





 2階西側の女子トイレ。
 先生が悲鳴を聞き、駆けつけたが……事は既に終わっていた。
 ――半壊した、生首。無造作に捨てられた、手足。腹から引きずり出された内臓……。

 またしても、犯人の形跡を掴めない。重大な事件ゆえ、警察は当分の間、校内の警備を行う事にした。そして、問題のトイレは板で閉鎖された。

 ユキコは、ルリの死を数日受け入れられずに、呆けた。
 そして気持ちが落ち着いた頃……、激しく泣いた。

 (ルリちゃんが死んだのは、アタシが追い詰めたせいなの……?)
 ルリを殺した犯人は……、トイレの花子さんだ。そう、わかっている。……なのに、どうすればいいのかわからない。
 
 ユキコは、今年の春卒業していった、洋子の事を思い出す。
 ユキコの4つ年上。ユキコにとって、アネゴ的存在である。変わり者で、オカルトが何より好きで、そしてまた謎めいていた。
 在学中、よく聞かされた口癖。――何かあったら、アタシを呼ぶんだよ? どんな悪霊だって、きっと倒してみせるから……

 ユキコはその言葉を今になって、強く信じた。
 (……洋子さんだ。洋子さんに、相談しよう……)


― 2 ―


 日曜。ユキコは洋子の家に、自転車で出かける。洋子の家に行くのは久しぶりだった。
 「こんにちは〜!」
 庭にいた、洋子の母親に、挨拶。
 「あら〜、いらっしゃい。ユキコちゃん、元気そうね〜」
 庭で草むしりなどをしていて、まるでオシャレしていないのに……、綺麗なのだった。
 軽く話をしていると、洋子が玄関に顔を出してくる。
 「お〜来たか? ユキコちゃぁん。久しぶり。……まぁ、あがって」
 青いシャツにジーンズ姿の、洋子。中学生になった洋子を、ユキコはまぶしい思いで見つめる。





 洋子に会っただけで、嬉しくなる。心強い。
 2階の部屋。用意されてあったポットで、紅茶をもらう。そして手作りのクッキー。……優しい、アネゴ。

 「……で。話は何? あれか?」
 察しがついているらしく、洋子はいきなり本題に入る。
 「……花子さんの話。最近、学校で出て来るようになって……」
 「誰か、殺されたらしいね? 2人だっけ?」
 「やっぱり……、知ってるの?」
 「そりゃあまぁね。町内の小学校で殺人事件じゃあ……、知らないワケないよ。でもやっぱり、花子さんがらみなのか……ちくしょう」

 洋子はシブイ顔になる。表情を崩さずにクッキーをもぐもぐ食う。2枚、3枚……。ユキコには、いつまでも食っているように見える。やがてカップの紅茶を飲み干し、ユキコに視線を戻す。
 「……そろそろ、退治する時期になったって事かな」
 「退治??」
 
 「そう。……実はさ、アタシがあそこに在学中の頃、花子を倒すべきかどうか、迷った時があったんだ。結局その時は、花子が出たのか出なかったのかうやむやだったんで、アタシは見逃したんだけどね。……でもやっぱりやっとくべきだったか。……悪かったね、誰か殺されちゃって」
 「いえいえ! ……そんな」
 何と言っていいかわからず、とにかく首を振る。

 「あのね、あの学校の花子さんを倒すのに、特種な呪文があるんだよ。「言霊(コトダマ)」ってのがね。アタシはソイツを知ってる。だから、それで花子を倒す事ができるんだ。……まぁ、簡単なもんさ」
 「でも、まずい事に、アタシはオンチでね。歌がヘタなんだよ。アハハ」
 「……? はぁ……」

 「言霊ってのは、歌なんだ。遥か昔から、怨霊退治に使われてきたらしい、呪文だね。で、話せば長くなるけど……、とにかく歌がヘタだと話にならないんだ」
 洋子は真顔だ。
 「あのさ……ユキコ。アンタ、アタシの後、継いでみる気はない?」
 「へ?」
 何の話かと、目を丸くする。だが、洋子はすぐに茶を濁す。
 「……いや、冗談だよ。ユキコを巻き込むのも……可哀想だしな。それに言霊を知ったら、取り返しがつかない事になる。この世に無いものばかり、見えてしまうようになる。……弱ければすぐ、狂って死ぬんだ」
 「えぇっ?! それ、何の話……?」
 ユキコには、話が見えない。
 
 「いやいや……まぁとにかく。被害者3人目は出させないよ。すぐにでも除霊に行ってやる。……平日の放課後だな。本当は土日、誰もいない所でやりたいもんだけど、学校閉まってんだろ? 入ったら、警報鳴るだろうしな」
 「後、先生にはバレないようにしたいから……、ちょっと協力してもらうよ? どっかの窓ガラス開けとく、とかさ。後、アタシが除霊している時に見張りをしてもらわなきゃなんない。見張りっていうより、通せんぼだ。誰にも来させないように、してもらいたい。まぁ……そんなトコだな」
 洋子はそう一息で話した後、「わかった?」と確認を入れてくる。
 ユキコは、細かい話はわからなかったがとにかく、「ウン。お願いします」と言って、頭を下げた。


― 3 ―


 ルリがトイレで殺されてから、「トイレの花子さん」のウワサが、またささやかれるようになった。
 ユキコは、ルリが最後に言った言葉を、時に思い出す。
 ――ユキコちゃん、心配してくれるのは嬉しいけど……、騒ぎを大きくしたくないのよ! 別に花子さんには殺されないから……、心配しないで……

 あまりにも、不可解だった。ルリは明らかに、何かを隠していた。
 ユキコは、ルリに関する事を、みんなに聞き回る。……だが、大した話を得る事はできなかった。


 (やっぱり、ルリちゃんが死んだのは、アタシのせいだったのかな……?)
 放課後。ランドセルを背負い、教室を後にする。
 ――その時。どこからか、悲鳴が聞こえた。

 ……女の子の悲鳴だ。身を硬くする。
 「だぁれぇかああああっ!!」
 今度ははっきりと、ユキコの胸に突き刺さる。

 先生を呼ぼうとする。……が、先に様子を確認してからだと思い直す。もしかするとフザケあっているだけかもしれない。
 ユキコはランドセルを脱ぎ落とし、この2階の、西側のトイレへと足を急がせた。


 トイレ前の廊下に血が見えた。
 そのべっとりとした血溜まりを、ユキコはしばらく呆然として眺めた。

 (……ダメだ。先生を呼んで来よう……)
 足にチカラが入らない。転ばないように、近くの階段の方へ足を向ける。


 ……ギシシシシ……。

 何かがすり切れるような音がして、思わず振り向く。
 するとトイレ前に、小柄な女の子が立っていた。

 赤いミニスカート。青白く細長い手足。
 ぼさぼさの長い髪。笑っている顔。
 その歯が、真っ赤に染まっていた……。





― 4 ―


 「わあああああっ!!」
 ユキコは階段を転げるように駆け降りる。

 (……花子さんだ! あれが、トイレの花子さんなんだ……!)
 ――赤いスカート。長い腕。青白く、細い足。獣のような顔。ぼさぼさの髪……。

 1階に降り、左に駆ける。職員室だ。
 「先生ーーーッ!! せんせぇえええっ!!」
 ユキコの悲鳴を聞きつけ、職員室から先生が2〜3人飛び出て来る。
 「先生っ!! 花子さんがっ! トイレの花子さんがッ!」
 そして咳き込み、ひざをつく。
 「ちょっとどうしたの?! 大丈夫?!」

 ユキコは顔を上げ、わめいた。
 「2階の……西側の女子トイレで! 花子さんに、誰か殺されたんですッ!!」


 すぐさま、先生たちが階段を上っていく。
 ユキコは体を抱えて、震え出した。
 その後、ユキコは救急車に乗せられていた。





 しかし。トイレでは誰も死んでいなかった。
 病院に見舞いに来た先生たちに、そう告げられる。しかしあの時確かに、ユキコは誰かの悲鳴を聞いた。そして廊下にできた真っ赤な血溜まりをその目で見た。
 なのに、犠牲者は出ていないという。

 はじめはどうしても納得がいかなかった。
 でも日にちが経つにつれ、夢でも見たのか、死んだ子の幽霊でも見たのかと、思い直す他はないのだった。





 入院3日目。洋子はユキコの入院を聞きつけ、見舞いに行く。
 「は? 明日、退院なの?」
 洋子は気抜けしたが、ユキコの元気な顔を見て、満足した。

 一通りユキコの話を聞き、洋子は苦い顔をする。
 「……わかんないよ、それ。本当に誰か殺されたのかもしれない。でもその子は「最初からいなかった」なんて事にされちゃって、死体も見つからないのかもね」
 「なにそれ?」
 「子供ってさ、夢の世界とつながってるから。そういう夢みたいな事がたまに起こるのよ。現実が、ゆがめられちゃうんだよね、たまぁに」
 それは何度か聞いた話だった。

 「まぁ、ユキコが見たってんなら、多分そうなんだろうよ? 花子も出たんでしょ?」
 ユキコは何度もうなづく。
 「ウチの学校に出る花子さんって、やたら狂暴なんだってさ。人食いなんだって話」
 「人食い……?!」
 今までそんな話を聞いたかどうか忘れたが、ユキコは驚いてみる。

 洋子は続ける。
 「昔からね、ウチの学校の花子さんは、特殊な方法で眠らされてきたらしいんだよ。一回出てきたら、野放しにできないらしくてね」
 「特殊な方法……?」
 「うん。アイツさ、もう何人か殺しちゃったんだろうね。ルリちゃんとか……他にもさ。おそらくもう、歯止めが効かなくなって来てるね。このままじゃ、また誰か殺さちゃうだけ」
 洋子は早くもそう決め付ける。
 「しかもさぁ、今回みたいに現実がゆがめられちゃあ……、警察も動かないし。学校も無くならない……」

 洋子は考え込む。ユキコはその顔をじっと見つめる。
 やがて洋子は明るい顔に戻った。
 「アタシがさ、花子を退治しに行くよ。……その時は、ユキコに見張りとか頼みたいね」
 「見張り?」
 「うん。結構重要な役だよ。アタシがやることも、かなり特殊だからさ」
 呆けた顔で洋子を眺め続ける。
 やはり洋子は頼もしいアネゴだと、ユキコは再確認した。

 「やる! 見張り、やるから。花子さん、倒して……!」
 ユキコは食いつくように身を乗り出した。
 しかもベッドから落ちそうになり、洋子は「気合い充分だね〜」と声をあげて笑った。


 「……で、ユキコさ。花子を見た感想は?」
 ニヤニヤしたまま、洋子はそう聞く。
 「う〜ん……」
 ユキコは真顔で考える。真っ赤なミニスカート、ぼさぼさの髪、血に染まったキバ……。

 「アイツ……汚い顔してたろ?」
 そんな洋子の冗談。肩を叩かれ、ユキコも笑いを返した。

 「……まぁ、うまいレアチーズケーキでも食って、元気出してくれや! いっぱい買ってきたからさ。好きなだけ食えな?」
 ドサリと、ベッド脇の棚の上に、洋子は紙袋を置く。
 「え、ホントに……? ありがとう……」

 それから軽く雑談をし、洋子は病室を出ていった。
 「そういや、レアチーズケーキだっけ……?」
 洋子が置いて行った袋を開けてみる。するとそこには……バナナがひとふさ、入っていた。

 「……う……あ、ふざけんな!」
 洋子なりのギャグをかまされた後。バナナの下に隠れてあった、カップ入りのレアチーズケーキを、ユキコは食べる事ができたのだった。


― 5 ―


 ルリの事件後、ひと月が経ち、季節は夏を迎え始めていた。
 不審者の警戒にあたっていた警察の姿も、校内ではもうほとんど見られなくなった。

 2階西側の女子トイレは、板張りで閉鎖されたままだが、それも取り外される事になった。板張りがあると、余計子供たちが怖がるという意見が出たためだ。
 先生たちは、トイレの花子さんの存在など、信じてはいない。
 そのトイレで死体となって見つかった2人の子供についても、やはり不審者の犯行だとする推測は揺るがなかった。

 警察の警備は、先生たちや父兄にゆだねられ、スキが出来はじめる。洋子も校内に入りやすくなってきた。
 花子退治の好機は、目前に迫る。


― 6 ―


 そしてユキコ達は、その日を迎える。
 ――花子を、退治しに行く。
 ユキコにとって、バケモノを退治しに行くなどという事は、絵空事のように思えた。いまいち光景が浮かばない。どうやって花子を倒すのか、洋子にあまり詳しく教えてもらっていなかったせいもある。

 その日の放課後は、小雨が降っていた。洋子はちょっと濡れて、校舎に入る。人目もなく、職員用の玄関から堂々と入って来たのだった。
 階段を上りながらユキコは、セーラー姿の洋子の背を見つめる。そして、ルリのカタキを討ってもらえるようにと、祈った。

 2階の廊下。そこには、5年生と6年生の教室がある。他に音楽室と美術室。人の気配はまだ残っている。
 「まだ、早かったみたいだなぁ」
 廊下東端の音楽室が開いている。ひと気がなかったので、ユキコ達はそこで一息つく事にした。
 ピアノ。暗い室内。やや向き合った格好で、それぞれイスに座る。

 「ユキコ。耳センしとけな?」
 そう言って、洋子はスポンジ式の耳センを手渡す。
 「……なんで?」
 「うっかりしてたけど……、アタシは「言霊」を歌う必要がある。だいたい3分程度の歌だ。その歌を、ユキコは聴いちゃいけないんだ」
 「……コトダマ。ふぅん? なんで聴いちゃいけないの?」
 「聴くと……、アタシみたいなオカルトマニアになっちまうんだよ」
 そんな軽口。笑いながらも、ユキコは頷いて了解する。

 「花子を倒すのに、時間はかからない。やるのは一瞬だ。……だけど、近くに誰かいちゃできない。言霊を聴かれるワケにはいかないからだ。ガキが無防備に言霊を聞いたら、まず死ぬ。……その場で頭おかしくなって、血ヘド吐いて死んじまう。それくらい、危険なものなんだよ」
 「い〜〜〜?」
 そんな話に、ユキコは顔をしかめる。「聞いたら死ぬ話」とかそういうものを連想してしまう。
 「だから、とりあえずもう少し待とう。辺りに誰もいなくなってから、だ。そしてユキコは耳センして、階段あたりで通せんぼしててくれればいい。ほんの数分、しっかり見張っててくれ」
 「うん」
 「もし、警察が来てもだ。絶対、通すな」
 「う、うん……」
 ユキコは神妙に頷く。

 校舎西端の女子トイレ。その近くに階段がある。ユキコは、そこを見張る事になった。
 3年から6年までの教室を挟んで、廊下の東端にもう一つ階段がある。この音楽室のすぐ手前だ。そこから誰かがやって来る恐れもあるが、そこは人手がないから見張れない。だから、その階段は防災用の扉を閉じておこう、と話が決まる。だが、あんまり早く閉めて、不審がられてもいけない。何をするにも、ひと目が無くなってからだ。

 洋子は、室内を静かに眺める。
 「あそこのベートーベンの絵にさ……昔にらまれて……学校を3日くらい休んだ事もあったな……」
 音楽室の壁に貼ってある、昔の有名な作曲者達の絵。誰かがふざけて、目に画鋲を止めたものもあったりする。痛々しい。洋子もそう思ったのか、立ち上がってわざわざ画鋲を抜きに行く。
 「昔はさ、すごく臆病だったんだよ、アタシ……。臆病なのに、オカルト話が大好きで。そんで、先生なんかに怪談話をよくおねだりしたんだよね……」
 洋子は苦い顔になる。
 「そんな中。とびきりの、とんでもない話を聞けたんだ……」
 「とんでもない話?」
 「あぁ。聞いたら死ぬ、なんて……とんでもない話を、な……」
 顔を上げて、ユキコを見る。
 「……知ってるか、「地獄の牛鬼」って話を?」

 ユキコは首を振る。洋子はまた視線を落とす。
 「その話を聞いた人間は……、あまりの恐怖でみんな死ぬってんだ。そんな話をな、あの先生はしやがったんだ……。アイツは、普通の人間じゃなかったんだよな、今思えばさ……」
 そんな話に、ユキコは飲まれていく。退屈しのぎのつもりなのかわからないが、黙って聞いているしかない。

 「ユキコ。……小学生の頃が人間、一番死にやすいんだ。現実じゃないものと、つながっているからだ。半分、地獄を知っている。だから何かあるとすぐ、地獄に戻っていってしまう。せっかく現実にいるのにな」
 「その先生は……、アタシを含めた、生徒5人くらいを放課後に集めて、そんな地獄の牛鬼の話をしやがったんだ……。今思えば、やけに印象の薄い先生だ。本当にいたのかどうかも怪しい。きっとアタシらは死神にでも、ノセられていたんだろうな……」

 「その話自体は割愛だ。話すワケにはいかない話だからな。……んで話した直後、先生が死んだんだ。大声でわめいてな。気が狂っちまって、バカみたいな叫びをあげて……顔をめちゃくちゃにゆがめて……勝手に泣いて……2階の窓から飛び降りた。うまく、下のコンクリートで首の骨を折って、即死した」
 「んで、残されたアタシらも、わめいた。泣き叫んだよ。地獄の牛鬼の話を聞いてしまったからな。それは……アタシ達の過去、そのものの話なんだ。アタシらは過去に、地獄を見ている。それを全て忘れているからこそ……、のほほんとしたマヌケ面を下げて、生きていられるんだ……」
 聞いている内に、ユキコはどんどん胸が苦しくなっていく。何の話をされているのか、わからない。現実の話? 早く、こんな話なんかやめてほしい……!

 「……まぁ、聞け。もしユキコが、言霊を聞いてしまった場合。この話が助けになる。地獄の牛鬼の意味を、お前が多少でも知っていれば、いきなり発狂死する事だけは……なくなる。だから、漠然とでいいから、聞いておけ」
 ユキコは、頷くしかない。
 「ガキの頃はな……、たまに記憶をゆがめられる。殺された子が、元々存在していなかった事になったり。現実の出来事が夢にされてしまったり。いつの間にか、見知らぬ友達がいたり、な」
 「……で、アタシら人間は、生まれてから数年後。突然、地獄を迎えるんだ。何もわからないまま……、気づくとおよそ、現実じゃない所にいる。そこはメチャクチャな場所なんだ。まるで悪夢ばかりをつなげたような場所だ。ヒトによりけり、だけどな」
 「そして次の瞬間には、何もかもが始まっている。……暗い校舎の中、人を殺さなきゃならない場面を迎えたかと思えば、海岸の側で牛鬼に食われたりする……。両親にめった殺しにされたり、もしかすると食われたりもする……。とにかく、例を挙げればキリがない。そこでは、およそ想像のつく、様々な事を体験するんだ。逆に言うと、今ユキコが想像できる、様々な恐ろしい事を、そこで体験してきたってワケなんだ……」
 ユキコは無心に聞く。わからない話でもない、と思えてくる。
 「その悪趣味な体験をもってして……、人間の脳は様々な知識を得る。その長い地獄を体験する事で、人間の脳が形成される、とアタシはにらんでいる。勝手な解釈だけどな」
 「地獄は……夢に近い。夢そのものなのかもしれない。バカ長い夢、なんだろうけどな。で、その地獄はアタシらの脳、つまり「無意識」を形造るために、避けては通れない所なんだと思う……」

 「そんな地獄を今、ユキコは思い出す事ができないハズだ。でも、お前の無意識は知っている。……でな言霊ってのは、その世界を終えた時に、神に聴かされる歌なんだよ。だから、それを聴いてしまったら、その地獄を完全に思い出してしまって……、狂うんだ。無防備な脳が、広大無比な「無意識」といきなり直結して……、おかしくなっちまうのさ。頭がパンクしちまう」
 「でな。渡した耳センから、もし抜けて、言霊を聴いてしまっても……、ユキコはもう大丈夫だと思う。ある程度自制して、恐怖を抑える事が出来る。……今した地獄の話は、そういう効果があるんだ」
 洋子は話を切り上げ、ユキコは意識を現実に引き戻される。

 「人間、誰しも今言ったような地獄を体験してきている。それをふと気づいた時には、忘れてしまっている。……アタシら人間は、本当に不可解な地盤の上に生きている。記憶なんて、何の実証にもならない。極端な話、人類は昨日生まれて明日全滅するものなのかもしれないんだしさ。そういう危うさの中、アタシらは踊らされているんだよな……」
 「うん……」
 やっと、ユキコも同意を示す事が出来た。とんでもない話ではあるが、洋子は信用出来る人間だし、話そのものも、なんだか古い記憶を揺さぶるものがある。

 「で、地獄の牛鬼の話の続きだけど……、聞いた子供達はアタシ以外、全員死んだ。その場で血とか内臓とか吐いたりして……死んだんだ。異常な事も起きてな。教室に牛鬼も現れた。2〜3人、バリバリと食われちまった……」
 「とにかくアタシは、恐怖に耐えたよ。頭の中が沸騰してるように、ぐらぐらだった。でも、耐えたんだ。長い時間な……」

 「……で、気づくと真夜中になっててな。真夜中の教室。血だらけの辺りを見回した。そこには静かに……、牛鬼が待ち構えていてな。アタシも不思議な気持ちで見つめ返した。でももう、怖さはなかった。怖さなどくだらない、という価値観が刻まれていた。牛鬼の頭を、なでたんだ」
 「教室を後にして、暗い階段を降りて……玄関でクツを履き替えて、大人しく帰った。外じゃ、首を折り曲げて死んだ、先生の死体が近寄って来た。アタシは言ったよ。……ご苦労さん、ってな。んで、ウチに帰って一人で寝て……翌朝目覚めてみると、やっと現実の朝を迎える事が出来たんだ……」
 洋子はその時の事を思い出し、安堵の表情を浮かべる。
 「ユキコ。失敗はないと思うけど、最悪の場合、……まず家に逃げろ。そして、朝まで待つんだ」
 ユキコは強く頷く。

 洋子は立ち上がる。
 「花子なんか、あの牛鬼なんかにくらべりゃ、可愛いもんさ。アイツは言霊一つでビクつく。言霊聴いたら、アイツはオダブツしちまうからな。ただ……」
 「……ただ?」
 「前にも言ったけど、アタシはオンチでな。言霊を聴いた花子に、笑われるかもしれない。アハハハハ」
 (……それって、冗談だよね?)
 一緒に笑うが、ユキコは念を押したくなった。





 廊下に出て、教室を見て回る。……人の気配はなくなった。
 2人は急いで、廊下の東側の防災シャッターを閉める。これで東側は、階段と廊下が遮断された。
 「ユキコ、耳セン忘れるな」
 廊下西側。花子のいるトイレへ、2人は足早に向かった。

― 7 ―


 西側の階段。ユキコは踊り場まで降りる。
 耳センをしているので、人の気配はわからない。……じっと、階段下を見つめる。とにかく、この階段を上って来ようとする人を、ここで通せんぼすればいいのだ。どんな理由があろうとも、ここを通してはいけない。
 ただほんの数分間。洋子が「終わったよ」と顔を見せるまでの事だ。
 きっと、洋子が花子を倒してくれると信じ、ユキコは自分の役割に専念する。

 ――ぽん。と肩を叩かれる。
 
 「ええっ?!」ユキコは飛び上がる。
 顔を見せたのは、洋子だった。……もう終わったのか、と呆気にとられる。

 洋子は、ユキコにカセットテープを手渡した。
 そしてまた、ユキコの肩を叩き、階段を上っていく。
 (……なんだろ? 後で聞け、って事かな。今はデッキなんかないし)
 ユキコはテープを尻ポケットにしまう。そして気を引き締め直す。……誰が来ても、絶対に追い返すぞ、と。





 階段の見張りをユキコにたくし、洋子はトイレに出向く。
 問題のトイレ。――妖怪、トイレの花子さん、が出るトイレだ。

 「タチの悪いバケモノめ……。今、アタシが退治してあげるからね……」
 トイレの入り口を塞ぐ板張り。釘で柱に打ち付けてある。高さ20センチほどの板が、縦に8列並ぶ。厚さは3センチほどもある。殴る蹴る、で壊せる板ではない。
 「やべ……釘抜き必要じゃん?」
 だが、そんな物はない。

 廊下の突き当たりは、美術室だ。洋子は、何かないか、と開ける。時間はかけられない。手早く、中を探る。
 数分後。洋子は長さ50センチほどの鉄の棒と、黒板消しを手に、出て来る。

 「よいしょ!」
 それらを使い、てこの原理で、板を外しにかかる。
 ――ガタン。一枚、外す。
 そして次々と、板を外していく……。上から6枚外し、残り2枚は面倒になり、残す。
 トイレの入り口は、これで開け放たれた。


 目を細めてトイレ内を見渡す。
 「はぁ〜な、ちゃん?」
 ――静かなままだ。

 「何よ? 律儀(りちぎ)に呼び出さなきゃ、出て来ないっての? アンタも面倒な子だねぇ……?」
 洋子の胸に宿る、小さな火花。それは……、火種なのだ。その火がなくては、自分は燃えない……。

 「や〜なんかこういうの、久々ね。燃えさせてね、花ちゃん?」
 個室3つ目に近づき、ノックを3回。
 「早く出て来て。……アタシの事は知らないのかな、花子さんは。アタシはよく知ってるんだけどね、アンタの事は」
 返事はない。
 「聞こえているんでしょうに? アタシが怖いの? ……そうなんでしょう?」
 「バカ言え」

 帰って来た返事。洋子はキャハハ、と笑う。
 「バァカだねぇ……。すぅぐ引っかかるし。普通さぁ、今みたいな挑発には乗らないよ?」

 だが、洋子は後ずさる。ほぼ、入り口付近まで戻る。
 そして、小さく口ごもる。言霊を、早くも唱え始めているのだ。慣らし、程度に。

 ギィ……。

 ドアはそんなきしんだ音を立て、ゆっくり開かれていった。





 そこから覗く小さな人影。
 真っ赤なスカート。サスペンダー。
 節くれだった手。連れて伸びてくる、長い腕。
 ぬっと覗かせる顔。顔じゅうが、キバだ。目鼻を覆う、ばさばさの髪。
 ――その指が、洋子を差す。
 「……アタシを殺しに来たのか……? なんだかオマエの姿が見えないぞ? 真っ黒だ」

 洋子は顔を輝かせる。
 「よく……見えるねぇ……。うふふ……これって、結構重いのよ。アタシにとりついている、地獄の亡者、ってトコかしら?」
 「言霊を聞いたら、もれなく、こぉんな素敵なプレゼントをいただいちゃって! キャアッハッハ! ……んま、毎日を異常に楽しくさせるスパイス、程度なものだけどね。でも、発狂しないのが大変なんだから……」
 洋子の目が熱を帯びてくる。ほとんど涙目だ。これは洋子なりの、嬉しい時のサインだ。非常に、嬉しい時の。

 火種は、洋子の中で、ゆらゆらとした火になり始める。
 熱くなっていき……、その身にチカラが湧き上がってくる。

 「ありがたぁく聴きなさいね……アンタの大好きな歌だよぉ……?」
 洋子は高く、言霊を唱え始めた。


― 8 ―

 
 洋子は目を閉じ、言霊に熱を込める。
 見えているものは、遠い記憶の中の――地獄。

 ――暗い、世界。
 現実を見失った恐怖。すがりつくものがない、救いのない世界。
 血肉に塗れている、汚らしい足元。顔を上げる。群青色の空を、わななき羽ばたく一羽のカラス。突如襲い来る、狂人達。視線の隅の生首。嗚咽と汚物。
 階段を転げ落ちる。
 何かにしつこく追いかけられる。泣き叫んでも、助けは来ない。
 何度となく突きつけられる――死。
 明るい言葉を聞けない、ほぼ無言の世界。仲間はいても、いつかいなくなる。
 ――地獄。
 終わらない、暗い、世界……

 だが確かに、それらにも終わりがあったのだ。
 永劫の果てに見えた、光。遥か天上に差し込む、微かな灯火……。
 神の祝福の歌が聞こえる。
そして我々は改めて、現実に「生」を受けたのだ……。


 ――と。
 洋子は、歌が生み出す光景を、片っ端から消されていくのを感じていた。
 ――ノイズだ。思わず目を開ける。
 目の前には、膝を折り、苦しんでいる花子の姿。
 剥かれた歯。――歯軋り。
 その歯軋りによって、洋子は言霊への集中を妨げられていたのだ。

 地獄と神の歌に酔いしれていながら、ムリに現実に引き戻され、洋子は顔を歪める。頭がついていかない。ひどい眩暈に、倒れそうになる。
 ――キキ……ギキキキキ……
 頭を抱え、花子は確かに苦しんでいる。……しかし、その顔はまっすぐ、洋子を向いていた。
 そしてじりじりと……その腕が伸びて来る……。

 花子は、笑みを広げていく。
 「……このオンチなガキめ。オマエの言霊は中途半端すぎる。……今まで聞いた中で、最低の言霊だ。……このヘタクソが。ギシシシシ……!」
 迫る、悪魔の顔。
 「ぅああっ!」
 洋子は、首を掴まれた。


― 9 ―


 耳センのため無音のまま。時間の感覚も無くしたユキコは、苛立ってきた。
 不安が脳裏を支配する。
 ただひたすらに、洋子を待つ。……それまで、誰もここを通してはいけない。洋子の歌う言霊を、誰にも聴かれるワケにはいかないからだ。聴いたら、その人は死んでしまうらしい。
 (苦戦、してんのかな……。まさか、死んだりしてないよね……?)
 様子を見に行くべきか、ユキコは迷う。


 花子はキバを剥き出し、満面の笑みを浮かべている。そのいかつい両手で、洋子の首をぎりぎりと締める。
 洋子のかぼそい首は、今にもへし折られてしまいそうだ。
 「……苦しめて、殺してやる。このアタシを倒そうなんて考えたバツだ。噛みついて、食いちぎって……そのはらわたにかぶりついて……、メタクソに殺してやる……。ギシシシシ……」
 その脅しの言葉に、洋子は快活な笑いを返した。
 花子がぎょっとする。

 「そんなつまんない事、言わなくていいよ。……アタシは殺されないんだからさ。絶対にね」
 眼前の花子の顔を、洋子は真っ直ぐに見つめる。
 「……でも想像していたのより、花子さんってよっぽど人間くさいね」
 それに呼応するように、花子は口をカアッと大きく開く。バカにされたのが、気に入らないのだ。そして洋子の余裕の態度が、不可解でならない。
 洋子は素早く体勢を立て直し、花子と距離をとる。
 「言霊が効かないか……困ったね」
 「オマエがオンチだからだ。ギシシシシ……」
 「……ふん。人殺しのバケモノなんかに、バカにされたくないわ」
 そう言い放つが早いか。洋子は拳を振り上げ、花子の横っ面に叩きつけた。

 「ウギャアッ!!」
 拳をまともに食らった花子は、個室の壁に叩きつけられる。勢い余って個室の中に倒れ込み、和式便器に手を突っ込んだ。……ややあって、花子は怒りに顔を醜く歪めた。
 「……キサマァ……!」

 「アハハ、いいザマ!」
 そう笑うが、怖くなった。余裕を失う。
 言霊はもう効きそうにない。そして、腕力でまともに戦ったところで、このバケモノを相手に善戦出来る自信はない。
 ――もしかすると、本当に殺されてしまう。
 焦りに塗れ、ほぼ策もなく、洋子は花子に襲いかかる。
 「カァアアッ!!」
 突如、キバと爪を剥いて威嚇してくる花子。その凄まじさに、洋子は我を忘れた……。

 その爪が、洋子に襲いかかる。遅れて、身を引く。
 「うああっ!」
 洋子は左足のももを、引っかかれる。


 傷口は汚い裂傷となり、皮が浮き立つ。
 ――吹き出る血。全身を震わせる激痛。たまらず、洋子は足を押さえ、トイレの床に転がった。


 「ウァーッハッハ! なんだそのザマはっ?! ……弱いじゃないか、キサマはぁっ!!」
 早くも勝ち誇る花子。また爪を伸ばしてくる。
 「おい、お客さん……その可愛いお顔を、メタクソに切り刻んであげようね……? ギシシシシ……」
 額に汗がにじみ出る。洋子は言葉一つ、返せない。
 ――殺される。

 「洋子さんっ!!」
 その時、ユキコが来た。









 洋子を、今まさに切り刻まんとする、妖怪の姿。
 ユキコは震える体を、トイレ内に向ける。

 「ユキコ……悪い。しくじっちまった……」
 苦悶の表情で、洋子はわびてくる。
 「……ユキコ、来るな……! コイツはトイレの自縛霊だから、ここから出られないハズなんだ! 逃げるのは簡単なんだ……!」
 ユキコは、洋子の叫びを聞き入れない。
 「おいっ!! アタシの事はいいから、早く、オマエは逃げろっ!!」

 叫んだ後、洋子は思い当たる。
 「……もしかして、聞こえてねぇだけなのか……? 耳セン取れ、耳セン……」
 洋子は、自分の耳を指差す。気づいたユキコは、耳センを急いで外す。 

 「引っ張れ!!」
 洋子は素早く身を起こし、ユキコに体をゆだねる。ユキコは慌てて、洋子を力まかせに引っ張った。
 「……わ、あ、あ、ああっ!」
 もつれあいながら、2人はトイレから出る。勢い余って、ユキコは後頭部と背中を廊下の壁にぶつけた。
 今度は洋子がユキコの手を引き、トイレ前から大きく離れた。数メートル行くと、足の激痛もあいまって、転げてしまう。


 遅れて、花子がのっそりと廊下に出て来る。……だが、足を踏み出しては来ない。
 「へへへ……。やっぱり、そこからこっちへは来られないようだな? ……じゃ、花ちゃん……またなっ! 楽しかったぜ!」
 洋子はそんな強がりを見せる。
 そして2人は、退散した。
 



 (10章に続く)




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